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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【言葉】正しく推理するコツ

2010年04月23日 | ミステリー・SF
 レヴィはやや顔を赤らめて話題を変えた。「それにしても、どうやってそこに気づいたんだね? ほかの皆は全然・・・・」
 「さほど難題ではございませんでした」ヘンリーは言った。「たまたま、皆さまそれぞれに違う筋道を辿られました。わたくしはただ、残った道を行ってみただけのことでございます」

【出典】アイザック・アシモフ(池央耿訳)『黒後家蜘蛛の会 1』(創元推理文庫、1981)
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書評:『緊急深夜版』

2010年04月22日 | ミステリー・SF
 発行部数50万部のコール・ブリティン紙の記者サム・ターレルのもとに、匿名の密告が入った。リチャード・コードウェルは、やくざの情婦と交渉がある、という情報であった。
 コードウェルは、4期にわたる現市長一派の腐敗を衝き、市政改革を錦の旗印に決起した弁護士だ。
 怪訝な思いで取材していくうちに、その情婦の殺害容疑でコードウェルが逮捕された。

 事件発生の頃に付近を通りかかったコグラン巡査は、現場から逃走した怪しい人物を目撃したが、この報告を上司のスタンコ警視は握りつぶした。
 サムは信頼するカーシュ編集局長に相談し、コグラン巡査と接触を図る。
 しかし、コグラン巡査は、証言を約した直後、亡くなった。コグラン巡査が死去したホテルを管轄する警察署は、他殺の疑いを抱くが、なぜかスタンコ警視たちは強引かつ一方的に自殺と宣言する。

 サムは、別の証人コニー・ブラッカーから事件の全貌を明かにする証言を得て、緊急深夜版の原稿を書きおろした。
 しかし、コニーは何者かの手で連れ去られてしまった。サムは茫然とするが、社内におけるある電話のやりとりが耳に入って謎が氷解する。
 コニーを救出するべく、そしてコードウェルの冤罪をはらすべく、切迫した状況のなかでサムは行動に移った・・・・。

  *

 ウィリアム・アイリッシュ『暁の死線』からマイクル・クライトン『タイムライン』まで、残された時間が刻々減っていくところに生じる緊迫感がサスペンスをうむ。本書にもこうしたサスペンスの要素があるが、主眼はあくまで、権力の妨害をはねのけて事実をあばいていく点にある。本書は、正統的なミステリーだ。
 ダシール・ハメット『血の収穫』のコンチネンタル・オプは、隠された事実をあばくと同時に、腐りきった町の浄化を実力行使した。
 本書の主人公は新聞記者だから、最終的な目標は直接行動ではなく、事実を大衆とともに広く共有する点にある。事実を知った大衆は、しかるべき行動に移るであろう、という期待がある。

 わが三好徹も探偵する新聞記者を好んで描いたが、三好作品の主人公は、必ずしも常には、真実を大衆とともに広く共有しない。たとえば天使シリーズの場合、主人公は、事実を積極的には隠さないが、積極的には伝えないことで、結果として真実について沈黙することがしばしばある。事実は、真実の一部にすぎない。
 本書の原著は1957年に刊行された。マッカーシズムが一応終焉を迎えたのは1954年の暮だ。
 新聞の使命、多数の正義を愚直に信じる主人公に、ちょっと感動を覚えないでもない。

□ウィリアム・P・マッギヴァーン(井上一夫訳)『緊急深夜版』(ハヤカワ文庫、1981)
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書評:『ベルリン・コンスピラシー』

2010年04月20日 | ミステリー・SF
 A・J・クイネルはすでに亡い。ディック・フランシスも鬼籍にはいった。読書の楽しみが減るばかり。
 と慨嘆していたら、嬉しいことにマイケル・バー=ゾウハーの新作が手元にとどいた。本書である。1995年に邦訳された『影の兄弟』以来の小説だ。
 エスピオナージの巨匠、健在なり。
 はたして、重厚にして緻密。期待を裏切らない作品だ。

 A・J・クイネル作品の特徴を二つの熟語であらわすならば、戦士と人情だ。ディック・フランシスは競馬と不屈。この伝でいけば、バー=ゾウハーは、ユダヤ人と謀略ということになるだろう。
 本書も、ユダヤ人と謀略で総括できる。
 ロンドンに投宿したアメリカ国籍のユダヤ人実業家、ルドルフ・ブレイヴァマンが目をさますと、そこはベルリンのホテルだった。そして、殺人罪の容疑で逮捕される。『審判』のカフカ的状況だが、謎はルドルフの息子、ギデオンの尽力によりだんだんと解明されていく。そこで明らかになったのは、複数の国々の高官がからむ大がかりな謀略だった。ホロコーストを生きのびた一人のユダヤ人を犠牲にして・・・・。

