四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

秩父困民党終息の地であり金屋戦争戦死者供養塔のある円通寺

2024年02月21日 | まち歩き

明治期に起きた秩父事件における秩父困民党終息の地であり、金屋戦争戦死者の供養塔がある
  『円通寺』本庄市児玉町金屋84(旧児玉郡児玉町)
秩父事件とは、明治17年(1844)11月悪徳金貸や政府の悪政を批判し、貧民の救済を訴えておこした日本
近代史上最大の農民蜂起。※詳しい説明ができず申し訳ありません。
この円通寺は秩父困民党と政府軍が戦った金屋地区にあり、仮の野戦病院として使われたようです。



円通寺墓地の南西隅に、檀家の方々により建立された秩父事件の金屋戦争で亡くなった人たちの供養塔の
五輪塔が建てられています。



五輪塔の”地輪”には「秩父事件死者之墓」と刻まれています


五輪塔の”土台”には「明治17年11月4日午後11時 30分 児玉町を目指した秩父蜂起軍を髙﨑鎮台
により銃撃戦と白兵戦で鎮圧した処であり 當山本堂は病院として使われ 又秩父蜂起軍の死者を葬った寺
である」とあります



五輪塔の横に建立されている芭蕉句碑「無残やな かぶとの下の キリギリス 芭蕉」
句 : むざんやな 甲の下の きりぎりす
     (むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)

出 典: 『奥の細道』  元禄2年(1689)3月27日 芭蕉46歳の時の句
建立年:平成二十?年 春
建立者:児玉町八幡山 清水義信

※この句は、多太神社(石川県小松市)で所蔵する、白髪を黒く染めて挑んだ篠原合戦で討死した
斎藤別当実盛の兜を見て詠んだものとのことです

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秩父困民党は明治17年(1884)11月1日、ここ椋神社の境内で武装蜂起した


秩父事件関係略図  右上の児玉郡の文字の上に「金屋」とあります


下吉田椋神社境内に建立されている秩父事件百年の碑と秩父事件百年の像


秩父事件百年の碑


秩父事件百年の像
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秩父事件120周年を記念して製作された映画『草の乱』で使われたオープンセットの一部が、秩父郡吉田
町吉田久長(現・秩父市)の【道の駅 龍勢会館】に移築されました
※平成21年(2009)12月13日に撮影したもので現在はありません



オープンセットの説明板

撮影日:円通寺の供養塔 令和6年(2024)2月17日(土)
    下吉田 椋神社 令和2年(2020)9月28日(月)
    道の駅龍勢会館 平成21年(2009)12月13日(日)

五明水辺公園の双体道祖神

2024年02月19日 | まち歩き

埼玉県児玉郡上里町五明地内の道路端に『五明水辺公園』(五明水辺いこいの場)があります。
ここには四阿が設けられて、13基からなる石仏群がありますが、近隣に点在していたものを集めたもので
しょう。これら石仏は文化財指定されているわけでもありませんし、一部欠損したり、台座しか残ってい
ないものもありますが、歴史を物語るものに間違いはありません。
この付近は館跡、廃寺、延喜式内社、古墳等を訪ねて何度も行き来していますので、この石仏群も幾度と
なく目にしておりましたが、いつも素通りでした。
実は、この石仏群の中に双体道祖神があると最近知ったものですからあらためて訪ねてみました。



「五明堰用水路の歴史」説明版


石仏群と花壇  この地区「中五明」の方たちが花壇の手入れをしているようです


分かる範囲で
 ①馬頭観音
 ②馬頭観音
 ③双体道祖神
 ④庚申供養塔
 ⑤庚申供養塔  日月 二鶏三猿
 ⑥庚申     日月
 ⑦庚申塔  裏に文政八年(1825)
 ⑧庚申塔  裏に安政七年(1860)春三月
 ⑨猿田彦大神



双体道祖神  銚子を持った女神が、盃を持った男神に酒を注いでいる微笑ましい姿


石仏群の背後を五明堰用水路があります

散策日:令和6年(2024)2月17日(土)

