四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

企画展「山内清男の考古学」

2021年12月29日 | 企画展・見学会


企画展 山内清男コレクション受贈記念
  「山内清男の考古学」

期 間 :令和3年12月7日(火)~令和4年5月29日(日)
会 場: 本庄早稲田の杜ミュージアム 早稲田大学展示室 (埼玉県本庄市西富田)

を観覧してきました。
と言っても考古学にはまったく疎く、当然ながら山内清男(やまうち すがお)さんと言うお名前も初
めて知りました。
展示品の撮影等は禁止されておりましたので写真はありませんが、デジタルの発達していない時代
ですから全て手書きの資料でした。




何の説明もできませんので、チラシ(左)と企画展補足資料(右)を載せておきます。
※チラシは本庄早稲田の杜ミュージアムのHPからも見られます




チラシ裏面から




企画展補足資料にある山内清男さんプロフィールの部分を
1902年は明治35年 1970年は昭和45年ですからだいぶ昔の方です。

企画展補足資料の裏面には山内清男さんが発掘した遺跡の概略が書かれています。

見学日:令和3年(2021)12月23日(木)

第24回坂戸市埋蔵文化財出土品展

2021年12月28日 | 企画展・見学会


 『第24回坂戸市埋蔵文化財出土品展』
  期間:令和3年12月16日(木)から令和3年12月22日(水)まで 終了
  場所:坂戸市文化会館ふれあ 2階ギャラリー (坂戸市元町17-1)

を観覧してきました。

坂戸市では、年間約20件の発掘調査が実施されていますが、本展は、平成30年度に実施した市内
各地の発掘調査において発見された出土品を中心に発掘調査の成果を展示しています。

出土品が展示されている遺跡はつぎの11件です。
 ・長岡遺跡 18区 ・柊遺跡 9区 ・宮裏遺跡 32区 ・上谷遺跡 15区 ・宮ノ前遺跡 13区 
 ・稲荷森遺跡 9区 ・前林遺跡 7区 ・中原遺跡 15区 ・一天狗遺跡 2区 ・花見塚遺跡 17・18区 
 ・花影遺跡 29区 
  

以下何点か展示品を紹介してみます。




長岡遺跡18区の出土品
壁に発掘時の写真パネル、遺跡の説明パネルが吊るされ、その前に出土品が展示されています




長岡遺跡18区の出土品の内の  縄文土器 深鉢(炉体土器) 縄文時代中期




柊遺跡9区の出土品




宮裏遺跡32区の出土品の内の  弥生土器 高坏(たかつき) 弥生時代後半




上谷遺跡15区の出土品の内の  ガラス玉  古墳時代前期




宮ノ前遺跡13区の出土品の内の  かわらけ  中世後半




稲荷森遺跡9区の出土品




前林遺跡7区の出土品の内の  須恵器 短頸壺  9世紀(平安時代)




中原遺跡15区の出土品の内の  須恵器 横瓶  8世紀(奈良時代)




一天狗遺跡2区の出土品




一天狗遺跡2区の出土品の内の  紡錘車  9世紀(平安時代)




花見塚遺跡17・18区の出土品の内の  銭貨 中世後半 ・ かわらけ 中世後半




花影遺跡29区の出土品




発掘調査の道具も展示されています




展示会場内




資料  左:本展出展遺蹟の解説書
    右:平成30年度 発掘調査 埋文 さかど年報
      出展11遺跡を含む15件の発掘調査の説明、写真等で構成 プラス番外として板碑

見学日:令和3年(2021)12月16日(木)

関東考古学フェアカレンダー令和4年

2021年12月27日 | 資料館・博物館


関東考古学フェア2021スタンプラリーに初めて参加し、スタンプを押したシートを実行委員会に
送って応募しましたが、先日、オリジナルカレンダーが届きました。
以前は抽選でオリジナル考古グッズが当たったようですが、今回は無しのようでした。




