四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

茅の輪くぐり

2020年06月29日 | 歳時記






「夏越の祓(なごしのはらえ)」に行われる神事「茅の輪くぐり」は6月30日に催行されます。
この写真は、4年前(2016年)の「茅の輪くぐり」の一コマです。

この埼玉県比企郡小川町大塚に鎮座する八幡神社は、元弘3年(1333)に、鎌倉幕府9代(最後の)
将軍守邦親王が、鎌倉幕府滅亡に際し、亡命し、この梅香岡に仮寓。鎮守神明社の境内に勧請した
のが、八幡神社のはじまりであると言い伝えられています。




玉垣に沿って「夏越大祓式 六月三十日催行 大塚八幡神社」と染め抜かれた幟が立ち並んでいます
但し、この写真も4年前のものです




新型コロナウィルスのことも含めてこの半年の穢れや厄を祓い清め、この先半年の健康を願い1日
早く大塚八幡神社を訪ねてみました。
例年ですと10日程前から茅の輪が準備されています。密を避けるために当日ではなく1日前にし
たわけですが写真のとおり茅の輪はありませんでした。
夏越大祓式の幟もありませんでした。掲示板には中止の旨の張り紙等はありませんでしたが「中止」
で間違いないようです。

他の神社ではどうなのだろうと、ここ数年の間に参拝したことのある神社で茅の輪くぐりを行って
いる次の4社について調べてみました(写真は茅の輪くぐり当日のものではありません)
このうち1社は中止、他については催行するも、神職の祭事のみで一般参拝者はご遠慮下さいと言っ
たような内容でした。



江戸の総鎮守 正式名称は「神田神社」 平将門も祀られています




長元3年(1030)源頼信により創建




古墳の上に鎮座する神社




埼玉県最古の天神社

大塚古墳の箱式石棺(埼玉県川島町)

2020年06月28日 | 古墳


名 称:大塚古墳の箱式石棺
形 状:下掲の説明板参照
指 定:川島町指定有形文化財(名称:石棺 昭和36年(1961)1月25日指定)
所在地:埼玉県比企郡川島町白井沼 川島中学校正門前駐車場

川島町東大塚に所在する「東大塚古墳群(東大塚三塚)」のうちの1基である大塚古墳から出土し
墳丘上に放置されていた箱式石棺が、川島中学校敷地内に移されて復元保存されているとのことか
ら訪ねてみました。




川島町指定文化財  組み合わせ式(箱式)石棺

 この石棺は6枚の緑泥片岩を組み合わせて箱型に造ったもので、今から千数百年前の豪族の
墓に使用されたものです。縦の内法195センチメートル、横の内法56センチメートル、高さの
内法前方46センチメートル、後方53センチメートルあり、床石と蓋石には4辺に幅4センチメ
ートルの溝があり、前後の石は左右の石に組み込む仕組みになっています。このような石棺は
県内では珍しいもので、古墳時代後期の埋葬様式を知るうえに貴重な資料です。
 文化年間(1804~1818)東大塚の古墳(渡辺春吉氏宅=東大塚283の1裏)上の神明社修理の
際出土し、中から剣太刀・やじり・其他のものが発掘されたので、中山の秋元但馬守の陣屋に
届出されたといわれています。
 その後最近までこの石棺は古墳上に」置かれていたのですが、古墳は原型を失いそこに置く
ことは適当でないとの判断されたため、昭和40年5月この地に小さく円墳を模造しておくことに
したものです。
 昭和58年3月1日
                                 川島町教育委員会




円墳を模造した上に置かれている箱式石棺①




箱式石棺②




箱式石棺③

散策日:令和2年(2020)6月8日(月)

東間の富士塚(埼玉県北本市)

2020年06月27日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:東間の富士塚(あずまのふじづか)
通 称:センゲンサマ(せんげんさま)
規 模:東西約27m 南北約27m 高さ約6m
築 造:江戸時代中期
指 定:北本市指定有形民俗文化財(名称:東間の富士塚 平成25年(2016)3月28日指定)
所在地:埼玉県北本市東間1-6 浅間神社

