四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

四本木の板石塔婆

2022年07月31日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:四本木の板石塔婆しほんぎのいたいしとうば
形 態:板石塔婆
概 要:正和3年(1314)の銘がある高さ約2.8mの日高市内最大級の板石塔婆
指 定:日高市指定有形文化財(考古資料) 昭和55年〔1980〕11月26日指定
所在地:埼玉県日高市原宿103

日高市内最大級の板石塔婆(板碑)と言われる四本木の板石塔婆を訪ねて来ました。
板石塔婆の左側の覆い屋のある地蔵は護國魂地蔵(昭和25年建立)、更にその左にある碑は「出羽
三山(湯殿山 月山 羽黒山)参拝記念碑」


       

主尊に阿弥陀如来(キリーク)の種子(梵字)が刻まれた、高さ280cm、幅下部67cm、上部60cm
の板石塔婆




四本木の板石塔婆の説明板




四本木の板石塔婆は二つの道が合流する三角地点に建立されています
何れも道路も県道30号(飯能寄居線)と交差しますが、左側の道路が県道30号と交差する交差点名
は「板仏」。板石塔婆(板碑)と縁のありそうな名です。

散策日:令和4年(2022)7月8日(金)

ミニ企画展 これでキミも考古学者!

2022年07月29日 | 企画展・見学会


ミニ企画展 これでキミも考古学者! 
会 期:令和4年7月20日(水)~8月28日(日)
会 場:本庄早稲田の杜ミュージアム 交流広場(本庄市西富田1011)
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私たちが暮らす地面の下には、昔の人が建てた家の跡や使っていた道具などが残されています。それらから昔の
人々の暮らしを調べるのが考古学です。
今年は土器に注目。考古学者の目線で、土器の謎に迫ります。

           《本庄早稲田の杜ミュージアムHP ミニ企画展 これでキミも考古学者! の紹介文より》
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ミニ企画展会場の交流広場
壁際に土器が並べられ、壁には説明のパネルが吊るされています。
1枚目のパネルは、
  [はじめに
   小学校6年生になると社会で、「歴史」を勉強します。歴史とはこれまで生きてきた
  人々の歩み、できごとです。]
の文言から始まる歴史の概略が書かれ、2枚目以降に、考古学とは? 縄文時代・縄文土器 弥生
時代・弥生土器と言った具合に歴史を追っての説明が書かれています。
 つまりこのミニ企画展は主に小学6年生前後を対象にした企画展のようです。正直、そうとは知
らずに出かけてきた次第ですが、中途半端な知識しか持ち合わせていない大人(私自身)にも大変
勉強になるものでした。




縄文土器




弥生土器




土師器(はじき)




須江器(すえき)

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本庄早稲田の杜ミュージアムは、【A インフォメーション&ショップ】・【B 埴輪の世界】・
【C 本庄の歩み】・【D 早稲田大学展示室】・【E 交流広場】の5エリアで構成されています。
このうちの埴輪の世界に展示されているものの中から何点かを。



宥勝寺裏埴輪窯跡出土 『靫形埴輪』(ゆぎがたはにわ)



                                     2019年12月6日撮影
『靫形埴輪』が出土した宥勝寺裏埴輪窯跡 《本庄市早稲田の杜1丁目(旧本庄市)》
この斜面に5基の埴輪窯跡が残されていた  




前の山古墳出土 『女子人物埴輪』




東五十子23号墳出土 『琴を弾く男子人物埴輪』




埴輪サークル  色々な形の埴輪が展示されています




金鑚神社(かなさなじんじゃ)古墳出土  『円筒埴輪』



                                     2019年12月6日撮影
上掲の円筒埴輪が出土した金鑚神社古墳 《本庄市児玉町入浅見(旧児玉郡児玉町)》                             

見学日:令和4年(2022)7月21日(木)

菅谷館跡のヤマユリ

2022年07月26日 | 花・鳥・風景


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場している『武蔵武士の鑑』と謳われる知勇兼備の武将畠山重忠
の館があったと伝わる菅谷館跡のヤマユリが咲きだしたとのことから今年も訪ねて来ました。
いつもは本郭に咲くものを中心に撮ってくるのですが、既に咲いて枯れてしまったようでした。
今回は三ノ郭に咲いていたものを何枚か撮ってきました。










