四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

空蝉

2023年07月31日 | 花・鳥・風景

日中の散歩は猛暑でとても無理。朝のうちにと出かけてみました。
散歩コースとなっている古木の桜並木がある川沿いの道。
「ミーンミンミンミンミンミー・・・」とセミの鳴き声が無数に聞こえます。これだけ鳴いているのに
蝉の姿が見えません。


やっと一匹見つけました。鳴き声の通り ミンミンゼミ のようです


すぐ下の枝には蝉の抜け殻が数個 そう「空蝉」です。
読んだことはありませんが、紫式部の『源氏物語』に「空蝉」という女性が登場するようです。
昔、片っ端から作品を読んだ某作家の作品の中にも「空蝉」という作品がありました。遠い昔のことな
ので話の内容は覚えていませんが・・・空蝉という言葉はこの時知ったのかも知れません。


散策日:令和5年(2023)7月31日(月)


探したら出てきました。上に書いた「空蝉」 
左:講談社(単行本)  昭和56年11月20日 第一刷  ¥980  (1981年)
左:講 談 社 文 庫   昭和59年11月15日 第一刷  ¥300  (1984年)
やはり男と女の話を書いた作品でした。

追記:8月1日(火)

世界遺産候補『彦根城』『飛鳥・藤原』選定見送り

2023年07月25日 | エトセトラ


世界遺産に対して知見がないのでどうのこうのとは言えませんが、現存12天守(国宝5天守)の城
として実質最初に訪問したのが彦根城でした。また、藤原京については行ったことはありませんが、
奈良文化財研究所(奈文研)の東京講演会において色々とお話を伺ったことがありますので興味あ
る記事です。
記事の中にもありますが、城郭としては既に姫路城が世界遺産になっていますので、それとの差別
化ということですが中々難しい問題でしょうね。

深谷グリーンパークのユリ 2023

2023年07月22日 | 花・鳥・風景


「深谷グリーンパーク パティオ」のユリの開花状況をHPで調べたのは1か月以上も前のこと。
  2023.6.9  球根の植え付けをしてから約2週間が経ち、高さ約15cm程に生長してきました!!!
と、あったことから開花は当分先だろうと、それ以降はユリのことはすっかり忘れていました。

昨日、突然に「深谷のユリは?」と聞かれ、すっかり忘れていたユリのことをパティオのHPで調べ
てみたところ、
  2023.7.16  現在、満開・見頃となっております。たくさんのお客様が来てくれています!
        みなさまもパティオのユリを見に来てくださいね♪  お早めに~!!!
  2023.7.19  先に咲き始めていたピンクが散り始めてきております。
        全体的に綺麗に見ていただけるのはあと2日くらいだと思います!
        みなさん早めに見に来てくださいね~~!!   お待ちしております♬
エー! ということは今日(21日)がその日だ。
ということで急遽行ってきましたが、確かにだいぶ散ってはいたもののまだまだ観られました。








































散策日:令和5年(2023)7月21日(金)

高坂館跡 再訪

2023年07月21日 | 100名城以外の城館跡


名 称:高坂館跡(たかさか やかたあと)
別 称:高坂城跡、高坂藩陣屋跡
遺 構:土塁、堀跡
選 定:埼玉県選定重要遺跡(名称:高坂館跡 昭和51年〔1976〕10月1日選定)
所在地:東松山市高坂834ほか 
 
高坂館跡を久しぶりに訪ねてきました。前回は平成27年(2015)2月のことでしたから約8年半ぶりという
ことになります。以前と特段変ったところはないようでしたが、数年前に市の教育委員会が土塁の前に説
明版を設置したようでしたので、それを見てこようとの単純な動機でした。
境内では猛暑の中を6人程の職人さんが剪定作業をしており、邪魔をしないようにと写真は控えめに・・・


    『高坂館跡』前回訪問時の投稿



高済寺本堂




高坂館跡説明版  ※金属製のため読みづらいので下に転記します
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
埼玉県選定重要遺跡  高坂館跡
高坂館跡は高坂氏の居館として南北朝時代に造られました。近年の発掘調査で、現在地の南にある高坂二番町遺
跡(現・子育て支援センターマーレ周辺)から、高坂氏が活躍した時期(十四世紀前半)のかわらけや輸入陶磁
器が出土し、当時の館の中心はもっと南にあった可能性があります。
現存する土塁や堀は、『鎌倉大日記』に伊勢宗瑞(北条早雲・明応の政変に際し明応三〈一四九四〉年に在陣)が、
『正法寺文書』に北条氏康(松山城攻めに際し永禄五〈一五六二〉年に在陣)がそれぞれ在陣したとの記述がある
や、発掘調査で土塁や堀を改修した痕跡が見つかったことから、戦国期に整備されたものと推定されます。
館というよりも”城”のような規模になっていた「高坂館跡」は、戦国期の激しい動乱を今に伝える貴重な遺跡です。
【館の規模 南北二三〇m・東西一七〇m 土塁頂部と堀底の比高差八m】
 平成三十一年三月                            東松山市教育委員会

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------



高済寺本堂の西側にある土塁 実際にはもっと延びていたようですが道路によって消滅しています。




土塁西側の堀跡 木が伐採されていました。右上に「加賀爪氏累代の墓」が見えます。




土塁上を北方から南方に見ています。土塁上にあった木はすべて伐採されています。たくさんの土嚢が置
かれていますが地盤が緩んでしまったのでしょうか?




