よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

米国債暴落という悪夢は取り繕えず

2009年07月11日 | 恐慌実況中継


4月あたりにかまびすしかった景気底入れ宣言、不況回復への淡い期待もどこ吹く風。

この特集のなかで「ムーディーズ格付けの疑問~日本国債格上げと米国債格据え置きの深層~」という記事があるが、深層をえぐった批判にはなっていない。及び腰の論評。

ムーディーズはFRB,連邦政府に影響をおよぼす金融寡頭勢力の利害によって誘導される私的な格付け機関。その利益誘導の集団と化している私的な格付け機関=ムーディーズが債権の格付けを行っているということは、利益誘導のダブルループのただなかでその特殊な共同体的機能を発揮しているということ。

特殊な共同体的機能をムーディーズが発揮すればするほど、ダブルスタンダードがあらわになる。ムーディーズのダブルスタンダードについては以前書いた通りだ。

この見方は金融業界では常識なのだが、なぜかマスコミはことムーディーズの格付け姿勢になると批判の矛先が鈍くなる。

強烈に痛みつつある米国経済の実態に即して、米国債の格付けを下げれば、米株安、米ドル安、米国債安のがそろってしまい、不況・恐慌シナリオがさらに現実味を増すから、最後の砦=米国債は、なんとしても格下げはできない、という逼迫した事情。

そこを、ムリを承知で取り繕い、米国債を据え置いたというのだからムーディーズの格付けは、またもや馬脚をあらわしたこととなる。ムーディーズは公正妥当な格付け機関ではなく、ハロー効果発信企業。公然たる格付け操作によって金融を諜報諜略することを目的とする私的な集団なのである。

さて、大手マスコミが「米国債暴落」の特集を組むまでになると米株安、米ドル安、米国債安の3点セットのセンメントの刷り込みが進む。つまり米国投げ売りが本格的に始まるということ。

このブログでは2008年9月の第1週から恐慌を予見してきたが、米国債暴落をもっていよいよ恐慌シナリオが現実味を増してきたと言わざるを得ない。


カリフォルニア州の財政破綻は悪性連鎖する

2009年07月10日 | 恐慌実況中継


このニュースは日本では大きく扱われない。イラン動乱、東トルキスタン(新彊ウイグル自治区)、北朝鮮ミサイルのほうにマスコミの視線が誘導されいる模様。

<以下貼り付け>

【ロサンゼルス2日共同】

財政難に陥っている米カリフォルニア州は2日、州の財政赤字の見通しが243億ドル(約2兆3千億円)に達したとして、州民への所得税還付や業者への支払いに「借用書」の発行を始めた。同州がこうした措置を取るのは1992年以来という。ロサンゼルス・タイムズ紙(電子版)などが報じた。

 7月1日からの新会計年度までに、州議会で赤字削減策がまとまらなかったためで、州は7月中に33億ドル分の借用書を発行する予定という。

 シュワルツェネッガー州知事は1日、財政危機を宣言。州職員23万5千人を対象に一時帰休を課すなど一層の支出削減を行う方針を明らかにしている。

 カリフォルニア州では2月、巨額の財政赤字の削減策を盛り込んだ州予算が成立したが、5月の住民投票で財源確保を目指す州の主要な提案が否決され、再び財政赤字に直面していた。

<以上貼り付け>

日本では、地方自治体の財政赤字が総予算の20%を上回った時点で破産宣告される。夕張市がこの基準をもとに破綻宣言したのは周知の通り。これと同じ基準をアメリカの州に適応すると、最低でも上の図の上位4つの州はすでに破綻している。

これらを含め46州が財政赤字状態に陥っている。不動産の債券化ビジネスが先進していた州でかつそれらの債権化ビジネスの業績悪化のあおりをまともに受けている州が金融危機による税収減の打撃が大きい。

キャッシュフローの点では、ニューヨーク州、カリフォルニア州がキャッシュインとキャッシュアウトが大きく資金ショートリスクが限界点にまで来ている。で先日は、カリフォルニア州がデフォルト宣言。

