四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

牟礼の双体道祖神

2024年01月31日 | 史跡・遺跡・文化財

埼玉県大里郡寄居町大字牟礼(むれい)地内の県道赤浜小川線の端に石造の『双体道祖神』が祀られている
ことをひょんなことから知りました。
道の端といってもちょっとした高台です。このすぐ下では道路工事が行われておりますので。邪魔になら
ない時間を見計らって訪ねてきました。
あるコラムによれば寄居町には9基の道祖神が確認されているそうで、そのうち7基は「道祖神」等と文字
が刻まれたもので像刻塔は2基しかないとのことです。
そのうちの1基が、ここ牟礼にあるもので、寄居町の指定文化財になっています。



「道祖神とは」についてはこの説明版に解説がありますので省略します。


双体(男女)の形には色々あるようですが、これは手をつないだ形でしょうか?

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牟礼の双体道祖神を訪ねたついでに、近隣にある双体道祖神を調べたところ幾つかありましたので、そう
遠くない範囲で行ける場所を探して・・・


普門山千手院 比企郡嵐山町千手堂759 参道を上がってすぐのところ


男女が肩を抱き手を繋いだもの


裏には地蔵菩薩が刻まれています  年代は不詳


同じく千手院の本堂近くの参道端に祀られた双体道祖神  電柱の背後に見えるのが本堂


座ってお互いの肩を抱き手を繋げている姿です
金婚を迎えたご夫婦が寄進したもので2008年4月21日の日付とお名前が裏面に刻まれています


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石青山 威徳院 大聖寺 (通称:下里観音) 比企郡小川町下里1857  参道端の双体道祖神
近年のもののようですが年代は不明



双体道祖神の隣には大聖寺のご詠歌の石碑


鐘楼門
この大聖寺には国の重要文化財『石造法華経供養塔』(その形から「六面幢」あるいは「六角塔婆」とも
呼ばれる:旧国宝)と、『板碑』が保存されています。


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金鑚神社(かなさなじんじゃ) 児玉郡神川町大字二ノ宮751 
平成28年(2016)12月、鏡岩へ向かう山道の最初の場所にある数多くの句碑に混じってあったものをたま
たま撮っていたもので、一応、参考までに。このころは道祖神には関心がありませんでした。


散策日:令和6年(2024)1月31日(水)

花は早かった!!「ふかや 緑の王国」

2024年01月30日 | 花・鳥・風景

冬の花を愛でに「ふかや 緑の王国」(深谷市櫛引24-2)に行ってきました。
実は、セツブンソウが咲き始めたということで一昨日である28日(日曜日)に行ってみたのですが、僅
かしか咲いてなく、梅も数本しか開花していませんでしたので2日置いた本日再び行ってきました。もう
少し間を置けばそれなりに開花していたのでしょうが・・・



咲いていた梅は数本でした。名は失念・・・


上の白梅とは別の場所に咲いていた紅梅  「大盛」?


カンツバキ(寒椿)とロウバイ(蝋梅)


カンツバキ(寒椿)とサザンカ(山茶花)は区別が難しいですが、取りあえずは寒椿ということにして


ニシキモクレン(錦木蓮)


筆の穂首のような蕾です


ロウバイ(蝋梅)と野鳥  遠くから撮ったものですから、この写真からでは野鳥の名は?


セツブンソウ(節分草)


小さな花ですから大きなレンズでないと・・・ 仕方なくトリミングで


スノードロップ


同上


この黄色い花は? フクジュソウ(福寿草)にしては下にある葉はツワブキ(石蕗)の葉のようですし、
ツワブキにしては花弁が違うようで・・・



居眠り中?の河童さん


KIDS HOUSE

散策日:令和6年(2024)1月28日(日)・30日(火)