 敵とみえた人物が味方、味方とみえた人物が敵、陰謀の背後にまた別の陰謀、といった展開もあって、バー=ゾウハーのファンは堪能するのだが、不思議に思うのは、いま、なぜホロコーストか、という点だ。
 しかも、ルドルフが逮捕された容疑は、ホロコーストに関与したナチの残党狩りに係る。

 バー=ゾウハーは、職歴のさいしょが新聞社の特派員であったことからも察せられるように、事実への関心がふかい。『復讐者たち』『ダッハウから来たスパイ』のようなノンフィクションも残している。つまり、フレデリック・フォーサイスと同様、事実を可能なかぎり洗いだしたうえで、知られざる部分に想像力を注入するのだ。本書も著者がしらべた事実をふくらませている。そこに盛りこまれたフィクションも、いたるところで事実が裏打ちしている。
 ただ、フォーサイスと異なるのは、バー=ゾウハー作品の底には常にユダヤ人の運命というテーマが流れている点だ。実生活でも、バー=ゾウハーはイスラエルの行政マン(国防相の報道官)や国会議員をつとめた。
 してみれば、本書には、21世紀のイスラエル国民のアイデンティティを確認する意図があるのかもしれない。あるいは、昨今のイスラエル批判に対して国を擁護する意図が。もしかすると、本書で重要な要素を占めるネオ・ナチの台頭に係る警鐘かもしれない。

 いや、これはあまりにも図式的な解釈だ。
 ルドルフは使命に従事したことを悔いていないが、殺人という行為に嫌悪を覚え、後々まで悪夢に悩まされている。第三次および第四次中東戦争に従軍したバー=ゾウハーが到達したのは、生命を奪う行為そのものに対する根源的な疑問かもしれない。
 これに直接係ることばではないが、作中に印象的な一行がある。「ものごとに動じない屈強な男は、終わりのない地獄のなかに生きていたにちがいない」

 さいしょ敵対していた男女が、一転、深い関係になったりする甘さがあるのだが、この甘さがバー=ゾウハーのもうひとつの魅力ではある。
 人は、状況にクラゲのように翻弄される一方ではなく、また計算された行動ばかりではなく、主体的に、時としては衝動的にうごいたりもする。人が主体的にうごく契機のひとつは恋愛である。恋愛は、歴史となった過去においても謀略にみちた現在においても、本書において重要な役割をはたす。陳腐といえば陳腐だが、本書で語られる戦後まもなくの恋愛は、すこぶる切ない。

 ルドルフの主体性は、本書の末尾、恋愛とは別のかたちで発揮される。晩年の穏やかな幸福が約束されたはずだったが、個人を超えるなにものかのために自らを投げだす。
 困難な時代をしぶとく生きぬいてきた者には、余人にはないレーゾン・デートル(存在理由)があったのだ。

□マイケル・バー=ゾウハー(横山啓明訳)『ベルリン・コンスピラシー』(ハヤカワ文庫、2010)
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【読書余滴】風邪をひいたとき寝床で何を読むか

2010年04月19日 | ミステリー・SF
 星新一作品の魅力は、その巧みな話術にある。ショートショート、あるいは短編の命であるオチが効いている。が、すべての作品が水準を確保しているわけではない。
 本書に所収の短編11編のうち、よくできているのは『理想的販売法』。ネタばらしは仁義にもとるから公開しないが、有能なサラリーマンが有能なるがゆえに陥る悲喜劇(本人にとっては悲劇、アカの他人にとっては喜劇)が主題。さりげない最後の一行のパンチは、アカの他人をもたじろがせる。
 ただ、ラストで読者をうまくオトすためには、現実にはありえない状況を、『不思議の国のアリス』のように無理なく受け入れさせなくてはならない。その点、『契約時代』は設定された状況がいささかくだくだしく、理に走りすぎる。
 設定をシンプルにして成功しているのが『華やかな三つの願い』。西欧の名高い童話のパロディだが、きわめて現代的な三つめの願いたるや意表をつく。結末は、モラリスト星新一の面目躍如である。