月ごとに各都県の遺跡からの出土品の写真が載った立派なカレンダーです




スタンプラリーは、関東1都6県の埋蔵文化財センターや博物館・資料館33が所が対象施設で、
うち2か所以上のスタンプを集めるというもの。
以前は3都県以上に跨り3か所以上と言ったような厳しいルールであったようですが、今回はコロ
ナ禍のため県跨ぎや長距離移動などを避けるために緩和されたルールになったようです。
ということで最小限の条件を満たして参加させていただきました。
実際には4か所行っていますが、スタンプは2か所のみ。




見学してスタンプを押してきたうちの一つ「深谷市川本出土文化財管理センター」

大河原氏館跡 浄蓮寺(埼玉県東秩父村)

2021年12月25日 | 神社仏閣


『大河ドラマ「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会』が発行するリーフレット「鎌倉殿を支えた
 武士の故郷 比企の史跡マップ」に掲載されている史跡めぐりも取敢えず最後となりました。
秩父郡でありながらも生活圏は比企郡の東秩父村の『浄蓮寺』です。

最後も、リーフレットにある浄蓮寺の説明文から始めます。
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浄蓮寺は、松山城主上田氏の菩提寺です。鎌倉時代末、大河原神治太郎光興の創建と伝えられています。
寺伝によれば、大河原神治太郎光興が屋敷内に道場を開くため、日蓮の弟子日朗を招いたといわれていま
す。

豆知識:大河原神治太郎光興は、比企能員の子で鎌倉妙本寺を開いた比企能本と親交があったと伝わっています。
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もう少し鎌倉・比企氏とのかかわりはないかと調べてみたところ、比企氏15代則員は松山城主上田朝広に
仕えていた武将とあった。これだと戦国時代末期の話になりますから「鎌倉殿の13人」には結び付きませ
んね。





山門脇の塀にしっかりポスターが貼られていました。
この浄蓮寺では、「鎌倉殿の13人」に対してどのように向き合っているのかを知りたいとこともあ
って、何度も行っている浄蓮寺に出かけてみたわけでした。




左から 「祖師堂」・「鐘楼堂」・「本堂」
この写真には写っていませんが、本堂の右隣に「庫裡」があり、庫裏にもポスターが2枚貼られて
いました。




中央の建て直ししたお堂が「妙栄稲荷堂」




「上田氏墓所」

『大河原氏館跡・上田朝直墓』 ← 過去記事

リーフレット「鎌倉殿を支えた ・・・ 」には掲載されていない鎌倉時代関連の史跡がまだあり
ます。しかし、平等に9市町村1か所づつ(東松山のみ2か所)にしているために仕方ないですね。
また、私的には納得のいかない説明文もありましたが、そのまま載せました。
折を見て未掲載の史跡(指定史跡とは限りませんが)再訪して何か書いてみたいと考えています。

参詣日:令和3年(2021)12月24日(金)

国宝のある寺 慈光寺(埼玉県ときがわ町)

2021年12月24日 | 神社仏閣


『大河ドラマ「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会』が発行するリーフレット「鎌倉殿を支えた
 武士の故郷 比企の史跡マップ」の④は慈光寺(ときがわ町)です。慈光寺には数度行っていま
すが、今回は、「鎌倉殿の13人」に関連しての小散策をしてきました。

まずはリーフレットにある慈光寺の説明文です。
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武蔵武士の畠山氏の経済的・政治的な基盤を背景に「一山七十五坊」を擁する一大山岳寺院として北関東一帯に
絶大なる寺院勢力を誇示していました。その後、源頼朝などの篤い信仰もあり、より一層の隆盛を誇りました。

豆知識:慈光寺に伝わる法華経一品経は「慈光寺経」とも呼ばれ、広島県厳島神社の「平家納経」、静岡県鉄舟寺の「久
能寺経」とともに日本三大装飾経として国宝に指定されています。

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慈光寺(じこうじ)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある天台宗の寺院で、山号は都幾山、院号は一乗法華院。坂東
三十三観音の第九番札所です。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、慈光寺に崇敬の念あつく、文治5年(1189)奥州の藤原泰衡追討に際し、戦勝祈願の
ため愛染明王像を当山に贈りました。また、寺領として1200町歩を寄進した建久2年(1191年)の源頼朝寄進状が、
今に残っています。
慈光寺 27 世の住持厳耀は畠山重忠の大伯父です。
観音堂には重忠の念持仏であったと伝わる十一面観音菩薩立像があり、像高八尺余で重忠の身長と同じ 180cm と
言われます。





