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Thank you for the music

好きな音楽のこと、あれこれ。その他諸々もあり。

ニイハオじゃない!

2006年06月20日 00時49分13秒 | 香港

 次男とTVを見ていたら、マクドナルドのCMが流れた。次のハッピーセットの宣伝で、ミッキーマウスとミニーのフィギュアを囲む子供たち。そこへいかにも中華っぽい顔つきの少年が、、、
「ホンコンで、ミッキーは、米奇(マイケイ)!」
「まいけい・・・」不思議そうに口にする子供たち。
「ミニーは、米妮(マイレイ)!」
「まいれい・・・」
「米奇!米妮!」
「まいけい!まいれい!」
 そこでナレーション。「ニイハオ!香港ディズニーランドグッズは、、、」
―母子同時につっこんだ。「ニイハオじゃないだろうっ!!!
 米奇をマイケイ、米妮をマイレイと発音するのは広東語。香港で一般に話されるのも広東語。北京語を使ってもいいけれど、混ぜるんじゃない! ニイハオを使うなら、米奇はミーチー、米妮はミーニーと言わなくっちゃ。
 一応香港生まれで人生の半分を香港で過ごしている次男、たとえ「ぞうさん」(おはよう)「むごい」(ありがとう)しか話せなくても、その辺は完璧にわかっているのだった。
 つれあいは「香港のミッキー、ニイハオって言ってるんじゃないの?」と言うが、そういう問題ではない。香港の言語事情について予備知識のない人々を混乱させないでほしいんだけど~

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更新してます

2006年06月14日 20時50分21秒 | 香港
 WATCH香港芸能の今週のチャートを更新しました。興味のある方はご覧下さい。
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バスおじさん

2006年06月06日 16時27分52秒 | 香港
 ・・・あんまり話題になってるので、見てみた→巴士阿叔 日本語訳はこちらを参照
 香港のミニバスの中。おじさんが携帯電話で話す声が大きいと、後ろに座っていた青年が肩をつついて注意したら、おじさん逆切れ! 日本語にあんまり語彙がない類(英語なら4 letter words系)のスラングで罵りまくり、しまいに青年に謝らせ、それでも足りずに説教し、、、自分の携帯が鳴って電話に出るまで続いた、という話。ほかの乗客がこっそり携帯で録画した映像をYouTubeにアップしたら、話題を呼んでアクセスが700万件とか。当然香港のマスコミはこのおじさんを探しにかかる。しばらく沈黙を守っていたおじさん、儲かるとみて名乗りをあげ、すでにいくつかの雑誌で取材に応じたようだ。おじさんが使ったフレーズ「我有圧力、イ尓有圧力」「未解決、未解決」が流行語になりそうだとか。
 面白いのは、掲示板などに「注意した青年がよくない」とする意見もあること。その理由がいろいろで、「我慢するのが一番なのに」「映像に映ってないけど、注意のしかたが失礼だったんじゃ? 年上の相手に、何様のつもり?」「あんなにひどいこと言われて、殴ってやらないなんて情けない」「『君子動口不動手(君子は手を動かさず口を動かす)』なんて言ってるけど、元はといえば自分が手を動かした(注意する為におじさんの肩をつついた)のが原因じゃないか」等等。いったいどうすればよかったんでしょうね
 思ったのは、要するにオジサン、オバサンになると、若い人に注意されること自体が腹立たしいのだ。たとえ自分が悪かったとしても、若造や小娘に言われるのが気に食わない。さらに、少し前までの価値観や常識では許されていたことを、新しい常識でダメとされるのも素直に従いにくいんだろうと思う。
 何年か前、完全入替制の映画館に「メイド・イン・ホンコン(香港製造)」を見に行ったときのこと。上映開始に数分遅れて着き、窓口で今始まったばかりの回の券を買おうとしたら、「上映始まっておりまして、ほかのお客様のご迷惑になりますので、今後は開始前にご入場ください」とかなんとか、注意されてしまった。一瞬、この回の券を売ってくれないのかと思ってあせった(次の回では幼稚園のお迎えに間に合わない!)。上映中にそうっと入っていくのが、そんなに迷惑かな~。頭を低くして歩き、すばやく席をみつけて座ればいいことじゃないのかなぁ? 入替制なんてものがなかった昔は、適当な時間に入って途中から見て、次の回の見たところまできたら出る、なんてこともやってたのに。混んでるときに確実に席を確保したかったら、前の回の最後に入って後ろのほうで待ち、出て行く人が立った席にさっと座るのが鉄則だったぞ~。。。と、ウン十年も前の話を持ち出しても仕方ないので、ささっと入ってぱっと座って、映画を見た。たいして混んでいなかったので、私が入ったことでかけたご迷惑はそんなに大きくなかったと思う^^;
 バスおじさんの映像には、中文・英文字幕がついている(つけた人、ご苦労さん)。香港・広東語圏以外の人も見て、「香港ってひどいところ~」「広東語って嫌な感じ~」と思われたらイヤだわ。このあと、どうなるのか、、、しばらく成り行きを見守ってみよう。
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更新しました