 完成度という点では、表題作の『午後の恐竜』が質量ともに随一だ。端正な文体で、一見幻想的な物語が展開する。闊歩するさまが見えるが、触れることができない恐竜たち。もちろん物質的被害はない。
 これと同時に、もう一つ別の物語が進行する。こちらは核戦争の最前線に立つ司令部が舞台である。
 一方では幻想的なのどかさと、他方では世界没落の緊迫感と、両者が背中あわせに進行するコントラストが鮮やかだ。
 そして、結末で二つの物語の流れが交錯する。
 じっくり腰をすえて描きこんでいるから、読者は星新一ワールドに抵抗なく引きこまれる。
 冷戦を過去のものとしたの21世紀だが、核の危険が消滅したわけではない。『午後の恐竜』のもたらす恐怖は、依然としてリアリティをもっている。

【参考】星新一『午後の恐竜』(新潮文庫、1977)
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【言葉】日本政府の交渉能力

2010年04月14日 | ミステリー・SF
 <場面:パキスタン、カイバル峠の集落>
 「午前中はチャンスを狙う。午後からは強引に出る。この考え方でいいだろう。アメリカ人の男とジャパニーズの男は、大きいから手強い。一つ間違えるとやられる、という危険が考えられるな」
 と、ザリフ・カーンはそのあたりを危惧した。
 「射殺しても・・・・?」
 そのイスマルの言葉に、金とザリフ・カーンは思わず顔を見合わせた。アメリカ人を射殺した場合、アメリカ政府がどう出てくるか、ということだった。
 「ジャパニーズは構わん。どうせあの国の政府など腰抜けで、首相も『友愛』とか空虚な言葉を弄しているお坊ちゃんだから」
 金は笑いながら言った。日本の首相など莫迦にし切っているのだ。ミャンマーでの日本人カメラマンの射殺事件など、画像が証拠として残っているにもかかわらず、及び腰の交渉に終始したことでも判った。
 「面倒だったら、ジャパニーズ・カメラマンは射殺します」

 【引用者注】
 2007年9月27日、ミャンマーのヤンゴンで、APF通信の契約ビデオジャーナリスト、長井健司(50)は、抗議デモの鎮圧を撮影中、ミャンマー軍兵士に至近距離から銃撃されて死亡した。当時の首相、福田康夫は、9月28日、制裁措置について「日本の援助は人道的な部分も多いので、いきなり制裁ではなく、他国とも相談しながらやっていかなければいけない」とだけ述べた。
 2010年4月10日、タイのバンコクで、ロイター通信日本支局のカメラマン村本博之(43)は、反政府集会を続けるタクシン元首相派と治安部隊員との衝突を撮影中、銃弾を受けて死亡した。

【出典】柘植久慶『核の闇に潜入せよ!』(実業之日本社ジョイ・ノベル、2009)
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書評:『シャーロック・ホームズ -ガス燈に浮かぶその生涯-』

2010年04月11日 | ミステリー・SF
 シャーロック・ホームズを主人公とするコナン・ドイル作品は全60編は、秩序だてて書かれたわけではない。発表した作品が好評を博したから、次々に注文がきて、注文をこなしているうちに前述の数となったにすぎない。つまり著者ドイルはホームズの生涯を構想したうえで個々の短編を書いたわけではない。

 しかし、ひとたび公表された作品はひとり歩きする。あるいは、ひとり歩きさせる権利を読者はもつ。
 読者の権利を行使したのが本書。
 すなわち、ホームズもの全編を「史料」と見たて、事件が発生した年次に作品を並べかえて、ホームズの事績を時系列的に再構成した。
 実在しない人物の克明な伝記を、実在する資料つまり短編から再構成するという点で、遊びの極みであり、天下の奇書である。

 遊びはいたるところに見つかる。
 乏しい「史料」から想像力をふくらませ、ホームズをしてチベットで雪男を探させてみたり、ホームズとは別の主人公が活躍するドイル作品『失われた世界』を土俵に引きこんだり。チャレンジャー教授をホームズの父方の従兄弟と位置づけ、教授がロンドンで公開後逃げ出した翼竜の遁走ルートをホームズに推理させる。
 きわめつけはホームズの晩年だ。養蜂に凝ったホームズはてローヤル・ゼリーの秘密を探りあて、103歳の長寿をまっとうするのである。

