四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

白鳥の歌

2012年01月29日 | 花・鳥・風景






3年前(2009年)の2月1日、ここ川本(現深谷市)の白鳥飛来地に白鳥の歌を聴きに行った。とても寒い日であったが、これが災いしてか体調をおかしくしてしまった。
以来、ここを訪れることはタブーとしていたが、本日某所に行ったついでに回り込んでみた。3年前と同じような寒い日である。いや、あの時よりも寒かったかもしれない。
3年前に訪れた時は沢山の白鳥が宿営していたが、今年(今日)はほんの僅かの白鳥の姿しか確認できなかった。
それでも何組かの方が白鳥見学に来ていた。大きなレンズを付けたカメラの三脚を抱えている方もいたが、その表情には期待外れだったという思いが読み取れたような。

予定外の白鳥飛来地散策であったが、いつも持ち歩いているコンデジで数枚だけ・・・  

散策日:2012年(平成24年)1月29日(日)           

岩槻城跡(埼玉県さいたま市)

2012年01月23日 | 100名城以外の城館跡




黒門(移築) 






裏門(移築)  

『 岩 槻 城 】

岩槻城は室町時代末に築かれた城郭です。築城者については太田道灌とする説、父の太田道真とする説、そして後に
忍城主となる成田氏とする説など様々です。16世紀の前半には太田氏が城主となっていましたが、永禄10年(1567
三舟山合戦(現千葉県富津市)で太田氏資が戦死すると小田原城の北条氏が直接支配するところとなりました。
北条氏は、天下統一を目指して関東への進出を図っていた豊臣秀吉と対立。やがて天正18年(1590)5月20日からの
豊臣方の総攻撃を受けた岩槻城は2日後の22日に落城してしまいました。同年、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼすと
徳川家康が江戸に入り、岩槻城も徳川の家臣高力清長が城主となりました。
江戸時代になると岩槻城は江戸北方の守りの要として重要視され、幕府要職の譜代大名の居城となりました。
室町時代から江戸時代まで続いた岩槻城でしたが、明治維新後に廃城となりました。城の建物は各地に移され
土地は払い下げられて、およそ400年の永きにわたって続いた岩槻城は終焉の時を迎えました。
岩槻城が築かれた場所は現在の市街地の東側で、元荒川の後背湿地に半島状に突き出た台地の上に、本丸、二の丸
三の丸などの主要郭が、沼地をはさんで北側に新正寺曲輪が、沼地をはさんだ南側に新曲輪がありました。主要部の西側は堀によって
区切られ、さらにその西側には武家屋敷や城下町が広がっていました。また城と城下町を囲むように大構が造られました。
城というと、一般的には石垣や天守閣がイメージされますが、岩槻城の場合、石垣は造られず、
土を掘って堀を造り、土を盛り上げて土塁を造るという、関東では一般的な城郭でした。
現在では城跡のなかでも南端の新曲輪・郷冶曲輪跡(現在の岩槻公園)が県史跡に指定されています。どちらの曲輪も
戦国時代末に北条氏によって造られた出丸で、土塁・空堀・馬出など中世城郭の遺構が良好に残されており、近年の
発掘調査では北条氏が得意とした築城術である障子堀が見つかっています。
                                          『岩槻城跡案内板』より  

岩槻市(現さいたま市岩槻区)太田を中心に築造された平城で、別名、白鶴城・浮城ともいう。
 
この岩槻城は、川越城、忍城と共に埼玉3名城と言われているようです。そんな岩槻城跡を攻めてみました。
攻めたと言っても時間帯が遅かったこともあり、広大な城跡を歩く余裕はなく、黒門と裏門を見てくるのが精一杯でしたので、機会を見て再攻城したいものです。

攻城日:2012年(平成24年)1月22日(日)          

権現堂堤の水仙

2012年01月22日 | 花・鳥・風景














桜の名所として知られている幸手市の権現堂堤で水仙が見頃を迎えているという話を耳にしましたので本日行ってみました。
気温こそ昨日よりは高かったようですが、どんよりした天候のせいか寒さは変わらずといったとこでしょうか。
そんな中、多くの人が群生する水仙を愛でに来ておりました。
春は桜と菜の花、夏は紫陽花、秋は曼珠沙華。そして、冬はこの水仙と四季折々の花を楽しませてくれるというこの権現堂堤を
訪れたのは今回が初めてでしたが、桜の時季にも訪れてみたいとそんな想いに・・・

四季折々の花を楽しませていただく裏には、権現堂堤を管理し守っている方々いてこそだということを忘れてはいけませんね。    

散策日:2012年(平成24年)1月22日(日)            

今夜のヒストリーは鉢形城

2012年01月18日 | 城郭関係テレビ番組




TBSテレビの番組に「ザ・今夜はヒストリー」というのがある。歴史上の出来事(戦国時代の戦いを扱ったものが多いようだが)を
再現映像を交え面白く解説してくれる。今夜は、”織田信長”の全てがわかるSPと題して19時から2時間に渡り放映された。内容は、
武田勝頼との長篠の戦いが主であったが、この再現場面に使われたのは日本100名城のひとつである「鉢形城」(埼玉県寄居町)であった。
実は今回に限らず、この鉢形城がロケに使われることが何度かある。そんなことから、今夜はどこを使ってロケをしたのだろうと別の楽しみもある。
これまでロケに使われたところで、私が見てすぐにわかったところでは、茨城県坂東市の「逆井城」、埼玉県富士見市の「難破田城公園」内の
旧大澤家住宅。それと埼玉県行田市の「忍城」(僅かしか見なかったので自信がないが)である。さて、次回は、「~徳川吉宗 将軍就任~」であるが、
果たしてどこをロケ地に・・・私の知っているところなら面白いが。
                                 