2006年06月06日 03時35分27秒 | 香港
 宣伝ですみません。
 もうひとつのブログ、WATCH香港芸能で今週のチャートを更新しました。興味のある方はご覧くださいませ
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15年前

2006年05月28日 17時20分13秒 | 香港
 手元に古いパスポートがないので正確なところはわからないが、15年前の今頃(たしか5月25日)、私は香港に渡った
 1歳3ヶ月の長男をおぶって降り立った啓徳空港は、柱や壁に木の部分が多い、思ったよりローテクな感じの空港だった。
 木曜日の午後便で着いて、金曜日は荷物を整理、土曜日につれあいの会社に顔を出して、それから陸羽に飲茶に行った。蝦餃や焼賣をパクパク食べる長男を見て、「これならやっていけそう!」と思った。「子供に濃いお茶なんか飲ませちゃダメだよ~」とかなんとか、陸羽のオバチャンが世話をやいてくれた。
 家でぼーっとテレビを見ていると、一言もわからないのに、なんだか言葉の響きが面白い。ドラマなんか見てみると、セリフの意味はわからないけど、なんとなく「この3人が三角関係かな~」と想像がつく。主役の一人がちょっと気に入ったりする。
 近所に住む上司の奥さんが、買い物に連れて行ってくれた。ミニバスや地下鉄の乗り方を教わる。タクシーもそんなに難しくなさそう。
 彼女がTVガイド雑誌を買うのを見て、私も買ってみた。
・・・それが、15年にわたる中華ポップス&芸能どっぷり生活の始まりだった。
 今でもとってあるが、前年のミス香港1位だった袁詠儀(アニタ・ユン)が表紙の「香港電視」。毎日放送しているドラマの、毎回のあらすじが載っている。これを読めば細かいストーリーがわかる!と喜んで、毎日放送前に熟読(?!)してからドラマを見た。黎明温兆倫周海媚邵美主演の「今生無悔」。主題歌は、単身赴任中のつれあいを台北に訪ねたとき耳にした王傑だった。挿入歌も気になって、当時の大丸の電器売り場の片隅の、カセットテープ売り場で買ってみた。
 最初のドラマが終わり、また次のドラマが始まる。毎日TVを見ているうちに、歌番組などにも遭遇。大丸のほかにもカセットやCDが買える店を発見。少しずつ、いろいろな歌手のCDが増えていった。1年経つ頃には、活躍している歌手の名前はだいたいわかるようになった。StarTVの放送が始まり、音楽チャンネルでは台湾のヒット曲なども流れ、ますますCD屋通いが増えた^^;
 もう15年も経つんだ・・・まだまだ続くんだろうな・・・
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アジア語楽紀行~旅する広東語~

2006年05月20日 17時54分14秒 | 香港
 an_anさんのブログ、晏晏的自言自語で、NHKのミニ語学番組・アジア語楽紀行に広東語が登場!と紹介されていた。嬉しくなってさっそく私も
 この番組にテキストがあることを今回初めて知り^^;さっそく買ってきた。1回の放送がたった5分の番組とは思えないほど充実してる! 基本のフレーズのほか、その場面の会話もきちんと解説されてるし、よく使う単語も紹介されている。巻末には基本文法も整理されているので、私の怪しげな広東語解説より先にこっちをぜひ読んでいただきたく
 表紙は今回のレポーター、香港TVBの若手俳優・翟兆麟(チャーック・シーウロン、英語名はRoy)。ポチャッとした唇が可愛いかな。初めて見る顔だけど、映像で見てどのくらいカッコいいのか、放送を楽しみにしよう。
 放送はNHK教育で火・水・木の夜11:55~、再放送が翌週の月・火・水で朝6:25~。広東語シリーズは6月6日(火)から7月27日(木)の予定。
 NHKの語学番組では、以前ラジオ中国語講座で広東語をとりあげたことがある。毎週土曜日を広東語の日として、講師はアグネス・チャンだった。基本のフレーズや、ちょっとしたエッセイ、香港スターのインタビューなどもあって面白かったが、中国語学習者の皆さんには「その時間がもったいない」と不評だったようで、半年で終わってしまった。
 中国語の一部として扱うより、こういう形のほうが、広東語の特徴や位置づけがよくわかると思う。香港の街や香港人の生活がレポートされるのもいい。録画してDVDにまとめちゃおうかな
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台湾が羨ましい・・・

