「和紙の町小川」の振興策として、昭和24年(1949)から町の一大イベントとして始まった「小川町七夕まつり」も第69回を迎え、
7月22日(土)・23日(日)に開催されました。日本三大七夕まつりどころか関東三大七夕まつりにさえも数えられませんが、
関東三大のうち江戸期に始まったといわれる入間川七夕まつり以外の平塚七夕まつり・茂原七夕まつりよりも古い歴史を持っています。
始まった当初は、毎年8月7日・8日に開催されていましたが、昭和46年(1971)からは、小川町祇園祭に併せて7月26日・27日の
開催となり、さらに昭和59年(1984)からは、この日に近い土・日曜日の開催たなり現在に至っています。
年々盛んになっていた小川町七夕まつりは、市街地のみでなく広範囲にわたって飾り付けが行われましたが、交通事情等も影響してでしょうか、
主に市街地の中心部だけの飾りつけになってしまいました。かつては商店のみならず一般の家でも競って飾りつけをしたものですが、今では
その数もだいぶ減り、各種団体やグループ等の飾りつけがほとんどとなってしまいましたし、飾りつけ自体の数も減少している状況です。
千羽鶴の飾りつけです。かつてはすごい数の千羽鶴を飾っているところか相当数あったようですが、手間と時間のかかる折り鶴ですので、
最近はお目にかかることがめっきり減っているようです。
ありました。「おんな城主直虎」
オープニングに出てくる兜ですね。イヤー よくできていますね!!
「おがわ祭ばやし」の演奏舞台です。
七夕まつりと祇園祭が別々の日に開催されていたころは、各町会に祭ばやしの櫓が作られたものですが、すでに昔の話の範疇になってしまいました。
小川町の祇園祭の起源については定かではありませんが、上小川神社の祭礼としてすでに明治期にはあったようです。明治・大正期には7月25・26・
27日の3日間が祭日で、25・26日の2日は大型屋台の引き回し、27日は、あばれ神輿と言われた神輿を繰り出したようですが、昭和20年代からは
25・26日の2日開催となりました。そして、上述の通り、昭和46年からは七夕まつりと併せての開催となり、昭和59年からこの日に近い土・日の
開催となったわけです。そんな次第ですから、七夕飾りのある(旧の小川町)町中にしめ縄が張られ、やはり町内会ごとに祇園祭の会所が設けれています。
また、各町内ごとに子供神輿が繰り出されましたが、担ぎ手である子供の減少もあってか、担ぎまわることなく、会所の中に鎮座という姿も。
旧小川町の町内会のうち5町内会が大型屋台を所有しており、祇園祭が単独で開催されていたころは、毎年3台もしくは2台の屋台を揃いの法被・浴衣を着た
町内会の老若男女が曳き回していました。しかし、七夕まつりと一緒になってからは、当然、町中を曳き回すことはできなくなりましたから、固定配置で祭ばやし
を奏でる程度になっていました。が、ここ何年か前からは、七夕飾りの少ない道路を曳き回すようになりました(わずかな距離ですが)
今年の担当は「本二」(本町二丁目)の屋台で、他の町内からも応援に・・・
「本二」屋台の前で記念撮影の様子。他の町内とは、「本一」(本町一丁目)・仲町・錦町・相生町
進行方向に屋台正面を向かせるために、屋台上部を回転させます。
屋台にはハンドルがありませんから、方向変換や軌道修正の時は、屋台の下に柱をあてがって持ち上げ車輪の向きを変えなければなりません。
階段のあるこちらが正面
この七夕まつりではいろいろなイベントが開催されましたが、雨天のため中止になったものも・・・
撮影日:2017年(平成29年)7月22日(土)