 ベーカー街221番地Bの住民は実在した、と信じる(ふりをする)人は座右におくべきだ。
 原注、訳注が豊富で親切。著者・訳者の研鑽のほどがしのばれる。ホームズ年譜、英国の貨幣制度と当時の物価など、便利な付録もある。ただ、この手の本に必須の索引がなく、画竜点睛を欠くのが惜しい。

□W・S・ベアリング=グールド(小林司、東山あかね訳)『シャーロック・ホームズ -ガス燈に浮かぶその生涯-』(講談社、1977、後に河出文庫、1987)
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『蔵書まるごと消失事件』~ミステリーにおける地域社会の研究~

2010年04月02日 | ミステリー・SF
 主人公イスラエル・アームストロングは、アイルランドの片田舎ラスケルテアル市に職を得て、ロンドンから遠路はるばるやってきた。が、職場になるはずの市立図書館の分館、タムドラム地区図書館の前に立ち、呆然とした。閉館する旨のはり紙が目に入ったからだ。
 ここから、主人公がこうむる数々の苦難・・・・というよりテンヤワンヤがはじまる。
 憤慨した主人公は、ただちにロンドンにとって返そうとしたが、同市の図書館主管課、娯楽・レジャー・地域サービス課のリンダ・ウェイ副課長に言いくるめられてしまう。「移動学習センター」という名の移動図書館の「出張サポート職員」に就くことになるのだ。
 と・こ・ろ・が、閉鎖された分館のなかに足を踏みいれたところ、蔵書1万5千冊の影も形もない。
 「蔵書まるごと消失事件」は、主人公が赴任する前の事件である。当然、主人公に責任はない。と・こ・ろ・が、またしてもウェイ副課長に言いくるめられてしまうのだ。司書は図書館のあらゆる本に対して責任を負う、ゆえに消失した蔵書の発見は主人公の責任である、うんぬん。
 かくして、にわか仕立ての図書館探偵によるジダバタ調査と迷推理がはじまるのだが、詳細は本書に委ねよう。

 それにしても、主人公の頼りないこと、はなはだしい。
 イスラエル君は、本の読みすぎで、「知的、内気、情熱的で繊細、夢と知識にみちあふれ、豊富な語彙をもつ大人に育ったが、あいにく世俗的なことではまったく誰の役にもたたなかった」のだ。
 そもそもまともにディベートできない。やり手のウェイ副課長には、まず「私たちの」と共同責任を負わされ、ついで「あなたの責任」に限定されてしまう。唯一の部下、運転手のテッド・カーソンには、ズケズケ言われるだけではなく、徹底的にからかわれる始末。「神に見捨てられた不毛の地」の「おんぼろ農家」に下宿するのだが、女主人ジョージ・ディヴァインには、けんつくを食らいっぱなし。
 ひとり車をころがして家を訪ねるに当たり、路傍の住民に道を尋ねても必要かつ十分な情報を引きだせず、うろうろする。
 もっとも、住民はひとクセもななクセもある男ばかりだ。カフェであいている席の隣人に座ってよいかと問えば、老人は疑わしげな目で見て「自由の国だからな」と答えたりする。ここに浮き彫りされるのは、アイルランドの片田舎に住まう男たちに独特の偏屈ぶりだ。もっとも、女だって油断できない。あまり飲めない主人公がパブでテッドを待ち受けていると、女性バーテンは言葉たくみに主人公をたちまち酔っぱらわせてしまう。

 要するに、主人公は代々の名探偵のパロディでなのだ。その迷推理たるや、いずれも針小棒大な論法で、ことごとく論破されるのは当然だ。快刀乱麻を断つタルムード的論法で事件を解決する名探偵、デイヴィッド・スモールを生んだハリイ・ケメルマンが本書を読んだら、ガックリするだろう。
 足をつかって調べてまわればドジを踏んでばかりの主人公に、フレンチ警部とおなじ国民とは思えない、と慨嘆する向きもあるだろう。
 つまり、主人公イスラエル君は、とうてい名探偵とはいえない私であり、あなたである。取り柄は本に対する情熱しかない。
 しかし、ショーペンハウエルもいうように、愚行も徹底すれば偉大にいたるのである。主人公の猪突猛進は、意外な結果をうむ。
 キーワードは地域社会である。ラビ・シリーズのユダヤ人社会に対応するのがラスケルテアル市タムドラム地区である。
 生き馬の目をぬく面々に揉まれているうちに、イスラエル君はだんだんタムドラム地区とその住民に愛着を覚えるようになる。そして住民もまた、イスラエル君という異邦人を信頼してよいと理解するにいたる。その結果、事件の真相は忽然と明らかになるのだ。それは、ひとりの異邦人と片田舎の住民の双方にとって、新たな出発の合図であった。

