香港在住のマイミク(mixi上の友人)さんが、ベテラン歌手林子祥(ジョージ・ラム)のコンサートレポを日記にUPしてくれた。(全体に公開の日記なので、mixi会員の方はご覧になれます)
コンサート終盤、80年代洋楽ヒット曲の中国語(たぶん広東語)カバーが多数歌われて、そのカバー曲の多さにあらためて驚かれていたようで 聴きなれた洋楽の中文版を初めて聴くと、少し違和感があるかもしれない。
80年代の香港ポップスはリアルタイムで聴いてないので詳しいことはよくわからないが、現在よりも英語での教育が主流で、英語を話す人口の割合も多かったと思われる。欧米のポップスをそのまま英語で歌うカバーも多かったし、オリジナルでも英語曲はちらほらあったらしい。同時に、欧米の曲に広東語詞をつけたカバーも親しまれていたようだ。
私が初めて香港ポップスに触れた90年代前半。毎日のように旧知のメロディーが広東語で耳に飛び込んできて、びっくりの連続だった。J-POPの新しいヒット曲も次々カバーされるが、ン十年前の歌謡曲もカバーされるのだ。平浩二「バスストップ」(72年)(注1)や、中村雅俊「ふれあい」(73年)(注2)を香港で聴いたときは目が点だった
CDを買って歌詞カードの作曲者名をチェックすると、とにかく中華“以外”の名前が目立つ。日本、欧米のほか、タイやマレーシアらしい名前も。(のちに「冬ソナ」「チャングム」の韓流ブームが香港にもやってくると、韓国の名前も急増した。)もっとも、海外の名前でもシンガポールなどのミュージシャンから、書き下ろしで提供を受けている場合もある。
中国系の名前なら香港製のオリジナルかと思いきや、台湾ポップスのカバーというケースも多い。初めは区別がつかなかったが、台湾ポップスのカバーが香港でヒットすると、必ずといっていいほど、台湾でオリジナルを歌った歌手がプロモーションにやってくるし、Channel[V]でも流れるしでわかるようになった。そのうち台湾のミュージシャンの名前が頭に入って、名前を見ただけでも見当がつくように^^;(香港の歌手が台湾で出したオリジナルの北京語曲を、あとで広東語カバーするのも含まれる?!)
興味深かったのは、カバーする楽曲の選び方。海外での大ヒット曲に限らず、ファンじゃないと知らないアルバムのみ収録の曲とか、オリコンで上位に入った実績がない若手アーチストの曲とかがかなりある。ン十年前の曲も使うし、「安里屋ユンタ」(注3)なんて民謡も。レコード会社のスタッフに、カバー候補曲をチェックする係がいたのかも?! 系列・提携レーベル絡みも多かったと思われる
メジャーな大ヒットより、そういう“掘り出し物”のほうが香港で大ヒットになるケースも少なくなかった。これはプロデューサーがアーチストに合う楽曲を選んで、それがはまったということだろう。
多くの歌手に好んでカバーされるアーチストは、カバーされた楽曲のオリジナルだけで香港版アルバムが出てたりする。サザンオールスターズ(桑田佳祐を含む)、中島みゆき、チャゲ&飛鳥はすごく多い。稲垣潤一もけっこうある。意外にもユーミンはとても少ない。
古い曲を掘り出すのもいとわない一方で、新曲をゲットするのも早い。スウェーデンポップスの曲がロンドンあたりのチャートに上がってきたと思ったら、それが全米チャートに入る前にもう広東語カバーが出たのを見たことがある。いいもの、売れそうなものはどこからでも即手に入れる・・・自由港香港の面目躍如か
正確に数えたわけではないが、大体の感覚として、当時はアルバム10曲のうち平均7曲くらいがカバーだったのではないだろうか。聴くほうもそれが当たり前と受け止めていた。
実際は当たり前と思う人ばかりではなかったのだろうが、私は違和感を覚えるより面白いと思ってしまって^^; あとから考えると、私が無類の“カバー好き”だからだと思う。企画もののカバーアルバムなんかはつい手が出てしまうし、ライブなどで他人の持ち歌を歌うコーナーが大好き♪ カバーされると、楽曲に別の角度から光が当たって、新しい魅力が引き出されるような気がするのだ。
それにしても、どうして香港ではこんなにカバーが多かったんだろうか。
ちょっと長くなったので、続きは次に。
注1・・・陳慧嫻(プリシラ・チャン)「紅茶館」(92年)
注2・・・關淑怡(シャーリー・クヮン)「一首獨唱的歌」(93年)
注3・・・羅文(ローマン・タム)「孔子曰」(95年)
クレジットに、民謡を現代的にアレンジして現在知られている「安里屋ユンタ」を作った星克と宮良長包のほか、坂本龍一の名前が入っている。坂本龍一がカバーしたバージョンを元にしたためと思われる。
