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イタグレと暮らす戌年男のブログ

 イタリアングレーハウンド(イタグレ)と過ごす中で、家族、趣味、出来事についての感想などを書きたいです。
 

日本の人口ピーク2008年、出生数のピークは?

2020-06-18 10:02:41 | 
 週刊朝日の「週刊図書館」のコーナーにある連載「今週の名言奇言」(斎藤美奈子)で、「政権交代が必要なのは、総理が嫌いだからじゃない」(田中信一郎著 現代書館)が取り上げられていました。

 これからの日本にとって特に重要なのは人口減少で、そのことに沿った政策が必要だと。
 日本の人口のピークは2008年で、それ以降減少に。
 2008年の人口は1億2,808万人。

 以後、少子化対策がことごとく的外れとか、書いてあるのですが、少子化に関してはいつからか。
 出生数のピークを調べてみたら、昭和22年~24年が第1次ベビーブームで、24年に2,696,638人。これが最高。
 
 以後減少して、昭和41年は丙午の年で、特別に少なく、昭和46年~49年に第2次ベビーブームがあって、それ以降は減少。
 厚生労働省のHPに出ていたデータ。平成23年までです。最近は100万人を切っているから、これよりずっと減っています。

 2008年まで人口が増えていたというのは、長命になっていったということなのでしょう。
 少子化対策は第2次ベビーブームのあと、すぐにでも考えるべきことだったのが、その頃は何もしてこなかったと思います。

 紹介された本は、そういうことは書かれていないのかもしれませんが、ここまで出生数が減るというのは、第2次ベビーブームの頃にちらっとでも考える人がいたのかな?
 
 1980年代、例えば盲学校では児童生徒数が減少して、今後の教育活動をどうするかというのが全国で議論されていました。減少の理由の根本は子供の数が減っているから。
 障害を持つ児童・生徒が減ることはいいことなのかもしれないけれど、それは絶対数であって、一定の割合で障害を持つ児童・生徒はいました。

 そのことが、日本全体の人口減少の問題なるというのは、うっすらと考えられていたような気もするのですが、何の手立てもないまま現在に至ったという点では、紹介された本が指摘していることに共通するのかなと思いました。
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実店舗で新書を購入

2020-06-14 11:00:45 | 
 月刊陸上競技を買いに書店へ。

 大会の返金で届いたQUOカードを持っていきました。
 2000円。月刊陸上競技だけでは2000円になりません。
 残った分は次の買い物に使えるわけですが、何となくぴったりあるいはそれに近い金額にしたいなぁという、昔のテレビ番組「がっちり買いまショウ」のような発想。

 そこで、集英社新書「朝鮮半島と日本の未来」(姜尚中)を候補にしました。
 860円なので、税込み946円。ぴったりは無理でもいい線だろうと。

 実店舗で本を探すのは、けっこう大変(低視力ゆえ)。雑誌はあらかじめHPで表紙を確かめておきます。
 新書の場合は、背表紙を読むのはググッと近づかないとだめだし、表紙が出ていればいいけれど、大丈夫かな?
 新書も今は種類が多いから、どういう並びになっているかもわからないし…。

 だいたい、目の高さの位置で探したら見つからなくて、諦めかけたとき、ちょっとしゃがんだらちょうど姜尚中さんの顔写真(表紙)が目にとまって、無事購入できました。

 2000円をちょっとオーバー。「がっちり買いまショウ」は、オーバーしたらアウトだったと思いますが、QUOカードの買い物は、その分現金を足せばいいだけのことだから、ちょうどいい買い物ができました。
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斎藤道三のセリフ

2020-06-13 11:50:54 | 
 週刊新潮の連載「TVふうーん録」(吉田潮)

 今週号で「麒麟がくる」を取り上げていました。

 斎藤道三の名言が出ていました。モックンの名言と書いてありますけど、つまりは道三の名言。

 「人の上に立つ者は正直でなくてはならぬ。偽りを申す者は必ず人を欺く。そして国を欺く。決して国は穏やかにならぬ」

 そのセリフ、聞いたはずだけれど、覚えていません。
 さすがは吉田潮さん、細かい!!と感嘆。

 『モックンの名言は現首相に贈る言葉でもある』と書いてありますが、それはモックンの気持ち、道三の気持ちではなく、吉田潮さんのご指摘ですよね。
 『嘘と隠蔽で国民を欺き続けてきた罪』とも書かれています。

 「麒麟がくる」は現在の世の中を反映しているドラマなのですね……。
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「この人の1週間」に斉藤とも子さん

2020-06-11 09:21:58 | 
 週刊朝日の連載「この人の1週間」
 今週号は斉藤とも子さんでした。

 学園もののドラマで、優等生役の印象が強いのですが、その点はご本人が抵抗ありで、高校を中退したと。
 確かに、「優等生」という言葉は、褒め言葉の場合もあるけれど、見下すのとは違うけれど、「真面目」とか「ガリ勉」とかとも共通する、ちょっと仲間内では距離を置かれてしまうような、そういうニュアンスもあると思います。

