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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

講演会「律令期の深谷周辺 ~幡羅・榛沢群家を中心に~」

2025年03月05日 | 講演会・講座

本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
第5回本庄早稲田の杜地域連携展覧会「古代の児玉・深谷地域」関連講演会 第3回
 律令期の深谷周辺 ~幡羅・榛沢群家を中心に~
 日 時:令和7年3月1日(土) 午後1時30分~午後3時
 会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)
 講 師:知 久 裕 昭 氏(深谷市教育委員会)
 内 容
  1. 律令制の導入
  2. 地方行政あり方
  3. 官衙とは」
  4. 幡羅郡家跡(幡羅官衙跡)
  5. 榛沢郡家跡(熊野・中宿遺跡)
  6. 幡羅・榛沢郡を中心に分布する暗文坏
  7. 古代の交通路
  8. まとめ
を聴講してきました。



いつものとおり講演会会場は3階です
講演会場・状況の写真は今回もありません(禁止)


講演会終了後、企画展「古代の児玉・深谷地域」会場において講師・知久 昭氏によるギャラリートーク
が行われました

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【参 考】

本講演会の主題でもあった幡羅郡家跡(幡羅官衙遺跡跡群) 右の森の辺りが西別府祭祀遺跡(熊谷市)


榛沢郡家跡・中宿遺跡(旧岡部町)


講演の中で触れられた日本最大の郡庁跡で国指定史跡「上野国新田郡家跡」(群馬県太田市)
標柱には「上野国新田郡庁跡」と刻まれていますが、平成20年(2028)7月28日に国の史跡に指定された
時の名称で、平成27年(2015)10月7日の追加指定と名称変更で現在の「上野国新田郡家跡」となってい
ます



講師・知久 裕昭氏の著書「武蔵国幡羅郡から見た古代史」 2018年1月30日発行
発行とほぼ同時に購入しましたがまだ少し読んだだけ・・・ゴメンナサイ



幡羅遺跡や榛沢遺跡に関する企画展のパンフレットとガイドブック
これら企画展当時に頂いたものでなく、最近の企画展会場等においてバックナンバーとして頂いたもの


聴講日:令和7年(2025)3月1日(土)

講演会「神川町皂樹原遺跡-炭窯・鍛冶・寺院-」

2025年01月27日 | 講演会・講座

本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
第5回本庄早稲田の杜地域連携展覧会「古代の児玉・深谷地域」関連講演会 第1回
 神川町皂樹原遺跡-炭窯・鍛冶・寺院-
 日 時:令和7年1月25日(土) 午後1時30分~午後3時
 会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)
 講 師:金子 彰男 氏(神川町教育委員会生涯学習課)
 内 容:古代武蔵国北西部における鉄生産導入期の拠点であった皂樹原遺跡で調査された鉄生産に用い
     る木炭を焼いた横口付炭窯、鍛冶専用の工房跡、寺院の存在を示す古代瓦と遺跡周辺の古代の
     鉄生産遺跡について。
     はじめに
     1 皂樹原遺跡(さいかちはらいせき)
     2 古代の鉄製品
     3 古代武蔵国北西部における鉄生産の概要
     4 横口式炭窯
     5 皂樹原遺跡の横口式炭窯
     6 如来堂D遺跡の横口式炭窯
     7 金屎遺跡の横口式炭窯と1号鍛冶工房跡
     8 皂樹原遺跡の鍛冶工房跡
     9 寺院
     10 まとめ  
を聴講してきました。


埴輪窯跡や古代寺院等の瓦を焼いた瓦窯跡については知っていましたが、炭窯については名前だけは見た
記憶はあったものの、何の窯であるかまでは知りませんでした。炭窯とは、鉄生産に用いる木炭を焼成し
た窯であると言うことを今回の講習会で知りました。そして、神川町元阿保に所在する皂樹原遺跡に多く
の炭窯があったということも・・・

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会場は3階です


企画展「古代の児玉・深谷地域」に展示の
上:女堀大溝と横口付炭焼窯群  皂樹原遺跡23号24号炭窯  の写真パネル
下:横口付炭焼窯 縮尺模型


講演会終了後、講師によるギャラリートークが行われました

聴講日:令和7年(2025)1月25日(土)