散策日:令和4年(2022)7月26日(火)

歴史講座Ⅰ「鎌倉殿とその時代」第2回

2022年07月23日 | 講演会・講座


埼玉県立嵐山史跡の博物館
令和4年度  歴史講座Ⅰ「鎌倉殿とその時代(2)」
 日 時:令和4年7月22日(金)13:50~15:30
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
 講義名:比企一族と周辺の武士
 講 師:山野 龍太郎 氏(埼玉県立小川高等学校)
 構 成:はじめに
     1.比企氏の政治的背景
     2.比企氏の武蔵国下向     
     3.比企氏と鎌倉幕府
     4.比企一族をめぐる武士
     5.比企氏と武蔵国の支配
     おわりに

を聴講してきました.

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映で、鎌倉時代・武蔵武士に関心が集まっております。
そんな中で比企地域ゆかりの比企氏の活躍も描かれているところです。比企氏・比企尼の娘や孫
は、源氏一族や鎌倉御家人などと縁組をし、比企氏はその地位を築いていきました。そんな比企
一族についてのお話をしていただきました。
なお、講座の録画・録音・写真撮影は禁止のため写真はありません。  




聴講を終えて帰路につく聴講生のみなさん

聴講日:令和4年(2022)7月22日(金)

万葉歌碑「 高麗錦 紐解き放へて 寝るが上に・・・」

2022年07月18日 | 歌碑・句碑


万葉歌 :萬葉集 巻十四東歌三四六五「高麗錦 紐解き放へて 寝るが上に 何と為ろとかも あやに愛しき」
作 者 :未詳 相聞歌
揮 毫 :中西 進(万葉研究者・文学博士)
建立日 :平成2年(1990)11月10日
建立者 :日高町教育委員会 (現日高市)
所在地 :埼玉県日高市高麗本郷 巾着田

500万本の曼珠沙華群生地として知られる日高市の巾着田。巾着田とは高麗川が蛇行したその形が
「きんちゃく」の形に似ていることから呼ばれるようになりました。
その巾着田には何度も行っており、万葉歌碑が建立されていることは知っていましたが、中々歌碑
の写真を撮る機会がありませんでしたので、今回はこれを目的に行ってきました。
歌碑は日和田山を背にして建立されています。
話が逸れますが、日高市という地名は高麗川村と高麗村が合併した際に付けられた地名(合併時は
日高町)です。日高の「高」は、高麗川村、高麗村の「高」からで、「日」はこの日和田山からと
言われています。




【 碑文(歌)】 萬葉集 巻十四東歌三四六五
    巨麻尓思吉
    比毛登伎佐
    氣弖奴流我
    倍尓安杼世
    呂登可母安 
    夜尓可奈之
    伎 
 
進書
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【訓読】 高麗錦紐解き放けて寝るが上にあどせろとかもあやに愛しき
【仮名】 こまにしき ひもときさけて ぬるがへに あどせろとかも あやにかなしき
【大意】 高麗(こま)の錦の紐を解き 共寝したのにこれ以上
     あの娘(こ)はどうしてほしいのか たまらないほどいとおしい
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【碑陰】
    万葉の歌碑
  高麗錦 紐解き放けて 寝るが上に
   何と為るとかも あやに愛しき
     (万葉集巻十四. 三四六五)

  この歌は、東歌の一首で高麗郷との
  かかわりを述べる学説がある。
  文化の香り高いまちづくりをめざす
  人々に万葉の詩心が永く受け継がれ
  るよう祈念し、文学博士中西進先生
  揮毫 によるこの歌碑を高麗郷巾着田
  の地に建立したものである。

   平成二年十一月十日
    日高市教育委員会

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※ 現在の元号である『令和』の考案者は、この中西進先生だと言われています
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【歌碑の傍らに設置されている解説版】

