ランナーズ1月号の「東京五輪からTOKYOへ」という連載に宗茂さんが登場。
モントリオールオリンピックを回想する中で、優勝したチェルピンスキーが3000mSCから転向して間もない選手だったと書いてありました。
そうだったのか!と思って、記録を調べてみたら8分32秒4(Wikipedia)。
特別目立つ記録でもないけれど、1974年に出したもので、当時はハイレベル?
5000m 13分36秒6で、こちらの記録に目がいきます。10000mは28分28秒2でどちらも1975年の記録。
モントリオールオリンピックは1976年。
フルマラソンは1974年10月から始めて、1976年は4月、5月、7月と走って3連勝。
7月のレースがオリンピック。
モスクワオリンピックでの連覇は、日本が出ていれば…という一番悔やまれる部分ですが、チェルピンスキーのピーキングの巧さは讃えられました。
東ドイツの男子マラソンは、ハイルマンが中山竹通選手と福岡で競り合ったのがすごく印象的ですが、女子マラソンではドーレという強い選手がいたし、学ぶべきことたくさんありそう。
走トレーニングはもちろん、メンタルトレーニングや食事に関しても、いろいろノウハウがありそうだけれど、公表されてないのかな?
モントリオールオリンピックを回想する中で、優勝したチェルピンスキーが3000mSCから転向して間もない選手だったと書いてありました。
そうだったのか!と思って、記録を調べてみたら8分32秒4(Wikipedia)。
特別目立つ記録でもないけれど、1974年に出したもので、当時はハイレベル?
5000m 13分36秒6で、こちらの記録に目がいきます。10000mは28分28秒2でどちらも1975年の記録。
モントリオールオリンピックは1976年。
フルマラソンは1974年10月から始めて、1976年は4月、5月、7月と走って3連勝。
7月のレースがオリンピック。
モスクワオリンピックでの連覇は、日本が出ていれば…という一番悔やまれる部分ですが、チェルピンスキーのピーキングの巧さは讃えられました。
東ドイツの男子マラソンは、ハイルマンが中山竹通選手と福岡で競り合ったのがすごく印象的ですが、女子マラソンではドーレという強い選手がいたし、学ぶべきことたくさんありそう。
走トレーニングはもちろん、メンタルトレーニングや食事に関しても、いろいろノウハウがありそうだけれど、公表されてないのかな?
UX(テレ朝系)「あいつ今何してる?」
瀬古利彦さんがチェルピンスキーさんと再会
コメントどうもありがとうございます。
情報ありがとうございます。