土塁の北端にある「加賀爪氏累代の墓」(埼玉県指定旧跡 昭和38年〔1963〕8月27日指定)
前回の訪問時は周囲が木立になっていましたが伐採されていました。墓所の右端に建立されていた石灯篭
もなぜか地輪のみになっていますし、やはり以前は見ることのなかった土嚢が積まれているのもなぜか違
和感が。


訪問日:令和5年(2023)7月19日(水)

第26回坂戸市埋蔵文化財出土品展「大古墳展 ~越辺川中流域の古墳の文化~」 

2023年07月20日 | 企画展・見学会


第26回 坂戸市埋蔵文化財出土品展
   大古墳展 ~越辺川中流域の古墳の文化~ 
 期間:令和5年7月19日(水)から令和5年7月25日(火)まで 
 場所:坂戸市文化会館ふれあ 2階ギャラリー (坂戸市元町17-1)

を見学してきました。

今年度の出土品展は、「大古墳展」として市内で出土した古墳時代の優品を一同に展示。
県内初となる武具のセットや、全国初となる円形文様が刻まれた大刀、蛇行剣など豊富な副葬品が出土し
た「入西石塚古墳出土品」は全点そろえて初公開。

展示は次のように構成されています。
 1 古墳時代の幕開け
 2 古墳時代中期後半の開発
 3 初期群集墳
 4・5 善能寺古墳群
 6 初期群集墳(大河原古墳群)
 7 入西石塚古墳副葬品の発見
 8 開発拡大と新興集落の出現
 9 前方後円墳の出現
 10 形象埴輪の時代(1)
 11 形象埴輪の時代(2)
 12 再開発と律令国家の胎動
 13 終末期群集墳と大型古墳

写真撮影を許可されていましたので撮らせていただいた中から何枚かを載せておきます。




1 古墳時代の幕開け
    長岡遺跡の出土品




越辺川中流域の古墳の方形周溝墓について




2 古墳時代中期後半の開発
3 初期群集墳(三福寺古墳群)
    



4・5 善能寺古墳群
      善能寺5号墳から出土の 円筒 剣 太刀




東松山市東耕地3号墳出土短甲




5 初期群集墳(善能寺古墳群)
    善能寺12号墳から出土の 円筒




6 初期群集墳(大河原古墳群)
    出土品の 土師器 須恵器




7 入西石塚古墳副葬品の発見
    入西石塚古墳出土の  珠紋鏡(左)  四乳区画紋鏡(右)




7 入西石塚古墳副葬品の発見
    入西石塚古墳出土の  蛇行剣




7 入西石塚古墳副葬品の発見
    入西石塚古墳出土の  平根鏃




10 形象埴輪の時代(1)
     人物埴輪




11 形象埴輪の時代(2)
     北峰古墳群出土の 人物埴輪など




北峰古墳群出土の 形象埴輪




ギャラリー内の模様の一部 以上はAギャラリー




Bギャラリー展示品の一部




観覧受付の際に頂いた資料

見学日:令和5年(2023)7月19日(水)

埼玉県指定旧跡について 3⃣

2023年07月19日 | 史跡・遺跡・文化財


埼玉県指定旧跡は80件あり、うち39件については訪問済ですが、未訪問の41件は次の通りです。
名称と所在地市町名のみを記載しておきます。


・小谷場貝塚(川口市)・赤山城跡(川口市)・見性院の墓(さいたま市緑区)・権田直助生地(毛呂山町)
・岡登景能生地(本庄市)・栗橋関跡(久喜市)・小島庄右衛門の墓(春日部市)・阿久原牧跡(神川町)
・川俣関所跡(羽生市)・秩父道志るべ(熊谷市)・三峰施宿供養塔(秩父市)・小谷三志居宅(鳩ヶ谷市)
・吉田市右衛門墓(熊谷市)・秩父絹発祥地 城谷沢の井(横瀬町)・根岸友山墓(熊谷市)
・奥貫友山墓(川越市)・斎藤義彦墓(小鹿野町)・福島東雄墓(鴻巣市)・神道無念流戸賀崎氏練武遺跡(久喜市)
・万葉遺跡 占肩の鹿貝塚(川越市)・万葉遺跡 葛飾早稲産地(三郷市)・田代三喜生地(越生町)
・渋江鋳金遺跡(さいたま市岩槻区)・森玄黄斎墓(小鹿野町)・中島孝昌墓(川越市)・高山繁文墓(川越市)
・梵語学者盛典墓(桶川市)・元杢綱夫妻の墓(嵐山町)・寿能城跡(さいたま市大宮区)
・三富開拓地割遺跡(所沢市・三芳町)・普寛行者生地(秩父市)・旧利根川堰堤跡(加須市)・井上如常墓(秩父市)
・飯倉御厨跡(本庄市)・影森用水(秩父市)・平田篤胤仮寓跡(越谷市)・川俣締切跡(羽生市)
・安行苗木開発の祖吉田権之丞の墓(川口市)・忍領石標(熊谷市)・日下部博貞墓(寄居町)・江ヶ崎城跡(蓮田市)

なお、これら80件の指定旧跡の中で最も多かったのが、墓・供養塔類で約25件 次が城館陣屋跡で約14件 万葉
遺跡が約7件と続きます。
約としたのはそれぞれ微妙なところがあり、とりあえずはここに分類しておこうとしたためです。他についても
形態が多岐にわたり複雑なため分類が難しいので敢えて数は載せないでおきます。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 金窪館跡   



所在地:児玉郡上里町金久保1626-4ほか
指定日:昭和10年(1935)3月31日  指定替:昭和37年(1962)10月1日
概 要:治承年間築城と伝える。新田義貞の臣、畑時能等の居館。
   ※石碑の建つところに残る土塁くらいしか遺構はありません。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 山口城跡   



