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イタグレと暮らす戌年男のブログ

 イタリアングレーハウンド(イタグレ)と過ごす中で、家族、趣味、出来事についての感想などを書きたいです。
 

「いえあおう」、音の出る位置

2020-07-18 09:34:55 | 
 新潮新書「日本語教室」(井上ひさし)、母音によって音の出る位置が違うと書かれていました。
 p.124。

 『「いえあおう」の順に、どんどんどんどん、音を出すところは、のどの奥に入っていきます』

 それで、「う」の音を出すときは相当力を入れないとだめだと。

 井上ひさしさんは、芝居を書くときになるべく「い」の音を生かすようにしていると。
 具体例として、銀行名なら三菱。住友だと、後ろの席の人は「みとも銀行」と聞こえてしまう。
 なるほど、と思いました。

 私が中学生の時、兄が友人から犬を譲り受けました。母はシェットランドシープドッグ。今でいうブリーダーのお仕事をされていたのではないかと思われますが、あるとき間違いが起きてしまって、血統書がつかない子が産まれてしまった。
 それで、兄が譲り受けることに。ただではないけれど、かなり安価というか、ほぼただみたいな金額で。

 わが家は両親が全盲で、犬を飼うというのが大丈夫かという心配もあったんだけれど、兄が相談という形をとっただけで、実質的には決定で報告でした。
 名前も「マリ」と決めてました。
 当時は天地真理の絶頂期でしたし、まりちゃんズというバンドもありました。メンバーは3人で、それぞれ天地真理、夏木マリ、田中真理のファンだったから。
 まりちゃんズが話題になったのは、わが家に犬が来てからだったと思うけれど、いずれにせよ、流行りの名前で「マリ」なのかと思ったら、兄は理由をはっきりと。

 もし、いなくなったりして探すとき、「マリ~~」と言って呼ぶから、「い」の音が響いて、よく聞こえるんだと。

 たぶん、それが井上ひさしさんが書いている「いえあおう」の順に音を出すのが奥になるという、その話とつながると思います。
 正当なる理由だったことがあらためてわかりました。
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日光消毒といってた時代

2020-07-16 09:57:31 | 
 週刊朝日の書籍コーナー「週刊図書館」
 岩波新書「紫外線の社会史」(金凡性)が出ていました。

 紫外線を有益とするか有害とするか、時代によって揺れ動いたと。

 いろいろ資料も示して1920年代の頃からのことが書かれていると。

 そういえば、日光消毒といってた時代ありました。
 台所で使うふきんなどは、日光消毒が一番とか。
 
 おむつを外に干すのも日光消毒だったのかも。梅雨時はおむつが乾かなくて大変とか。今はおむつを乾かす人はほとんどいないでしょう。布おむつ使わないでしょうから。

 日光消毒といってたのは、小・中学生の頃で70年代かな。
 80年代に入ると、サンバーンとサンターンなんて言葉が使われていたような。
 日焼けには2種類あって、サンバーンはやけどみたいなもの。サンターンは適度なもの。

 今でいうと、周波数帯の違いかもしれないけれど、急激な日焼けをサンバーンといってたかもしれません。

 有害というのか、紫外線が危ないみたいな言われ方になったのは、オゾンホールの拡大が話題になってからでしょうか。
 オゾン層の破壊。フロンガスの使用禁止とか。
 エアコンのガスも違うものにするとか。スプレー缶でもフロンガス使用のものがあったような。
 発泡スチロールとフロンガスも何か関連していたような。

 その一方で、北欧では日光浴が貴重なことで、夏はトップレスの人もいる。
 瀬古選手が北欧で合宿をしていたとき、トップレスの女性に見とれて、木の根っこか何かに足を取られて捻挫、というのは有名な話。
 
 「紫外線の社会史」にどんなことが書かれているかは、わかりませんが、思い起こしただけでも、いろいろなことが出てきます。

 そういえば、紫外線が強くなる季節になれば、新型コロナウイルスも消滅あるいは弱くなるといってた人もいたような気がするけれど、空中に浮かんでいるならともかく、体内に入ってしまったら関係ないのでしょうね。現在感染拡大してますから。
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時間が解決してくれるもの

2020-07-15 20:14:19 | 
 週刊朝日の連載小説「朔が満ちる」(窪美澄)
 最終回となりました。
 名残惜しいけれど、もういつ最終回でもいいよね、という雰囲気にはなっていたので、その点では納得です。