講座「東日本における馬形埴輪の出現と展開」

2024年12月14日 | 講演会・講座

本庄早稲田の杜ミュージアム企画展「埴輪ー本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉までー」
関連講演会
 
 東日本における馬形埴輪の出現と展開
講 師:齋藤 直樹氏(藤岡市教育委員会 文化財保護課)
日 時:令和6年12月14日(土) 13:30~15:00
会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)

を聴講してきました。
本講座は、早稲田本庄の杜ミュージアムにて開催中の企画展
 ー本庄市とその周辺地域における埴輪の導入から終焉までー の関連イベントです。



【講演内容】
 はじめにーー馬形埴輪とは
 1.馬形埴輪を”読み解く”ために
 2.馬形埴輪の創出
 3.馬形埴輪の東国への展開
 4.拠点的生産たいせいと地域色ー茨城県域を対象にー
 5.おわりに(まとめ)
馬形埴輪から判る古墳時代の馬の使われ方、馬が埴輪として造形されたことの意味などについて論じてい
ただきました。

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本講座の中には直接は出てきませんでしたが、これまでに企画展や展示室で見てきた馬形埴輪の中から何
点かを紹介させていただきます。



馬形埴輪   本庄市・三杢山7号墳(万年寺)出土品               2021.11.17撮影
本庄市・本庄早稲田の杜ミュージアム 常設展示「埴輪の世界」から



馬形埴輪   美里町広木・出土品                       2021.5.12撮影
美里町・美里遺跡の森館「常設展示室」展示品から



馬形埴輪    熊谷市・北島遺跡第5号墳出土品                2024.10.22撮影
企画展「古墳時代の装い」から  行田市・さきたま史跡の博物館



馬形埴輪   本庄市・前の山古墳出土品                    2024.10.14撮影
企画展「埴輪ー本庄とその周辺地域における埴輪の導入から終焉までー」から
本庄市・本庄早稲田の杜ミュージアム 本庄リサーチパーク



馬形埴輪                                   2021.11.17撮影
鴻巣市・鴻巣文化センター(クレアこうのす) 「歴史民俗資料コーナー」から



馬形埴輪    坂戸市・牛塚山古墳群(6号墳)出土品             2024.8.1撮影
第27回坂戸市埋蔵文化財出土品展「大古墳展」から  坂戸市・坂戸市文化会館ふれあ 2階ギャラリー



馬形埴輪    上里町・寺浦1号古墳出土品                  2021.10.9撮影
令和3年度最新出土品展「地中からのメッセージ」から  行田市・さきたま史跡の博物館



馬形埴輪(模造)                               2021.5.24撮影
塚回り古墳群第4号古墳 群馬県太田市


聴講日:令和6年(2024)12月14日(土)

歴史講座「山内上杉家の城館」

2024年12月05日 | 講演会・講座


埼玉県立嵐山史跡の博物館 令和6年度 歴史講座3
 演 題:山内上杉家の城館 ー関東管領から戦国大名へー  
 講 師:齋藤 慎一 氏(東京都江戸東京博物館分館 江戸東京たてもの園 専門調査員(学芸員))
 日 時:令和6年12月5日(木)13:50~15:30
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
 内 容:
埼玉県域を含む関東の中世史を物語るうえで欠かせない存在である山内上杉氏の城館に関する講座
  はじめに
  1 関東管領山内上杉家
  2 鉢形城
  3 上戸陣
  4 菅谷(須賀谷)城
  5 平井金山城
  おわりに
を聴講してきました。
五十子陣(いかっこじん)をはじめに、平井城から越後へ退去するまでの山内上杉家の本拠の変遷について
の解説を頂きました。

これら城館は1~数回訪れておりますので、その際の写真を載せておきます。

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鉢形城跡(大里郡寄居町) 国指定史跡                       2018.5.8撮影
文明10年(1478)から永生9年(1512)にいたる山内上杉家の本城
現在の城跡は後世に北条氏の支城として拡張整備されています 写真は本曲輪跡