所在地:所沢市山口1517ほか
指定日:昭和17年(1942)3月31日  指定替:昭和37年(1962)10月1日
概 要:武蔵七党の一つである村山党の一支族、山口氏の居館跡。
   ※山口氏は、平高望を祖とする桓武平氏の流れを汲み、平良文の後裔です。平成12年(2000)になり商
     業地として開発されることとなり、当初は遺構を取り壊して完全に整地される計画でしたが、遺構の保
     存を求める運動が起こされ、商業地として開発される敷地のうち一部が整備されて保存されることにな
     りました。現在は城跡であった部分の殆どは整地されて商業施設となっており、保存運動によって残存
     した土塁や空堀のごく一部分が保存されているにすぎません。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 中山家範館跡   



所在地:飯能市中山496-2ほか
指定日:大正13年(1938)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:天正の頃、中山勘解由左衛門家範の居館跡。
   ※戦後までは北堀及び西堀の一部が残されていたようですが、宅地化が進んだ現在は写真のように空堀が
     北西部隅に僅かに残されるのみです。傍らに説明版と石碑が建っていますが、石碑には「中山家範館跡
     大正十三年三月三十一日 埼玉県指定史跡」と刻まれています。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 黒川丹波守正直墓   1基 



所在地:坂戸市石井2332 大智寺
指定日:昭和5年(1930)3月日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:五輪塔、高さ約3m。県内に領地を持ち、長崎奉行・大目付を歴任した旗本黒川正直(延
    宝8年5月没)の墓。
   ※大智寺の墓地内にあります。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 加賀爪氏累代墓   6基 



所在地:東松山市高坂834 高済寺
指定日:大正13年(1924)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:宝篋印塔。加賀爪政尚、同夫人、その子直澄等の墓。
   ※高坂館跡である高済寺の本堂の左手の土塁上に加賀爪氏累代の墓があります。高済寺は埼玉県選定重要
     遺跡に選定されていますが、山門前に「埼玉県指定旧跡加賀爪氏累代墓」の標柱が建っていることから
     混同して、「高坂館跡」を埼玉県指定旧跡と勘違いしている方が見受けられます。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 畑時能供養祠   1基 



所在地:児玉郡上里町金久保701 陽雲寺
指定日:昭和5年(1930)3月27日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:供養塔。時能は秩父出身の武将。新田義貞軍に従ってしばしば軍功があった。延元4年戦死。
   ※陽雲寺(金窪南城)の参道脇に建立されています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  猪俣小平六墓   1基



所在地:児玉郡美里町猪俣1575 高台院
指定日:大正13年(1924)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:五輪塔。小平六は、猪俣党、猪俣時範四代の子孫。建久3年没。
   ※墓は一族と共に高台院の一隅にあります。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  荘小太郎頼家供養塔   1基



所在地:本庄市栗崎155 宥勝寺
指定日:大正14年(1925)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:五輪塔。荘小太郎は、武蔵七党の児玉党から出た荘太郎家長の子で、一の谷合戦で戦死。
   ※荘小太郎頼家供養塔は宥勝寺本堂西北の墓地内にあります。元は「荘小太郎頼家の墓」としていたよ
     うですが、平成8年(1996)3月27日に「荘小太郎頼家供養塔 」に名称変更されたものと考えます。
     墓と呼ぶには無理があったのかもしれませんね


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  榛沢六郎供養塔   1基



所在地:深谷市後榛沢437
指定日:大正14年(1925)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:榛沢六郎供養塔 元久2年、二俣川で戦死。供養塔は享保7年建立。銘「奉建立石塔為成
    清菩提也」
   ※榛沢六郎の母は武蔵武士の鑑と言われた畠山重忠の乳母であり、成清と重忠とは乳兄弟になります。
     成清は重忠に従い重臣として重忠を守り、二俣川で重忠ととにも討ち死にしています。
     榛沢六郎供養塔と言われるものは、鳥居の間に見える社(覆屋)の中に祀られている自然石(かろう
     じて成清の文字が読める)と私は理解しているのですが、この社(覆屋)の横にある五輪塔を 榛沢六
     郎供養塔として紹介しているサイトが複数ありますがどちらが正しいのでしょうか?


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  忍城跡  



所在地:行田市本丸634-1
指定日:昭和16年(1941)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:15 世紀後半、成田顕泰の築城と伝える。廃藩置県と同時に廃城。土塁の一部が残存。
   ※豊臣方石田三成の水攻めでも有名な忍城跡は関東七名城にも数えられ、続日本100名城にも選定された
     城跡で、城址公園としては立派なものです。しかし、再建された御三階櫓(市立博物館)は模擬櫓で
     あり、建っている位置も本来の場所とは異なり、鐘楼においてもしかりで、文化財的価値としてみると
     評価が低くななってしまうかなと、あくまでも私見ですが。
     なお、近年では平成29年(2017)4月28日に、「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」が『
     日本遺産』に認定されましたがこの構成資産の一つに忍城跡が含まれています。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  上杉憲英墓   1基



所在地:深谷市国済寺521 国済寺
指定日:昭和10年(1935)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:宝篋印塔、高さ1.7m。応永11年銘。憲英は庁鼻和城に住す、庁鼻和上杉氏の祖。応永 11年没。
   ※中央の覆屋にあるのが上杉憲英の墓。手前には、深谷上杉氏一族の墓が並んでいます。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  板石塔婆石材採掘遺跡墓   



所在地:秩父郡長瀞町上下郷1082
指定日:昭和22年(1947)3月31日  指定替:昭和38年(1963)8月27日
概 要:主として板石塔婆の材料として用いられた緑泥石片岩、雲母岩等の原産地。
   ※関東地方の板碑は、そのほとんどがここの石材が使われたとされて来ましたが、小川町の「下里・青山
     板碑製作遺跡」(国指定史跡)が表面化したことで、この説は見直しされ始めています(私見)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡  渋沢栄一生地   



