語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>経産省歴代次官の大罪 ~原発官僚~

2011年08月21日 | 震災・原発事故
 経産省は、電力行政一つをとっても、電力業界には競争がないため消費者に不利益を与えているにもかかわらず、まだ多くの規制を残したまま、これを緩和するつもりはない。

 (a)本当に必要な政策と、その運用成果で人材を評価される・・・・ということが、経産省では無い。(b)省益をつくった人が最も評価される。天下りポストをどれほど作ったかどうかが重視される。(c)無意味な政策にもかかわらず、その目的が見かけの上でいかに立派か、というのも大事だ。
 <例1>リース・クレジット業界における債権流動化事業。「財団法人資産流動化研究所」をつくり、通商産業省が予算をつけ、審査業務を委託する法律をつくった。しかも、民間だけにやらせるわけにはいかない、という名目で、事務局長にノンキャリアから、理事長にキャリア組から、という天下りポストを用意させた。
 <例2>核燃料サイクルに新たな関連団体をつくり、半永久的に使う。・・・・これには当時から強く反対意見を述べた若手官僚たちがいたが、多くは退職を余儀なくされたり左遷された。

 経産省の方向性は、04年の杉山秀二次官、06年の北畑隆生次官の頃から道を誤った。この頃から、地べた主義、国内主義、内向き志向になった。
 とりわけ北畑次官は、会見の席で外資系ファンドを名指しで批判するなど、外資からは敵視政策と受け止められた。外国企業誘致など、およそ関心外だと見られてしまった。
 その間アジア諸国は外資誘致の政策を推進した。そのため外国企業がアジアでビジネスを展開するうえで、日本は国際拠点としては視野に入らないエリアになってしまった。今やシンガポール、香港、ひいては中国本土にすら完全にそのポジションを奪われてしまった。日本企業が海外に出ていくのも当然だ。日本は、いま優良外国企業に土下座してでも来てもらわねばならない。そのために本気で環境整備しなければならない。経産省の幹部たちは、およそ世界の流れを理解していない。

 戦後の産業政策は、先進国になるための保護行政だった。問題は、ジャパン・アズ・ナンバーワンが言われた80年代後半以降だ。
 90年代はまだ規制緩和などに取り組んでいたが、00年過ぎから経産省の産業政策は進歩が止まった。企業側はお上に頼り続け、政府側は保護するスタンスのままだ。韓国、ロシア、中国などの途上国の保護政策を踏襲している。通常の先進国であれば、「産業省」はその規模を縮小している。日本は、ついに先進国になれなかった。
 役割を終えた経産省は、解体するしかない。

 菅直人首相の退陣が明らかになった今、注視しなければならないのは「大連立」だ。自民党と民主党それぞれの守旧派がタッグを組み、既得権を守るべく「大談合」して、特定の産業、企業、組合など各々の支持層へのバラマキを拡大する危険性が高い。
 もちろん、そのツケは増税だ。 

 以上、古賀茂明「道を誤った歴代次官の大罪 役目を終えた経産省は解体を!」(「週刊ダイヤモンド」2011年8月27日号)に拠る。

   *

●松永和夫・前事務次官
 原子力安全・保安院の院長を務め【注1】、原発の耐震基準の策定作業(06年)に関係した。津波の想定を甘く見誤った規制官庁のトップだった。
 事故直後には、銀行から東電への緊急融資を取り付けるのい尽力した。東電の損害賠償スキーム策定では、電気料金値上げが織りこみ済みの案で押し切った(国民への負担つけ回し)。東電を救済し、既得権益を守った。【注2】
 今回の原発事故では、事務方トップとして何ら指導力を発揮できず、終始失態続きだった。

●安達健祐・事務次官
 娘は東電社員。

●望月晴文・元事務次官
 原発の海外輸出への素地を作った。経産大臣だった自民党の甘利明や二階俊博をうまく宥めてコントロールした。
 東海村JCO臨界事故(99年)をきっかけに、原子力規制を強化するために旧通産省と旧科学技術庁の規制部門を統合する形で保安院が発足した。
 01年、保安院の初代次長に就任。公益法人の改革に便乗して、第三者機関による原発の当直長(運転責任者)資格認定試験を止めるよう通達を出した。原発の安全管理を軽視した措置として専門家からも異論があったにもかかわらず、資格試験は01年をもって廃止された。資格試験廃止後は、各電力会社が独自に試験を行い、資格を付与する形が採られた。
 この試験は、スリーマイル島原発事故(79年)を契機に82年から始まった。当時、スリーマイル事故は運転員の操作ミスだと言われ、日本でも運転員の技術レベルを向上させる施策が急務だった。そこで旧通産省は、省令で社団法人火力原子力発電技術協会が資格試験を行うことと定めた。運転シミュレーターでの実技、筆記、口頭の試験を導入した。「安全を重視するなら決して無くしてはいけない制度」だった。
 今回の震災による原発対応には資格試験廃止の影響があったのではないか、と専門家は指摘する。
 東海第二原発は、3個の非常用電源のうち1個が動かず、残り2個で3日半かけて冷温停止まで持っていった。冷却系統を巧みに使い分けながら一定のスピードの範囲内で温度を下げていく技術には熟練が必要だ。東北電力の女川原発も、非常用電源の修理中に余震でダメージを受け、綱渡りの運転で乗り切った。東電は、原子炉が多く運転員の数も多い。運転員の質の向上において、行き届かない面があったのではないか。

●村田成二・元事務次官
 かつて日本は、太陽光発電で世界一のシェアを誇っていた。03年時点で2位につけていたドイツの2倍だった。その一因は、94年に始まった家庭用太陽光発電設備の補助制度で、ピーク時で年間235億円が出ていた。
 ところが、突然、経産省が05年度に補助金を打ち切った。すると一気に市場が収縮し、05年にはドイツに世界一を奪われ、08年にはスペインにも越された。ドイツは、日本で余った太陽光パネルを安く買い上げ、国内で太陽光の電気を電力会社が高く買い取る制度も充実させたことで普及が進んだ。
 補助金打ち切りは、村田が事務次官のとき、03年に決定した。
 当時は小泉改革で、各省庁の補助金を生け贄として差し出すよう言われ、経産省は太陽光発電の補助金を差し出したわけだ。もともと太陽光はコストが高く、電力の買い取り制度と補助金を併用させなければ普及しない。経産省は無策のまま補助金を打ち切った。【飯田哲也・環境エネルギー政策研究所長】
 09年に補助金が復活し、今後は買い取り制度の拡充が図られる見こみだが、わずか3年の空白で業界地図はガラリと変わってしまった。
 経産省のある課長はうそぶく。「太陽光発電が全国に普及したところで総電力量の1%か2%にすぎない。実のところ、火力に置き換わるのは原子力しかない。それを知らしめるために太陽光の普及に力を入れているようなものだ」【全国紙経済部記者】

 【注1】02年7月から05年9月まで。
 【注2】「今国会で成立した『原子力損害賠償支援機構法』の青写真を描いた金融機関に「暗黙の政府保証」を与えた--ともいわれている。東電の経営責任を追及せず、銀行や株主の利益を重視し、ツケを国民に負担させる悪法だ」【記事「遅すぎた「クビ」 松永和夫経産次官の許し難い所業の数々」、2011年8月5日付け「日刊ゲンダイ」】

 以上、記事「経産省『原発官僚』の大罪を暴く!」(「週刊文春」2011年8月25日号)に拠る。
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