語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【社会保障】「救急医療たらい回し」を救え ~埼玉・神奈川・佐賀の挑戦~

2013年07月29日 | 医療・保健・福祉・介護
 (1)救急崩壊が止まらない。
 救急車の出動件数は、年々増加の一途で、昨年は全国で過去最高の580万件超となった。
 他方、救急病院の数は増えるどころか、中核救急病院(二次救急病院)はこの10年間で、神奈川県では66、埼玉県では25も姿を消した。

 (2)埼玉県川越市に、3年前、「川越救急クリニック」が生まれた。医師は、上原淳(49歳)・院長のみ。ほかに看護師2人。開業時間帯は、救急が忙しい夜間だ(16時から翌朝9時まで)。この時間帯に、多い時には救急車が1日15台も来る。救急車の受け入れは20時頃からが多い。かくて、「川越救急クリニック」は、たらい回しされて行き場のなくなった救急患者の駆け込み寺となった。
 <例>男性、75歳、道で「頭がふらついて転倒」・・・・この訴からすると、単なる転倒だけではなく「脳の異常」リスクが加わっていることが推定され、診断するには整形外科と脳外科の2人の専門医が必要となる。しかし、2人ともそろっている医療機関はなかなか見付けがたい。たらい回しになる。
 しかし、この場合でも「川越救急クリニック」は受け入れる。なぜなら、上原医師は身体全体を診る「救急専門医」だからだ。
 実は、日本にはこの救急専門医が圧倒的に不足している。整形外科医1.7万人に対し、救急専門医は3千人しかいない。 ために、複数の疾患の可能性がある患者の受け入れは断られることが多くなってしまうのだ。
 ちなみに、<例>の患者は、CTでは脳に異常はなかったが、レントゲン検査で大腿骨骨折が判明。救急クリニックでは手術はできないが、要治療が骨折だけと判明すれば受け入れる医療機関はすぐ見つかる。事実、転院先はすぐ見つかり、しかも患者の自宅のすぐそばにある病院だった。

 (3)日本の救急病院は次のように分類される。
  (a)一次病院・・・・帰宅可能な軽症患者を受け入れ
  (b)二次病院・・・・要入院の中等症患者を受け入れ
  (c)三次病院・・・・緊急治療・手術が必要な重症患者を受け入れ
 この日本型システム上最大の問題は、医師の診断前に、症状の重さを患者、家族、救急隊が決定しなければならない点だ。ために、本当は重症だった患者が(a)に行って手遅れになったり、軽症患者が(b)や(c)に行って救急医を疲弊させている。
 埼玉県には、(b)が130施設もあるが、救急専門医は110人しかいない。しかも、その中の60人は(c)にいて、(b)には28人しかいない。救急医のかかる偏在も大きな問題だ。【上原医師】

 (4)米国やカナダでは、ERシステムをとる。軽症から重症まで全ての患者を救急総合医が見て、病名と重症度を診断する。ER医師の役目は診断のみ。軽症患者の初期治療は行うが、それ以外の患者は、それぞれの専門医にバトンタッチする。
 日本でもERシステムをを採用している病院はあるが、そのどこも、治療のために専門医チームを同じ病院内に備えている。
 この窓口であるERだけを独立した施設にしたものが川越救急クリニックだ。 
 救急病院の一番の氏名は、一刻も早く診断して、高度な医療機関に行く必要のある人を選別(トリアージ)することだ。「川越救急クリニック」では、高度な治療が必要な人は、すぐ近くにある大学病院の救命救急センターに搬送する。【上原医師】

 (5)川越救急クリニックのような診療所は日本初の施設で、画期的な試みだ。ただし、経営は苦しい。2億円の借金でクリニックを作ったが、想定していた「救急告示病院」の認定を受けられなかった。救急告示病院とは、厚労省の定めに基づき県が認定するもので、認定されると診療報酬において優遇される。
 <例>救急車1台の受け入れにつき、診療報酬が200点加算される。年間千台受け入れる川越救急クリニックは、それだけで年間200万円の診療報酬を受け取ることができる。
 しかし、24時間対応ができないことが大きなネックとなって、認定されなかった。こうしたことから、多数の患者を受け入れても収入はなかなか伸びない。
 ローンやスタッフ人件費を払うと、上原院長の手元に残る年収は、僅か200万円だ。
 借金返済のため、週3回、他の病院で麻酔医として働く。週4日は16時から9時まで川越救急クリニックで勤務し、週3日は8時から18時まで他の病院で麻酔医として勤務する。平均睡眠時間は3時間だ。仕事が重なる火曜日は完徹で、次の仕事に向かう。
 本来、救急システムがしっかりしていれば、こんな小さな救急クリニックが存在する必要はない。しかし、今の日本、特に埼玉ではこのような施設を必要とする人がたくさんいる。そのことがわかったことは大きな収穫だった。【上原医師】

