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イタグレと暮らす戌年男のブログ

 イタリアングレーハウンド(イタグレ)と過ごす中で、家族、趣味、出来事についての感想などを書きたいです。
 

金木犀~スダジイ

2020-10-14 20:15:08 | 
 週刊朝日の連載「ときめきは前ぶれもなく」(下重暁子)に、金木犀のことが書かれていました。
 
 香りのことです。

 マンションから出る時に、一瞬マスクを外す。
 外の香りを感じるために。

 今は金木犀。

 ところが、金木犀の香りを知らない人が多いのに驚くと書いてあります。

 下重さんは東京にお住まいで、新潟よりも開花が早いかもしれません。新潟でも最近、走っていると「おっ、金木犀があるな」と香りでわかります。
 あれだけ強い芳香で、それを知らないというのは、どうしてなんでしょう?

 ただ、私の年代あるいはそれよりもうちょっと若い世代でも「金木犀の匂いは好きではない」という人もいます。
 理由は「トイレの芳香剤」確かに、金木犀ありました。今はどうかと調べてみたら、消臭元やサワデーにあります。トイレの水洗化が進んで、今は芳香剤を使わない家の方が多いのではないかと思います。
 下重さんのロマンを感じさせる文章と、トイレの芳香剤の連想では、申し訳ないですが…。

 そんなことを思って、NHKニュース7を見ていたら、日本学術会議に関することで、コメントを出している自民党の人たちが年配の方々で、そういえば、スダジイがあったなぁと。
 ちょっと違う? 一文字違いですか。
 山と渓谷社「樹木2」で調べたら、福島・新潟県以南と書いてありました。秋田はないんだ…。気候です。暖かい地方の樹なので。
 でも、秋田にはスギがあります。日本三大美林です。あっ、一文字違うか…。

 金木犀から樹木ということで、余計なことを考えてしまいました。
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信頼の三角形

2020-10-08 20:02:20 | 
 週刊朝日の連載「ナイス・エイジングのすすめ」(帯津良一)に、「信頼の三角形」という言葉がありました。

 どんな治療法でも、効果を発揮するためには必要な不可欠な三条件がある、と。
 ①患者さんがその治療法の効果を信頼している 
 ②主治医もその効果を信頼している
 ③患者さんと主治医が信頼関係で結ばれている

 なかなかこの実現が難しいとも書いてありますが、治療に限らず、どんなことにも通じていそうな「信頼の三角形」だと思いました。

 例えば、スポーツでどういう練習をするのかという時に、選手と監督に置き換えて、練習方法とすれば、全く同じことになるように思います。

 政治だって、そうかも。

 家族関係にもいえるかもしれないし、教育機関も同じでしょう。

 ③が一番大事なようにも思うけれど、①と②も相当重要で、「信頼」というのがとても重いものだと思うのです。

 信頼できるように努力するとかだめですよね。信頼というのは、無意識というのか、言葉で表現できるものでないような、そんな感じがします。
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「雷神」了

2020-09-26 20:24:56 | 
 週刊新潮の連載小説「雷神」(道尾秀介)が最終回となりました。

 新潟県が舞台になっていることもあり、興味を持ったけれど、羽田上村というのは実在しなくて、それでも、柏崎とか長岡とか実在する地名も出てきて、何となくどこを想定しているのかわかるような気もしたけれど、景色や産業のこと、海との距離感を考えると、ぴったり当てはまるところはないと思いました。
 
 小説ですから、その方がいいと思うけど。

 主人公の母が命を落とした理由がはっきりわかったのは、良かったというか、たぶんそうだろうなぁと思って読んでいたから、やっぱりな、という感じでした。

 それが事件の根本だろうと。

 次号から新連載が始まるということで、読みやすい小説だといいなぁと思います。
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国連加盟国加盟年順序

2020-09-12 11:12:08 | 
 集英社新書「朝鮮半島と日本の未来」(姜尚中)を、読んでいたら、韓国と北朝鮮が揃って国連に加盟したのが1991年と出ていました。

 もっと以前から加盟していたように思っていました。
 
 同じようなケースはドイツでも。西ドイツと東ドイツが同時に加盟したのが1973年。

 国際連合広報センターのHPに、国連加盟国加盟年順序という一覧表がありました。
 1945年の原加盟国は51カ国。

 そこから毎年少しずつ増えて、1950年に60カ国。
 そのあと1955年までとんで、16カ国が加盟し76カ国に。

 日本の加盟はその翌年の1956年。それで80カ国に。

 東西ドイツが加盟した1973年で135カ国。

 韓国と北朝鮮が加盟した1991年で166カ国。

 2002年にスイスが加盟というのも驚きというのか、そうだったのか、という思いです。

 最新の加盟は2011年の南スーダンで193カ国に。


 「朝鮮半島と日本の未来」は、朝鮮半島のことと東西ドイツのことを書いてあるだけでしたが、国連の加盟順が自分で勉強できました。
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畠中恵著「御坊日々」

