四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

シンポジウム 『 検証!古代から中世へ-東国の視点から-』

2016年01月31日 | 講演会・講座


本日、国立女性教育会館講堂を会場として埼玉県立嵐山史跡の博物館主催による
    シンポジウム 「 検証!古代から中世へ-東国の視点から- 」

基調講演
  木村 茂光 氏 (東京大学)
  「東国の古代から中世を考える -「東山道」の視点から-」   
報告1
  鎌倉 佐保 氏 (首都大学東京)
  「北武蔵の武士の本拠地の成立とその背景」   
報告2
  水口 由紀子 氏 (さきたま史跡の博物館)
  「経塚からみた中世成立期」
報告3
  飯村 均 氏 (福島県文化財振興財団)   
   「奥羽からみた関東」
討論

を聴講してきました。






500名の定員に対し今回は何名の参加希望者があったのでしょうか?
史跡めぐりやこうしたシンポジウムで何回か顔を合わせている方の姿もありました。皆さん歴史に詳しい方たちばかりの
ようです。歴史の基礎知識すらない自身には難しい話で、ここに内容を書くことはできませんが、それなりに勉強になり
ました。こうした機会をできるだけ多く作りたいと思っていますが、応募しても抽選で外れてしまうことが多くて・・・

聴講日:平成28年(2016)1月31日(日)

東上線「セイジクリーム」車両

2016年01月30日 | エトセトラ





東上線「小川町駅」1番線にクリーム色の4両編成の車両が停車していました。東上線の前身である東上鉄道が営業運転を開始したのが1914(大正3)年5月1日で、
一昨年である2014(平成26)年5月で開業100周年を迎えたことを記念して、同年3月29日から、1974(昭和49)年5月に新造、1985(昭和60)年まで運行していた
「セイジクリーム」のカラーリングをした車両とのことです(車体は当時のものではありませんが)。現在運行されているのは東上線小川町駅~寄居駅間と越生線坂戸駅~越生間です。
東上線全線開通90周年との兼ね合いかどうかは分りませんが、残念ながら今は開業100周年のヘッドマークもロゴも付いておりません。
約2年前から運行されているわけですからこれまでにも何回か見ているとは思うのですが特に興味もなったので記憶に留めてはいませんでした。

過日、フライング東上号を見たことから駅近くに行くたびに停車している車両を気にするようになったもので、これもコンデジでちょっとだけ撮ってきたものです。
最近、鉄分をちょっと摂っていますが決して「撮り鉄」化しているわけではありません。撮り鉄ならイチデジと三脚で沿線に構えて撮るでしょうから・・・

撮影日:2016(平成28)年1月28日(木)

まつりの前の越生梅林

2016年01月29日 | 花・鳥・風景




















某医大病院からの帰りに少しだけ「越生梅林」に寄ってみました。もしかしたら「梅まつり」を待つことなく開花しているかもしれないと。

例年2月下旬から3月下旬までの約1か月開催される「梅まつり」。今年も同時期の2月20日(土)から3月21日(月・祝)までの予定で
開催されるようですが、毎年開催日は蕾の状態。しかし今年は既にあちらこちらで開花しており、案の定、越生梅林も開花していました。
この状態ですと梅まつりのころには、と余計な心配をしてしまいました。状況によりまつり期間の延長ありとありますが、これでは前倒しした方が。

梅林入り口前の道路は工事中のうえ、観梅客用の駐車場は舗装整備中(駐車料金に影響?)。梅林内の展望台はただいま修理保善中でしたし、
梅の枝おろしの最中でしたから、仮にまつりの前倒しをしようにも準備が整っていないようですので近日中というわけにはいかないでしょう。

 観梅日 : 2016(平成28年1月28日(木)

天守 ・ 御三階櫓は歴史資料館 (1)

2016年01月28日 | 城館雑記
本来、「城」とは縄張りを含めた総体を言いますが「天守」を城だと思っている方が多いようです。かつての自身もそうでした。
天守は城の象徴ともいえる建造物ですのであながち間違ってはいないかも知れません。と、寛容な心遣いをしておきましょう。

その「天守」ですが、役割や構造・形式での分類は別にして、「現存天守」、「復元天守(木造復元天守・外観復元天守)」、
「復興天守」、「模擬天守」があります。また、天守ではないが天守を模した「御三階櫓」があります。