秩父往還跡碑を訪ねて

2024年01月29日 | まち歩き

深谷市菅沼地内(旧大里郡川本町)の嘗ての秩父往還(国道140号)沿いに『秩父往還跡碑』が建立され
ているとのことから訪ねてみました。
碑には、
  東くまがや  秩父往還跡  西おまえだ
と刻まれています。
おまえだ・・・小前田宿(村) → 大里郡花園村(町) → 深谷市
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秩父往還(ちちぶおうかん)とは、中山道熊谷宿がある石原村(現、熊谷市)を起点として荒川渓谷沿いを
通り、秩父大宮(秩父市)のある秩父盆地を横断し、雁坂峠を越えて甲州に入り甲府に至る街道である。
秩父往還道、秩父甲州往還とも呼ばれ、甲州側からは雁坂口、秩父路、秩父側からは甲州路、信玄路など
の呼称が見られる。
江戸時代に「秩父往還」と呼ばれた道筋はいく筋かあり、川越から小川を経由する道(現在の国道254号-
埼玉県道11号-粥仁田峠)、所沢から飯能を経由する道(現在の国道463号-国道299号)、熊谷で中山道か
ら分岐し寄居を経由する道(現在の国道140号、釜伏峠経由)などがあったとされる。その中で、国道140
号線が現在では代表的な「秩父往還」とみなされている。他の道筋にくらべてより重要な街道だったと言
われている。
         フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』”秩父往還”より引用
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また、この「秩父往還」は、 
  国道140号(秩父市) 秩父往還道
として、昭和61年度(1986年度)に旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された『日本の道100選』
に選定されています。

       
【碑陰】
  旧地名武蔵國榛澤郡菅沼村
  雁坂トンネル開通記念
    平成十年四月吉日
        田島常徳 建之

雁坂トンネル・・・埼玉県秩父市と山梨県山梨市との県境付近を結ぶ有料トンネル 
         平成10年(1998)4月23日開通
榛澤郡菅沼村・・・大里郡川本村(町) → 埼玉県深谷市
 


秩父往還跡碑は国道140号(秩父往還)の交差点の一角に建立されています

散策日:令和6年(2024)1月28日(日)

寄居町末野の「西行戻り橋」

2023年02月20日 | まち歩き


『西行法師』(俗名:佐藤 義清・元永元年〈1118〉~文治6年〈1190〉)は、平安時代末期から鎌倉時代
初期にかけての武士であり、僧侶、歌人としても知られるようです。(と言っても私は全く詳しくなく、
西行という名を知るだけですが)

その西行にまつわる逸話として「西行戻し」と言われるものが全国各地にあるようです。それは
「戻り橋」だったり、「戻り石」、「戻りの松」であったりの違いはありますが、いずれも現地
の童子にやりこめられ恥ずかしくなって来た道を戻っていくというもののようです。
そのひとつに数えられる大里郡寄居町末野地内の「西行戻り橋」を訪ねてみました。




橋の北詰に設置されている「西行戻り橋 由来」説明板の文面を転記しておきます
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   西行戻り橋 由来
 歌人として名高い西行法師は、源頼朝と初めて会った時、「元は佐藤兵衛尉義清(さとうひょうえいのじょう
のりきよ)今は出家隠遁して西行と号する者」と名のっています。この西行が寄居町末野にやって来たのは、秩
父へ歌の修行に向かう途中だった。末野を流れる逆川にかかる土橋まで来ると、子供がショイコを背に鎌を振り
振り渡ってきます。そこで西行は「小僧、どこへ行く」と問いかけました。すると子供は「冬ぼきの夏枯草(麦)
を刈りに行く」と無造作に答えた。西行は「冬ぼきの夏枯草」とは何のことかわからず、困ってしまった。子供
は西行の困った顔をよそに、さっさと行ってしまった。またこの時、橋のたもとのあばらで、美しい小娘がハタ
を織っている姿に西行はうっとりとみとれているうちに、急にその絹がほしくなり、「その絹を売るか」とたず
ねました。すると娘は「ウルカとは、川の瀬にすむ鮎のはらわた」とまるで禅問答のようにいうのです。そこで
西行は秩父路では、少年も少女もむずかしい歌をたやすく作る。自分は恥ずかしいといってこの橋から戻ってし
まいました。今もこの橋を「西行戻り橋」と呼んでいるのはそのためです。
                                           寄  居  町 
                                           寄居町観光協会

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伝説・伝承の域を出ないのか史実なのか確かめるすべはありませんが、「西行戻り橋」とされる橋
(無論当時のものでないことは断るまでもないことですが)の写真を何枚か・・・