富士塚とは富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚。
江戸時代後期には、富士講が隆盛した。関東地方で多くの信者を獲得。関東各地に富士山を模して
築いた富士塚を遥拝所・代理登山所とする信仰が定着した。
ここ東間の富士塚は、塚の中腹にある「石段供養塔」に享保八年(1723)の銘があることから、冨
士講以前の富士信仰による築造される。

写真右端にある社号標柱には、「村社 浅間社」とあります。




道路に面して建てられている『東間の富士塚』説明板
その右側に半分程写っている看板は、新型コロナウィルス拡大防止対策のため、今年は、毎年6月
30日、7月1日に行われている初山行事を中止し、来年、2年分を行う旨が記されています。




『東間の富士塚』説明板
末尾に、「毎年六月三十日、七月一日には、この一年の間に生まれた赤ちゃんの成長を祈願する
初山行事が行われている。」とあり、上の説明を補足しますと、来年は今年の分と合わせて2年分
を一緒に行うということです。




広い境内(敷地)の正面に見えるのが「東間の富士塚」 右の建物は「浅間会館」




東間の富士塚の登山道(階段)




同上




浅間神社 社殿
賽銭箱には富士山の絵が描かれています




扁額「浅間神社」




浅間神社 御由緒




塚の南側にある階段は「下山道」でしょうか?

登山日:令和2年(2020)6月2日(火)

荒井の富士塚(埼玉県北本市)

2020年06月26日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:荒井の富士塚(あらいのふじづか)
通 称:竹ノ子浅間(たけのこせんげん)
規 模:東西約28m 南北約27m 高さ約5m
築 造:18世紀初め(江戸時代前半)と推定
指 定:北本市指定有形民俗文化財(名称:荒井の富士塚 平成25年(2016)3月28日指定)
所在地:埼玉県北本市荒井2-228 竹の子浅間神社

富士塚とは富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚。
江戸時代、富士講が組織され、関東地方で多くの信者を獲得。関東各地に富士山を模して築いた富
士塚を遥拝所・代理登山所とする信仰が定着した。
ここ荒井の富士塚は、麓にある手水石に宝永4年(1707)の銘があることから、冨士講以前の富士
信仰による築造ではないかと推測されています。




荒井の富士塚(竹ノ子浅間神社)   鳥居左側の建物は「東原公会堂」




荒井の富士塚登山口




『荒井の富士塚』説明板




手水石  宝永四年の銘はどのあたりに・・・
何か刻まれているのは分るのですが摩耗が激しくて




竹ノ子浅間神社社殿
  社 号:浅間神社
  祭 神:木花咲耶姫命




格子の隙間から社殿内を
浅間神社だけに幔幕には富士山が描かれています




富士塚西側 蛇行する下山道跡はどこに

登山日:令和2年(2020)6月2日(火)

阿諏訪野古墳(埼玉県熊谷市)

2020年06月25日 | 古墳


名 称:阿諏訪野古墳(あすわのこふん)
別 名:―
墳 形:円墳
規 模:径約10m
築 造:?
出土品:―
指 定:―
所在地:埼玉県熊谷市箕輪 (旧大里郡大里町)

熊谷市(旧大里町)の埼玉県立埋蔵文化財センター近くに、阿諏訪野古墳という小さな古墳があ
り、楓山古墳と共に阿諏訪野古墳群を形成しているとのことから訪ねてみることにした。
しかし、中々見つからず、丘陵地帯の船木台を中心に行ったり来たりの末にようやく発見。付近
を探し回ること数十分、やっと探した古墳にはものの数分。説明板等はなく詳細は分りません。
楓山古墳についてはあきらめました。




ほぼ無名な小さな古墳ですが、階段、手摺が設けられ大切に保存されているようです。




墳頂には小さな祠も鎮座

散策日:令和2年(2020)6月2日(火)

八重塚古墳群(埼玉県北本市)

2020年06月24日 | 古墳


名 称:八重塚古墳群(やえづかこふんぐん)
別 名:―
墳 形:方墳 
規 模:東西約30m 南北約22m 高さ1.7m(2号墳)
築 造:6世紀末から7世紀初頭
出土品:―
指 定:埼玉県選定重要遺跡 (名称:八重塚古墳群 昭和44年(1969)10月1日選定) 
所在地:埼玉県北本市荒井6-102