2006年05月11日 14時56分23秒 | 香港

 コメントで教えていただいたサイトYouTubeで、曹格が出演している映像をいろいろ見ることができた。サイン会でのミニライブも面白いが、TV番組もトークや他人の歌を歌うところなど、また違った表情がある。ボクシングの試合に出た話(当時は79kgもあったとか、3Rでコーチにタオル投げられて内心ホッとしたとか)、留学先のカナダやニュージーランドでは、アジア人をバカにする奴がいたら即喧嘩した話(最初にガツンとやっておくと、後々喧嘩しなくてすむようになったとか)、ヌンチャクを振って見せたり(けっこう上手い)、1コーラス目は低音で、2コーラス目は1オクターブ上の高音で「My Way」を歌ったり。他の歌手に提供した自作曲を、適当な英語詞(ドレミの歌?)で生バンドで歌ったりしてるのを見ると、上手いしノリがいいし、「やるじゃん!!!」と何度も見返したくなる。バラエティで何人かの若手歌手と、高音合戦(?!)をやったのも面白かった。同じ曲の1フレーズを、一人歌うごとに半音上げていき、ファルセットでも出せなくなったら抜け。曹格はファルセット使いまくって勝ち残った(張棟[木梁]にはちょっとかわいそうだった^^; TANKは曹格より高いところまで地声で出せてた。実は曹格よりすごいかも)。
 TV番組のちょっとしたコーナーでも、実力を試され、その場で歌う。プロモーションのために出演するたびに、そうやって嫌でも技術を磨くことになる。元々台湾には多くのパブがあって、歌手の卵が競っているから、歌手は生で歌うものと歌うほうも見るほうも思ってるんだろう。必然的に歌手の実力は上がり、デビュー当初は下手だったアイドルだって、いつまでも下手っぴいのままではいない。
 香港とはそのへんが根本的に違う。生放送を始めて話題になった「勁歌金曲」も結局収録に戻ってしまった。それはまあ仕方がないとしても、歌手が歌う番組が少なすぎる。以前は土曜の夜中に、何人か歌手が出てトークしながら、プロモーションビデオを流したり、キーボード伴奏でちょこっと他の人の曲を歌ったりする番組があったのに、いつのまにかなくなってしまった。最近ではカフェやバーでのちょっとしたミニライブも増えているが、台湾ほど多くはない。歌手が生で歌う機会が少ないというのは、ハンデ大きすぎる・・・。
 見るほうも、生でその場で歌わせたら下手だったり失敗したりすることもあるのを、笑って見守る我慢強さがないのかもしれない。歌うほうはとにかくカッコ悪いところを見せたくないし。でも、そこを乗り越えなければ、いつまでたっても、“初めからめちゃくちゃ上手い人”しか生き残れず、若さ可愛さだけが取柄のアイドルは使い捨てられ、台湾や大陸やその他の地域に比べて“香港って売り方はうまいけど実力は・・・”と言われ続けてしまう。そこに音楽市場が成長しない原因の一つがあるように思ってるのは、私だけかしら? この危機感をなんとか伝えられないものか、、、