 史也と梓の間に子どもができ、あっという間に出産。
 出産を前に、梓の母が上京。持ってきたお料理の中に、ちらし寿司も。

 5月13日発売(新潟は首都圏より1日遅れ)の号で、梓が母と初めて会ったとき、持ってきたちらし寿司をぶちまけました。母の頭に。

 それをまた持ってくる…。
 大丈夫でした。あれから5年くらい経っているのかな。
 時間が解決してくれるものってあると思います。

 ということで、史也も梓も、ふたりの母も、みんな落ち着いたというのか、写真を撮れば笑顔というのか、落ち着きというのか、もっといえば幸せが感じられる姿になっていると思います。

 昨年の12月4日に始まったから、7か月ほど。
 もっと読みたい、ふたりの子育てを見たい(読みたい)と思うけれど、そこはもう想像。いい家庭になるでしょう。
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恋はやまとことば、愛は漢語

2020-07-13 20:35:47 | 
 新潮新書「日本語教室」(井上ひさし)に、「新潮現代国語辞典」の紹介がありました。
 出版社が同じだからではありません。
 見出し語の書き方。
 やまとことばは平仮名、漢語はカタカナと区別。

 いいなぁと思いました。
 買っちゃおうか、と思って調べたら、すでに絶版。

 「日本語教室」の発行は2011年。元になった講演は2001年。ずいぶん時間が経ってます。

 「しあわせ情報室」というブログに、2018年11月26日の記事で、同辞書が絶版になるらしいということで、購入されたことが書かれていました。
 その頃でしたか、絶版。

 その中で、
 『「愛」は「アイ」、「恋」は「こい」と書いてあります』と具体例が出ていました。

 辞書が絶版になるというのは、何とも惜しいことですが、販売部数減っているんでしょうね、きっと。

 「日本語教室」では『昔からのやまとことばである和語と、中国から借り入れた漢字を使った漢語と、欧米から借りた外来語」という説明があります。

 ちゃんと区別できるようになりたいものです。
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用意周到な計画

2020-07-07 09:43:34 | 
 新潮文庫「点と線」(松本清張)。

 NHK出版新書『「松本清張」で読む昭和史』(原武史)を読んだことで、本棚にあった「点と線」を読み返そうと思いました。

 高校3年生の時に読んでいることが、自分の読書録に残っているんだけれど、その時の記憶はありません。
 2007年にドラマがあって、それで読み直したいとあらためて買いました。
 それを再び読んだことに。
 
 原武史さんが解説していたことが頭に残っていたので、ある程度解決への道筋は予想できたのですが、でも、意外な感じがしました。

 まず、用意周到な計画に圧倒されたというか、もちろん、実際の事件ではなく、筆者の考えたことなんだけれど、本当に細かく考えられている。

 結果的に、だからどこかに嘘があるんじゃないか。虚実でいえば、虚があるんじゃないかと考えられたわけだけど。

 最近だと、カルロス・ゴーン氏が国外に出たときの行動。
 用意周到な計画だったんでしょうね。気付かれたら相当なことになったと思います。
 そのリスクを考えた上で、実行。

 「点と線」では、情死と思われたことを事件として考え、謎を解いていくのですが、こちらも事前に試してなくて、ぶっつけ本番で、完遂。
 しかし、それを暴いてしまいました。

 読み終わってすっきりしたかというと、そうではなかったです。
 奥さんが結核で静養。週に1回は静養地に見舞いというか、様子を見に行く夫。
 いい夫婦のようでいて、その裏に男女の難しさ。それが結末を書いている部分で、何だかすごく冷たい話のように感じてしまって。

 結局は、官僚の汚職事件をどうもみ消すかという、そこに行き着くんだけれど、それは今も同じ。上の立場の人は罪を逃れて、逆に出世。真相を知る、あるいは一番の実働者が命を絶って、事件をわからないものにしてしまう。
 その点では、昭和32年に書かれた当時と、今と同じことであるという、何だかやりきれないものがあるのも、すっきりしない部分のように思います。
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風丰で「ふうぼう」

2020-07-06 08:45:36 | 
 新潮文庫「点と線」(松本清張)を読んでいたら、風丰という単語が出てきました。

 「ふうぼう」の読みでした。

 こういう漢字があるとは知りませんでした。風貌と同じ意味。
 画数が少なくていいというのはあるけれど、今まで見た覚えがないです。

 もっとも、過去に「点と線」を読んで、それを読み返しているんだから、その時に気付いていたはずなんだけれど、特に何も感じなかったんでしょう。

 いろんな漢字があるものです。
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小説だと時の流れは速い

2020-07-02 10:22:06 | 
 週刊朝日の連載小説「朔が満ちる」(窪美澄)。

 史也と梓の暮らしが2年目に。
 あっという間に。今週号だけで2年分。
 そこが小説のいいところ。

 暮らし始めのこともちゃんと書いてあります。
 『小さな衝突はいくつもあった。暮らし始めてみなければわからないお互いの欠点に、うんざりすることもあった』

 そうですよね。一緒に暮らしていたはずなのに、それでも結婚となると話はまた別ということでしょう。
 
 結婚して自分たちに子どもを育てていけるのか、そういう家庭で育ってないから手本となるようなものがない。
 という心配もあったけれど、だからこそ家族を持ちたいという2人。