所在地:深谷市血洗島247-2
指定日:昭和26年(1951)3月31日  指定替:昭和58年(1983)3月22日
概 要:わが国財界の偉人、渋沢栄一(天保 11 ~昭和6年)の生地。
   ※旧渋沢邸「中の家(なかんち)」。現在の主屋は、渋沢栄一の妹夫妻が明治28年上棟した建物で、栄一
     が帰郷した際に滞在し、寝泊まりした場所です。


なお、これら旧跡の写真は古い写真(13年前~2年前のもの)を使っていますので、中には現況と
は違うものがあるかもしれません。
                                      〈了〉

埼玉県指定旧跡について 2⃣

2023年07月18日 | 史跡・遺跡・文化財


埼玉県の指定文化財の見直しによって80件が『旧跡』に指定替えされたことは1⃣で説明したとおりです。
今回は指定替えの年月日について記したいと思います。
   昭和36年(1961) 9月1日  53件
   昭和37年(1962)10月1日 10件
   昭和38年(1963)8月27日 15件
   昭和39年(1964)5月1日  1件
   昭和58年(1983)3月22日  1件
で、昭和36年~38年の3年間で見直し指定替えがほぼ終えたようです。
これら指定替えによって『旧跡』に変わった80件のなかで元の指定年月日が最も新しいものは昭和38年(1963)
8月27日に『旧跡』に指定替えになった「安行苗木開発の祖吉田権之丞の墓」(川口市)の昭和33年(1958)
3月20日が最も新しいものとなります(自身は未訪問)
つまり、この昭和33年(1958)3月21日以降に何らかの埼玉県文化財指定を受けたもの中からは『旧跡』への指定
替えになっていないことになります。裏を返せばそれなりの条件を満たしているものを史跡指定しているからであ
ろうと推察する次第です。いずれにしろこの埼玉県の指定旧跡というのは特殊なものと言えます。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 岡部藩陣屋跡 



所在地:深谷市岡部1201 (旧・岡部町)
指定日:昭和13年(1938)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:幕末の兵学者でわが国近代砲術の祖、高島秋帆が讒訴され、一時幽閉されたところ。
   ※元今川家家臣で後に徳川家康に仕えた安部信勝が5200石を領し、武蔵国榛沢郡岡部(現在の深谷市・
     旧岡部町)に構えた陣屋跡で今は跡形もない。写真は高島秋帆が讒訴され、一時幽閉された場所で陣屋
     跡の一角で「高島秋帆幽閉の地」の石碑と説明板が建っています。
     平成8年(1996)3月19日、指定名称が「高島秋帆幽囚地」から「岡部藩陣屋跡」に変更された。
    

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 太田資康 詩歌会跡 



所在地:比企郡嵐山町平沢
指定日:大正15年(1926)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:上杉定正を討とうとして、道灌の子資康がこの地に布陣した折、禅僧万里集九とここに詩
    歌会を催したと伝える。
   ※資康は、父の仇敵上杉定正を討つべく平澤に布陣したという。資康の父道灌の友であった詩歌の大家で元京都
     相国寺の僧、漆桶萬里集九は、はるばるこの地を訪れた萬里が陣中に36日滞在したとき、資康は、萬里のために
     送別の詩歌会を敵と対峙しながらここ白山神社で催した。
     写真は現在の白山神社と太田資康 詩歌会跡史跡の石碑ですが、同神社は平澤寺の鎮守として祀られていたとされ
     ます。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 伝箕田館跡 



所在地:鴻巣市箕田
指定日:昭和16年(1941)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:平安時代の館跡。箕田武蔵守源仕の居城と伝わる。
   ※この氷川・八幡神社、さらにこの裏にある宝持寺、北方にある円墳箕田二号墳あたりにかけて箕田源氏
     と言われる源仕の居館があったと伝わるも遺構はなく場所も定かではありません。
     宝持寺は渡邊綱が祖父源仕・父源宛の菩提を弔うために建立した寺で、嵯峨源氏顕彰会、全国渡辺(部)
     会の方々によって嵯峨源氏供養塔が建立されています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 万葉遺跡 伝大伴部真足女遺跡 



所在地:児玉郡美里町広木 1300
指定日:昭和17年(1942)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:万葉歌人大伴部真足女の居住地と伝える。万葉集巻 20「枕太刀腰にとりはきまかなしきせ
    ろがまきこむ月のしらなく」の関連遺跡。
   ※広木地区にある掘形の田畑に囲まれた90メートル四方の遺跡で、檜前舎人石前(ひのくまのとねりとねりい
     わさき)
の館跡といわれています。真足女は檜前舎人石前の妻であり防人として九州に赴く夫に歌を寄せ
    ています。『歌碑』には  
         まくら太刀腰にとりはき 万かなしきせろかまきこむ 月のしらなく
    原文は萬葉集巻20-4413
         麻久良多之 己志尓等里波伎 麻可奈之伎 西呂我馬伎己無 都久乃之良奈久

 
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 万葉遺跡 防人藤原部等母磨遺跡 



所在地:行田市藤原町 1-27-2
指定日:昭和18年(1943)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:万葉集巻 20「足柄の御坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも」「色深くせなが
    衣は染めましを御坂たばらばまさやかに見む」に関連の遺跡。
   ※この歌碑は八幡山公園内の八幡山古墳に隣接して建てられ ています。行田市の若小玉地区にある春日
     神社、大御田等の地名等から、この地を藤原部等母麿の遺跡と考察し、この場所に歌碑を建立したとの
     ことです。確かにここは藤原町ですが?