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中文

2006年05月07日 23時52分52秒 | 香港
 香港テレビの字幕について質問をいただいた。「それで字幕は北京語? 広東語?」
――答えは、概ね北京語(Mandarin Chinese)、なのだが、厳密に正しい北京語かどうかは、私もよくわからない。北京語ネイティブで北京語教育を受けた人(特に北の方の人)からは、「ここちょっと違う」とチェック入るかも。一応、中国語を“読んで”わかる人には理解できるように作られているようだ。
 そもそも、香港の公用語は何語? 返還前はイギリス領だったんだから英語? 今は中国なんだから中国語でしょ?・・・じゃ広東語って、何?
 実は香港の公用語は、「英文」と「中文」。“語”という字を使っていない。それは中国大陸が共産党政府、台湾が国民党政府となり、対立していた時代まで遡る。大陸では漢字の簡体字を採用、発音記号のピンインを定め、“普通話”“漢語”(漢族の言葉:中国は多民族国家なので、他の民族の言語も中国人民の言語であるという立場から、この単語を使う)として、全国で標準中国語の教育を進めた。一方、台湾では伝統の繁体字(臺、灣、舊など)を使い、注音字母という発音記号で表わし、“國語”として教育。ラジオやテレビなどで“國語”と英語以外の言語の放送を原則禁止、普及に努めた。(薬師丸ひろ子が台湾のテレビに出演した時、日本語をうっかり話してしまうと放送で使えないので、声を出さないようにしていたのを見たことがある。)それでも、大陸から移ってきた人以外は國語が母語ではない(閩南語・客家語などを話していた)ので、普及にはそれなりの時間がかかったし、アミ族・タイヤル族など原住民の人たちの間では、異なる部族間の共通語として日本語が残っていたそうだ。(ピヌユマヤン族の張惠妹が「勝気だから」カツという日本語名を親につけられたという話は有名)
 香港は大陸台湾が対立していた時期、言ってみれば緩衝地帯・中継点として機能していた。要するにどちらともそれなりにいい関係を保ちたい。そこで公用語をMandarinにした場合、どっちの字体と発音記号を採用したらいいのか? 一方を取れば絶対もう一方と軋轢を生じる。何しろ、日本人の観光客や留学生でさえ、台湾に簡体字の辞書を持ち込もうとしたら没収されると言われてたくらいだ。どうしよう?
 そこで究極の解決が「中文」。公文書は書き言葉の中国語、文字と話し言葉は「伝統」に従うとして、字は繁体字、話し言葉は元々この地域で使われていた広東語になったのだそうだ。(以上、ほぼつれあいが言ってたことの受け売り^^;)
 というわけで、数十年の間に書き言葉としての中文が新聞・雑誌・教科書などで確立され、ニュースなどの語彙もそれに近いものが使われるようになった(例:1時間=中文:一小時、広東語:一個鐘頭)。ただし発音は広東語読み、という独特のスタイルだ(「一小時」は広東語読みだと「やっしうし」北京語読みなら「いーしゃおしー」)。
 だから現代の香港人は、英語だけで教育を受けた人以外は大体この“中文”を読んで理解できるし、広東語との対応は基本的に頭に入っている。“中文”の文法と語彙は原則Mandarinに沿っているので、台湾・大陸・世界各地の華人も繁体字が読めれば概ね理解できる。香港のテレビの広東語が何を言ってるのかさっぱりわからないけど、内容は中文字幕で把握している人々がいる一方で、台湾のテレビの“國語”が何を言ってるのか全然わからないけど、やはり中文字幕で内容を把握する香港人もいる。そして私たち日本人は、字幕のおかげで聞き取りやすくなるという恩恵にあずかっているのだった。
 広東語:中文の対応表はまた次回
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香港テレビの字幕

2006年05月03日 17時48分46秒 | 香港

 04年7月から生放送していた香港TVBの歌番組・勁歌金曲だが、番組表を見ると最近放送時間が変わり、字幕付になったようだ。生放送の頃の音楽監督・梁翹伯さんの奥さんが日本人で友人なので、先日電話できいてみたら、「プロデューサーが替わったので番組のコンセプトがかなり変わってしまった」そうだ。録画放送でトーク部分に字幕もついたらしい。
 生放送では毎回構成や曲のアレンジも大変だし、歌手たちは緊張するしで、番組制作サイドとしては苦労が多かったのだろう。香港ポップス界のためには、生で歌うチャンスが多いほうがいいと思うけど。。。生で歌う場数をこなすだけで、みんな上手くなるんだけど
 それだけでなく、字幕付になったというのが興味深い。歌ってる時に歌詞の字幕を出すのは元々やっていたが、生だとトークの部分には字幕が出せない。台湾や大陸など北京語地域の歌手もよく出演するので、彼らのトークはすべて司会者が通訳しなくてはならなかった。30分もない放送時間で、その通訳の時間はできたら削りたかったかもしれない。それに、いまや新移民と呼ばれる返還後に移り住んだ香港市民も多い。彼らの母語は北京語だし、まだまだ広東語には不自由しているから、字幕はあるにこしたことはないのだろう。
 90年代前半に住んでいた頃は、ほとんどの番組に字幕はなかった。ドラマなんか、1回の放送でまともに聞き取れるセリフは3つもあったかどうか、、、(かえってその頃のほうが必死に見ていたかも。今は字幕ばっかり読んでしまう^^;) 返還後の一番大きな変化は、やはりこの中文字幕だろう。広東語の番組にも、北京語の番組にも中文字幕がついている。広東語が母語の人は北京語を覚え、北京語が母語の人は広東語を覚えることを政府は期待してるんだと思う。(厳密には、広東語で発音している通りの表記はできないが、そこは目をつぶって^^;) 台湾では以前から原則として常に中文字幕が表示される。国民党政府になったとき、それ以前から住む人々は國語(標準中国語、つまり北京語)が話せなかったので、文字で理解してもらうためだ。台湾に住んでいたことがあるつれあいに言わせると、「言っていることをそのまま字で読んでいると、どんどん単語を覚える、聞き取れるようになってくる」とか。それはわかるような気がする。
 広東語の授業の時、先生が「時代劇は単語が難しいでしょ?」というのに対し、生徒の私たちが「単語は難しいけど、字幕と発音の一致度が高くて話は理解しやすい」と言ったら、先生は面食らっていた。時代劇の古めかしい表現はそのまま文字になるのに現代の日常会話ほど“翻訳”しなければならない表現が多く、慣れるまでちょっとかかるんである。北京語を学んだことがない人にはさらに馴染みにくいかも。慣れれば、格段に聞き取りやすくなるのは確かだけど。広東語で先に習った単語を拾いやすくなるが、未習の単語を字幕の意味から類推して拾うのはちょっと大変。
 日程の関係で3月・4月とも香港で勁歌金曲が見られなかった。残念~