上戸陣(川越市)  河越館跡として国指定史跡                   2019.4.15撮影
平安時代末から南北朝時代にかけて武蔵国で有数の勢力を誇った武士である河越氏の居館跡で、明応6年
(1497)から山内上杉氏は、この河越館跡に上戸の陣を設け、対岸の河越城の扇谷上杉氏と対峙した。
このことから時代の異なる遺構があり、一部重なっている遺構もあります。写真は山内上杉氏時代の堀
を再現したものの



菅谷(須賀谷)城(比企郡嵐山町)  菅谷館跡として国指定史跡           2015.2.17撮影
武蔵武士の鑑と言われた平安末期から鎌倉初期にかけての武将畠山重忠の居館跡とされる
現在の姿は後世、北条氏や山内上杉氏によって拡張されたとされます  
写真は、本郭空堀と土塁で突き出た部分は出桝形土塁と呼ばれます



平井城跡(群馬県藤岡市) 群馬県指定史跡                     2024.5.9撮影
山内上杉氏の本城とされる 天文21年(1552)落城し山内上杉氏越後に退去 写真の土塁は復元土塁



平井金山城(平井詰城)跡 (群馬県藤岡市) 群馬県指定史跡             2010.2.9撮影
標高326mの金山に築かれた山城 山内上杉氏の本拠の山城  写真は井戸曲輪跡

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講座の聴講を終え帰路に就く聴講者


国立女性教育会館敷地内にある茶室周囲の紅葉が綺麗です

聴講日:令和6年(2024)12月5日(木)

講演会「本庄・児玉地域における埴輪の導入と展開」

2024年11月30日 | 講演会・講座

本庄早稲田の杜ミュージアム ミュージアム企画展講演会 
 本庄・児玉地域における埴輪の導入と展開 ー生産と流通ー
講 師:日高 慎 氏(東京学芸大学教育学部教授)
日 時:令和6年11月30日(土) 13:30~15:00
会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)

を聴講してきました。
本講演会は、早稲田本庄の杜ミュージアムにて開催中の企画展
 ー本庄市とその周辺地域における埴輪の導入から終焉までー の関連イベントです。



【講演内容】
 はじめに
 1.埴輪の生産と供給(平窯と窖窯)
 2.各地の窯跡について
 3.埼玉県における埴輪窯
 4.形象埴輪の種類と特徴
 5.埴輪の生産と供給ーその方法とはー
 おわりに
について埴輪や遺跡の写真等をパワーポイントで紹介しながら説明を頂きました。
このうち、《3.埼玉県における埴輪窯》についてですが、全国で119遺跡をカウントしており埼玉県では
 本庄市・赤坂埴輪窯跡 
 本庄市・宥勝寺裏埴輪窯跡 ※
 本庄市・八幡山埴輪窯跡
 本庄市・蛭川埴輪窯跡
 本庄市・小島本伝遺跡
 美里町・宇佐久保埴輪窯跡
 深谷市・熊野遺跡 
 深谷市・割山埴輪窯跡
 熊谷市・姥ケ沢埴輪窯跡  
 熊谷市・権現坂埴輪窯跡 ※
 寄居町・末野窯跡(須恵器系埴輪壺) ※
 東松山市・桜山窯跡群  ※
 吉見町・和名埴輪窯跡  ※ 
 鴻巣市・馬室埴輪窯跡  ※ 
 鴻巣市・生出塚埴輪窯跡 ※ 
 
の15遺跡(埴輪窯)を数え全国一となっている。
(窯跡は埴輪窯以外にも古代瓦窯、須恵器窯などもあり、窯跡そのものの数は更に多い)
この15件のうち※印7カ所を訪問済ですが、埋め戻しがされており窯跡自体は見ることはできません。場
所確認をする程度かもしれませんが参考になります。埴輪窯跡4カ所について下に写真を載せておきます。
全国で119遺跡とはとても信じられる数ではなく、まだ発見になっていない埴輪窯が相当数あると思われ
ます。



本庄市「宥勝寺裏埴輪窯跡」(埼玉県指定史跡)                 2019.12.6撮影


鴻巣市「馬室埴輪窯跡」(埼玉県指定史跡)                   2020.5.28撮影


東松山市「桜山窯跡群」(東松山市指定史跡)                  2019.11.24撮影


吉見町「和名埴輪窯跡群」(埼玉県選定重要遺跡)                2020.5.28撮影


                                        2023.4.20撮影
埼玉県ではありませんが、埴輪窯の中で紹介された群馬県藤岡市の「本郷埴輪窯跡」(国指定史跡)