 学生に限らず、一般的にも「優等生」がbestと思われない、そういう面があると思います。
 
 カルチャー・クラブの歌で「君は完璧さ」というのもあるけれど、歌詞の内容はわからなくて、どういう意味合いで使っているかわからないけれど、「完璧な人」というのも、ちょっと避けられそうな気もします。

 で、優等生というレッテルを貼られることの反発で高校を中退して、女優業に力を入れて、でも、その後結婚してから、再度勉強しようと。
 大検をとって大学進学。福祉の勉強。

 それらのことが詳しく書かれていて、すごく充実した日々が綴られていて、素晴らしいと思いました。

 今年度還暦を迎えるのですが、掲載写真を見る限り、とてもそうは見えないです。
 井上純一さんと一緒に出ていて、同級生だったように思うけれど、実際は2学年下だから、それでもちょっと大人びて見えたというのは、すごいなぁ。優等生のイメージになりますね。
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国会答弁に北朝鮮による拉致が出てきた時期

2020-06-07 20:32:54 | 
 横田滋さんが亡くなられて、もう一度拉致が起きた時のことを調べ直してみようと本棚から「奪還」(蓮池透)を取り出しました。

 横田めぐみさんに関する書籍がなくて、蓮池薫さんに関する書籍でも、めぐみさんのことは出ているはずだと思って。

 横田めぐみさんが拉致されたのは1977年11月15日。
 蓮池薫さんと奥土祐木子さんが拉致されたのは1978年7月31日。
 しかし、当時は拉致というのは全く考えられなくて、蓮池さんの家族も、横田めぐみさんのことは全く考えていなかったようです。

 警察に届けたときに、警察官も「駆け落ちでは?」と考えたくらいで。

 ならば、国会答弁に北朝鮮による拉致が出てきたのはいつか? 1988年3月26日。梶山静六国家公安委員長(当時)が「昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯は、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」
 しかし、この答弁で何かが動いたのかというと、何もなかったと。
 また、アベック行方不明ですから、横田めぐみさんの事は考えていなかったと思われます。

 1997年、雑誌「現代コリア」に横田めぐみさんと思われる少女の記事が載ったことで、事態が大きく動き始めた。
 それにより「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が発足し、代表に横田めぐみさんの父である、横田滋さんが就任。
 まとまった活動としては、ここからということのようです。

 「奪還」は2003年4月25日発行。蓮池さんらが帰国したのが2002年10月15日ですから、半年後に出版されたものです。

 行方不明になってからの年数で考えると、報道されているように43年ということですし、拉致ということを考えるようになってからはどうカウントすればいいのか。
 いずれにしても、政府の対応がどうなっているのかという点も指摘されています。

 まだ半分ほどページが残っているので、じっくり読み進めようと思います。
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「買い物という社会参加と決定権」

2020-06-05 09:14:07 | 
 週刊朝日の書籍コーナー「週刊図書館」
 斎藤美奈子さんの「今週の名言奇言」で取り上げていたのは、
 樋口恵子著「老~い、どん!」

 すごいタイトル。うまい!

 足腰が弱ってくると買い物は負担だが、買い物は自立の証だと。

 本文からの引用で、
 『老いても一定の判断力がある限り、この買い物という社会参加と決定権を最後まで持たせてほしいと思います』

 すごく重要というのか、よくわかる感じがしました。

 例えば、長い入院生活があったりすると、買い物どころか家から出るのが難しいというか、ハードルが高いというか、そんな状態になったりします。
 社会に出て行けないといってもいいかも。
 そんなときに、買い物だって社会参加だからと、少しずつ出かけられるようになっていく、そういうステップ。
 
 今回COVID-19の影響で、買い物は3日に1回とか、1人で行くようにとか、いろいろ制限のようなことが言われています。強制力はないにしても、「買い物という社会参加と決定権」というのを考えたら、毎日行こうとも、家族で一緒に行こうとも、それが自分たちの権利であり、社会参加なんだというそんな感じがしました。

 感染予防が重要なのはわかるとして、社会参加から離れていると、戻るのがとっても大変というのがすごくわかるので。
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生き方を諭してくれる人

2020-06-05 04:05:33 | 
 週刊朝日の連載小説「朔が満ちる」(窪美澄)。

 史也が考えていたことは、父親の最後。それは自分の手で…。

 しかし、梓が止めてくれました。
 母親も実は夫に対して、憎しみというのか、世話をしているのが全く心の反対という状態で、実は死を願っている。
 
 2人に対して、梓はそれぞれ諭していました。
 
 父親の、夫の暴力に苦しんだ2人。母親に捨てられたという心の傷の梓。
 その中で、梓の冷静さ。諭せる思考。
 すごい人だと思います。

 ひとまず、悔いを残すような行動はおさまったけれど、この後どうなるのか。
 毎号続きが気になる連載小説です。
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こんな子供レートの麻雀を…