秩父往還跡碑を訪ねて

2024年01月29日 | まち歩き

深谷市菅沼地内(旧大里郡川本町)の嘗ての秩父往還(国道140号)沿いに『秩父往還跡碑』が建立され
ているとのことから訪ねてみました。
碑には、
  東くまがや  秩父往還跡  西おまえだ
と刻まれています。
おまえだ・・・小前田宿(村) → 大里郡花園村(町) → 深谷市
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秩父往還(ちちぶおうかん)とは、中山道熊谷宿がある石原村(現、熊谷市)を起点として荒川渓谷沿いを
通り、秩父大宮(秩父市)のある秩父盆地を横断し、雁坂峠を越えて甲州に入り甲府に至る街道である。
秩父往還道、秩父甲州往還とも呼ばれ、甲州側からは雁坂口、秩父路、秩父側からは甲州路、信玄路など
の呼称が見られる。
江戸時代に「秩父往還」と呼ばれた道筋はいく筋かあり、川越から小川を経由する道(現在の国道254号-
埼玉県道11号-粥仁田峠)、所沢から飯能を経由する道(現在の国道463号-国道299号)、熊谷で中山道か
ら分岐し寄居を経由する道(現在の国道140号、釜伏峠経由)などがあったとされる。その中で、国道140
号線が現在では代表的な「秩父往還」とみなされている。他の道筋にくらべてより重要な街道だったと言
われている。
         フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』”秩父往還”より引用
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また、この「秩父往還」は、 
  国道140号(秩父市) 秩父往還道
として、昭和61年度(1986年度)に旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された『日本の道100選』
に選定されています。

       
【碑陰】
  旧地名武蔵國榛澤郡菅沼村
  雁坂トンネル開通記念
    平成十年四月吉日
        田島常徳 建之

雁坂トンネル・・・埼玉県秩父市と山梨県山梨市との県境付近を結ぶ有料トンネル 
         平成10年(1998)4月23日開通
榛澤郡菅沼村・・・大里郡川本村(町) → 埼玉県深谷市
 


秩父往還跡碑は国道140号(秩父往還)の交差点の一角に建立されています

散策日:令和6年(2024)1月28日(日)

講演会「再葬墓の時代 ー弥生文化黎明の不思議な世界ー」

2024年01月28日 | 講演会・講座


本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
本庄早稲田の杜地域連携展覧会「弥生時代の児玉・深谷地域」関連講演会
第1回 再葬墓の時代 ー弥生文化黎明の不思議な世界ー
 日 時:令和6年1月28日(日) 午後2時~午後3時30分
 会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター3階レクチャールーム1(本庄市西富田)
 講 師:石 川 日 出 志 氏(明治大学文学部教授)
 内 容:1. 弥生時代とはどんな時代か?
     2. 関東の弥生時代と再葬墓
     3. (壺)再葬墓の世界   
を聴講してきました。

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再葬墓(さいそうぼ)とは、一度埋葬した遺体を、白骨化してから骨壺や甕などの骨蔵器に入れて再び土
壙(穴)に埋めた墓のことである。縄文時代や弥生時代に行われていた葬法であり、特に弥生時代中期に
東日本で発達した。
               出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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本庄早稲田の杜地域連携展覧会「弥生時代の児玉・深谷地域」は2階情報資料室で開催中


平遺跡 再葬墓出土土器 神川町下阿久原   弥生時代前期後半

聴講日:令和6年(2024)1月28日(日)

「ひこにゃん」からの年賀状が届きました‼

2024年01月26日 | エトセトラ

本日(1月26日)、「ひこにゃん」(滋賀県彦根市のキャラクター)から年賀状が届きました。
「ひこにゃん」宛に送った年賀状に対する返事の年賀状です。
こちらからはどんなデザインのものを送ったかは・・・内緒にしておきましょう。
デザインは複数(多分3種類)あるうちのひとつです。
本年末まで有効の彦根城招待券(含む玄宮園・2名までで1回限り)が付いています。
残念ながら諸般の事情から有効利用できそうにありません。



平成23年(2011)4月30日(土)に彦根城を訪問した際に、彦根城博物館(表御殿)で撮らせていただい
た「ひこにゃん」です。
この日から約12年9日ヶ月ですが、つい数ヶ月前のような思いです。

ロビー展「国指定史跡 比企城館跡群写真展」

2024年01月17日 | 企画展・見学会

埼玉県立嵐山史跡の博物館(埼玉県比企郡嵐山町菅谷757)で、
 令和5年度ロビー展「国指定史跡 比企城館跡群写真展」
を、 
 1月13日(土)から3月3日(日)までの期間で開催中です。
 入館料:無料(展示室に入室する際には観覧料が必要)
嵐山史跡の博物館は、菅谷館跡内に所在しますが、昭和48年(1973)5月26日 菅谷館跡が国指定となり、
平成20年(2008)3月28日 既に国指定史跡であった菅谷館跡に、松山城跡・杉山城跡・小倉城跡を追加
指定し、国指定史跡比企城館跡群となりました。
この「国指定史跡 比企城館跡群写真展」は、ほぼ毎年開催されており、今回は企画展「武蔵武士の食と
信仰 ー食べて 祈って 戦ってー」の観覧に併せて観覧してきました。