橋の下を流れる逆川






なお、同じ埼玉県内であるときがわ町の慈光寺には「西行見返桜」という伝説・伝承があるようで
す。これも観音化身の小僧にやりこめられ引き返したというもので、西行と小僧のやりとりは末野
の「西行戻り橋」とほぼ同じ内容のものです。その時手に持っていた桜の枝を挿して行ったのが今
の「見返り桜」とのことですが、この桜はどこに・・・

散策日:令和5年(2023)2月19日(日)

「ひなの里」を訪ねて(埼玉県鴻巣市)

2022年02月28日 | まち歩き


鴻巣市の中山道沿いにある鴻巣市産業観光館「ひなの里」を訪ねて来ました。
現在、鴻巣市で「鴻巣びっくりひな祭り2022」を開催中(2月18日〔金〕~3月5日〔土〕)で、ここ「ひなの里」
はサテライト会場のひとつとなっています。
なお、「ひなの里」では雛飾りは常設展示です

※右下の「ひなの里」石碑は合成で挿入したものです。




館内には色々なひな飾りや、ひな祭りに関する年表が飾られています。




昭和20年ころの雛飾り




大名・牧野家の雛飾り




七段雛飾り




中庭にある蔵 埼玉県指定景観重要建造物(平成25年〔2013〕10月8日指定)




この蔵にも雛飾りがあります

びっくりひな祭りの名物となっているピラミットひな壇はメイン会場やその他の会場で見られますが、所用の途
中で寄ったものですから、そこまでは行く余裕はありませんでした。

そう言えば、この「ひなの里」の近くにある老舗の人形店でひな人形を買ったのは十数年前でした・・・


見学日:令和4年(2022)2月26日(土)

畠山重忠・渋沢栄一生誕の地

2022年02月05日 | まち歩き


深谷市田中(旧・大里郡川本町)地内の「重忠橋(北)」交差点の一角の写真です。本年1月撮影
昨年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公は日本近代経済の父・渋沢栄一公
今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に主要人物として登場している武蔵武士の鑑・畠山重忠公
共に現在の深谷市を生誕の地としています。
そんな看板が上下に並んで設置されています。
2年も続けて大河ドラマに深谷市出身の人物が出る・・「すごいぞ!深谷」

「鎌倉殿の13人」畠山重忠役の中川大志さん
「青天を衝け」尾高長七郎役の満島真之介さん
による
『大河ドラマ スペシャルリレートークin深谷』
が、
3月6日(日) 深谷市花園文化会館アドニス 大ホール(旧・大里郡花園町)
で開催されるようです。




これはGoogle マップで見る上の写真と同じ「重忠橋(北)」交差点で、2020年7月撮影のものの
ようです。
この時点では二つの看板はありませんが、国道140号に面して「祝 新一万円札 渋沢栄一翁」の
横断幕があります。これも大変な名誉ですね。
ということは、大河ドラマに併せて設置された看板ということが分ります。
あ、忘れてはいけませんネ 「ふっかちゃん」も・・・もう一度「すごいぞ!深谷」

渋沢栄一の看板については、現在は外されてありません 2022.9.22記

鎌倉殿の13人ー比企氏ゆかりの地 東松山

2021年11月11日 | まち歩き


2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映開始予定まで2ヶ月を切りました。
2代執権北条義時を主人公にしたドラマですが、埼玉県比企地域にゆかりのある武将・人物(比企能員、
畠山重忠、源範頼、木曽義仲・比企尼、丹後局)なども描かれる予定で、比企地域9市町村(東松山市、
滑川町、嵐山町、小川町、川島町、鳩山町、吉見町、ときがわ町、東秩父村)と比企地域の各種関係団
体は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映を契機として地域の活性化につなげようと、令和2年(2020)
12月に『大河ドラマ「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会』を立ち上げて、さまざまな取り組みを行
っているようです。
また、これと併せて各自治体独自の計画もあるようです。鎌倉幕府の初代執権北條時政との権力抗争に
敗れて滅びた比企氏とも縁が深いとされる東松山市においても講演会開催(来年1月下旬予定)や幟旗
の設置、比企氏ゆかりの地紹介の小冊子作製などを行っています。
上の写真は、比企能員が源頼朝の命により復興させた通称岩殿観音こと正法寺の最寄り駅である東武東
上線高坂駅に設置されている横断幕です。