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 万葉遺跡 古河渡 



所在地:加須市向古河 (旧・北川辺町)
指定日:昭和19年(194)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:万葉集巻 11「まくらがの古河の渡りのから梶の音高しもな寝なへ子ゆゑに」ほか2首に
    関連の遺跡。
   ※旧北川辺町と茨城県古河市を結ぶ《三国橋》の下を流れるのが渡良瀬川で、このあたりが『万葉集』に
     も詠まれた「許我(こが)の渡」に比定されるようです。
     そんなことから渡良瀬川の両側である古河市と加須市(旧北川辺町)双方に古河の渡しを詠んだ万葉歌
     碑が建立され、加須市側は渡良瀬川の堤防下にある鷲神社境内に歌碑が建立されています。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 諏訪神社奉祀跡 



所在地:比企郡小川町奈良梨806ほか
指定日:昭和21年(1946)3月29日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:小田原北条氏滅亡後、諏訪頼忠が当地に移された際に建てたと伝わる。
   ※鎌倉街道上道の延長線沿いにあり、後北条氏の滅亡後、徳川家康の家臣団の知行割で武蔵国奈良梨は
     諏訪頼忠・頼水父子(諏訪大社上社の大祝家)の領地となりましたが、頼忠は旧領の諏訪(長野県)か
     ら諏訪社を勧請しました。この地は今でも「天王原」と呼ばれて、諏訪社の跡地とされるこの場所には
     小さな石宮が建てられています。現在でも毎年10月の八和田神社の祭礼では、この地に神輿が渡御しま
     す。なお、八幡神社は諏訪氏の陣屋があった場所とされています。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 万葉遺跡 浅羽野 



所在地:坂戸市浅羽町2-2
指定日:昭和22年(194)3月25日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:万葉集巻 11「紅の浅羽の野らに刈るかやの束の間もわれ忘らすな」の関連遺跡。
   ※万葉集巻11‐2763の歌にある「浅葉の野」とは、現在の坂戸市浅羽とされています。他に静岡県浅羽町、
     長野県本郷村などの候補地があるものの、ここ坂戸市の浅羽を指すとの説が定説になってきているよう
     です。その歌碑が土屋神社の裏にある土屋公園内に建立されています。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 奥原晴湖墓  1 基



所在地:熊谷市上之336 龍淵寺
指定日:昭和23年(19468)3月17日  指定替:昭 36年(1961)9月1日
概 要:奥原晴湖は明治時代の南画家。大正2年没。
   ※成田氏の菩提寺ということで龍淵寺を参詣した際にたまたま奥原晴湖墓を見つけましたが、女史につ
     いての知識は全くありませんでした。上川上村(現・熊谷市)に居を構えていたようです。
     後日、古河市を訪ねた際、鷹見泉石記念館内に奥原晴湖の画室「繍水草堂」が移築されているのを知り
     再び奥原晴湖の名に接したという思い出があります。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 横田柳几墓  1 基



所在地:鴻巣市本町8-2-31 勝願寺
指定日:昭和24年(1949)2月22日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:柳几は蕉風俳諧者。天明 8 年没。
   ※小松姫(真田信之室・本多忠勝の娘)の墓と、伊奈忠次・忠治らの墓を見るために勝願寺に行った際にたま
     たま見つけただけのことですが・・・

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 伝緑野寺旧跡  



所在地:児玉郡神川町新宿
指定日:昭和25年(1950)3月20日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:奈良時代の瓦出土。小字名から「城戸野廃寺」ともいわれている。
   ※昭和25年に「城戸野寺」の名称で埼玉県指定史跡になりました。その後の指定文化財見直しで、 昭和
     36年に「伝緑野寺旧跡」の名称で県指定旧跡に指定替になっています。現地の説明版に詳細が記されて
     います。また説明版の横にある石標には指定史跡時代の名残りである《縣指定史蹟城戸野寺阯》と刻ま
     れています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 伝山吹の里  



所在地:入間郡越生町西和田
指定日:昭和29年(1954)10月23日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:太田道灌の故事遺跡。「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」
   ※山吹の里を自称するところはここ越生町のほかにも東京都豊島区高田、同荒川区町屋、横浜市金沢区
     六浦にありますが、どこが逸話の山吹の里なのかは全くわかりません。
     それ以前に、この歌に歌われている逸話自体が不確かなようです。越生町と太田道灌との結びつきを考
     えれば、山吹の里は越生町にと言われれば・・・


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 伝範頼館跡   



所在地:比企郡吉見町御所146-1 息障院
指定日:大正14年(1925)3月31日  指定替:昭和37年(1962)10月1日
概 要:源範頼以下5代の居館と伝える。
   ※息障院一帯は、源頼朝の異母弟で蒲冠者こと源範頼の居館跡と伝わる。範頼没後はその子範円、為頼、
     義春、義世に至る5代がこの館跡に居住し、範円以降は吉見氏を称したと言います。