菅谷館 (比企郡嵐山町菅谷)  続日本100名城120(平成29年4月6日選定)  別名:菅谷城


杉山城 (比企郡嵐山町杉山)  続日本100名城119(平成29年4月6日選定)


小倉城  (比企郡ときがわ町田黒)
     

松山城  (比企郡吉見町南吉見)
     

城のふもとⅠ  上:菅谷館南麓 槻川と都幾川の合流点「二瀬」 
        下:鎌倉街道推定地付近から東に杉山城
城のふもとⅡ  上:小倉城東麓 大福寺
        下:松山城北麓 岩室観音
このほか「城からの眺め」、「比企型虎口」の写真が展示されています



国指定史跡比企城館跡群4城館のうち3城館跡で御城印が発行(販売)されています 
 菅谷館  販売元:埼玉県立嵐山史跡の博物館 ¥200
 杉山城  販売元:嵐山町観光協会      ¥500
 小倉城  販売元:ときがわ町観光協会    ¥800

観覧日:令和6年(2024)1月13日(土)

ミニ企画展 令和5年度 本庄市の遺跡 最新出土品展

2024年01月15日 | 企画展・見学会

ミニ企画展 令和5年度 本庄市の遺跡 最新出土品展
会 期:令和6年1月10日(水)~3月24日(日)《前期》
会 場:本庄早稲田の杜ミュージアム 交流広場(本庄市西富田1011)
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本庄市には、500箇所を超える埋蔵文化財包蔵地が所在し、毎年発掘調査が行われています。
発掘調査は、学術目的のほか、開発に伴い消滅してしまう遺跡を写真や図面に記録し後世へと伝えるために実施
されるもので、市の歴史を語るうえで欠くことのできない貴重な資料が発見されています。
最新出土品展では、市内で実施された発掘調査の成果をいち早く公開しています。
今回の企画展では、令和4年11月から令和5年12月までに発掘調査を実施した小島仕切沢南遺跡、旭・小島古墳群
下野堂地区、将監塚遺跡、北堀新田遺跡の4遺跡で出土した遺物を発掘調査時の写真を添えて紹介するとともに、
発掘調査によって新たに得られた知見を皆様にお知らせします。

                《本庄早稲田の杜ミュージアムHP ミニ企画展「本庄市の遺跡」の紹介文より》
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上記4遺跡から出土した69点の遺物と写真パネルで構成されています。このうちの何点かを紹介させていただき
ます。



ミニ企画展 令和5年度 本庄市の遺跡 最新出土品展会場の交流広場


旭・小島古墳群~下野堂地区 第1地点調査~ 出土品


古墳時代の食器類
【土師器 坏】ほか 第1号竪穴住居跡 古墳時代後期



【編物石】 第1号竪穴住居跡 古墳時代後期


小島仕切沢南遺跡~A地点調査~ 出土品


飛鳥時代~平安時代はじめの食器類
【土師器 坏】ほか 第1号竪穴住居跡 飛鳥時代~奈良時代 ほか



左:【土錘】     第6号竪穴住居跡 奈良時代~平安時代前期
中:【勾玉】     第12号竪穴住居跡 古墳時代
右:【鉄製石製品】  第12号竪穴住居跡 古墳時代



北堀新田遺跡~E地点調査~ 出土品


平安時代の食器類
【土師器 坏】 第1号竪穴住居跡 平安時代前期



【土師器 墨書土器】  第1号竪穴住居跡 平安時代前期


枇杷橋遺跡~C地点調査~ 出土品
【土師器】



【須恵器 小形甕・坩・小形壺・高坏】 第44号竪穴住居跡 平安時代中期


【須恵器 羽釜】  第53号竪穴式住居跡 平安時代中期


左:【羽口】    第44号竪穴住居跡周辺 平安時代中期
右:【鉄製紡錘車】 第40号竪穴住居跡   平安時代中期



将監塚遺跡~第4次調査~ 出土品
左:【土師器 坏】 第2号竪穴住居跡 飛鳥時代
右:【土師器 坏】 第2号竪穴住居跡 飛鳥時代



将監塚遺跡~第4次調査~ 出土品
【石棒】 第4号土杭  縄文時代中期



将監塚遺跡~第4次調査~ 出土品
【土師器 坏】 第1号竪穴住居跡  平安時代前期



展示状況

観覧日:令和6年1月12日(金)