本堂(阿弥陀堂)
慈光寺は、推進協議会が、比企地域の源氏・比企一族関連史跡に上げているお寺であることから、幟が立
てられたり、ポスターが貼られているかも知れないと。しかし残念ながらどこにもありませんでした。




本堂の大棟には、天台宗菊輪宝(てんだいしゅうきくりんぽう)を挟んで「笹竜胆」紋が配されています。
源頼朝(源氏)の紋ですね。




土蔵にも「笹竜胆」紋  源頼朝(源氏)との関係を表していますね




「般若心経堂」
国宝の「法華経一品経」の現物を見ることはできませんが、「般若心経堂」に模写(陶器)が展示されて
います。




上:重文「尾張徳川家伝来装飾法華経観世音菩薩普門品」  平安時代後期 徳川美術館蔵
下:国宝「慈光寺経 妙法蓮華経 授記品第六」  鎌倉時代 慈光寺蔵
の模写(陶器)




慈光寺の麓にある郵便局の局舎両側に幟が立っていました。
慈光寺には無くてなぜ郵便局に?
その理由は見当がついていますがここには書けません・・・

『都幾山 慈光寺』 ← 過去記事

散策日:令和3年(2021)12月24日(金)

滅びていなかった比企一族 金剛寺(埼玉県川島町)

2021年12月23日 | 神社仏閣


2022年NHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」には、埼玉県比企地域にゆかりのある武将・人物なども描かれ
るようです。
比企地域9市町村(東松山市、滑川町、嵐山町、小川町、川島町、鳩山町、吉見町、ときがわ町、東秩父
村)では、この放映を契機として地域の活性化につなげようと、令和2年(2020年)12月に『大河ドラマ
「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会』
を立ち上げ、さまざまな取り組みをしています。
12月に入ってから、【比企一族と武蔵武士 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地】の幟旗やポスター
が立ったり、貼られたりするよになり、また、リーフレット「鎌倉殿を支えた 武士の故郷 比企の史跡
マップ」も配布されています。
リーフレットにはアクセスマップ、比企地域の源氏・比企一族関連史跡の写真と説明文が掲載されていま
す(各町村一つの史跡、東松山市のみ二つの史跡)

 ① 小川町  仙覚律師遺跡(県指定・旧跡) ② 嵐山町  菅谷館跡           
 ③ 吉見町  岩殿山安楽寺(吉見観音)   ④ ときがわ町  慈光寺          
 ⑤ 鳩山町  笛吹峠(鎌倉街道上道)    ⑥ 川島町  金剛寺            
 ⑦ 東秩父村 浄蓮寺            ⑧ 滑川町  三門館跡           
 ⑨ 東松山市 扇谷山宗悟寺   巖殿山正法寺         

今回は、このうちの 《⑥川島町 金剛寺》を訪ねてみました。  
リーフレットにある説明は次の通りです。
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金剛寺は真言宗智山派の寺院で、大僧都満恵和尚によって開山され、天正年間には比企能員の末裔である
比企左馬助則員が中興したと伝えられています。妙本寺(鎌倉)同様、比企一族の菩提寺です。この金剛
寺には「比企系図」及び比企家15代則員、16代久義、17代重久、18代久員を含む歴代の墓があります。

豆知識:境内の東に位置する大日堂の天井には「龍」が描かれています。この龍は、田んぼで稲を食い荒らし、被害はあ
ちこちに広がったそうです。やむを得ず龍を鎮める方法として、喉元に杭を打ち込み、その杭を隠すために天井を設置し
たと伝えられています。 (※17代重久は重員の間違いではないでしょうか?)
 