高坂駅西口・高坂彫刻プロムナードに設置の幟旗
岩殿観音のある高坂地区ハートピアまちづくり協議会が設置




岩殿観音参道沿いに設置の幟旗 東松山市観光協会、高坂地区ハートピアまちづくり協議会が設置




岩殿観音(正法寺)「仁王門」




「正法寺説明板」
比企能員、北条政子との関係も記されています




「正法寺観音堂」




「源頼朝の妻 北条政子守本尊 千手観世音菩薩」
過去にこの立て札を見たことはありませんでしたから、「鎌倉殿の13人」に合わせて設置したよう
です




比企能員の菩提を弔らった 判官塚




「足利基氏の塁跡」
初代鎌倉公方足利基氏が正平18年/貞治2年(1363)、上野守護:宇都宮氏綱。上野守護代:芳賀
禅可に対して武蔵国の苦林野の「岩殿山の合戦」の際に本陣を置いたとされる跡と推定される場
所であり、「基氏が築いたものでなく地元豪族が造った館を陣地として利用したものと考えられ
る」と現地説明板には記されています。
このことから地元豪族とは「比企能員」ではないかと言われており、ここも比企氏館跡の推定地
のひとつとして捉えられるようになっています。




市内大谷地区にある「宗悟寺」
比企能員館は、この宗悟寺やこの付近にあったのではないかと推定されていますが、あくまで口伝
伝承によるもので、それを裏付ける遺構等は見つかっていません。
この宗悟寺の西方700m程の場所には、比企禅尼が草庵を結んだと伝わる場所。更に、周辺には能員
の娘で二代将軍頼家の妻若狭局が頼家亡きあと移り住んだと伝わる場所があるとのことですが、こ
れも特定できてはいません。
しかしながら、この辺りが比企一族都に何らかの関わりをもつ場所であることは確かのようです。




参道途中に設置されている「宗悟寺」説明板
これも「鎌倉殿の13人」に合わせて新たに設置したようです。

他にも「比企氏ゆかり」の場所を中心に幟旗が立てられており、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を契
機として地域活性化を目指している様子がうかがえました。

なお、他の町村の取り組みについてはまだ把握しておりません。

散策日:令和3年(2021)11月7日(日)

越生駅前の太田道灌像(埼玉県越生町)

2020年12月25日 | まち歩き


太田道灌ゆかりの町である入間郡越生町の「越生駅前」(JR東日本八高線・東武鉄道越生線)に、
太田道灌の銅像が設置されたとのことで早速行ってきました。
※逆光でよくわかりませんが・・・




本日配布された【埼北よみうり】(埼玉県北部地域に配布)でこのことを知りました




『越生駅』と『道灌おもてなしプラザ』




太田道灌像




太田道灌像 お顔をアップで




太田道灌像背面
台座に【昭和五十年十月 慶寺丹長 作  令和二年十二月 建立】
とありますが、この像は、四代目慶寺丹長(けいじたんちょう)作のもので、神奈川県伊勢原市役
所前に建立されている太田道灌像と同じ鋳型で昭和50年に制作された兄弟像で、長い間日の目を見
ずにいましたが、縁あって越生町が譲り受けたとのことです。

なお参考ですが、越生町では太田道真・道灌父子ゆかりの「龍穏寺」にも太田道灌像が建立されて
います。

散策日:令和2年(2020)12月25日(金)

武将らの銅像(4)

2020年10月08日 | まち歩き
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最近撮った武将の銅像ではなく7年も前に撮ったものですが、どういうわけかこれまでの『武将らの銅像』
に上げてありませんでした(城の記事や他の記事の中に入れてあるものもあります)ネタもなくなったこ
とですから、過去の城の記事と重複しますが・・・
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 堀尾 吉晴公(ほりお よしはる)  【天文12年(1543)~慶長16年(1611)】