聴講日:令和6年(2024)11月30日(土)

さきたま講座「古墳時代の装い」

2024年11月16日 | 講演会・講座

令和6年度 さきたま講座⑤
 講座名:「古墳時代の装い」
 日 時:令和6年11月16日(土)13:30~15:30
 場 所:埼玉県立さきたま史跡の博物館 2階講堂 (埼玉県行田市埼玉)
 講 師:中 井 歩 氏(さきたま史跡の博物館学芸員)
 主 催:埼玉県立さきたま史跡の博物館
 内 容:はじめに
     プロローグ
     第1章 古墳時代のヘアメイク
     第2章 古墳時代のファッション
     第3章 古墳時代のアクセサリー
     おわりに

を聴講してきました。
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本講座は、埼玉県立さきたま史跡の博物館で現在開催中(10月5日(土)~12月1日(日))の令和6年度
企画展「古墳時代の装いーおしゃれな古代人ー」の関連講座で、企画展の内容に沿った講義内容です。本
講座講師の中井歩氏が本企画展の企画・図録執筆を担当しました。
なお、自身は本年10月20日(日)に企画展を観覧済で図録も購入済。
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講座会場(講堂)へ


さきたま史跡の博物館前の並木も紅葉していました

聴講日:令和6年(2024)11月16日(土)

歴史講座2「上杉謙信の最終戦略 」

2024年10月04日 | 講演会・講座


埼玉県立嵐山史跡の博物館 令和6年度 歴史講座2
 演 題:上杉謙信の最終戦略  
 講 師:乃至 政彦 氏(歴史家)
 日 時:令和6年10月4日(金)13:50~15:30
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)
 内 容:

  ・謙信の最期
  ・謙信と信長の協力関係
  ・武田信玄逆転の秘策ならず
  ・謙信越山の決意
  ・幻に終わった天正二年の第一次武田包囲網作戦
  ・またも不発と化す天正三年の第二次武田包囲網作戦
  ・勝頼と謙信の和睦、そして氏政
  ・七尾落城からの手取川合戦
  ・謙信最後の遠征計画
  ・徳川家康と松平信康の確執
  ・徳川家康の危機管理意識


を聴講してきました。


上野五覧田城址(群馬県みどり市)
平成23年(2011)10月に攻城したものの行き止まり(?)の道に入ってしまい引き返してきましたので、
攻城は失敗に終わりました。
この案内板にあるよう五覧田城は天正2年(1574)3月に、上杉謙信により攻略されましたが、同年9月に
は由良成繁により奪い返されています。
講師の資料では、【勝頼と謙信の和睦、そして氏政】の項で、=天正三年(1575)一〇月一五日、関東に
入った謙信は、同月下旬には上野五覧田城を攻略すると、・・・=
とあります。天正2年(1574)3月に攻略したものの9月には奪いかえされたものを更に翌年も攻略したと
いうことでしょうか?謙信は何度も越山(厳冬の越後山脈を越えて毎年のように関東に侵攻していた。こ
の戦いを自ら「越山(えつざん)」と呼んでいた)をしていましたから、同じところを複数回攻めていた
としてもおかしくはありませんね。



今回の講座の主題である「上杉謙信の最終戦略」の年代よりも前に武田信玄と5度にわたって行われた川
中島の戦いがあります。この写真は第4次合戦である『八幡原の戦い』(永禄4年〔1561〕9月)を再現
した笛吹市の笛吹市役所前の笛吹川河川敷を使っての『川中島合戦戦国絵巻』で、信玄・謙信一騎打ちの
一場面です。
この写真は、平成24年(2012)4月15日の見学の際に撮ったものですが、笛吹川右岸の河川敷で行われて
いる合戦の模様は左岸の河川敷からの見学ですので思うような写真は撮れませんでした。


『八幡原の戦い』の舞台であった長野市『川中島古戦場史跡公園』(旧名称:八幡原史跡公園)に建立さ
れている信玄・謙信一騎打ちの像
上杉謙信に関係する写真はこの3点くらいでしょうか・・・