なお、これら旧跡の写真は古い写真(13年前~2年前のもの)を使っていますので、中には現況と
は違うものがあるかもしれません。
       

埼玉県指定旧跡について 1⃣

2023年07月17日 | 史跡・遺跡・文化財


「文化財とは」・「指定文化財とは」について書くと長くなってしまいますので省きますが、指定文化財の区分
のひとつに【記念物】があります。この【記念物】の種類として、『史跡』、『名勝』、『天然記念物』等があ
り、国や各自治体は概ねこの名称で文化財指定しているようです。埼玉県において、この【記念物】の種類の中
に『旧跡』というものがあります。関東各県についても簡単に調べた範囲では埼玉県以外は東京都にも『旧跡』
がありますが、埼玉県の『旧跡』とは趣旨が若干異なるようです。
今回はその『埼玉県指定旧跡』について紹介をしたいと思います。
現在、埼玉県指定旧跡は80件ありますが、新規の指定文化財として指定された『旧跡』は1件もありません。
これはどういうことななかと言いますと、戦後の文化財保護法制定や埼玉県の文化財保護条例の制定過程の中で、
過去に指定された文化財を見直し、(史跡の)範囲を定めにくいものや、歴史的な実証性が確認できないが地域
で守り伝えられているもの等を史跡に準ずる「旧跡」という埼玉県独自の種別を設けたもので、指定文化財(全
部もしくはその大半が指定史跡)から旧跡に指定替えされたというものです。上の方で新規の指定文化財として
指定された『旧跡』は1件もないと記したのは、旧跡は新たに指定のもでなく、指定替えであるというこうした
理由からなのです。
確かなことはわかりませんが、この見直しにおいて指定そのものを取り消されて旧跡にもならなかったものも数
件はあるようです。確証がありませんからどこの何かは言えませんが某所の某跡はその例のように感じられます。
こう書くと語弊があるかもしれませんし、関係者からお𠮟りを受けるかもしれませんが、例えとするなら見直し
で、Aクラス(史跡)とBクラス(旧跡)に仕分けしたようなものでしょうか。また、これも失礼な表現になりま
すが、先入観を持って見るせいか史跡に比べると旧跡は全部とは言いませんが見劣りする気がします。
自身においてはそれ目的で訪ねた或いは他の史跡等訪問時にたまたま遭遇したものを含めて現在まで39件の旧跡
を見てきましたのでそれらを紹介したいと思います。
旧跡の【概要】については埼玉県」(教育委員会)のHPに紹介されているものを引用させて頂きました。また、
必要の応じて管理人の補足説明を付記しました(※部分)

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 秩父氏館跡 



所在地:秩父市吉田 3833 (旧・吉田町)
指定日:大正13年(1924)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:坂東八平氏の一族、秩父氏代々の居館。
   ※館跡とされる所には秩父市立吉田小学校が建てられていますが、遺構はありません。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 蕨城跡 



所在地:蕨市中央 4-21 ほか
指定日:大正14年(1925)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:足利氏の一支族渋川氏の居城。大永年間扇谷上杉氏が改築。
   ※南北朝時代に足利将軍家一族の渋川義行によって築城されとされます。大永4年(1524)北条氏綱によ
     り攻められ、破壊されたと言われる。江戸時代になると徳川家康が鷹狩用の御殿として城跡を利用した
     といわれるが、現在は蕨城址公園となっています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 堀兼の井 



所在地:狭山市堀 兼2220
指定日:大正14年(1925)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:武蔵野の高燥台地の漏斗状井戸跡。
   ※堀兼神社の敷地内にあります。「ほりかねの井」の一つと考えられていますが、これを事実とすると、
     掘られた年代は平安時代までさかのぼる。直径7.2メートル、深さ1.9メートルの井戸の中央には石組の
     井桁があります。
 

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 太田道真退隠地 



所在地:入間郡越生町小杉字 陣屋
指定日:昭和3年(1928)3月29日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:太田道灌の父道真の退隠後の居館「自得軒」の跡地。道真は明応元年没。
   ※太田道真の居館である「自得軒」は越生町小杉の健康寺の傍らと推定される。この石碑は健康寺に建立
     されています。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 難波田氏館跡 



所在地:富士見市下南 畑 598 ほか
指定日:昭和3年(1928)3月29日  指定替:昭和 36年(1961)9月1日
概 要:武蔵七党の一つ、村山党に属する難波田氏の館跡。
   ※難波田城公園として整備され、城跡を復原した「城跡ゾーン」があるが現代の作りのためお城マニアに
     は違和感があります。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 苦林野古戦場 



所在地:入間郡毛呂山町川角2239 ほか
指定日:昭和7年(1928)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:足利基氏・芳賀禅可の合戦場、太田道灌・長尾景春方矢野兵庫助の合戦場。
   ※このあたり一帯が古戦場と推定されます。付近にある苦林古墳(大類1号墳)の墳頂に苦林野古戦場之
     遺跡碑、苦林野合戦供養塔が建立されています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 仙覚律師遺跡 



所在地:比企郡小川町大塚中 城351 ほか
指定日:昭和2年(1927)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:『万葉集註釈』を著した僧仙覚律師が文永年中にここに仮居するとも、猿尾太郎種直の居
    城であるとも伝える。
   ※小川盆地内の東西にのびる八幡台と呼ばれる台地の東端部に立地する中城跡にあり、石碑の撰文は国文
     学者で万葉集研究者の第一人者である佐々木信綱による。中条跡は小川町指定史跡となっています。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 和銅採掘遺跡 



所在地:秩父市黒谷1918
指定日:大正11年(1922)3月29日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:慶雲 5 年秩父郡が初めて和銅を奉り、これをもって改元し「和銅」とした、その銅産出
    伝承の地。
   ※日本最古の貨幣とされている「和同開珎」の原材料となった銅が採掘された露天掘り跡はこの巨大な
     モニュメントの右方の斜面にあります。和銅遺跡見学者用の駐車場からここまでは徒歩でしか行けま
     せん。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 さらし井 



所在地:児玉郡美里町広木字曝井 1407
指定日:大正15年(1926)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:朝貢絹布をさらした井戸と伝える万葉遺跡。万葉集巻9「三栗の那賀に向える曝井の絶え
    ず通はむそこに妻もが」の関連遺跡。
   ※岩石で組まれた井戸。石組みの切れたところから湧水は練木川に流れ込むようです。さらし井の周りに
     は複数の石碑(歌碑など)が建立されています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 深谷城跡 