州が発行する「借用書」というのはいささかことの本質を覆い隠すような表現。本当は、棒引き、徳政令一歩手前の借金帳消し残高確認書。

このことろ急落しているドル円の(92円~91円)は、まさにアメリカを構成する州が棒引き、徳政令一歩手前のところまで破たんしていることを含んでいる。FRBが基軸通貨をよいことに、ドル紙幣を刷りまくってキャッシュを供給しても州がデフォルトを宣言してしまったのでは、刷ったドルの価値は下がるのが必定。だから米国債も、ナーバスな動きとなっているが、やがて落ちる運命にあると見たてるのがリーズナブル。

              ***

東トルキスタンの一件について、アメリカは「真相を究明せよ、人権を尊重せよ、圧政を改めて民主制を尊重せよ」と中国に圧力をかければ、「米国債買いません。これから売ります」と脅される。だから、アメリカは今回の東トルキスタンの一件については強いコメントしたがらない。


プロフェショナルのA,B,C

2009年07月07日 | 技術経営MOT


A,B,Cにもいろいろあるが、最近英語のプロフェショナルなコミュニティー、とくに上記のようなイノベーションを扱う知的コミュニティではA, B, Cといえば、Academics, Business leaders, Consultants。

なぜかといえば、これらの領域がフュージョンしてイノベーションを創発する契機となってゆくからだ。そしてイノベーションをマネジメントしてゆく国際的、学際的なネットワークがA,B,Cの協働で作られてつつあるから。

Academicsは内側に閉じ込もっていてはダメ。産業ニーズを咀嚼して学問的シーズを市場化して行かなければならない。もちろんそういうシーンではBusiness leadersとのインタラクションがカギとなる。産学連携とよくいわれるやつだ。

日本的発想だと、「産学」と来ればつぎにはなぜか「官」がやってきて、まぁ「産学官」となって、おきまりの「産学官連携~」という紋切型発想となる。

面白いことに、プロフェショナル志向の英語コミュニティー≒国際的コミュニティでは、「官」が入るのではなく、コンサルタントが入るのだ。プロフェショナル志向のコミュニティーが求めるのは、お役人ではなく、実務にたけたナレッジ・ワーカーのコンサルタント。

A,B,Cの逆張りで、Consultant→Business leader→Academicsというように珍奇なキャリアパスをトレース(デザインというよりは浪漫的放浪)してきた自分ではあるが、A,B,Cの全領域に関与するタコつぼのようにいずれか一つに納まってしまうよりはいい。異質な経験、場、知識、イクスパーティーズを溶かし合わせて、遊行できるから。

そういえば、2000年くらいを境にして身の周りの友人、知人がA,B,C化してきている。面白いのは、Consultant→Business leader→Academicsという経路がすべてで、Academics→Business leaders→Consultantは皆無。ふーむ?

たぶんまっとうな知的資本を有するコンサルティング・ファームで経験する知的訓練は、そうとうつぶしがきくのだろう。「つぶし」と言ってしまうと身もふたもないが、ようは形式知と実践によって得られる暗黙知、これらふたつの知をスパイラスさせて高めてゆく方程式のようなものが、そういう環境で自覚的に行動していると体得できるのだろう。

ただし、リニアーにConsultant→Business leader→Academicsとキャリアが形成されるわけではない。Human Capital Theory風にキャリア・ムーブを構想とすると、超えるべき壁のようなものがある。図示すると:

●Salaried person→(壁1)→Consultant
壁1:知的しなやかさと堅牢さ

企業での勤務経験を経てMBA、MSc、Ph.Dを取ってからというのが定石だろう。ある一定の専門性をベースにして、知的しなやかさと堅牢さが求められる。27歳から遅くても30歳くらいまでにはこの壁を超えているべきだろう。

●Consultant→(壁2)→Business leader
壁2:シノギ系当事者能力

インプリ・ステージで活躍してもコンサルタントはやはり、部外の知恵袋、触媒的存在。資金繰り、人的資源マネジメント、葛藤管理、人間関係でのオシ、ヒキ、人タラシなどのシノギ系のスキルと適性がないと、Business leaderにはなれない。