 所在地:島根県松江市殿町 松江城大手前広場
 撮影日:平成25年(2012)8月6日
 
 豊臣政権三中老の一人 松江開府の祖 松江城を築城
 松江藩主は 堀尾家2代 京極家1代 越前松平家10代
 初代藩主は堀尾吉晴の子・忠氏




 松平 直政公(まつだいら なおまさ) 【慶長6年(1601)~寛文6年(1666)】

 所在地:島根県松江市殿町 島根県庁前広場
 撮影日:平成25年(2013)8月6日

 松江藩松平家初代藩主 祖父・徳川家康公 父・結城秀康公




 楠 正成公(くすのき まさしげ)  【生年不詳~延元元年/建武3年(1336)】

 所在地:東京都千代田区 皇居外苑
 撮影日:平成25年(2013)3月17日

 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将
 像の正面は「記文」がはめ込まれている側ですが、像の顔は正面とは反対側の皇居側を向いている。
 これは皇居に対して顔を背けるのは失礼にあたるという理由によるもの。




 西郷 隆盛公(さいごう たかもり) 【文政10年(1827)~明治10年(1877)】

 所在地:東京都台東区上野公園 上野恩賜公園
 撮影日:平成25年(2013)3月23日

 倒幕と維新に尽力した英雄三傑の一人 江戸城開城 新政府樹立




 大村 益次郎公(おおむら ますじろう) 【文政7年(1824)~明治2年(1869)】

 所在地:東京都千代田区九段北 靖国神社
 撮影日:平成25年(2013)3月23日

 幕末の洋学者 日本の近代的兵制の創始者

※ 下3人(楠正成・西郷隆盛・大村益次郎)の銅像を『東京三大銅像』と呼ぶ

『武将らの銅像』  『武将らの銅像(2)』  『武将らの銅像(3)』  ⇐ 過去記事


【追加】


 村山 土佐守(むらやま とさのかみ)【室町時代末期から安土桃山時代】

 所在地:東京都西多摩墳瑞穂町殿ヶ谷 玉林公園
 撮影日:平成30年(2018)6月23日

 村山土佐守は、武蔵七党という武蔵国(現在の東京都、埼玉県など)を中心に活躍した武士の集団のう
 ち、武蔵国村山郷(現在の瑞穂町、武蔵村山市など)に住み、村山氏平頼任を先祖とする人物だと伝え
 られています。
 村上土佐守の生きていた時代(室町時代末期から安土桃山時代)の多摩地域は、八王子滝山城の武将・
 北条陸奥守氏照が統治していました。
 村山土佐守は中世豪族としての村山氏最後の人物で、殿ヶ谷に居館があったと伝えられています。
 その実像に関する資料は残っていませんが、神仏を敬う心のある武士として、村山郷の人々によって後
 世に語り継がれてきました。                      《現地説明板》

 村山土佐守は、村山氏から派生した支族のひとつ金子氏の流れを汲む人物との推測もあり、そうとすれ
 ば家紋は『蜻蛉紋の【三つ蜻蛉紋】が考えられますが、確証がありませんので不詳としました。

歩道の天守

2020年10月06日 | まち歩き
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歩道にその町の名所や行事・特産品等をデザインしたタイルが設置された場所を時たま見かけます。
旅した所はほんの僅かですから、そうしたものも見かけたのもほんの少数。その少数は天守と御三階櫓がその大部分(と言っても4カ所だけ
ですが)。ネタ切れが続いていますのでまたまた古い写真を引っ張り出してきました。
城(天守等)の写真も路上の絵に近いものを探してみたのですが、絵には描けても実際にはその角度での写真を撮るのは難しいし、写真を撮
った後でデザインタイルを見かけたり、また先に見ていた場合でも写真を撮っているときは頭の中にタイルのことはありませんので・・・
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◇ 高知城 (日本100名城・現存天守)                               平成23年(2011)8月9日撮影
     設置場所:高知県高知市 高知城追手門付近
     撮影月日:平成24年(2012)8月9日


 
◇ 備中松山城 (日本100名城・現存天守)                             平成25年(2013)8月7日撮影
     設置場所:岡山県高梁市 高梁駅前通り
     撮影月日:平成25年(2013)8月7日


 
◇ 小田原城 (日本100名城・復興天守)                             平成22年(2010)11月15日撮影
     設置場所:神奈川県小田原市 詳細場所失念
     撮影月日:平成22年(2010)11月15日


 
◇ 忍城 (続日本100名城・模擬御三階櫓)                            平成29年(2017)11月12日撮影
     設置場所:埼玉県行田市 詳細場所失念
     撮影月日:平成29年(2017)11月12日