2020-08-11 09:56:36 | 
 週刊朝日の新連載小説。
 「御坊日々」畠中恵著。
 
 明治になって、時代の変化が早すぎる。ついていけないのは誰もが同じだとしても、年配者の経験が重んじられた江戸時代と違って、例えば快適に籠に乗る方法など、何の役にも立たないことになってしまったと、人力車。

 何となく、現在のことを明治の始まりに写しているのかなという感じもします。

 主人公は僧侶。
 廃仏毀釈のこともちょっと出てきますが、もう落ち着いているようです。

 「第一話 色硝子と幽霊」というのは、ちょっと及び腰になったり。
 前者はいいとして、後者はあんまり…。

 活字が大きいぞと思ったのは、新連載小説だからではなく、どのページも活字が大きくなりました。
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1980年代の日本語ワープロ

2020-08-10 11:57:40 | 
 講談社文庫「ステップファザー・ステップ」(宮部みゆき)。

 解説はなくて、「メイキングオブ宮部みゆき」というのが、本編の後に載っていました。

 その中に、キャノワード・ミニのことが書かれていました。
 文章からすると、1984年に買ったと思われます。
 25万円。
 
 「ステップファザー・ステップ」の中にも、ワープロのことは出てくるので、使っているのかなぁと思っていましたが、日本語専用ワープロでスタートなんですね。

 『作家になる前に一本だけ手書きの原稿がありますけど、それ以外は全部ワープロ』

 日本語専用ワープロは、1980年代に入って登場。
 最初は液晶画面が小さくて、一文が入ることはなかったです。
 当時は東芝のルポが人気で、私も購入したかったですが、売り切れ状態。
 いつもお世話になっているサンヨーのお店から、同社の製品を購入しました。
 というか、店主の方から「ノルマで2台売らねばならない」と。「何とか1台でも」というところを、兄貴と2人で購入。店主はノルマ達成となりました。
 
 そんなことも思い出しました。
 
 宮部みゆきさんは、日本語専用ワープロを長く使っていたのかもしれません。たぶん「ステップファザー・ステップ」は日本語ワープロなんだと思います。

 私は、仕事で点字を使う必要があったので、パソコンへ移行。日本語ワープロは「一太郎」と「JG」を使い分けていました。

 懐かしいことを思い出すことができました。
コメント (2)
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銀行振込では鼻歌は出ない

2020-08-09 10:12:04 | 
 講談社文庫「ステップファザー・ステップ」(宮部みゆき)。

 最後の話「ミルキー・ウェイ」
 ボーナスの話から始まりました。
 
 ボーナスシーズンは俺=泥棒にとっては稼ぎ時。思わず鼻歌も。
 それなのに、周囲を見回すとあんまり景気のいい顔つきをした人々に巡り合わない

 書かれたのが90年代初めであることを考えると、バブルの崩壊と関連しそうでもありますが、まだぎりぎりボーナスがたくさん出ていた時期かもしれません。

 だから理由は別。
 『銀行振込というシステムのせい』
 『結構な額のボーナスをもらっても、それが通帳の上の数字の羅列でしかなかったら、嬉しいのは嬉しくても、今ひとつ実感に欠ける』
 鼻歌も出てこない。

 給与・賞与の銀行振込はもう少し前から始まっていて、この話では公務員が現金支給ということになっているけれど、公務員も90年代には振込の人が増えていたように思います。

 思わず鼻歌が出てくるような嬉しさ。給料日はもちろん、ボーナス支給日は、多くの人がそうだったと思います、確かに。

 昨日、Eテレの「メジャーセカンド2」で、大吾のお姉さんから借りた傘を返しに来た睦子。「明日でもよかったのに」とあっさり受け取る大吾。そのまま帰った睦子。大吾の後ろで、母と姉は「送って行きなさい!!」
 並んで歩く二人。大吾はともかく睦子はとても嬉しいはず。
 
 お金の話と対比できないかもしれないけれど、思わず鼻歌が出てきそうな気持ちというのは、そういうのもあると思います。女性の側だけでなく、男性の側でも。

 今は、そういうのがすごく減っている気がします。
 キャッシュレスなんてやめてくれ…というのもあるし、あのほんわか胸がいっぱいになってしまうような気持ちが懐かしいというのもあります。

 思わず鼻歌が出てくる、そういう場面作りたいものです。
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90年代、発熱と出勤の意識

2020-08-08 20:18:49 | 
 講談社文庫「ステップファザー・ステップ」を読んでいると、90年代のことがいろいろ思い出されます。
 
 「ハンド・クーラー」という話の中に、
 『平均的働き蜂サラリーマンが「こりゃ駄目だ、今日は会社を休もう」と思うのは、三十八度以上発熱したときだという』という一文がありました。