これらの定義は、専門家等により若干の相違があるようですが、簡単な説明をしますと、
 「現存天守」 ・・・ 江戸時代期までに建てられた天守で現在に至るもので12天守がある
 「復元天守」 ・・・ 火事・天災・破却・戦災で消失した天守を以前の通りに復元したもので、
           天守が現存した当時の図面・文書記録・遺構などに基づき、当時使われていた材料・構法・工法によって忠実に原状に復したものを木造復元天守
           鉄筋コンクリート構造などを用いて外観だけを往時のように再現したものを外観復元天守
 「復興天守」 ・・・ 天守がかつて存在したことは確かであるが、史料不足のため規模や意匠に推定の部分があるものの元の場所に再建(木造・コンクリ)された天守
 「模擬天守」 ・・・ 城は実在したが、元々天守のなかった城や、天守が存在したか不明な城に建てられた天守 天守は存在したが史実に基づかないもので、異なる
           場所に建てられたもの等

このうちの「現存天守」を除く「復元天守」等の内部は大体が歴史資料館や博物館になっています。現存天守においても資料等が展示されているところもありますが、博物館の
ようには至ってはおりません。

そんなことで自身が訪ねた城で天守が歴史資料館・博物館になっているものを僅かですが載せてみたいと思います。





名古屋城 (愛知県名古屋市中区) 国指定特別史跡 国指定史跡  日本100名城 44  天守 ・・・ 外観復元天守  攻城日:2011(平成23)年5月1日

1610(慶長1945)年徳川家康が西国の外様大名らに命じて造らせた天下普請の城 
1945(昭和20)年5月14日 名古屋大空襲により本丸御殿、小天守などとともに消失 1969(昭和34)年鉄筋コンクリートで外観復元で再建





大阪城 (大阪府大阪市中央区) 国指定特別史跡 登録有形文化財  日本100名城 54  天守・・・復興天守  攻城日:2014(平成26)年8月13日

1585(天正13)年完成 1615(慶長20)年 大阪夏の陣で炎上 〔豊臣大阪城〕
1626(寛永3)年完成 1655(寛文5)年 消失 以後天守が存在しないまま推移
1931(昭和6)年 徳川大阪城天守台の上に豊臣大阪城天守を模して鉄筋コンクリートで復興
豊臣大阪城天守、徳川大阪城天守に続き3代目であるが前2天守は短期で焼失したため1番長寿の天守





岡山城 (岡山県岡山市北区) 国指定史跡 国指定特別名勝  日本100名城 70   天守 ・・・ 外観復元天守  攻城日:2013(平成25)年8月9日

元々は金光氏の居城であったが、1570(元亀元)年に宇喜多直家が略奪 その子秀家が1597(慶長2)年に大改修
関ヶ原の戦い後に入った小早川秀秋や池田氏によって城の拡張整備が続けられた
1945(昭和20)年6月29日の岡山空襲で焼失 1964(昭和39)年~1966(昭和41)年鉄筋コンクリートで外観復元で再建

関東の駅百選 東京駅

2016年01月27日 | 駅百選





関東の駅百選第1回選定(1997(平成9)年・26駅)
JR東日本 東海道線、山手線他「東京駅」 東京都千代田区丸の内1丁目 開業1914(大正3)年12月
選定理由:大正3年誕生、真に歴史を物語るルネッサンス風の赤煉瓦造りの駅舎

この東京駅を発車する列車はすべて下り列車で上り列車はありません。まさに頂上の駅です。一昨年12月、東京駅開業100年を
記念したSuicaの販売で大騒ぎになりましたが今では遠い過去の出来事のように感じるのは自身だけでしょうか。
写真は、本年元日に撮ったものと2013年3月に撮ったもの2枚づつを使わせていただきました。

なお、「関東の駅百選認定駅」の標章の掲示場所について駅員さんにお聞きしても良かったのですが
広い東京駅の中を探すのは無理と初めから諦めてしまいましたので写真はありません。

去年の梅

2016年01月24日 | 花・鳥・風景




今年の冬は梅の開花が早く何度かこのブログでも梅の花を載せてきました。

昔、書店で「去年の梅」という小説の単行本が目に入り買って読みました。簡単に言ってしまえば男と女の話しですが。
最初に見たときそのまま「きょねんのうめ」と読みました。でも間違いでした。「去年」と書いて「こぞ」と読む。
つまり、「こぞのうめ」と言うのが正しい題名だったわけです。古語で「こぞ」と読むと知ったのはこの時でした。

今でも梅の花を観るとこの「去年の梅」という単語がすぐに浮かびます。男と女の話しですがと書きましたが内容までは覚えておりません。

上2枚の写真は去年の梅(2015年2月撮影)、下1枚は今年の梅(1月23日撮影)

雀の子 そこのけそこのけ・・・

2016年01月22日 | 花・鳥・風景




雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る (小林一茶)