   万葉歌碑
      巻十四⁻三四六五
       未勘国相聞往来歌百十二首の一首です。

    
    <碑文と同じにつき省略>

  「高麗錦の紐を解いて共寝をしているのに、この上、一体どう
 しろというのか、無性に可愛くてしかたがない」と歌っています。
  高麗錦とは朝鮮半島北部の高句麗で、様々な色糸を用いて織ら
 れた高級な絹織物の総称です。古代では高句麗の事を高麗と表現
 していました。
  この歌は東歌を集めた巻十四の未勘国に収められています。
 注 未勘国 国名がわからない。
   相聞往来歌 恋の歌
                平成二十九年九月
                     日高市教育委員会


散策日:令和4年(2022)7月8日(金) 

ツバメの親子

2022年07月17日 | 花・鳥・風景


某スーパーマーケット(と言いつつ名称がバレバレですが)〇〇〇店の出入口の上に設けられた
スピーカーの上に燕の巣がありました。




5羽のヒナが並んで・・・




一斉に口をあけました




ヒナたちは親ツバメが戻ってくるのを捉えて口を開けて待っていたのです
親だとが分るのも生き物の本能なのでしょう
親ツバメが餌をとってきてヒナに与えたようですが一瞬の出来事



すぐさま巣から離れまた餌を取りに
どのヒナに餌を与えたのかわかりませんでしたが、もしかしたら一番右のヒナに・・・

親ツバメが戻ってくるのを何度か待っても一舜のことですので、シャッターを押したときには既に
親ツバメの姿はないと言う状況ばかり。何とか撮れたものを組み合わせて形だけは一連の流れの写
真にしてみました。

撮影日:令和4年(2022)7月16日(土)

国指定重要文化財 高麗家住宅

2022年07月15日 | 史跡・遺跡・文化財


高麗神社の境内(社殿の裏手)に建立されている高麗家住宅を訪ねて来ました。
高麗氏は高麗神社の主祭神である高麗王若光の子孫で代々神職を務めています。

名 称:高麗家住宅こまけじゅうたく
形 態:建造物
指 定:国指定重要文化財(建造物)(名称:高麗家住宅 昭和46年〔1971〕6月22日指定
時 代:江戸時代中期
概 要:高麗神社の境内にあり、神職を務めた高麗家の住居として慶長年間に建造。
所在地:埼玉県日高市大字新堀850








高麗家住宅説明板
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⊡ 高麗家住宅                          国指定重要文化財 建造物
                                 昭和46年6月22日  指定
 高麗家住宅は高麗神社の神職を代々務めてきた高麗氏の住宅です。建物の規模は桁行14.8m、梁間9.5m
をはかります。
 屋根は入母屋造りで、茅で葺いています。間取りは五室と土間からなっています。表側にある「おもてざ
しき」は21畳の板敷きで、押し板を備え、前面には格子窓を付けています。「四帖」は「おく」の間の控え
の間としての役割を持ち、「おく」には「とこ」が設けられています。「かって」の板の間にはいろりがき
られ、土間の奥にはかまどがあります。
 建築年代は高麗家に伝わる文久3年(1863)の絵図面に、慶長年間(1596~1615)んじ建てられたとの伝
えがあると記されています。昭和51、52年度に行った解体修理でも棟札などの建築年代を示す資料は得られ
ませんでしたが、建築形式や構造手法からおよそ17世紀後半頃と考えられています。
※押し板とは中世の座敷飾りで、壁下に作り付けた奥行きの浅い厚板をいいます。現在の床の間の前身と考
えられています。
                                       平成23年3月
                                       日高市教育委員会

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この説明板では、桁行14.8mとありますが、文化財データベースや日高市のHPでは、桁行14.3mと
なっています。7間半をメートルに換算してですので問題視するほどの違いでありませんが・・・




高麗家住宅間取図




「奥」




「おもてざしき」




「土間」  関係者以外立ち入り禁止の立て札が立っています。外からの撮影です。

散策日:令和4年(2022)7月8日(金)

国登録有形文化財 高麗郷古民家(旧新井家住宅)