2020-06-04 20:34:34 | 
 週刊朝日の連載「出たとこ勝負」(黒川博行)に黒川氏の麻雀のことが書かれていました。

 『こんな子供レートの麻雀を大の男(しかも超高給とりの全国紙新聞記者と検察ナンバーツー)がするか。仮に〝点ピン〟を信じたとしても、それはあくまで素点であり、ほかに必ず〝サシウマ〟という順位点がつく…(以下略)』

 黒川さんは麻雀が好きで『家では毎日よめはんと打っている』ということです。
 たまに東京へ出たときには、作家や編集者と打つことが多いが、レートは黒川氏より低い。自分が負けること多いからだと。

 賭け麻雀のレートは国会で追及して欲しいです。誰かが記録を残しているのでは。
 義父がパチンコ好きで、夜間勤務がある関係で、夜勤明けの日や、平日休みの日に、たっぷりどっぷりパチンコ店というのがあって、結果は全て手帳に記入していました。どうしても万単位の勝ち負けになるようでした。トータルでは勝っていると見せてもらったことあります。

 麻雀も、勝ち負けや点数、レートなり、金額なりそういうのを書く人いるでしょう。
 また、役満で上がったときには記録しておくとか、天和、地和、人和全部上がったことある、なんていうのは自慢になるでしょうから、記録残したいでしょう。

 かぐや姫の「幸福のメニュー」に
 「それにしてもこのまえの四暗刻単騎待ちはおしかった」という歌詞がありました。役満です。

 ということで、黒川氏か一緒にやっている人たちで記録を残している人から提出してもらえばいいのに…と思いますが、そうすると賭け麻雀をやっていたのね、といわれる人がどんどん増えるかもしれないし、それが国会議員の中にもいるかもしれないので(黒川氏との麻雀でなくても)、追及しにくいか。

 いずれにしても、黒川博行さんから見たら、点ピンの麻雀を大の男がやっているなんて、絶対嘘だという、一つの証言ともいえる貴重な内容でした。
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「紗をかける」写真用語か…

2020-05-21 20:22:00 | 
 週刊朝日の連載小説「朔が満ちる」(窪美澄)。
 史也と梓の関係は良好というか、すごく心が響き合っています。

 梓が「ここで史也に、全部、見せたね、私の全部」
 意味深というか、読んでいればわかることですが、ほんとに諸々。

 梓が実母に対してとった行動を、史也がどう受けとめるか。
 その点がわかり合える境遇だということで。

 そして、史也も自分が父親にしたことを話しました。
 
 その話ができるということが、梓に対しての信頼というのか、深いつながりというのか、許し合える間柄というのか。
 
 これ、車の運転中。運転中に大事な話をしてはだめという鉄則(?)もあるんだけれど、大丈夫というか、その辺のことはちゃんと出てきました。

 『そのとき、ふいに視界に紗がかかった』
 涙です。
 「紗」をどう読んでいいのかわかりませんでした。
 調べてみると、訓読みに「うすぎぬ」があるので、それかなと思ったけれど、もう少し調べてみたら、写真用語で「紗をかける」がありました。「しゃ」です。
 「うすぎぬをかける」という、今ならソフトフィルターを使うということで雰囲気のある写真になるのでしょう。

 史也の仕事がカメラマンであることを考えると、紗がかかったという表現は、すごくいいタイミングで使われているのかなと思いました。
 
 史也はちゃんと「車を道の脇に停めた」と、安全運転に徹してます。

 梓との会話で気持ちが落ち着いたところで再び走り始め、その時に、史也の気持ちとして、
 『僕は梓といるときだけスムーズに息ができる』という一文もあって、これもまたすごくいいなぁと思いました。
 『肺いっぱいに息を吸い込むことができる』

 案外できないことです。緊張感があるとどうしてもスムーズでない、あるいは呼吸が浅い、そうなります。

 「一緒にいるとホッとできる人」という表現はしばしば見聞きするけれど、「スムーズに息ができる」何ともいい表現だと思いました。
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読書をしてたら宇佐神宮

2020-05-18 20:05:58 | 
 NHK出版新書『「松本清張」で読む昭和史』(原武史)を読んでいたら、宇佐神宮が出てきました。

 p.193。「昭和天皇実録」に書かれていたこととして、
 『1945年7月30日に大分県の宇佐神宮、8月2日に福岡県の香椎宮に、昭和天皇が勅使を送り、敵国撃破を祈らせていた事実です』

 この内容は、ずっと読んでこないと意味合いがわからない部分もあるのですが、重要な出来事であるのは、よくわかります。
 その点を含めてというのでしょうが、宇佐神宮。
 総理夫人が「宇佐神宮の参拝のみに参加した」という説明があったのをすぐに思い出しました。

 もしかして、総理夫人もこの本を読んで、あるいは読まなくても、宇佐神宮がどういう成り立ちかをご存知で参拝に出かけたのかな、と思いました。
 でも、違うかな…?

 <第五章 見えざる宮中の闇 『神々の乱心』>の中で取り上げられている話です。
 「神々の乱心」は全く知らなくて、「100分de名著」で初めて知って、今回この本を読んで、もう少し深い部分もわかりました。
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