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香港人と広東語で会話

2006年04月30日 17時09分25秒 | 香港

 このあいだの香港で、二人の蘇永康ファンと話す機会があった。一人はまだ20代前半で、ファン歴は私のほうが長い ファンサイトを持っていて、ニュースなどをまめに載せてくれている。もう一人は30代(たぶん)で、以前はファンサイトをやっていたが、忙しくなって閉じてしまった。こちらは私よりファン歴長い(たぶん)。
 若い方のファン(Cさん)は、私が毎週土曜の夜にやっている蘇永康ファンのチャットにもときどき来てくれる。文字化けを避けるためと翻訳なしでみんなが理解するために英語でチャットするが、私は広東語のほうが楽なので、広東語で話せるのを楽しみにしていた。まともに話すのは初めてで、彼女も最初は英語を使ったりしていたが、だんだんどの程度の単語や文なら私が理解できるか、どの程度のスピードならついてこられるか呑み込んで、とてもうまく話してくれた。おかげで、お互いにたびたび聞き返していらいらすることもなく、楽しい時間がすごせた。
 翌日、もう一人のファン(Oさん)と会ったときは、前日の練習(?!)のおかげで私もかなりスムーズに話せた。3月に家族旅行したときは、広東語で何か言っても全然通じなかったり英語で返されたりしたけど、やっぱり、ちょっと話す時間があると違うものだ。たまにラジオなんか聞いても全然聞き取れなくて嫌になってしまうけど、ちょっと我慢して聞いてたら少しましになるかな?
 香港旅行のリピーターの間で言われていることだが、以前は片言の広東語を言っても相手にされず、英語や日本語や、ときには北京語で返事が返ってくることが多かったのに、最近は下手な広東語を一生懸命聞いてくれて、ゆっくりめに話してくれる人が増えているようだ。私も以前は「香港人の苦手なことは何語にしてもゆっくり話すこと」だと思っていたが、ここ1、2年はそうでもなくなった。何がこの変化をもたらしたんだろうか? 返還後、何かと北京語が幅を利かせるようになっている状況への反動? 北京語もかなり通じるようになっているのにわざわざ広東語を覚えて話そうという“奇特な”人に、親しみを覚えてくれるのかもしれない。
 とはいえ、香港人同士の会話についていく力はなく、コンサートのMCも決まり文句以外はさっぱりわからない私。まだまだ頑張らなきゃ~