 ミステリーにおける人間関係は、とかく閉鎖的になりがちなのだが、この点、本書は風とおしがよい。
 学校を出たての新人もフリーターも、酸いも甘いもかみ分けた苦労人も本書を楽しめる。切れ味のよさをオブラートに包んだ会話が、テンポよく、読者をして冒頭から結末まで一気に読みとおさせてしまう。

□イアン・サンソム(玉木亨訳)『蔵書まるごと消失事件 -移動図書館貸出記録1-』(創元推理文庫、2010)
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書評:『リスボンの小さな死』

2010年03月31日 | ミステリー・SF
 第二次世界大戦初頭、独ソ戦がはじまる直前、実業家クラウス・フェルゼンは親衛隊のレーラー中将に見込まれて、ポルトガルからタングステンを輸入する仕事に就いた。だが、レーラーはフェルゼンが愛するエヴァ・ブリッケを収容所へ送ってしまった。怨念が残った。大戦末、ポルトガルへ逃れてきたレーラーたち親衛隊の残党にフェルゼンは復讐する。他方、色好みのフェルゼンもまた、タングステン採掘の現場責任者ジョアキン・アブランテスの怨みをかっていた。ジョアキンの愛人マリーアを犯した復讐を、戦後、受ける。
 これが本書を構成する流れのひとつである。

 流れのもうひとつは、199*年リスボン近郊における殺人事件である。被害者は15歳の少女で、レイプされていた。同じ年頃の娘をもつジョゼー・アフォンソ・コエーリョ警部は、少々変人の相棒カルロス・ピント刑事とともに、地道に聞き込みを続け、意外な事実をつぎつぎにあばいていく。しかし、政界の上層部から圧力がかかった。

 この二つの事件が交互に語られつつ物語は進行し、本書の末尾で両者は交錯する。交錯したとき、殺人事件の犯人とその動機が解明される。
 つまり、ある人物が殺人を犯すにいたる動機の形成過程と、事件が起きたあとでその動機を探る捜査とが同時平行で物語られるのだ。
 本書には、ウィルキー・コリンズ的な記憶検証の河と、フリーマン・ウィルス・クロフツ的な実地検証の河とが別個に流れて、前者はやや急流で、やがて両者が合流しする地点で大河となり、事件の全貌が明らかになるという仕掛けだ。
 犯人と動機の鍵は読者にすべて提供されるから、古典的な謎解きパズルの要素もあって、読者は安楽椅子にすわったまま探偵することができる。
 緻密で、きわめて手のこんだ構成だが、ねらいは成功していると思う。英国推理作家協会賞ゴールド・ダガー賞を受賞(1999年)しただけのことはある。
 多数登場する人物それぞれの個性がていねいに描きわけられているし、入り組んだ人間関係も落ち着いて取りくめば解きほぐすのは容易だ。そして、文章は渋い。

  突堤に数人の釣り人がいた。このような日にどんな魚が釣れるというのか。
  が、釣りというのは、必ずしも魚をとることだけが目的ではない。

□ロバート・ウィルスン(田村義進訳)『リスボンの小さな死(上・下)』(ハヤカワ文庫、2000)
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【言葉】意見と事実

2010年03月22日 | ミステリー・SF
 さて諸君、おもしろい話を聞いたね。われわれの意見はひとまずおいて、まずさしあたってわれわれが行わねばならぬことは、今の話をできるだけ事実と照合してみることだね。

【出典】F・W・クロフツ(長谷川修二訳)『樽』(創元推理文庫、1959)
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【言葉】下降と上昇の心理学

2010年03月20日 | ミステリー・SF
 サックスは他の三人に向かって宣言した。「上に戻りましょう」膝の刺すような痛みをこらえながら、採石場のへりをじっと見上げる。「下りる前は、そう高いと思わなかったのに」
 「それは、だ。そういう決まりだからさ--丘というのは、登るときは下ったときの倍の高さになるものなんだよ」格言の生き字引ジェシー・コーンはそう言うと、恭しく彼女に道を譲った。