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比企氏一族は、建仁2年(1203)の『比企氏の乱 』で北条方に敗れ一族がことごとく滅ぼされたとされて
いました。しかし 能員の子 円顕 (当時2歳・俗名 能本 ) と、能員の孫 員茂 は母のお腹の中にいたこと
から生き長らえていたのです。


   


『本堂』




『鐘楼』




『大日堂』
この大日堂は、2021年2月26日付で国登録有形文化財に登録されています。
山門にもこれに関する記事(文化審議会へ答申段階)を貼った立て札が置いてあります。




「比企氏と歴代墓地」説明板




この奥に比企氏の墓地があります




「比企氏と歴代墓地」




宝篋印塔などが並んでいます
左の方には現在の比企氏の墓や墓誌がありますが、敢えて写していません。




① 比企久員の墓   延宝8年(1680)3月5日没  比企家18代
② 久員の妻の墓   延宝8年(1680)7月14日没
③ 比企重員の墓   寛文11年(1671)10月6日没  比企氏17代
④ 比企義久の墓   寛永19年(1642)8月8日没  比企家16代
⑤ 比企則員の墓   元和2年(1616)3月19日没  比企家15代
⑥ 比企稚久の墓   元禄14年(1701)10月15日没

建仁2年(1203)の『比企氏の乱 』から400年余以上を過ぎた時代の末裔ですね

『金剛寺ー比企氏墓所―』 ← 過去記事

参詣日:令和3年(2021)12月9日(木)

比企遠宗館跡伝承地 三門館跡(埼玉県滑川町)

2021年12月21日 | 100名城以外の城館跡


写真中央の丘陵が『三門館跡』(みかどやかたあと)と言われる場所です。泉福寺から撮影

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に合わせて、比企地域9市町村(東松山市、滑川町、嵐山町、
小川町、川島町、鳩山町、吉見町、ときがわ町、東秩父村)では、この放映を契機として地域の活性化に
つなげようと、『大河ドラマ「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会』を立ち上げ、さまざまな取り組み
をしています。
12月に入ってから、関係場所等に【比企一族と武蔵武士 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地】の幟
旗が立ったり、ポスターが貼られたりしています。
また、リーフレット「鎌倉殿を支えた 武士の故郷 比企の史跡マップ」も配布されています。
リーフレットにはアクセスMAP、比企地域の源氏・比企一族関連史跡の写真と説明文が各町村一か所(東
松山市のみ二か所)掲載されています。


 ① 小川町 仙覚律師遺跡(県指定・旧跡) ② 嵐山町 菅谷館跡  
 ③ 吉見町 岩殿山安楽寺(吉見観音)   ④ ときがわ町 慈光寺          
 ⑤ 鳩山町 笛吹峠(鎌倉街道上道)    ⑥ 川島町 金剛寺            
 ⑦ 東秩父村 浄蓮寺           ⑧ 滑川町 三門館跡           
 ⑨ 東松山市 扇谷山宗悟寺・巖殿山正法寺         

今回は、このうちの 《⑧滑川町 三門館跡》を訪ねてみました。  
リーフレットにある説明は次の通りです。

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和泉にある泉福寺より東へ200mに位置しており、源頼朝の父で義朝などに仕えた比企遠宗、比企尼の館
ではないかとする言い伝えがあります。また、『吾妻鑑(建久四年二月十日の条)』に頼朝が伊豆に流さ
れた際に、困窮した部下を毛呂太郎季綱が助けたことから、その恩に報いるためこの館の周辺とされる泉、
勝田の地を与えたともされており、毛呂氏の所領とする説もあります。現在は、館を囲っていた空堀(水
のない堀)と土塁の一部が残っています。

豆知識:頼朝の乳母である比企尼は、この地から20年間に渡り、伊豆に配流中の頼朝に米などを送り続けました。 
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幟が立っているここからも館跡に行けます。
過去2度ほど館跡の散策をしていますが、今回はここまで・・・
『三門館』 ← 過去記事




丘陵の東側の谷津入り口前の道端に新しく設置された『三門館跡」説明板
12月に設置されたばかりで、今までこうした説明板はありませんでしたが、「鎌倉殿の13人」に合
わせて設置したようです。道路向かいにも数本の幟が立っています。

※自身の認識する範囲では、この「三門館跡」が比企氏の(伝承地としているものの)館跡という
のは近年言われ始めたもので、それ以前は比企氏の「ひ」の字もなかったように思います。