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賓館

2006年04月29日 00時44分27秒 | 香港
 いわゆるゲストハウスというやつに泊ってみた。(場所は銅鑼湾)
 学生の頃はそれなりに貧乏旅行したけど、バックパックを背負ってユースホステルやドミトリーを泊まり歩く等は経験がない。香港は主に住むところだったので、重慶マンションも両替に行くところだった(笑) それが今回、香港はイベント続きでホテル代がいつもと比べてめちゃくちゃ高く、ちょっと手が出なかった。それと、午前出/午後帰りの日程上どうしても航空券が高くなるので、宿代で節約しようと考えたわけだ。
 3月の家族旅行の時に寄って、シャワー・トイレ付シングルの料金を払っておいたのだが、今回行ってみたらダブルブッキングで予約したはずの部屋がないと言われてしまった。。。攪錯呀~ だが時間も惜しいので、差額の返金を受けてシャワー・トイレ共同の部屋に泊ることにした。部屋自体はまあまあきれいだし、クーラーもテレビもついてるし(Channel[V]が見られたし)、さして困ることはなさそう。電話は携帯のプリペイドカードを買ったし。共同の冷蔵庫も使えるようだ。
 とはいえ、シャワー・トイレ共同というのはそれなりに技術が要った。トイレに行くにも、念のためロックして鍵をポケットに入れて出た。シャワーを使いにいくにも、裸になってから忘れ物を取りに行くわけにもいかないから、あれこれ抱えてまたロックして鍵持って。シャワールームを長時間占領しては申し訳ないので、髪を整えたり化粧したりは部屋でしたが、あいにく鏡がなかった^^; セーフティボックスはないので、出かけるときは貴重品をかばんに入れて錠をした。
 フロントに行けばお湯をポットにもらえたのかもしれないが、夜遅くもらいに行くのは面倒だったので、部屋で温かい飲み物やカップ麺などを食べることは結局なかった。部屋でお湯を沸かせるって、便利なことだったのだ。
 経験としては面白かったが、、、余分な手間や時間が省けるという点で、やはりバスルーム付は大事だった。それから年齢を考えると、疲れを取るためのバスタブが今後重要になってきそうだ。残念だけど、私は最初で最後かな・・・息子が今度香港に行くとか言ったら、泊らせよう
(実はこのゲストハウス経営者の奥さんは日本人で、大学の後輩にあたる。いろいろ大変だろうけど、頑張って~
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鄭中基(ロナルド・チェン)コンサート

2006年04月27日 04時07分29秒 | 香港

 人気沸騰の側田Solerに挟まれて、あまりチケットが売れないんじゃないかと少し心配した鄭中基コンサートだったが、当初2回の予定が1回追加。でも初日は“爆満”とはいかず、2階両脇のあたりは空席が目立った(握手席だったのに、ちょっともったいない^^;)。
 開演前のミニコント(?!)ビデオに、映画で数多く共演している李燦森(サム・リー)と張達明が登場。サムはYシャツにネクタイのサラリーマン役で、なんだかオッサンくさい(笑) 張達明は鄭中基のお株を奪う(?)女装姿。ロナルド自身はPaco黄柏高の真似をして笑わせる。
 最初はさすがに少し緊張して、ゆったり声が出ていない感じだったが、だんだんほぐれてきた。1ヶ月ほど前に映画撮影中に肋骨を骨折したため、激しいダンスや宙吊りはできないと報道されていたが、かえってやらなくて済んでよかったかも? スーパーマンならぬKマンの団体とビームのやりとりしたり、女性ボディビルダーにかつがれたり、素朴な趣向が楽しい。女性ダンサーたちとのからみは本人が楽しそう(笑)
 鄭中基のお父さん、鄭東漢がギターを持って登場すると、暖かい雰囲気に包まれた。かつてTeddy Robin & the Playboys(泰迪羅賓與花花公子)というバンドでギターを弾いていた鄭東漢は、寶麗金で総経理をつとめ、今はEMIの総裁をしている音楽業界の重鎮だ(そう書くと「なんだ、2世タレントか」と思われてしまうかもしれないが、そんなに楽して売れたわけではない)。機内で酔って暴れる事件を起こし、謹慎に近い時期を過ごしたこともある息子が、デビュー10年でようやくコンサートを開き、そこで一緒にギターが弾ける。。。喜びがじわっと伝わってきた。ロマンスグレーの素敵なおじさまに、観客からも「鄭パパ!」と声が飛んでいた。
 トークのゲストは張達明。「10年苦労したとか言ってるけど、僕なんか20年以上だもんね~」と先輩風を吹かせつつ、ロナルドが着替えに引っ込む間に観客を舞台に上げて、ソファに一人を座らせ、他の3人で“セクシーダンス”、とかなんとか、、、(若い男の子が妙に上手で大歓声)。そこへ出てきたロナルドも口を出して、今度は三角関係風のミニドラマ(最近香港であった事件が題材らしい)演出^^; これまた3人が頑張って演技したので大喝采、発売されたばかりの新曲+精選「正宗K」をプレゼントされて降りていった。(「次の曲はDisc*のtrack#だよ」などと宣伝もしていた)
 大物ゲスト・初日は譚永麟(アラン・タム)。登場直前に彼の歌をちょこっと歌詞を変えて歌ってウケて、「さっき何て歌ってた?」と追及されてたじたじ^^; 2日目は張學友(ジャッキー・チョン)、デビューのデュエット曲「左右為難」を歌うときは緊張してガチガチ。そもそも張學友のプロデューサーに見出されたのがデビューのきっかけらしい。大物大先輩たちの前では、新人のようになってしまう
 2日目には噂の恋人・Twins阿Sa阿嬌といっしょに見に来ていた。元カノ・楊千[女華]の曲、Twinsの曲と両方歌い、ゴシップ記事の写真をスクリーンに出して「いろいろ書かれてるけど、たくさんの人にもてなくてもいいんだよ、一人いれば」なんて言うあたり、逃げも隠れもしていない。彼にすればその時々で本当のことだったんだから別に恥じるところはないのだろう。そんな態度に精神的な成長を感じる。(3日目には元カノ・楊千[女華]も見に来たようだ。今同じ事務所でもあるし、泥沼になる前に別れたおかげなのか、比較的いい関係を保っている?)
 初日アンコールで“男子組”の5人がそろって歌ったあと、蘇永康が「僕といっしょで顔で売ってない歌手」とか言って笑わせたが、ロナルドの音楽に対する真摯な態度の話に観客から大きな拍手が湧いていた。(正確なところはよく聞き取れなかったんだけどたぶんそんな話だったんだと思う。)