【出典】ジェフリー・ディ-ヴァー(池田真紀子訳)『エンプティ・チェア』(文藝春秋、2001)
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【言葉】アメリカ人に多い姓

2010年03月20日 | ミステリー・SF
 名前・・・・やれやれ、なんと面倒な代物か。例を挙げよう。ジョーンズとブラウンというラストネームを持つ人間は、それぞれアメリカの人口のざっと0.6パーセントを占める。ムーアは0.3パーセント。一番人気のスミスに至っては、驚きの1パーセントだ。この国には300万人近くのスミスがいる(ちなみに、ファーストネームで一番多いのは? ジョン? 外れだ。ジョンは二番手--3.2パーセント。栄えある第一位は、3.3パーセントのジェームズだ)。

【出典】ジェフリー・ディ-ヴァー(池田真紀子訳)『ソウル・コレクター』(文藝春秋、2009)
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書評:『暗殺阻止』

2010年03月06日 | ミステリー・SF
 『バビロンの影--特殊部隊の狼たち』(ハヤカカワ文庫)をひっさげて颯爽と登場したデイヴィッド・メイスンの長編第二作目である。著者は、1951年生。イートン校卒業後、近衛歩兵連隊に入り、アラビア半島南部のオマーン国軍に配属され、武勲をたてた。大尉で除隊。同州長官の経歴をもつ。

 国際的規模の謀略を描く点で、フレデリック・フォーサイスの出世作『ジャッカルの日』に似ているが、『ジャッカルの日』の真の主人公は事件それ自体であり、フォーサイスのルポタージュふうの乾いた文体もあいまって、登場人物はみなチェスの駒のように無機質で孤独だ。
 メイスンの世界は、もう少しウェットだ。特殊部隊員特有の気質、気心が知れた者同士の厚い友情が漂う。チームワークの妙がある。ジョン・ブルの冒険小説にふさわしい。
 もっとも、本書では、任務の都合上、異質のメンバーが二人加わる。前作では、雇い主の裏切りで苦難を受けるのだが、本書では獅子身中の虫がチームを危機に陥れる。
 敵地へ潜入する特殊工作グループ、味方の中の敵、という構図は、『ナバロンの要塞』のような佳作が先行していて、辛いところだ。だが、時事を巧みに取り入れた工夫を評価して、減点は最小限にとどめよう。
 英国冒険小説の主人公は、ジョン・バカン以来の伝統にのっとって単独者だが、チームが主人公になることもあり、これはまたこれで本書のような佳作を生んでいる。

 本書は、次のようにはじまる。
 1993年の春、世界の政治を左右する人物が暗殺される、という情報を英国政府はつかんだ。情報源をたぐると、イラン人が浮き上がってきた。コンピュータ制御の自動狙撃装置が使用されるらしい。暗殺の対象は不明だが、旧東独国家保安警察シュタージがからんでいる。ボスをとらえて尋問したい。所在地が判明した。北朝鮮である。正規軍を派遣するわけにはいかない。そこで、民間のエドに白羽の矢がたった。主人公エド・ハワード、元海兵隊特殊舟艇部隊(SBS)少佐、現XF警備社長に・・・・。
 中東最大の課題、米国大統領、ノーベル賞と並べると三題噺めくが、現代史をおさらいして、誰が標的なのかを主人公とともに推理するのも楽しい。

□デイビッド・メイスン(山本光伸訳)『暗殺阻止(上・下)』(ハヤカワ文庫、1997)
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【読書余滴】読書人はなぜ歴史を好むか

2010年02月26日 | ミステリー・SF
 「なにが書いてあるの?」
 「14世紀のことだ」
 彼は黙っていた。薪の端から樹液が流れ出て下の熱い灰の中に落ちた。
 「なんで1400年代のことを書いた本を読むの?」
 「1300年代。20世紀が1900年代であるのと同じだ」
 ポールが肩をすぼめた。「だから、なぜそんなことについて読むの?」
 私は本をおいた。「当時の人々の生活がどんなものだったか、知りたいのだ。読むことによって、600年の隔たりをこえた継続感を得られるのが好きなのだ」