八重山古墳群は。荒川左岸の群集墳で4基からなっていました。現在は、北里メディカルセンター
病院前の看護学校の前庭に2号墳の1基が遺るのみですが、北里研究所の御厚意により綺麗に現状
保存されています。
説明板によれば、1号墳の横穴式石室から刀子1点が発見されたとありますが、3号墳からは大型の
須恵器の甕が出土されたとのようです。




『県選定重要遺跡  八重塚古墳群』説明板




実測図(説明板から)




2号墳の状況




同上

散策日:令和2年(2020)6月2日(火)

駒王丸

2020年06月23日 | エトセトラ




この《駒王丸》という銘柄の日本酒を初めて目にしたのは何年前のことでしょう。
非常に興味あるものでしたが、お酒を飲まない私がわざわざ買っても無駄になるだけとこの時は
見るだけで終えました。
今更説明の必要もないでしょうが『駒王丸』とは『木曽義仲』(源義仲)の幼名で、嵐山町で生
まれ育ったと言われます。しかし、それも2歳までのことで、大蔵合戦で悪源太義平に父源義賢
が討たれ駒王丸本人も本来なら命をとられるところでしたが、畠山重能・斎藤実盛らの計らいで
木曽へ逃れました。こうして信濃国木曽で育った駒王丸は通称を木曽次郎と名乗りました。

今でも《駒王丸》は販売されているのかと気になり、スーパー等の酒コーナーを確認しましたが
見当たりません。最初に見たJA嵐山農産物直販所に行ってみました。ありました。
発売元は嵐山小売酒販組合となっており地域限定(嵐山町)のようですから、いくら町内とはい
えチェーン店であるYやBといったスーパーには置いてなかったわけです。
製造元ば嵐山町には蔵元はありませんので関東灘の異名を持つお隣小川町の蔵元のひとつにお願
いしたようですが、その蔵元のHPを見ても商品一覧の中に地域限定のためか《駒王丸》の紹介
はありません(自社の銘柄ではないため?)

《駒王丸》の銘柄の日本酒があることを写真付きで紹介したく、飲むためではなく写真2、3枚
を撮りたいがためについに購入してしまいました。数日飾って置きその後は台所に移動予定です。

駒王丸⇒木曽義仲でありますから嵐山町においては「木曽義仲生誕の地」とか「木曽義仲産湯の
清水」などと使っていますが、さすがに日本酒の銘柄にずばり《木曽義仲》は使えないでしょう
から《駒王丸》を使ったのでしょう(私の勝手な推測)。でもラベルの絵は義仲のようですね。
何故なら  駒王丸=嵐山町 木曽義仲=木曽町 であるからです。《木曽義仲》を銘柄に使え
るのは木曽次郎義仲を名乗る元となった木曽町でしょう(商標登録の問題は別とし・・・これも
私見ですが)
では、《木曽義仲》の銘柄のお酒はあるのか調べてみましたら木曽町の酒造会社が期間限定で販
売していました(既に完売)。他にも《木曽義仲》というワインが木曽ショップから販売されて
いました。

原山古墳群(埼玉県桶川市)

2020年06月22日 | 古墳


名 称:原山古墳群(はらやまこふんぐん)
別 名:―
墳 形:円墳 
規 模:9基
築 造:6世紀後半から7世紀中頃の古墳群とされる。 川田谷古墳群
出土品:―
指 定:桶川市指定史跡 (名称:原山古墳群 昭和46年(1971)4月26日指定) 
    埼玉県選定重要遺跡 (名称:原山古墳群 昭和44年(1969)10月1日選定) 
所在地:埼玉県桶川市川田谷7312ほか

原山古墳群は、荒川左岸の台地上に立地。円墳9基が残存する。
川田谷古墳群(西台支群・柏原支群・樋詰支群・原山支群)のひとつで、原山支群のうち、特に
9基の古墳は原山古墳群と呼ばれている。




原山古墳群のある雑木林を西方から望む




原山古墳群の前はサイクリングロードとなっている
左側に見える看板は「サイクリングロード」マップの看板
手前(右側)にあるのが『原山古墳群』説明板




『原山古墳群』説明板




「サイクリングロード」看板から原山古墳群の部分を表示しました。
出来れば、1号墳から9号墳の位置の表示があれば便利なのですが、古墳群の看板ではなく、サイク
リングロードの看板にそこまで求めるなと・・・