聴講日:令和6年(2024)10月4日(金)

歴史講座1「虚実の斎藤実盛 -平家物語「実盛」の段を考える- 」

2024年09月01日 | 講演会・講座

埼玉県立嵐山史跡の博物館 令和6年度 歴史講座1
 演 題:虚実の斎藤実盛 -平家物語「実盛」の段を考える-  
 講 師:蛭間 健吾氏 (熊谷市教育委員会 市史編さん室) 
 日 時:令和6年8月30日(金)13:50~15:30
 会 場:国立女性教育会館 講堂(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)

講座の最後に、絃月流 創始 須田 隆久 氏による、琵琶語り「実盛公」の演奏がありました。
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平家物語「実盛」の段は、その後の斎藤実盛のイメージを決定づけた白髪を黒く染めた実盛が、篠原の
戦いで戦死する場面である。
後に、能の世阿弥や俳句の松尾芭蕉などが取り上げ、戦前の小学校唱歌にもなった。この「実盛」の段
から、どれだけの史実の実盛を見つけ出せるかを考える。
                                    《講座資料から》

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を聴講してきました。

斎藤実盛は、藤原利仁の流れを汲む平安時代末期の武将で越前国の出(越前斎藤氏)。
武蔵国幡羅郡長井庄(埼玉県熊谷市)を本拠とし、長井別当と呼ばれる。
木曾義仲との逸話はあまりにも有名ですが、篠原の戦いで戦死した後の話は特に。


講座資料


熊谷市の妻沼聖天山にある斎藤別当実盛公像  2022.1.5撮影
老齢を敵に悟られぬよう実盛は白髪を墨で染めて戦に臨みました。その様子を表した像です。


熊谷市妻沼の妻沼公民館敷地内に建立されている芭蕉句碑  2021.3.14撮影
 むざんやな 甲の下の きりぎりす(むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)
この句は、多太神社(石川県小松市)で所蔵する、白髪を黒く染めて挑んだ篠原合戦で討死した
斎藤別当実盛の兜を見て詠んだ芭蕉46歳の時の句
※この句の下五「キリギリス」は今言うキリギリスではなくツヅリセコオロギのことのようです


熊谷市西野の福川の南岸にある「斎藤別当実盛館跡」  2017.1.22撮影
大正15年3月に埼玉県指定史跡「斎藤別当実盛舘趾実盛塚」として指定されたが、昭和38年に県指
定を解除された。
昭和52年9月13日に「斎藤別当実盛館跡」として熊谷市指定史跡となった。

実盛と子供たちの史跡等は全国に広がって数も多いようですが、熊谷市内にあるものの中から3件
を挙げてみました。

聴講日:令和6年(2024)10月30日(金)

さきたま講座「加須市長竹縄文盛土集落の復元」

2024年08月31日 | 講演会・講座


令和6年度 さきたま講座③
 講座名:「加須市長竹縄文盛土集落の復元」
 日 時:令和6年8月24日(土)13:30~15:30
 場 所:埼玉県立さきたま史跡の博物館 2階講堂 (埼玉県行田市埼玉)
 講 師:黒 坂 禎 二 氏(公益財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 調査部主査)
 主 催:埼玉県立さきたま史跡の博物館
 内 容:埼玉の考古おひろめ展「地中からのメッセージ」の関連講座。特殊な環境下で全てが地中に
     埋もれた縄文後晩期の環状盛土遺構から、当時の集落形態を探る。


を聴講してきました。
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長竹遺跡 ながたけいせき (加須市)
 長竹遺跡は、現在では利根川に面した低地に位置していますが、かつては埋没した台地上にありました。平成
22 年度から利根川堤防拡張工事のため発掘調査が行われ、昨年度に報告書の刊行がすべて終了しました。
 当遺跡では、縄文時代後期後葉から晩期前葉ごろ(約 3000 年前)に形成された環状盛土遺構が良好な状態で
保存されていました。盛土内からは整然と並ぶ墓、焼土を床に貼り付けた住居跡など、多くの遺構が検出され、
この巨大な遺構の性格を考える上で重要な発見が相次ぎました。調査当初からその成果が注目され、様々な展覧
会でも出土遺物が公開されてきました。
 今回は昨年度刊行の報告書に掲載された、初公開の資料を展示しています。盛土中の遺構でないところ(いわ
ゆる遺物包含層)から出土したものですが、墓に副葬されていたと想定される土器もあり、これまでの調査成果
をさらに裏付ける貴重な資料です。
所在地:加須市大越