<関連記事>
カバー事情@香港ポップス(続き)
コンサート終盤、80年代洋楽ヒット曲の中国語(たぶん広東語)カバーが多数歌われて、そのカバー曲の多さにあらためて驚かれていたようで 聴きなれた洋楽の中文版を初めて聴くと、少し違和感があるかもしれない。
80年代の香港ポップスはリアルタイムで聴いてないので詳しいことはよくわからないが、現在よりも英語での教育が主流で、英語を話す人口の割合も多かったと思われる。欧米のポップスをそのまま英語で歌うカバーも多かったし、オリジナルでも英語曲はちらほらあったらしい。同時に、欧米の曲に広東語詞をつけたカバーも親しまれていたようだ。
私が初めて香港ポップスに触れた90年代前半。毎日のように旧知のメロディーが広東語で耳に飛び込んできて、びっくりの連続だった。J-POPの新しいヒット曲も次々カバーされるが、ン十年前の歌謡曲もカバーされるのだ。平浩二「バスストップ」(72年)(注1)や、中村雅俊「ふれあい」(73年)(注2)を香港で聴いたときは目が点だった
CDを買って歌詞カードの作曲者名をチェックすると、とにかく中華“以外”の名前が目立つ。日本、欧米のほか、タイやマレーシアらしい名前も。(のちに「冬ソナ」「チャングム」の韓流ブームが香港にもやってくると、韓国の名前も急増した。)もっとも、海外の名前でもシンガポールなどのミュージシャンから、書き下ろしで提供を受けている場合もある。
中国系の名前なら香港製のオリジナルかと思いきや、台湾ポップスのカバーというケースも多い。初めは区別がつかなかったが、台湾ポップスのカバーが香港でヒットすると、必ずといっていいほど、台湾でオリジナルを歌った歌手がプロモーションにやってくるし、Channel[V]でも流れるしでわかるようになった。そのうち台湾のミュージシャンの名前が頭に入って、名前を見ただけでも見当がつくように^^;(香港の歌手が台湾で出したオリジナルの北京語曲を、あとで広東語カバーするのも含まれる?!)
興味深かったのは、カバーする楽曲の選び方。海外での大ヒット曲に限らず、ファンじゃないと知らないアルバムのみ収録の曲とか、オリコンで上位に入った実績がない若手アーチストの曲とかがかなりある。ン十年前の曲も使うし、「安里屋ユンタ」(注3)なんて民謡も。レコード会社のスタッフに、カバー候補曲をチェックする係がいたのかも?! 系列・提携レーベル絡みも多かったと思われる
メジャーな大ヒットより、そういう“掘り出し物”のほうが香港で大ヒットになるケースも少なくなかった。これはプロデューサーがアーチストに合う楽曲を選んで、それがはまったということだろう。
多くの歌手に好んでカバーされるアーチストは、カバーされた楽曲のオリジナルだけで香港版アルバムが出てたりする。サザンオールスターズ(桑田佳祐を含む)、中島みゆき、チャゲ&飛鳥はすごく多い。稲垣潤一もけっこうある。意外にもユーミンはとても少ない。
古い曲を掘り出すのもいとわない一方で、新曲をゲットするのも早い。スウェーデンポップスの曲がロンドンあたりのチャートに上がってきたと思ったら、それが全米チャートに入る前にもう広東語カバーが出たのを見たことがある。いいもの、売れそうなものはどこからでも即手に入れる・・・自由港香港の面目躍如か
正確に数えたわけではないが、大体の感覚として、当時はアルバム10曲のうち平均7曲くらいがカバーだったのではないだろうか。聴くほうもそれが当たり前と受け止めていた。
実際は当たり前と思う人ばかりではなかったのだろうが、私は違和感を覚えるより面白いと思ってしまって^^; あとから考えると、私が無類の“カバー好き”だからだと思う。企画もののカバーアルバムなんかはつい手が出てしまうし、ライブなどで他人の持ち歌を歌うコーナーが大好き♪ カバーされると、楽曲に別の角度から光が当たって、新しい魅力が引き出されるような気がするのだ。
それにしても、どうして香港ではこんなにカバーが多かったんだろうか。
ちょっと長くなったので、続きは次に。
注1・・・陳慧嫻(プリシラ・チャン)「紅茶館」(92年)
注2・・・關淑怡(シャーリー・クヮン)「一首獨唱的歌」(93年)
注3・・・羅文(ローマン・タム)「孔子曰」(95年)
クレジットに、民謡を現代的にアレンジして現在知られている「安里屋ユンタ」を作った星克と宮良長包のほか、坂本龍一の名前が入っている。坂本龍一がカバーしたバージョンを元にしたためと思われる。
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