新春ぼたん展

2024年01月14日 | 花・鳥・風景


今年もまた【東松山ぼたん園 芝生広場】(埼玉県東松山市大谷1148-1)で『新春ぼたん展』が開催さ
れています。
令和6年1月13日(土)~28日(日)の期間限定での開催です。
春に咲く品種を温度管理(抑制栽培)で冬に開花させているぼたんで、所謂「冬ぼたん」、「寒ぼたん」
とは違うようです。
個々に品種名を付記すればよいのでしょうが、分からなくなってしまったものについては省略しますが、
次の品種がありました。


 島津の紅・恵比寿・明日香・紅輝獅子・八千代椿・島錦・花の里・銀河の星・聖代・七福神・島大臣・写楽・
 花魁・紫鳳







《花の里》


《島大臣》


《島錦》


《聖代》


《恵比寿》


《島大臣》


左上のテントのある場所で、鉢植えのぼたんとぼたん園グッズを販売していました






《八千代椿》








《花魁》








《銀河の星》


《島錦》










「東松山ぼたん園グッズ」をお土産に購入してきました
オリジナル手ぬぐい ぼたんの缶バッジ ぼたんのピンバッジ ぼたんの絵葉書
がセットになっています。(手ぬぐいは全体の4分の3くらいを撮影)

見学日:令和6年1月14日(日)

企画展「武蔵武士の食と信仰 ー食べて 祈って 戦ってー」

2024年01月13日 | 企画展・見学会


埼玉県立嵐山史跡の博物館
令和5年度企画展「武蔵武士の食と信仰 ー食べて 祈って 戦ってー」
会期:2024年1月13日(土)~3月3日(日)
会場:埼玉県立嵐山史跡の博物館
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歴史上の偉人から庶民に至るまで、いにしえに生きた人びとにも、現代に生きる私たちと同じように“食
の営み”がありました。そして中世の武蔵武士たちにとっても、戦や鍛錬に励みつつ所領を治める領主と
しての務めを果たすため、栄養に満ちた食生活を送ることは不可欠でした。
武蔵武士が何をどのように食べて生きたのか、どのようにして他の命を得て食物とする「罪」をあがなお
うとしたのか-。武蔵武士の食の風景を紹介するとともに、その心に迫ります。

                 《企画展「武蔵武士の食と信仰 ー食べて 祈って 戦ってー」チラシ裏面から》
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を観覧してきました。
展示は、 
 プロローグ
 1章 掘り出された食
 2章 食を得る
 3章 食の風景
 4章 食と信仰
 エピローグ
からなり、出土品や絵図(パネル)、書物等で武蔵武士の食と信仰が紹介されています。
初日である本日は、本企画展を担当している学芸員による展示紹介(解説)がありましたので、そのこと
も含めての訪館でした。
展示品についてはほんの数点の紹介に留めておきます。



展示室入口横に掲げられた垂れ幕


中世の食材(推定)


イノシシ剥製 二ホンジカ剥製 キジ剥製 カモ剥製  埼玉県立自然の博物館 蔵


調理具  
【おろし皿】 中世 小沼耕地遺跡(加須市)出土  埼玉県教育委員会 蔵
【しゃもじ】 中世 小沼耕地遺跡(加須市)出土  埼玉県教育委員会 蔵
【刀子】 鎌倉時代 堂地遺跡(川島町)出土  埼玉県教育委員会 蔵
【小刀】 鎌倉時代 行事免遺跡(嵐山町)出土  嵐山町教育委員会 蔵



貯蔵具
【常滑大甕】 13世紀中頃ヵ 諏訪木遺跡(熊谷市)出土  埼玉県教育委員会 蔵



【吾妻鏡(寛永版本)巻九】  埼玉県立歴史と民族の博物館 蔵


【銅造阿弥陀三尊懸仏】   鎌倉時代  古尾谷八幡神社 蔵(川越市)