 初日は観客の反応がいまいちで、ちょっと可哀想な気もしたが、2日目はコアなファンが多かったのか、初日よりずっと盛り上がってよかった。どの曲もあまり引っ張らずにさくっと歌って終わらせてしまうのが、案外聴きやすい。彼の歌い方は、目一杯張り上げてる瞬間が短く、たぶん無意識にすっと力が抜ける。それがかえって“切ない感じ”が出て、私は好きなのだ。
 そして、彼は自分がスターでも天王でもないことをはっきり自覚しているような気がする。どんなに頑張っても、自分は張學友や陳奕迅にはなれない。それでも歌いたい、音楽をやりたい。何か、求めても全ては得られないと知りつつ、自分にできることをやり続ける人間の健気さみたいなものを感じてしまう。
 けれども、今回歌っている彼は本当に幸せそうだった。もしかしたら、今ようやく自分自身をちゃんと好きになれたのかもしれない。人間は誰でも健全な自己愛が必要だけど、人前で表現する仕事の人は特に大事なのでは? そのタイミングを見抜いてこの時期にコンサートを設定したのだとしたら、、、やっぱりPacoってすごいかも。
 鄭中基は歌の神様じゃない。神様に選ばれた人でもないし、歌う時に神様が降りてくるわけでもない。でも、このコンサートでは普通の人がりっぱな主役だった。よかった

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意味ねー!

2006年04月03日 01時44分09秒 | 香港
<香港家族旅行記その4>
 次男がとても行きたがってたので、香港ディズニーランドに行ってみた。欣澳駅からディズニー線に乗り換えると、窓の形がミッキーだったり、車両の中にキャラクターの銅像があったりと楽しい。長男はぶつぶつ文句言ってたが、せっかくだからと引っ張ってきた。
 母は別に乗り物に乗りたくはないので、はりきっている次男に長男をくっつけて、UFOなんとかに乗せる。長男はそれで飽きてしまったので、今度は私がいっしょにスペースマウンテンに挑戦。乗り物は得意じゃないので、ジェットコースター系に乗るのは20年ぶりくらいかも?! メガネやバッグはしまっておくようにと注意しているのを見て、ちょっぴりビビる次男。いざスタートすると、、、暗い。暗いからなおさら、怖い!しかし目を閉じるとなお怖い!私も心臓バクバク・・・頭を引っ込めるといっそう怖いので、前の人の体の動きを見ながら、コースターの動きに自分の体を合わせるように心がけた。それでも、「ここで心臓発作とか起こしたらカッコ悪いよな~」とか、「いつ終わるんだろう」とか考えてしまった。終わったときはホッとした~。肝心の次男はよほど怖かったらしく、ちょっと青い顔になっていた。翌日タクシーに乗って降りたら少し車酔いしてて、「昨日のスペースマウンテンから気持ち悪かった」とかなんとか、、、。一番楽しみにしてた人が一番悲惨な目に遭ってしまったらしい
 帰る日は、チェックアウト前に長男は「撮り残した写真がある」といってまた中学へ。私と母は、中環(セントラル)の中藝へ。。。店がなくなってる 中藝の店舗の中ではきれいな小物の品揃えがよかったので、あてにしてたのに~~~。チェックアウト後、フライトまでは時間があるので、せめてパシフィックプレイスの中藝でも行きたかったが、みんな「もう買い物しなくていい」「別にもう行きたい所はない」という。香港駅でチェックインをすませると、もうあまり移動もしたくないらしく、「空港行く?」とか言ってる。それじゃ、せっかくフライトを一番遅い時間にした意味がないじゃないか~、と思うのは私だけだった。せめてもとIFCモールを少し見たが、ウィークデーの昼時にあたってしまって、なんか荷物のある観光客のいる所ではない感じ。ブランドショップはいろいろあったが、誰にも用はないし(笑) 結局、空港でまた買い物したが、そのほうがよほど楽しかった。遅い昼食を食べたら時間ぎりぎりになってしまい、ゲートに着いたらもう搭乗は始まっていた。
 なんか、よかれと思ってしたことが全然意味ねーっ!って感じもあったが、まあ仕方ない。次回は子供をつれないで、大人の女二人の優雅な旅に行こうっと。
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桁違い・・・