 確かに、そんな風に言われていたような気がします。

 新型コロナウイルスの感染が確認された頃の「37.5℃以上の発熱が4日以上続く」という条件、そもそも、37.5℃以上の発熱があったら、通院するでしょう、と思いました。仮にその日は様子を見ても、2日目には行きますよ、と思いました。
 
 でも、厚労省の方なのか、その基準を決めた人は90年代の平均的働き蜂サラリーマンだった人で、発熱は38℃までなら仕事に行くんだ、と考えていた人だったりして…。

 「ステップファザー・ステップ」に書かれていることも冗談ではないし、37.5℃以上が4日以上も現実のことでした。
 発熱というのはどう考えるか難しいですが、やっぱり37℃が目安ではないでしょうか。どうしてそう思うかというと、こどもの頃体温計は水銀式で、目盛りの所に書かれている数字、37は赤い文字でした。そのイメージは強いです。

 現在、発熱のある方は帰省を控えてとかいっているけれど、具体的にどれくらいからが発熱かは、個人の判断で違いがありそう。
 新潟駅では、任意だけれど、帰省してきた人の体温チェックをしていると。それも、いったい何℃を基準にして、どういう対応をとるのでしょう?
 
 そもそも、無症状で陽性の方がいるんだから、発熱してないから大丈夫というのもおかしい。具合が悪い人は帰省を控えてというのも、同じように無症状で陽性の人がいるから、おかしい。
 帰省する人はPCR検査を受けて陰性を確認して下さい、とならないと感染拡大を防げないように思います。それだって、その時が陰性なだけで、帰省してから陽性になるという潜伏期の問題があるけれど、発熱や具合の悪い人というのよりは、いいはず。

 90年代が懐かしくもあり、そういう時代の話を読んでいるのに、現在の状況に結びつけてみたり、ゆっくりじっくりの読書になってます。
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helter-skelter 周章狼狽

2020-08-06 20:10:51 | 
 講談社文庫「ステップファザー・ステップ」(宮部みゆき)

 それぞれのお話(短編)にタイトルがあって、4つめが「ヘルター・スケルター」
 何のことか全くわからないまま読んでいました。
 ポルターガイストの仲間かな…というような言葉の響きを感じたり。

 全然違ってました。終盤に周章狼狽と書いてあって、ルビがヘルター・スケルターでした。

 周章狼狽というのは、わかるけれど、使ったことないなぁ。
 weblioを調べてみたら、
 What helter-skelter handwriting!という感嘆文が例文として載っていました。
 なるほど、そういう使い方ですね。

 湖に沈んでいた車の話は、テレビドラマでも使われていました。
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原作とドラマの違い

2020-08-05 09:49:33 | 
 7月22日からBS-TBSで放送されているドラマ「ステップファザー・ステップ」

 原作本(宮部みゆき著、講談社文庫)を購入して読み始めたら、ずいぶんドラマとは違っていました。
 双子は小学生ではなく、中学生。これだけでもずいぶんな違いです。

 登場人物の設定もドラマとは違います。ドラマの方が変えているわけです。

 原作は90年代前半なので、その頃の時代背景がわかります。
 ワープロで四倍角の文字を使っていた頃なんですね。

 携帯電話はあったでしょうが、ほとんどの人がまだ使ってなかったはず。
 電報を使う場面もありました。メロディー付き。ありました、かなりはやっていたというのか、卒業式や結婚式ではたくさん使われていたと思います。

 そういう諸々を思い出しながら読んでいると、ついメモをしたり、なかなか進みません。
 
 灘尾礼子先生は登場。「二十五、六歳。小柄で、どちらかと言えばぽっちゃり。だが脚はすっきりと細いし、足首なんて、ほんとに華奢だ」
 授業参観に行って、担任の先生をひと目見て、すぐに足首の様子までわかるなんて、さすがは泥棒? 
 ドラマでは、小西真奈美さんが演じていて、原作の『担当の先生は、本当に美人だった』はそのままとして、年齢や体つきはちょっと違うかも。足首はわからないです。

 主人公は「俺」で通しているし、ドラマの上川隆也さんっぽくもあるけれど、35歳という設定だから、ちょっと年上。

 ドラマは2012年の作品。
 原作から20年ほど経っていて、時代の変化はすごく大きいです。
 ただ、授業参観に行ったとき、1クラスが30人で、双子たちは別々の学校で1人は4クラスだけれど、もう1人は2クラス。
 『子どもの絶対数が少ないのだろう』
 少子化の問題は、1990年代前半には課題になっていました。教育現場では深刻な面がありました。
 でも、なんの対策もなかったように思います。

 いろんなことを考えながら読んでいます。
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