 (6)救急車が患者宅に到着してから搬送先の医療機関を見付けるまでの待機時間が、全国の政令指定都市でワーストワン・・・・だったのが、神奈川県川崎市だ。
 そこで、「最後の砦」的病院が誕生した。昨年6月、大幅リニューアルした「川崎幸病院」がそれだ。川崎市重症患者救急対応病院の指定を受け、「救急患者を絶対に断らない」という目標を掲げて新しい試みを始めた。
 一般的に言って、救急病院が患者を断るのは、①専門医がいない、という理由のほか、②慢性的なベッド不足も理由だ。
 川崎幸病院はERシステムを採用しているので①はクリアしているが、ベッドが満床の場合はやむなく断っていた。これでは「最後の砦」になれない。そこで、満床であっても救急患者を断らなくても済む新たなシステムを開発した。
 ベッド満床時に患者を受け入れt場合、ERシステムで患者を診断した後に他病院へ転送することになる。ここで大きなネックになるのが転送作業だ。医師・看護師は診療や看護で忙しく、その作業をする余裕がない。また、転送のための救急車を持つ病院も少ない。こうした事情から転送を前提に救急患者を受け入れる病院はほとんどない(現状)。
 川崎幸病院は発想を転換した。転送作業を専任で行うセクションを作ったのだ。「救急救命士」【注】を「救急コーディネーター」と名づけ、転院業務先任者として雇用した。現在、救急コーディネーターは17人。日勤と夜勤の2交代制で、常時3~5人が勤務する。彼らは、救急車からのホットラインの対応、診療・検査・治療などの医療職の補助も行い、転院が必要となった場合、一時的に簡易ベッド(「ホールディングベッド」)に患者を移し、転院作業を開始する。
 転院先を決めるまでの時間は、目標は1件1時間だが、予定どおりにはなかなか終わらず、5~6時間かかることもある。1日で80もの病院に連絡することもある。時間帯としては夜中、季節としては冬(特にインフルエンザ流行期)が大変で、高齢者や酩酊者は転送が難しい。

 【注】約20年前にできた資格。プレホスピタルケア(医療機関到着前医療)の専門職。救急車内で「除細動」「気管内挿管」などを行う。基本的に、職場は救急車内。有資格者45,000人のうち6割は消防署員で、残り4割は資格を持ちながらその力を発揮できる場がない。

 (7)佐賀県医務課は、「iPad」(アップル社)を活用した「99さがネット」を作った。2年前から、県内全域に適用されている。
 「iPad」の画面に、県内全ての救急病院の情報がほぼリアルタイムで表示される。「見える」情報は、大きく次の2つだ。
  (a)県内のどの病院にどんな専門医がいるか。専門医は、20項目(脳外科・整形外科・救急専門医んまど)に及ぶ。脳外科と整形外科の両方の専門医がいる病院、救急専門医のいる病院が一目でわかる。
  (b)どの病院がどのくらい搬送を受け入れているか。どの病院が搬送を断っているか、もわかる。断った理由もわかる。救急隊が書き込む。
 この「iPad」を使えば、救急病院の現状がリアルタイムに見えてくるので、無駄な電話をする必要がなくなった。
 救急隊(消防署)の管轄外の情報も簡単に入手できる点で、システムが効果を発揮する。
 このシステムでは、救急病院の側も情報を共有できる。これまで、どの病院がどんな理由で断っているのかわからなかったが、互いの病院の状況が詳しく「見える」ようになった。互い、あそこがそれだけ頑張っているのなら、うちでもそんなに断れない、という良い意味での競争が生まれた。情報の「見える」化で、病院と救急隊との関係も非常に紳士的なものに変わった。
 このシステムは、現在、栃木、群馬、奈良などで使われている。群馬では、採用から1ヵ月で、救急病院が出した受け入れ不可の件数が、110件から75件に大幅に減った。

□塩田芳享(ジャーナリスト)「「救急医療たらい回し」を救え 埼玉、神奈川、佐賀の挑戦」(「週刊文春」2013年8月1日葉月特大号)
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