2006年03月31日 23時00分06秒 | 香港
<香港家族旅行記その2>
 ちょっとお寝坊した翌朝。まずは飲茶!とホテルを出てその辺をうろうろ歩くと、いかにも普通の酒樓―香港の一般的な中華レストラン―があったので入ってみる。メニューの紙に印をつけて注文するシステムで、ウェイトレスに渡そうと思ったがなかなか来てくれない。と思ったら、私服の女性が紙を持っていってしまった。ん?と思ったら、厨房に消え、しばらくして制服で出てきた・・・。今、出勤してきたついでだったのね^^;
 何よりも食べたかった叉燒包(チャーシウパオ)、口にした子供達は「これだよ、、、」という顔をしていた。特別な味じゃない、香港では思いっきり“フツー”の叉燒包なのが、なおさら嬉しかったようだ。
 満腹した後は、つれあいに頼まれたものを受け取りに中環(セントラル)へ。それから銀行のATMでお金をおろそうとしたら(香港に残してあった口座は、2年以内に出し入れがないと手数料を取られてしまうので)、"incorrect secret number"のエラーメッセージが! え、なんで 香港では銀行側が暗証番号を決めて送ってくることが多いが、この口座に関しては開くときに自分で決めた覚えがあるから、間違ってるはずはない。何度も間違えると、香港のATMはカードを没収してしまい、あとから銀行の窓口に取りに行かなければならなくなる。ここは危険を冒すわけにはいかない、チェックしてもらいに窓口に並ぶ。
 「そのメッセージが出たなら、暗証番号が違うはず」「新しい番号を取るには、1週間かかる」え??? 今ここではチェックも何もしてもらえないの? がーうちょあ~!
 仕方がないので引き下がり、もう一度トライ。だめ。なんでだ~っ 頭の中で暗証番号を繰り返す。ほかの番号のはずはない・・・。ふと、4桁じゃなくて6桁の語呂合わせが頭に浮かんだ。ん?日本ではたいてい4桁だけど、そういえば香港は6桁だったかな?
 あらためて、6桁でトライ。・・・できた。
 日本の銀行のATMだと、暗証番号の桁数が指示されてたような気がする。たいてい4桁だから、ついそんなつもりになってしまっていた 住んでいるときはしょっちゅうやっていることだから、忘れるかもしれないとも思わないし、手帳に書いておくのもよくないような気がして、書き留めてもおかなかった。離れているということは、そういうことなんだろう。それと、歳も歳だから、記憶力も、、、やれやれ
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まだ住民?!

2006年03月30日 21時07分33秒 | 香港
〈香港家族旅行記その1〉
 1年ぶりの香港、無事到着。懐かしさにうるうるしつつ、入国審査の列に並ぶ。香港IDカードは持っているが、もう住んでないし、今回は母もいっしょなので、Visitorの方へ並んだ。
 ところがなんだか時間がかかっている。何か不備があったかと思ったら、「Do you have ID card?」ときかれた。私と子供たち、3人分のIDカードを出すと、「あなたたちは香港住民だ。間違えてVisitorのスタンプを押した、訂正するからちょっと待ってて」「次は住民のカウンターに行ってくれ」と言われた。「でももう住んでないんだけど」と言うと、「ビザがまだ有効だ」と言う。
 たしかに、「Permitted until」のスタンプに「22/05/06」と手書きの日付が入っている。実際には住んでないのに、いいんだろうか? 住民じゃないのに、住民のふりしちゃうことになるのでは?! だが、入境審査で実際に住んでいるかどうかは問題ではないらしい・・・
 考えてみたら、どこかに移民して年に数回帰ってくる人が、住んでないからといって住民の資格がなくなるわけではない。期間制限のある住民でも、同じことなんだろう。
 実は4月に一人で香港に行く予定がある。ビザはまだ有効だから、、、「香港居民」のカウンターに行くことにしよう
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