【比企遠宗館跡伝承地 三門館跡】とあり、内容は上記説明文とほぼ同じで、館跡の形状が詳しく
書かれています。
館跡の範囲については専門家の間でも見解が違っています。




説明板にある「館跡の堀」の写真

散策日:令和3年(2021)12月15日(水)

「いざ鎌倉」の道 笛吹峠(埼玉県鳩山町)

2021年12月19日 | 古戦場・陣所


2022年NHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」には、埼玉県比企地域にゆかりのある比企能員、畠山重忠、源
範頼、木曽義仲、比企尼、丹後局などの武将・人物なども描かれる予定のようです。
比企地域9市町村(東松山市、滑川町、嵐山町、小川町、川島町、鳩山町、吉見町、ときがわ町、東秩父
村)では、この放映を契機として地域の活性化につなげようと、令和2年(2020年)12月に『大河ドラマ
「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会』
を立ち上げ、さまざまな取り組みをしています。
12月に入ってから、【比企一族と武蔵武士 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地】の幟旗やポスター
が立ったり貼られたりするよになり、また、リーフレット「鎌倉殿を支えた 武士の故郷 比企の史跡マ
ップ」
も配布されています。
リーフレットにはアクセスマップ、比企地域の源氏・比企一族関連史跡の写真と説明文が掲載されていま
す(各町村一つの史跡、東松山市のみ二つの史跡)

 ① 小川町  仙覚律師遺跡(県指定・旧跡) ② 嵐山町  菅谷館跡           
 ③ 吉見町  岩殿山安楽寺(吉見観音)   ④ ときがわ町  慈光寺          
 ⑤ 鳩山町  笛吹峠(鎌倉街道上道)    ⑥ 川島町  金剛寺            
 ⑦ 東秩父村 浄蓮寺            ⑧ 滑川町  三門館跡           
 ⑨ 東松山市 扇谷山宗悟寺   巖殿山正法寺         

今回は、このうちの 《⑤鳩山町 笛吹峠(鎌倉街道上道)》を訪ねてみました。  
リーフレットにある説明は次の通りです。
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鳩山町須江と嵐山町将軍澤との間にある峠で、鎌倉街道上道の難所の1つです。鎌倉から上野(群馬県)
に通じる鎌倉街道の要衝にあたり、多くの武士団が行き来しました。鎌倉武士にとってこの道はまさに
「いざ鎌倉」の道だったようです。「史跡笛吹峠」の碑に面した、鎌倉街道と推定される道の東にある山
道は、直線的で掘割状の形状であることから、この道が上道であるとの説もあります。

豆知識:笛吹峠という名前は、正平7年(1352)に新田義貞の子義宗が南朝の宗良親王を奉じて、足利尊氏と戦った武蔵
野合戦に由来します。この戦いに敗れた宗良親王が月明りに誘われて笛を吹いたことが名前の由来と伝えられています。 
 
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笛吹峠の頂上部に建立されている『笛吹峠』の標識版と説明板
この場所は「嵐山町」内です




『笛吹峠』説明板
リーフレットの説明文と同じような内容ですが参考までに転記しておきます。
だいぶ古いものですから、鳩山村になっています。
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    笛 吹 峠
 笛吹峠は、嵐山町と鳩山村の境にある峠である。峠を起点として、坂東十番の岩殿観音から同九番の慈光寺観
音へ続く東西の道は、巡礼街道と呼ばれ、この峠を南北に貫く道が旧鎌倉街道で、かつて、数多くの武士団等が
往き来した所であった。
 正平7年(1352年)閏2月、新田義貞の三男、義宗等が宗良親王を奉じて武蔵野の小手指が原で足利尊氏と戦
ったが、最終的に結末がついたのがこの峠の地であった。新田義宗等は越後に落ちて行き、足利尊氏はこれ以後
関東を完全に制圧していった。
 「笛吹峠」の名称については、この敗退の陣営で、折からの月明りに宗良親王が笛を吹かれたことから命名さ
れたという伝承がある。
 なお、この付近は、遠く奈良時代に窯業の中心として栄え、武蔵国分寺瓦の大部分がこの付近で焼かれ、その
古窯跡が虫草山をはじめ須江・大橋・泉井などの山間部に多く見られる。
 笛吹峠から、はるか北方に上州の山々、西方に秩父連山、南方に広い関東平野が遠望され、風光明媚な歴史の
地である。
                                     埼玉県

