先週の金曜日、9日遅れで配信しました。遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
今号のコラムは、不登校とひきこもりの青少年が元気になっても支援を受けることになかなか踏み切れない理由を考える第2弾。
前号で指摘したこととは異なり、就労支援だけを求めて結局受けられなかった青年の例を引き、
①周囲の人々と同様「学校/社会に出るのが当然」という<あるべき人間像>から逆算して自分を見ているために「そのレベルに一気に追いつかなければならない」と焦っている。
②支援のレベルに見合うだけのエネルギー(相談したり家庭訪問を受けたりするより就労支援のほうがエネルギーが多く必要)が回復していない。
という2点を指摘しています。
そして、①については「学校/社会に出られない」という<今の自分>を直視し、そのレベルに合った思索と行動を積み重ねることを、②については、支援を受ける(公生活)前の「心の安定」と「私生活」の段階でじゅうぶんエネルギーを蓄えることを、それぞれ提唱しています。
文中では①と②に分けて書いてありますが、このふたつは並行して実現すべきものであることは言うまでもありません。
なお、ここでは字数の制約上「支援を受けることによってエネルギーが回復する」というプロセスを、あえて無視して書いてありますが、この点を含めた“第三弾”を再来月の次号でお届けします。ご期待ください。
『ごかいの部屋』192号を読む
今号のコラムは、不登校とひきこもりの青少年が元気になっても支援を受けることになかなか踏み切れない理由を考える第2弾。
前号で指摘したこととは異なり、就労支援だけを求めて結局受けられなかった青年の例を引き、
①周囲の人々と同様「学校/社会に出るのが当然」という<あるべき人間像>から逆算して自分を見ているために「そのレベルに一気に追いつかなければならない」と焦っている。
②支援のレベルに見合うだけのエネルギー(相談したり家庭訪問を受けたりするより就労支援のほうがエネルギーが多く必要)が回復していない。
という2点を指摘しています。
そして、①については「学校/社会に出られない」という<今の自分>を直視し、そのレベルに合った思索と行動を積み重ねることを、②については、支援を受ける(公生活)前の「心の安定」と「私生活」の段階でじゅうぶんエネルギーを蓄えることを、それぞれ提唱しています。
文中では①と②に分けて書いてありますが、このふたつは並行して実現すべきものであることは言うまでもありません。
なお、ここでは字数の制約上「支援を受けることによってエネルギーが回復する」というプロセスを、あえて無視して書いてありますが、この点を含めた“第三弾”を再来月の次号でお届けします。ご期待ください。
『ごかいの部屋』192号を読む