藪の中に見つけた1号墳の標柱
ここに古墳が存在すると言われてもピンときません
元々、この原山古墳群に残存する古墳は、碗を伏せたようなものではなく、薄い小さな皿を伏せた
ようなもので、地表が露わになっていたとしても、標柱がなければ墳丘かどうか判別が付かないよ
うです。
仮に、お椀型の墳丘であったとしても、この藪状態では墳丘を認識するのは困難でしょう。




同じような状態で2号墳の標柱




左上:4号墳標柱  右上:5号墳標柱
左下:7号墳標柱  右下:8号墳標柱




9号墳標柱
藪の雑木林の中を何度か行ったり来たりしたものの、結局、3号墳と6号墳の2つの標柱は発見出来
ませんでした。
古墳が発見できないと言わずに、標柱が発見できなかったというのも変な話しではありますが。




原山古墳群山麓から西方を  右の橋は国道468号・圏央道

散策日:令和2年(2020)6月2日(火)

熊野神社古墳(埼玉県桶川市)

2020年06月21日 | 古墳


名 称:熊野神社古墳(くまのじんじゃこふん)
別 名:―
墳 形:円墳
規 模:直径38m 高さ6~6.5m 
築 造:4世紀後半
出土品:玉類、石製品類、筒型陶器など(出土品は国の重要文化財に指定)
指 定:埼玉県指定史跡(名称:熊野神社古墳 昭和42年(1967)3月28日指定)
所在地:埼玉県桶川市川田谷347

昭和3年、墳頂にある社殿を改築した際に主体部が発見され、様々な副葬品が出土したという桶川
市の熊野神社古墳を訪ねてみました。




熊野神社 御由緒




埼玉県指定史跡 熊野神社古墳 
                              (昭和42年3月28日指定)
 熊野神社古墳は、川田谷地域の荒川沿いに多く分布する古墳の1つで、河川交通上の重要な
位置にあります。
 墳形は円墳で、昭和59年度に行われた調査によって、直径38m、高さ6~6.5m、周溝の幅14
~16mであることが確認されました。
 粘土槨(粘土で棺を覆って安置したもの)と想定されている埋葬施設は、昭和3年、墳頂部の
社殿改修の際、偶然に発見され、玉類、石製品類、筒型銅器など、畿内の古式古墳と共通する多
くの副葬品が出土しました。当時の出土遺物は国の重要文化財に指定され、現在は埼玉県立歴史
と民俗の博物館で保管展示されています。また桶川市歴史民俗資料館では複製品を展示していま
す。
 出土した遺物からみて、古墳の年代は4世紀後半ごろと推定され、埼玉県内では比較的古い時
期に築造された古墳と考えられています。
  平成21年12月
                         埼玉県教育委員会 桶川市教育委員会






墳頂に鎮座する『熊野神社』




社殿正面右斜め前に建立されている『國寶 出土品之碑』




『國寶 出土品之碑』




目録




墳丘東側




墳丘南側(社殿裏側)




墳丘西側

散策日:令和2年(2020)5月30日(土)

愛宕塚古墳(埼玉県鴻巣市)

2020年06月20日 | 古墳


名 称:愛宕塚古墳(あたごづかこふん)
別 名:―
墳 形:円墳
規 模:径17m
築 造:?
出土品:―
指 定:―
所在地:埼玉県鴻巣市原馬室2825 愛宕神社 (旧北足立郡吹上町)

愛宕塚古墳については情報がほとんどありません。それでも「古墳だろうから」ということで訪ね
てみました。




愛宕神社境内




愛宕神社が鎮座する墳丘が愛宕塚古墳




『愛宕神社』の扁額




愛宕神社 御由緒
古墳に関する記述は一切ありません。ただ、新田義貞に関わる神社であるようです。




愛宕塚古墳裏は荒川左岸斜面林となっていて、林の中がちょっとした散策コースになっています。
一応墳丘の周囲を廻ってみましたが、墳丘斜面の裏と横は草が伸びていて・・・

散策日:令和2年(2020)5月30日(土)