2022年07月13日 | 史跡・遺跡・文化財


曼珠沙華の群生地として有名な巾着田入口前にある高麗郷古民家(旧新井家住宅)を訪ねて来まし
た。何度も目にしている古民家でしたが初めての見学でした。

名 称:高麗郷古民家(旧新井家住宅)こまごうこみんか(きゅうあらいけじゅうたく)
形 態:建造物
登 録:国登録有形文化財(建造物)(名称:旧新井家住宅 平成26年〔2014〕4月25日登録
時 代:明治時代中期
概 要:巾着田を見下ろす高台に建てられた、市内では珍しい大型の二階建て民家や土蔵など
所在地:埼玉県日高市大字高麗本郷245番地
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 新井家の歴史
新井家の古文書から、江戸時代末の文化、文政、天保は高麗本郷村の名主をつとめていたことが分っています。
明治時代になると地域の行政事務の責任者として戸長を置きました。戸長はかつての庄屋・名主層などから選出
される場合が多くありました。新井家も戸長を務め、後に高麗村の村長も務めました。
新井家は名主、戸長、村長として地域の政治を担った歴史があります。

            《パンフレット「国登録有形文化財 高麗郷古民家(旧新井家住宅}」》から抜粋引用
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高麗郷古民家(旧新井家住宅)は平成20年に日高市が買い上げて管理していますが、これ以前、以
後にわたり何度も改修されて、元の形は留めていないとのことです。
また一般公開(無料・休館月曜日及び火曜日)されるようになったのは平成25年(2013)9月から
のようです



国道299号から見る高麗郷古民家(旧新井家住宅)




石垣の近くから




高麗郷古民家(旧新井家住宅)敷地入口




左:納屋  右:南土蔵




「高麗郷古民家」のスタンプと母屋入り口前に設置されている「国登録有形文化財」登録プレート

登録プレートには
   文化財愛護シンボルマーク
の下に、
   登録有形文化財
  第11-0135~0140号
この建造物は貴重な国民的財産です
     文化庁
とありますが、登録有形文化財名(建造物名)は入っていません
第11 の [11]は埼玉県のコード番号
0135~0140 が県ごとの登録番号のようです。
上記の登録有形文化財の名称では単に「旧新井家住宅」と記しましたが、正しくは、
  旧新井家住宅主屋  1棟
  旧新井家住宅客殿  1棟
  旧新井家住宅納屋  1棟
  旧新井家住宅南土蔵 1棟
  旧新井家住宅北土蔵 1棟
  旧新井家住宅石垣  1基
の5棟1基がそれぞれ登録有形文化財として登録されており、これらを一括して登録されているわけではないの
です。登録日はすべてが平成26年〔2014〕4月25日。
ですから、登録番号が 0135~0140 と6個あるわけです。
一括ではないと述べましたが、事実上はひとまとめと考えてよいかもしれません。現に、プレートは棟(基)毎
に交付されるわけではなく、第11-0135~0140号と言ったように1枚しか交付されません





左:客殿  右:母屋(主屋)
・客殿は明治 39 年建設。正面に唐破風造の車寄せを設け、2階客間には高欄を設けた木造二階建、
 瓦葺。
・母屋の建築年代は江戸時代末期から明治時代初期と考えられる木造の入母屋造の2階建てで、平
 成5年に茅葺から瓦葺に改修されている。
七夕のの時季に訪れましたので七夕飾りがあります




客殿の式台構え




母屋一階




母屋一階 手前が【出居】




母屋一階廊下




客殿一階客間




客殿脇から前庭を




書斎




母屋の北側 中央奥に見えるのは井戸




北土蔵

前回の投稿記事は「国指定史跡」、今回は「国登録有形文化財」の(史跡と文化財の違いはありま
すが)となりました。
以前の投稿でも述べましたが、同じ「国※※」でも、指定と登録では其の趣旨や条件が違いますの
で、国指定と国登録を同格に捉えることはできません(私見)
なお、秩父郡長瀞町の宝登山神社の近くにも同じ名称の「旧新井家住宅」がありますが、こちらは
国指定重要文化財(建造物)となっています。

訪館日:令和4年(2022)7月8日(金)