よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

播磨の大地に刻印された星座:秦氏、北斗七星、如意輪観音

2010年01月01日 | 技術経営MOT
謹賀新年!

大晦日に、部屋の掃除も終ってちょっと時間ができたので、兵庫県の播磨地方について気になることを調べてみた。古代日本の科学技術ディフージョン、知的クラスターの鍵を握る秦氏について。

現在の日本では産学官連携がイノベーション・シーンではホットなテーマだが、古代日本では、産・学をリードしたのは一部の渡来氏族。官の支配層が産・学をとりこむためにせめぎ合っていた。

播磨の地は赤穂市民病院や加西市民病院に講演に呼ばれて訪れたこともあり、おおいに気に入った土地。土地柄がゆったりしているし、歴史ミステリーにも事欠かない。


(地図引用:下條竜夫「秦人(はたびと)の町」

この地域には大避(おおさけ)神社がたくさんあり、実際にGoogle Mapで調べてみると、たしかに、北斗七星の星座(constellation)のような形ができる。

・兵庫県赤穂郡上郡町岩木乙 大避神社
・兵庫県赤穂郡上郡町大枝新 大避神社
・兵庫県赤穂郡上郡町竹万355 大避神社
・兵庫県赤穂市中山 大避神社
・兵庫県相生市若狭野町下土井 大避神社
・兵庫県相生市那波南本町9-7 大避神社
・兵庫県赤穂市坂越1299 大避神社

など。

上記文章によると、兵庫県播磨地方の大避神社の配置は、柄杓の部分をグルッと反転させると、点線のように、北斗七星そのものの姿となる。

また「菊地研一郎の日記」さんにも「西播磨の大避神社について(追加&訂正)」として興味深いマップと解説がある。世の中、こういうのが好きな人いるんですね。

下條教授は、文章のなかで三濃山(上の図の赤星)との位置関係を考察しているが、その説を発展させ、かつ視点を変えて次のような仮説をつくってみた。

(1)北斗七星から北辰(北極星)の位置にこそ、なにか重要なものがあるはずだ。
(2)その重要なものの性質が北斗七星に符合しているのならば播磨の地に刻まれたグランドマップの特性も明らかになるだろう。



まずは、反転させた柄杓の外側の底は、下條教授が同定した位置とはちょっと異なった。GPSなど活用すれば位置確定の精度はもっと上がるだろう。(だれか暇な人がいたら、正確な位置を計測してもらえるとうれしいです・・)

穂市民病病院の南がわ、ちょうど「赤穂の湯」があるあたりだ。余談だが、講演をする前の晩に3回ほどはいったことがあり、本当にいい湯だ。東側が河口となっており開けていて見晴らしもすこぶるいい。

さて、そこから、坂越港のちょっと北側にある大避神社を直線で結ぶ。その線分の5倍ほど先が仮説の位置となる。

上の図で黄色の星印で示した位置がそれだ。ではそこには何があるのか???

書写山である。そのすぐ南麓には圓教寺(円教寺、えんぎょうじ)がある。正確な位置は北緯34度53分28.1秒、東経134度39分29.3秒。寺の本質はなにか。庭でも建物でも葬式でもない。すばり、本尊と本尊を祀るそこに継承されているサービス・テクノロジー(霊性的技法)にほかならない。これらがなければ寺はもぬけの殻だ。

では圓教寺の本尊はなにか。こたえ、如意輪観音!。仮説した位置(付近)には如意輪観音が鎮座しているのである。

Wikipediaによると圓教寺は:

<以下貼り付け>

「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三箇所中最大規模の寺院で、比叡山、大山とともに天台の三大道場と並び称された巨刹である。京都から遠い土地柄でありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かった」

<以上貼り付け>

               ***

如意輪観音は密教門(Esoteric Buddhism)の中でも秘仏の部類に属し、梵名チンターマニチャクラ (चिन्तामणिचक्र [Chintamanicakra]。「救世菩薩」とも呼ばれる。「如意輪陀羅尼経」が典拠。如意とは如意宝珠の事で輪は輪宝。如意宝珠を中央に持ち功徳(財宝・福徳・知恵)を施し人々を六道からの苦を救い輪宝を使い煩悩を打破しようとする物質・精神面に功徳を与えるパワフルな密教菩薩。思惟相と如意宝珠の組み合わせを持つのが、実に如意輪観音の特徴だ。

余談だが、さまざまなものを如意宝珠に見立てて修法する「如意宝珠立て」という修行法もある。そのなかのひとつ一粒の米を如意宝珠として見立てる=観想する「米粒法」という密教行法もあったが、最近はこれを行う行者はあまりいないようだ。

さて、ここからが急所だが、密教のほうの基礎的な知識があれば謎解きはそんなに難しいものではない。北斗七星がそのまわりを回り、宇宙の中央に鎮座し不動の位置を占める星辰が北辰=北極星=妙見=天御中主神=如意輪観音なのだ。簡単に言ってしまえば、主が如意輪観音で、従が北斗七星。

               ***

それから念のためにちらべて見たら、逆向き柄杓の延長線上には小豆島があり、ちょうど直線上(または近く)に「妙見岬」という岬がある。もっとも「妙見岬」「妙見浦」などの地名は、瀬戸内から九州にかけては多い。

播磨の地に刻印されているグランドマップは如意輪観音に表象される北極星と北斗七星なのである。宇宙の光を統率し、そのまわりを循環し、北辰を指し示す天体の一大見取り図みたいなもの。グランドマップであり、スペースマップでもある。

正確には大避神社群各社の創建年度を確定しなければいけないのだ(!)が、圓教寺の創建年は康保3年(966年)であり、秦河勝の時代よりも遅い。よって順番から言えば大避神社群ができてから圓教寺が建ったと推定される。シビルエンジニアリングと天文歴学の元締めでもあった秦氏が、地・気の良い圓教寺の敷地候補の土地をあらかじめ測量して予定していたのだろう。

でも気になるのが、反対を向いた柄杓。よく調べてみれば、神社や祠が正規の柄杓の位置にあるのかもしれない。まぁ、さんざん痛い目にあわされた時の権力には口を見せずに底を見せておこう、といったペーソスか、何かの意図があったのか。このあたりは価値判断の世界なので、まずは位置確定が大事だろう。

たぶん「大避神社」という名前がついていなくても、この付近の神社は秦氏関係のものが多いはずだ。だとしたら、すべての神社、祠などをプロットしてみると、隠された位置関係が浮き彫りになるのかもしれない。

いずれにせよ、厩戸皇子(聖徳太子)のスポンサーにして黒幕的存在だった秦河勝は蘇我氏に追われてこの播磨の地に逃げ、科学技術、殖産興業に励みながらも定住した。秦氏一族がこの地に刻印したものは、一見、神道や仏教のようにも見えるが、これは時の権力との妥協の産物のようなものだろう。こと秦氏に関しては、現在に伝わっている表面的な神仏のベールを剥いでいかないと全く真相が見えてこない。その奥底、古層にはメソポタミア的な宇宙観、習俗、密教的秘儀(esoteric methodology)が息づいている。それは遠くユーラシア大陸の奥なった地方、たとえば、カナンの地にもつながっているのかもしれない。

古代日本の科学技術ディフージョン、知的クラスターの鍵を握る秦氏がグランドデザインしたこの地に、物理学の先端をゆくSPring-8が建設され稼働しているのは、古代と現代にまたがる共時現象なのか?宇宙の光の根源と現在物理の先端をゆく放射光の符号なのか。

ハタまた、秦氏が予定・予見したのか?また時間をつくって謎解きをせねば・・・。