所在地:深谷市仲町・本住町・田谷町
指定日:大正13年(1924)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:平城。康正年間に上杉房憲が築城したと伝える。寛永 11 年廃城。
   ※城跡は「深谷城址公園」として整備され石垣と狭間のある白壁が廻らされていますが、これは模擬建造
     物であって、実際の深谷城とは大きくかけ離れているようです。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

◇ 埼玉県指定旧跡 万葉遺跡 小埼沼 



所在地:行田市埼玉尾崎通2636
指定日:大正14年(1925)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:「埼玉の津」万葉遺跡。「埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね」
    「埼玉の小埼の沼に鴨ぞ翼きる己が尾に零り置ける霜を掃ふとならし」
   ※上記歌にある「埼玉の小埼」の場所の比定地されてたものですが、現地説明板には、「残念ながら、
     現在ではこの池が埋没したローム台地上に位置していることが判明しており、かつて「埼玉の津」で
     あった可能性は極めて低いものと考えられる」とあります。
     正直、遺跡と呼ばれるものの中にはこうした類いのものが少なからずあるようです。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 女影原古戦場 



所在地:日高市女影
指定日:昭和10年(1935)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:交通の要路にあたり、建武2年の北条時行と足利直義との合戦場(中先代の乱)と伝わる。
   ※女影原の合戦の場となったのが、現在の霞野神社周辺と言われております。「史蹟 女影原古戦場趾
     埼玉縣」と刻まれた石標は霞野神社社殿横の道路沿いに建立されています。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定旧跡 小手指原古戦場場 



所在地:所沢市北野2-12-4( 碑の所在地)
指定日:昭和11年(1936)3月31日  指定替:昭和36年(1961)9月1日
概 要:越後上州方面から鎌倉への交通路にあたり、新田、足利の対立をはじめとする幾多の戦場
    として知られる。
   ※鎌倉街道上道沿いにある小手指ヶ原古戦場は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけてしばしば合戦が展開
     されたところです。この写真には写っていませんが写真の左方向に新田義貞の軍が陣を構えて白旗を立
     てたと伝わる白旗塚があります。

なお、これら旧跡の写真は古い写真(13年前~2年前のもの)を使っていますので、中には現況と
は違うものがあるかもしれません。

行田 日本遺産取り消しのおそれ!

2023年07月15日 | エトセトラ

【上掲記事の続き】
見直し後の計画も不十分と判断されれば、最悪の場合、認定が取り消される。
行田邦子市長は「過去の事業を検証し、認定継続に向けて最大限努力する」とのコメントを出した。
市は今秋までに計画を修正して再提出する。
日本遺産は、地域の特色ある有形・無形の文化財に日本の文化・伝統を物語るストーリーを与え、その
有効活用を通じて地域振興に結び付けようと、同庁が2015年から行っている取り組み。「足袋蔵のまち
行田」は17年に認定された。
行田は江戸時代から足袋の生産地で、最盛期には国内の約8割を生産。足袋蔵や店舗などが数多く残り、
埼玉さきたま 古墳群などを加えた45件が日本遺産を構成している。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
この報道を受けて心配になってきました。行田市はよくお邪魔しているまちですし、個人的にではなく
講座という場ではありましたが、行田市の日本遺産の申請に携わった方から認定に至るまでの苦労話等
をお聞きしていただけに取り消しにならず継続されることを願っています。(私には何もできませんが)

文化庁の「日本遺産(Japan Heritage)」の認定制度が始まったのは平成27年度(2015年度)からです。
行田市では平成27年度から市単独で日本遺産の申請を行いましたが認定には至りませんでした。視点を
変えたり構成資産を増やしたりしてストーリーも構成し直したり、文化庁の指導を仰いだりし、3度目
の申請である「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」で『日本遺産』の認定を受けました。
実は県内の他の市町でも日本遺産の申請を何度も行っているのですが、認定されないため表に出ること
がほとんどありません。
一ヶ年度の申請数は80件前後あり、日本遺産として認定をされるのは毎年10数件でしかありません。
今回の報道で知ったわけですが、日本遺産に認定されてもされっぱなしではなく認定継続の審査がある
ということです。
では、埼玉県内の自治体がこれまでにどれだけ日本遺産の申請をしているのかをさかのぼって拾い出し
てみました。1市単独のものもあれは数市町、さらに他県の市町村と組んでといったものもあります。
関係市区町が多数に及んでいる場合は県内から参加の市名を( )書きにしておきました。

平成27年度(2015年度)
 《申請者(自治体名)》       《ストーリーのタイトル》
 埼玉県 行田市           東国歴史フィールドミュージアム

平成28年度(2016年度)
 埼玉県 行田市           忍の水物語~“浮き城”と呼ばれた忍城と足袋のまち行田~
 埼玉県 春日部市以下8市町     埼玉県東部地域の水路と水田文化―葛西用水路と周辺水路・水辺の歴史の生き証人―
 埼玉県 川越市・新座市・三芳町   武蔵野を拓く! 江戸に最も近い川越藩の挑戦

平成29年度(2017年度)
 栃木県以下4県下6市町(加須市)   田中正造翁が問う「真の文明」によって守られるヨシ原/渡良瀬遊水地
 栃木県以下3県下3市(深谷市)    煉瓦窯が薫る宿場町 ~煉瓦窯と日光街道古河宿野木宿・中山道深谷宿~
 埼玉県 行田市           和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田  「日本遺産」に認定
 埼玉県 川越市・新座市・三芳町   「知恵伊豆」のレガシー 武蔵野の景観を一変させた川越藩主・松平伊豆守信綱
 埼玉県 川越市           城下町川越のモダニズム~「あたらしものずき」川越人が生み出したもの~