  *

 『初秋』に出てくる会話である。スペンサーは、両親から放任されている子どもを預かり、二人して自然の中で暮らす。シンプルな生活の一夜、少年が尋ね、スペンサーが答える場面である。
 継続感とは、14世紀のどこかの社会にスペンサーもまた属している、という感覚だろう。
 試みに、わが国の、たとえば田中優子『江戸の想像力』をひもといてみるとよい。継続感が感じられるならば、あなたは江戸の住民の資格をもつ。
 スペンサーは、「自立というのは自己に頼ることであって、頼る相手を両親からおれに替えることではないんだ」などと子どもに教えさとす独立自尊の男だが、ある共同体への(その共同体が過去のものであっても)帰属感とすこしも矛盾しない。むしろ、目前にはない共同体への帰属感をもつことで、独立の意識はより堅固になるのかもしれない。

 ロバート・ブラウン・パーカーは、米国マサチューセッツ州出身の作家。1973年、『ゴッドウルフの行方』でデビューし、スペンサー・シリーズ第4作『約束の地』でMWA賞最優秀長編賞を受賞した。2010年1月18日没。

【参考】ロバート・B・パーカー(菊池光訳)『初秋』(早川書房、1982。後にハヤカワ・ミステリ文庫、1988)
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書評:『スナップ・ショット』

2010年02月21日 | ミステリー・SF
 1981年6月7日、バグダッド南西に位置するクワイタをイスラエル空軍の14機が急襲した。フランスの援助を受けて建設されたイラクの原子炉は、完璧に破壊された。
 たちまち、各国から非難の嵐がごうごうと沸きあがった。
 しかし、米国はほどなく矛をおさめる。サダム・フセインの野望、原爆製造の証左をイスラエルから突きつけられたからである。

 この歴史的事実の隙間に、A・J・クィネルは想像力を注入する。
 モサド機関員の活動である。ただの機関員ではない。表の世界でも著名な人物、むしろ本来は戦場カメラマンの第一人者であった。
 彼、デイヴィッド・マンガーは、ベトナムで遭遇した事件により心に傷をおい、カメラを捨てる。9年間の隠棲生活の後、おさない頃自分を捨てたと信じていた母の行動の意味を知り、ユダヤ人の血に目覚め、ユダヤ国家の危機回避のために挺身するべく決意する。
 これは、スパイ・マスターたるウォールター・ブラムじきじきのはたらきかけによるものであった。
 マンガーは、ウォールターを通じて出会ったルースのおかげで、ベトナムで受けた心的外傷(トラウマ)を克服する。二人は将来を約束する。
 かれは、カメラマンという公の顔を利用してイラクへ入国した。モサドが求める情報を首尾よく手に入れるが、秘密警察ムクハバラートは有能であった。拷問のはては、死しか残されていない。
 イスラエル国防軍は、原子炉爆撃を決定した。
 同時に、もう一件、世間には知られていない作戦を決行する。マンガー救出作戦である。

 A・J・クィネルは、フィクションに事実をたくみに取り入れる点で定評がある。
 本書も例外ではない。ベトナム戦争、中東紛争、スパイ組織が活写され、しかも単なる素材にとどまっていない。筋の展開上必要十分なだけ取りこまれている。
 ただし、事実を基盤としていても、本書はあくまでフィクションである。
 たとえば、本書ではモサド長官が原子炉爆撃の音頭をとっている。歴史的事実は逆で、イツアーク・ホフティ(イツハク・ホフィ)は原子炉爆撃反対派の急先鋒であり、爆撃推進派の副長官ナホム・アドモニと鋭く対立した。作戦が成功した結果、長官の座はアドモニに移った。
 著者がこうした事実を知らなかったはずはない。ただでさえ複雑なストーリーを錯綜させないために、あえて虚構をえらんだのだろう。

 背景が単純化された分、人間的側面に紙数が割かれ、小説として成功している。
 ストイックなマンガーの謎めいた行動、中盤に一気に明らかにされる凄惨な体験、石と化した9年間の後に訪れた恩寵のごとき回生。聡明さと豊かな情感をもち、ひとたび愛した男のためには生命をうしなう危険すらおかすルース。美食と煙草に目がなく、やたらとシェークスピアを引用したがるスパイ・マスター、ウォルター。そして、人々が織りなす人間模様、交情。
 本書は第一級の冒険小説、スパイ小説である。しかし、それだけではない。激変する歴史のなかを生き抜く個人という点でも、社会的条件に翻弄される恋愛という点でも、正統的な小説である。原著刊行から四半世紀へても、古さを感じさせないゆえんである。

□A・J・クィネル(大熊栄訳)『スナップ・ショット』(新潮文庫、1984)
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