いやー こちらからどいてくれと言う前に僅かな気配で飛んで行ってしまう雀たち。一茶の時代の雀の子は馬が近づいてきても平気で遊んでいたの?
こんな無粋な夢を壊してしまう現実的な話はやめておきましょう。でもね、こちらが雀の群れに気付く前にしろ後にしろ、
少しでも近づこうなら何羽かがサーと飛び立ち、後に続けとばかりに次々と飛び立ってしまい一羽もいなくなってしまいます。
一度の散歩で数回はこうしたことに出会います。ここにアップした写真はすべて同じ日(大寒の21日)のもの。

残りの雪

2016年01月20日 | 花・鳥・風景







雪の翌日 青空の下を歩いてみました。車の往来する幹線道路からは雪は消えたものの路肩や畑などにはまだまだ雪が沢山あります。
これを「残雪」とか「なごり雪」と呼ぶにはまだ早いようです 僅かに残った状態になるまでは・・・
いつもの散歩道、雪がある景色はいつもの散歩道ではないような。

「残りの雪」という小説がある。一見「残雪」と同じ言葉ではないかと思われるがニュアンスが微妙に違う。どう違うかは説明できないが。

散策日:2016(平成28)年1月19日(火)

中世黎明-時代を変えた武士と民衆-

2016年01月18日 | 企画展・見学会



埼玉県立嵐山史跡の博物館で開催中の企画展 『 中世黎明-時代を変えた武士と民衆- 』を見に行ってきました。

1月15日(金)に国立女性教育会館 講堂を会場にして開催された講演会「将門の乱と古代末期の関東ー武蔵国と源経基ー」はこの企画展の関連講演会でした。
展示品については撮影禁止のため写真はありません。     

訪館日 2016年(平成28年)1月17日(日)

回顧 現存12天守 (3)

2016年01月17日 | 現存12天守
現存12天守のうち実にその3分の1が四国地方にあります。この(3)ではその四国にある4城を。




【 丸亀城 】 国指定史跡、重要文化財   香川県丸亀市  日本100名城 78    攻城日:2012(平成24)年8月13日

石垣の城として有名な丸亀城の威容を初めて見たのは2011年8月のことでJR予讃線の車窓からでした。この時から丸亀城の攻城を考えるようになり、
翌2012年8月13日に攻城した次第です。その後3年間も8月になるとやはり車窓から眺めてきましたが、この先は再攻城することも車窓から眺めることもないようです。





【 松山城 】 国指定史跡、重要文化財   愛媛県松山市  日本100名城 81    攻城日:2012(平成24)年8月7日

この日は猛暑で、何本ものペットボトルを空にしていました。上りはロープウェイを利用しましたが、帰りは二の丸跡(二の丸史跡庭園)を見て行こうと乾門から徒歩で
下って行ったのですが途中「ロープウェイ駅方面」の看板を見ましたのでその方向へと進んだ次第です。上り坂でしたが山のことですから下るだけでなく登ることもあろうと
ハーハーしながら登りました。しかし一向に下りになりません。これは山麓駅に向かっているのではなく山頂駅に向かっているのだと気付いた時には既にかなり
山頂方面に引き返していたわけです。登ってきた道を引き返し山麓を目指しましたがこの時は体力の限界に来ていたようで、手はパンパンに浮腫んでいましたし、
脚を上げるのさえも大儀になりこのままその場に倒れてしまおうかとすら思いましたが、そうもいかずどうにかこうにか山麓まで辿り着きました。
本来は城に関する話しを書くべきなのでしょうが、これが一番の(楽しくない)思い出となってしまいました。





【 宇和島城 】 国指定史跡、重要文化財   愛媛県宇和島市  日本100名城 83  攻城日:2012(平成24)年8月8日

宇和島城攻城の前月に南予地方を襲った豪雨はあちこちに被害をもたらしていたようです。宇和島城もやはり同様で土砂崩れが発生し、井戸丸方向ルートは閉鎖。更に登城道も
土砂崩れで仮設階段がパイプで組まれていたという状況でした。しかし、天守や立ち上がり門は無事でしたし、天守にも上がれたので井戸丸跡を見られなかったことは我慢しましょう。





【 高知城 】 国指定史跡、重要文化財   高知県高知市  日本100名城 84  攻城日:2011(平成23)年8月8日

♪高知の城下へ来てみいや じんまもばんばもみな踊る の歌につられて2011年から5年連続で8月になると高知入りをしてきました。当然、高知城も5年連続で攻城しました。
天守まで上がったこともあれば、大手門手前で天守を眺めて終わりにしたりと色々ですが、どこの城が好きですかと訊かれれば「高知城」と答える自身です。
無論、ほかにも好きな城は沢山ありますが。いくら好きな城のひとつでも5年も行けば十分でしょう。
※ この記事を書いた時点では5年連続の状態でしたが、この後も行っていますので実際には6年連続になります。