 まだ、子どもが登場していないので、これからまたあっという間に時間が流れるのかな?
 史也が1人で自分が暮らした、今は無人の家に行ってみて、そこで何かを発見するのか。
 
 またまた(つづく)が気になる終わり方です。
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兄と妹の会話

2020-06-25 20:25:41 | 
 週刊朝日の連載小説「朔が満ちる」(窪美澄)。

 史也の父が亡くなり、梓と妹が帰ってきました。

 史也は妹の千尋と食事。
 子供の頃の出来事を振り返っている中で、千尋の目が見えなくなって、母と眼科巡りをした、あれは嘘だったと。

 『見たくないものが家のなかにあったから、子どもの私は見えない、と嘘をついた』

 これも大きな秘密で、ずっとかかえていたんだなぁと思いました。どこかで吐き出さないと重すぎることでしょう。
 
 ただ、見えないという状態、ないとは言えないように思います。
 詐病という言葉もあるけれど、症状として出ているのに、診察しても異常はない、そういうことってあると思います。
 お腹が痛い、頭が痛い、そういうのはけっこうな頻度であるように思います。

 見え方の場合は、千尋が言うように「見たくない」という気持ちが強くなった時に、出てくることがありそうな。
 
 いずれにしても、兄と妹が子ども時代のことをじっくりというのか、深くというのか、本当のことをという、そういう会話をするってすごいことだなぁと思いました。
 小説だけれど、現実にもあるのかな…?

 梓は養父と話をまとめてきたようですし、史也と千尋が話したことを互いに忘れていけるような、明るい将来が待っていそうなんだけれど、大丈夫ですよね。
 そのまま進んでくれますよね。
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長い手紙

2020-06-18 20:12:47 | 
 中公文庫「十二人の手紙」(井上ひさし)を読んで、手紙というのはいいものだというのと、こんな長い手紙を受け取ったら読むのが大変だろうなぁと思うのもあったり。

 初出は「婦人公論」1977年1月号~1978年3月号連載と書いてあります。
 あの頃は手紙を書きましたね。

 この作品の中にもあったけれど「複写」。
 カーボン紙を使って、控えを手元に残したり。
 下書きをしてから清書というパターンもありました。
 
 手紙は明確に読み手がいるわけで、その人(複数の場合もあり)が理解できればいいという内容もあるし、その人が読むんだからこその説明が必要な場合もあるでしょう。

 いずれにしても、長い手紙は読むのが大変と思うけれど、けっこう長い手紙を書いたことがあるような気もします。

 外国への手紙をエアメールといってたし、八神純子さんの「パープルタウン」には「エアメールさりげない愛 届けるわ あなたのドアに」という歌詞がありました。
 メールを手紙という単語で使っていたけれど、今のメールとは全く違ってましたね。

 今は、E-mailで、基本は短くでしょうか。用件のみでOKというのか。
 さらにTwitterであったり、LINEもそうでしょうか、短い方がいいという流れになっているように思います。

 そう思って読んでいると「何時間かかって書いているんだ」と思える長い手紙もありました。「受け取った方も読むのが大変だぞ」と。
 でも、そういうことありましたね。

 便箋、必需品でした。
 井上陽水「心もよう」
 「黒いインクがきれいでしょう 青い便箋が悲しいでしょう」
 
 手紙の書き方の勉強の本かな…と思って読み始めたんだけれど、全部ストーリーで、謎解きというのか、オチがあるというのか、そうだったのかというのがほとんどでした。
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話せばわかる、のパターン

2020-06-18 10:27:43 | 
 週刊朝日の連載小説「朔が満ちる」(窪美澄)。
 
 史也が梓の養父のところへ話しに行きました。
 喧嘩というのか、諍いになるのかと思ったら、養父が、梓を養子とした経緯や、家に来てからの様子を詳しく話して、最後には「おまえとのつきあいを許したわけじゃない。……けれど、梓を自由にする時が来たのかもしれない」と。

 話せばわかる。そういうことでしょうか。
 激しいやりとりにもならなかったし。
 
 冷静さと信頼かな。いい人なんだと思います。養父のドクターも。
 
 そして、今週号のラストでは史也の父が亡くなりました。
 史也の気持ちの書き方がすごい。
 『怪物が死んだ。やってきたのは、深い悲しみではなく、津波のように押し寄せてくる安堵の気持ちだった』(つづく)

 さぁ、どう続くのでしょう?
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