調査主体:(公財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団
資料保管:埼玉県教育委員会

           ≪埼玉の考古おひろめ展「地中からのメッセージ」展示室内に掲示の長竹遺跡紹介文から≫
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上記は展示に際しての紹介文であり、講座の内容とは異なりますが、長竹遺跡とはということで。


講座関係貼り紙と講座資料


埼玉の考古おひろめ展「地中からのメッセージ」展示資料から  環状盛土遺構とは


埼玉の考古おひろめ展「地中からのメッセージ」展示資料から  長竹遺跡 北盛土南側で見つかった墓


埼玉の考古おひろめ展「地中からのメッセージ」展示資料から  長竹遺跡 環状盛土遺構の復元

聴講日:令和6年(2024)8月24日(土)

講座「行田市の日本遺産-文化財を活かしたまちづくり-」

2024年05月26日 | 講演会・講座


令和6年度 さきたま講座①
 講座名:「行田市の日本遺産-文化財を活かしたまちづくり-」
 日 時:令和4年12月11日(日)13:30~15:30
 場 所:埼玉県立さきたま史跡の博物館 2階講堂 (埼玉県行田市埼玉)
 講 師:中 島  洋 一 氏(行田市教育委員会 文化財保護課 主査)
 主 催:埼玉県立さきたま史跡の博物館
 内 容:同博物館企画展示室で5月26日(日)まで開催のスペシャルテーマ展「埼玉古墳群と日本遺産」
     関連の講座。日本遺産ストリートと、足袋蔵等歴史的建蔵物を活用したまちづくりについて。


を聴講してきました。

日本遺産(「にっぽんいさん」ではなく「にほんいさん」と読む)は、世界遺産の日本版のように思われるかも
しれませんが、世界遺産が「遺産を保護して未来へ伝えるためのもの」であることに対して、日本遺産は認定さ
れた地域の「文化財を保存活用し地域を活性化するもの」で、その趣旨・目的とするものがちがうようです。
認定された行田市の日本遺産は、「和装文化の足元を支え続ける 足袋蔵のまち行田」がストーリとなっており、
足袋蔵を中心とした内容の講座でした。
さきたま講座は、さきたま史跡の博物館という性質上、古墳などを中心テーマとした考古学関係の内容の講座が
大半を占めており、行田市の日本遺産関連で、2022年12月に、同講師による「行田市の日本遺産と埼玉古墳群」
が開催されていますが、今回を含め近現代をテーマにした内容の講座は大変珍しいものです。



講座の聴講ではありますが会場が博物館内であることから入館料200円を。講座の聴講だけでなく、当然
展示品の観覧もしますので。
入館者700万人達成 おめでとうございます  このうちの幾つが自身の延入館数分でしょうか?二桁は
確かです。



4月上旬に観覧済のスペシャルテーマ展「埼玉古墳群と日本遺産」でしたがあらためて観覧してから講座
会場に



講座とは直接は関係ありませんが、埼玉県立さきたま史跡の博物館が開館したのは昭和44年(1969)の
ことで、この時は、「埼玉県立さきたま資料館」という名称でした。
平成17年(2006)に、現在の「埼玉県立さきたま史跡の博物館」と改称されました。自身が初めて「埼
玉県立さきたま資料館」を訪ねたのは、昭和51年(1976)2月のことで、今から48年も前のことでした。
このころ展示されていたものの中には所謂古民具も相当数展示されていました(当時の【入館案内】にも
載っています)
ここにに挿入した【入館案内】と【入館券】は、42年前の昭和57年(1982)6月に訪館した際のもので
す。この時は既に『辛亥鉄剣』が公開されていましたが、古墳や埴輪といったものにはまだ興味がない
時代でした。
また、当時の入館料が50円であったことは忘れていました・・・


聴講日:令和6年(2024)5月25日(土)