平成30年度(2018年度)
 栃木県以下4県下6市町(加須市)   水を克服し,水との生き方を選んだ人々の知恵が生きる 本州最大の湿原渡良瀬遊水地
 埼玉県 川越市           「火廼要慎」の心が息づくまち ~時の鐘が語る城下町川越~
 岐阜県以下13都県29市区町(草加市)  芭蕉が残した自然観・風景観~時代を超えて詠われた地

令和元年度(2019年度
 岐阜県以下14都県下32市区町(草加市)   日本を楽しむテキスト『おくのほそ道』 ~日本人の美意識を磨く旅~

令和2年度(2020年度)
 岐阜県以下14都県下38市区町(草加市)   時間と空間を超えた『おくのほそ道』の旅 ~不易流行の世界へ~

認定されなかったからって、一度の申請であきらめることなく視点を変えたりして再度、再々度の申請をしているのが分かります。

埼玉県指定史跡について 4⃣

2023年07月13日 | 史跡・遺跡・文化財


埼玉県指定史跡について その4です(最終章)
【概要】についtては埼玉県(教育委員会)のHPで紹介されているものを引用させていただきまし
た。※は管理人の補足

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 長坂聖天塚古墳 1基



所在地:児玉郡美里町関2044-1
指定日:昭和50年(1975)3月31日
概 要:墳時代の円墳。直径 50m、高さ5m、墳頂に6か所の埋葬施設。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 金崎古墳群  4基 

所在地:秩父郡皆野町金崎2-1ほか
指定日:昭和51年(1976)3月30日
概 要:古墳後期の群集墳(円墳)。無袖式横穴式石室を含む4基が現存する。



金崎古墳群 大堺3号墳
所在地:秩父郡皆野町金崎15
墳 形:円墳 
規 模:直径18m 横穴式石室



金崎古墳群 大堺1号墳
所在地:秩父郡皆野町金崎17-1
墳 形:円墳 
規 模:1号墳 直径16.5m 未開口
この大堺1号墳と3号墳は隣り合わせにあります



金崎古墳群 大堺2号墳
所在地:秩父郡皆野町金崎2-1
墳 形:円墳 
規 模:直径(推定)16m・(現存)6m、 高さ:3.6m 横穴式石室 現存石室長3.2m
この大堺2号墳は3号墳の北方やく80mのところにあります



金崎古墳群 天神塚古墳(別名:大堺4号墳)
所在地:秩父郡皆野町金崎110
墳 形:円墳 
規 模:直径:13m、 高さ:2m 横穴式石室:全長:7.6m 
この天神塚古墳は大堺3号墳の西南西やく360mにある金崎神社の横にあります

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 五厘沼窯跡群



所在地:比企郡滑川町羽尾4532-1ほか
指定日:昭和55年(1980)3月29日
概 要:五厘沼に臨む緩斜面にある登り窯。6世紀後半~7世紀初頭。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 甲山古墳  1基



所在地:熊谷市冑山11ほか (旧・大里町)
指定日:平成1年(1989)3月17日
概 要:直径約 90m、高さ 11.25m。円墳では県内第 2 位の大きさ。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 とうかん山古墳  1基



所在地:熊谷市箕輪99ー1ほか (旧・大里町)
指定日:平成1年(1989)3月17日
概 要:6世紀後半の築造。全長約 74m、高さ約7m の前方後円墳。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 天神山横穴墓群



所在地:比企郡滑川町福田3218-3ほか
指定日:平成3年(1961)3月15日
概 要:現在1基が開口。電気探査により 20数基の所在が確認されている。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 中宿古代倉庫群跡



所在地:深谷市岡字中宿3286-2ほか (旧・岡部町)
指定日:平成3年(1961)12月6日
概 要:7世紀末から10世紀にかけての大規模倉庫群跡。榛沢郡衙の正倉跡と推定。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 腰越城跡



所在地:比企郡小川町腰越字南城山2375ほか
指定日:平成4年(1962)3月11日
概 要:松山城の支城で、上田氏の領地大河原郷を守る拠点。上田氏重臣の山田氏の居城と伝える。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 鷺山古墳 1基



所在地:本庄市児玉町下浅見819-12ほか (旧・児玉町)
指定日:平成13年(2001)3月16日
概 要:県内最古、最大級の前方後方墳。畿内、東海地方の影響を受けた壺形土器が出土。北武
    蔵の初現期古墳。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 亀の原窯跡群



所在地:比企郡ときがわ町玉川字日野原880-1 (旧・玉川村)
指定日:平成13年(2001)3月16日
概 要:南比企窯跡群中の平安期の大規模な窯跡群。9基の瓦陶兼業窯跡が発見されており、武蔵
    国分寺と熊谷市寺内廃寺に瓦を供給していることが判明している。


-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 四ツ山城跡



所在地:比企郡小川町高見字四ツ山1125ほか
指定日:平成15年(2003)3月18日
概 要:比企地域の戦国期山城。両上杉氏の抗争と高見原合戦に係る城郭。
    ※小川町指定史跡の時の名称は「高見城跡」
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 大堀山館跡



所在地:川越市下広谷字牛原南332-1ほ
指定日:平成16年(2004)3月23日
概 要:伝鎌倉街道上道に隣接する県内最大級の方形館跡。三重の堀と土塁がめぐる。

-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
◇ 埼玉県指定史跡 宥勝寺裏埴輪窯跡 付 靫形埴輪 四点



所在地:本庄市北堀前山 2168ほか
指定日:平成21年(2009)3月17日
概 要:市教委による調査で、少なくとも5基の窯が良好な保存状態で確認されている。