【鹿食免・鹿食箸】  個人


購入してきた本企画展図録 と 御城印(本企画展期間のみ販売の限定品)
御城印の台紙は、ユネスコ無形文化遺産の細川紙が使用されています。細川紙は、埼玉県小川町や東秩父
村で生産されている高級手漉き和紙です。


観覧日:令和6年(2024)1月13日(土)

企画展「弥生時代の児玉・深谷地域」

2024年01月12日 | 企画展・見学会


本庄早稲田の杜ミュージアム企画展
第4回本庄早稲田の杜地域連携展覧会
 弥生時代の児玉・深谷地域
会 期:2024年1月10日(水)~3月24日(日)
会 場:早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター(早稲田大学93号館)2階情報資料室
共 催:本庄市教育委員会・美里町教育委員会・神川町教育委員会
    上里町教育委員会・深谷市教育委員会・早稲田大学
を観覧してきました。
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児玉・深谷地域では、遺構や遺物の乏しい縄文時代晩期前半~縄文・弥生移行期(弥生時代早期・前期前半)に
続いて、弥生時代前期後半~中期初頭ごろより、丘陵の裾部や台地縁辺、段丘上を中心に、散発的ではあるが遺
構や遺物がみられるようになります。また、弥生時代中期前半には、丘陵・台地上だけでなく沖積地中の微高地
上にも、再葬墓や墓坑とも目される土坑が造られます。弥生時代中期後半の空白期をはさみ、弥生時代後期以降、
丘陵上に小規模な集落が点在しながら、集結する傾向が顕著にみられます。
この展覧会では、主に発掘調査によって出土した資料を出品し、児玉・深谷地域における弥生時代の人々の生活
と文化を紹介します。                             《チラシ裏面より》

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ここで言うところの”児玉・深谷地域”とは、本庄市・美里町・神川町・上里町及び深谷市を指し、この地
域にある遺跡からの出土品が展示されているもので、資料総数は約400点(土器片等も1点として計上)
を数えます。これらの中から何点かを紹介させていただきます。



本企画展ポスター


展示室内の状況1


展示室内の状況2


【壺・甕】ほか  滝宮遺跡1号建物跡  深谷市上野台   弥生時代中期末~後期初頭


秋山大町遺跡出土の弥生土器    本庄市児玉町秋山 縄文/弥生移行期~弥生時代中期前半
秋山古墳群塚原C地点出土の弥生土器      同上



平遺跡 再葬墓出土土器 神川町下阿久原   弥生時代前期後半
左:三角形連繋文  右:変形工字文


【壺・甕】 平遺跡 再葬墓出土土器 神川町下阿久原   弥生時代前期後半


【壺・甕】 四十坂遺跡  深谷市岡   弥生時代中期前半


【筒形土器】  浅見山Ⅰ遺跡  本庄市西富田   弥生時代中期前半


【壺・甕】ほか  浅見山Ⅰ遺跡  本庄市西富田   弥生時代中期前半


左:【壺形土製品】 伝美里町広木大町  美里町広木  弥生時代中期前半
中:【壺】     石上遺跡      美里町関   弥生時代中期後半
右:【甕】     神明ヶ谷戸遺跡   美里町中里  弥生時代中期後半



【土製紡錘車】 真鏡寺後遺跡  本庄市児玉町塩谷   弥生時代後期


【小型甕】  羽黒山遺跡 美里町白石  弥生時代後期~終末期


【台付甕】  志渡川遺跡 美里町中里  弥生時代終末期


【高坏】  志渡川遺跡 美里町中里  弥生時代終末期


【壺】   上敷免遺跡 深谷市上敷免  弥生時代中期前半


【壺・甕・壺】  平遺跡 神川町下阿久原  弥生時代前期後半


本庄早稲田の杜ミュージアム企画展  本庄早稲田の杜地域連携展覧会の過去3回のチラシ
右: 第1回 室町・戦国期の児玉・深谷地域
中: 第2回 旧石器・縄文時代の児玉・深谷地域
左: 第3回 児玉・深谷地域の古墳と副葬品


観覧日:令和6年1月12日(金)