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道路に継ぎ目が見えると思いますが、継ぎ目の左側が「嵐山町」、右側が「鳩山町」です。




石碑『史蹟 笛吹峠 埼玉縣』 鳩山町側に建立されています
昭和10年1月 笛吹峠保存會 の建立
史跡とありますが、埼玉県指定史跡ではありません。広い意味での史跡ということでしょう。
なお、嵐山町指定史跡(名称:笛吹峠 昭和37年〔1962〕9月1日指定)となっていますが、当然、
嵐山町分だけです。




かつての鎌倉街道上道のこの峠道の鳩山町側は「笛吹通り」と名付けられています




こちらは嵐山町側は「林道将軍沢線」で、町境が終点です
右側の建物は四阿と御手洗い、道路反対側には駐車場が整備されています
笛吹峠=鳩山町のタイトルに反し、ほぼ嵐山町ですが・・・




御手洗いのここにも【大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地】の幟旗が立っています




嵐山町側にある鎌倉街道上道の古道跡と思われる掘割状の場所
左上の部分が現在の峠道(林道将軍沢線)

『笛吹峠古戦場』 ← 過去記事

散策日:令和3年(2021)12月9日(木)

ほるたま展2021関連講座「動物のはにわ」

2021年12月18日 | 講演会・講座


令和3年度さきたま講座 
 ほるたま展2021関連講座「動物のはにわ」
講 師: 山 本 靖 氏(公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団資料活用部長)
日 時: 令和3年(2021)12月18日(土)13:30~15:30  
会 場: 埼玉県立さきたま史跡の博物館 2階講堂 (埼玉県行田市埼玉)

を聴講してきました。

内容は
 1. 「はにわ」についての伝承
 2. 「はにわ」の始まり
 3. 埴輪配列の変遷
  (1)墳頂部の埴輪配列
  (2)墳裾部の埴輪配列
  (3)埴輪群像の登場
  (4)古墳を飾る埴輪列
 4. 「動物のはにわ」たち
  (1)にわとり<夜明けを告げる鳥>
  (2)水鳥<死者への祈り>
  (3)馬<権威と財力の象徴>
  (4)王者の狩猟<猪狩り・鷹狩り・鵜飼い>
  (5)鹿<王と神の結びつき>
  (6)いろいろな動物たち
  (7)小さな動物たち
 5 ほるたま展「動物のはにわ」解説

 



講座の前に丸墓山古墳まで 丸墓山古墳の墳頂から稲荷山古墳を




博物館への並木道 11月に訪れたときは色づいた葉がありましたが、今はすっかり落ちています

※ほるたま展2021「動物のはにわ」の様子は別途投稿します

聴講日:令和3年(2021)12月18日(土)

星溪園の芭蕉句碑(埼玉県熊谷市)

2021年12月16日 | 歌碑・句碑


 句 :  春もやや 気色ととのふ 月と梅
     (はるもやや けしきととのう つきとうめ)

出 典:『続猿蓑』 元禄6年(1693)春 芭蕉50歳の時の句
所在地:埼玉県熊谷市鎌倉町32(星溪園)
建立日:寛政8年(1796)
建立者:不明

風化が進み読みづらくなっています
碑の裏面には「太蕪」「秋瓜」の句と、天明から寛政にかけて熊谷を拠点として活躍した俳人「官
鮎」「笑牛」「雪叩」の名が刻まれているようです




星溪園東側入口(裏口) ここの道を進んだ左側に芭蕉句碑は建立されています




園内には数基の歌句碑が建立されていますが、芭蕉句碑は鹿児島寿蔵の歌碑と並んで建立されて
います        左:鹿児島寿蔵の歌碑  右:芭蕉句碑

散策日:令和3年(2021)12月2日(木)