投稿日:2012年(平成24年)1月18日(水)           

山口城跡(埼玉・所沢市)

2012年01月15日 | 100名城以外の城館跡




市街地の中にある城跡・山口城跡(埼玉県所沢市山口)を訪ねてみました。
この山口城跡は、県道55号線(所沢武蔵村山立川線)の山口城址前交差点の一角にあります。  






この土塁を見ただけでは「残土の山」としか見えませんね。(1号土塁)  
  
1590年の小田原の役のあと、この城(館)は廃城になり、江戸期には敷地の大半は開拓されて畑地や住居、溜池などに転用され、更に、
明治以降に至っては道路や鉄道が建設されて遺構の大半が失われた。この僅かに残った遺構も商業地域として開発されることになったが、
保存運動等もあり現在いくらかの遺構(土塁・空堀)が残存している。
この残存区域は、フォッション市場サンキ所沢店の敷地となっているが、サンキさんの理解があって残存できたものでしょう。






これが2号土塁でしょうね。土塁の右側には西武線の線路が走っています。

現地に立てられた案内板(説明板)に記載されたものを転記しておきます。   

埼玉県指定旧跡  【 山口城跡 】
山口城は、平安時代末から鎌倉・室町時代にこの一帯を本拠とした武蔵武士の山口氏によって築かれました。
この場所は北に椿峰の丘陵がせまり、南は柳瀬川と、湿地に囲まれた要害の地で、西側には鎌倉街道が通っていました。
城跡の規模は東西約400メートル、南北約200メートルと推定され、埼玉県の旧跡に指定されています。
築かれた頃の大きさは不明ですが、戦乱の時代に館を囲む土塁(土手)や堀は徐々に広げられました。
室町時代の終わりには、複数の郭がつながった姿となりました。この城跡には石垣がなく、
土塁の上に木や竹の柵を造り、幅が広く深い堀をめぐらせて敵が入るのを防いでいました。
戦国時代の戦乱によって落城し、江戸時代に入ると城跡は畑や宅地として拓かれ、堀跡は溜め池に利用されました。
その後、道路や鉄道が開通し、元の姿は一部を除いて失われました。現在、周辺には「堀の内」、「城上」、
「梨の木戸」といった城跡に関係する地名が残されています。

【土塁と空堀】
現在、敷地内には3基の土塁があり、土塁の規模はそれぞれ異なりますが、
幅10メートル前後、長さ20~30メートル、高さ3メートル前後です。
第1号土塁と第2号土塁は互いに向かい合い、第3号土塁L時型で東側に張り出しています。
さらに発掘調査によって第1・2号土塁の間に南北方向に伸びる第4・5号土塁が新たに確認されました。
土塁の外側には堀がめぐり、上部幅約4メートル、底部幅約2メートル、深さ1.5~2メートルの逆台形で、
底から水が湧き出して沼地のような状態でした。これらの築造と掘削の年代は、戦国時代に入った頃と考えられます。
土手の下から永楽通宝が、堀跡の底近くからは木製の椀や塔婆が出土しています。

【郭・曲輪】
土塁に囲まれた内部は、東側より一段高く東西約20メートル、南北約32メートルの長方形の平地となっていました。
これを「くるわ」と呼び、何回か繰り返し整地を行っています。多数の柱穴や焼土とともに井戸跡6基が発見され、建物があったと
推測できます。また、鎌倉・室町時代の灯明皿や、常滑焼の壷や甕の破片、年号のわかる板碑等が出土しました。
                                           所沢市教育委員会   
   
攻城日:2012年(平成24年)1月15日(日)           

ふるさと祭り東京 日本のまつり・故郷の味2012

2012年01月07日 | まつり・イベント


本日7日(土)から15日(日)まで東京ドームで開催の「ふるさと祭り東京 日本のまつり・故郷の味2012」に、初日早々行って来ました。 




会場内は、ひと・人・ひとだらけ










今年も有料特別観覧席からお祭りひろばで行われる各地の祭りを見学
まずは青森県の「弘前ねぷたまつり」です。同じ青森県の「青森ねぶたまつり」は11日から
まつりと祭りの間の時間は、あちらこちらをふらふらと・・・  










高知・よさこい祭り「ほにや」さんの演舞
「ふるさと祭り東京」を見に来た目的の第一は、この「ほにや」さんの演舞を見るためでした。しかも、初日を選んだのは私服姿でのリハーサルが
見られるかもしれないとの思惑があってのことで、開場から1時間ほど遅れての入場でしたが予定通り見ることが出来ました。
実はひとつ失敗もありましたが、自身が情けなくなりますのでこれは伏せておきましょう。  
  





青森県八戸市の「八戸南部手踊り」






青森県八戸市の「八戸法霊神楽」










岩手県盛岡市の「盛岡さんさ踊り」
東北の夏祭りは、このさんさ踊りから始まるとのことです。
初日のお祭り広場でのお祭り披露は以上4つでしたが、昨年の初日と同じものが3つで、昨年の「秋田竿燈まつり」と「弘前ねぷたまつり」が入れ替わっただけです。
どうせなら違ったお祭りをと考えて日を変えて行くのがベターなのでしょうが、前述の通りの理由がありまして・・・ 

見学日:2012年(平成24年)1月7日(土)