●Business leader→(壁3)→Academics
壁3:帰納的推論、演繹的推論、特殊解の汎用化スキル

Business leaderはしょせん自己の経験の住人になりやすい。閉じた経験は成功でも失敗でも臨場感はあるが特殊事例。ここを汎用化できるか否かが分かれ目ではないか。サイエンスの作法とでもいってよいだろう。

日本教と日本的人的資源

2009年07月05日 | No Book, No Life


日本人はよく集団主義的だと言われてきた。しかし、労働経済の小池和男さえもが、日米の企業社会の雇用者の行動様式を分析して、日本人は実は個人主義的だといっている。

「日本人=没個性=集団主義的」というのは、ステレオタイプな見方にすぎないのだろう。かといって、個人主義でもない。「個人主義でない」というアイディアは明治の昔から、西洋に接した内村鑑三、南原繁、夏目漱石、芥川龍之介、福沢諭吉らが、ずっと考えてきた大きなテーマ。

個人主義でもなく集団主義でもない。ではなんなのか?中間領域に横たわる仲間主義である、というのが仮説的な答え。

鋭利な個人主義で世間に屹立するのでもなく、強固な絆を共有する集団に自我を積極的に帰属させるわけでもない。また一神教の構造で神様と契約を結び、個人の救済をひたすら求めて信仰をするわけでもない。また宇宙の法則をまんなかに置いて自覚的に無神論をいただいて生きてゆこうというんでもない。

温度の合う仲間、利害が対立しない仲間、個と集団の緊張がゆるやかなに緩く結び付く仲間主義こそ、日本人の行動特性じゃなかろうか?このような疑問から論を拡げていったのが奇才・山本七平(故人)。

さらに正統的社会科学を網羅的に渉猟した小室直樹は山本七平の日本学を下敷きにして「日本教」なる行動様式を分析する。「日本教」といっても奇天烈な新興宗教ではない。トランスディシプリナリーな社会科学、人文の知見を動員して日本人の行動様式をひも解く説明原理の集大成のようなものだ。

山本七平、小室直樹の知の系譜は、あまたあるウゾウムゾウの日本人論を押さえ傑出した議論をしている。「仲間主義」にとって貴重な知見の提供元。しかし、この論のあまりにもトランスディシプリナリーさのためか、専門分化しすぎて固まってしまった学問の世界はこの種の議論に照準を合わせるほどの度量の広さはなかった。

「日本教」を知的枠組みとする日本的人的資源管理論があってもよい。というか、人的資源管理論をローカライズして日本的~とするときには、「日本教」にようなメタな枠組み設定が要請される。

経営学カテゴリーのなかでも人的資源論はジャパナイズされやすい領域。ガラパゴス的HRM=日本的人的資源管理論を窮極させてゆくとタコつぼにハマりがちだが、普遍の中でニッポンHRMを分節させてゆくには、グローバル企業で展開されている普遍主義的HRMとの比較が欠かせない。


シンクロニシティとアーラヤ識

2009年07月01日 | 日本教・スピリチュアリティ



ちょっと前に「シンクロニシティ~未来をつくるリーダーシップ~」(Joseph Jaworski著, 金井 壽宏)をもとにHRMの視点からディスカッション。忘れないうちに概略だけノート。

           ***
※コメント:
Wikipediaには、「非因果的な複数の事象(出来事)の生起を決定する法則原理」と書かれているが、非因果的といいきれるのかどうか?答え、No。

synchronicityを非因果的連結と訳するのはやはり誤訳だろう。共時性、共起性というのが訳としては当たっている。「意味のある偶然の一致」

A→Bではなく、A⇔Bという相依性の当事者としてのCが入る。CにとってA⇔Bの相依性がそっと現象界のベールの割れ目から現前するというのがsynchronicity現象。

だからsynchronicityは因果律のみでは説明できない現象の一端。ただし、その本質が分かりにくいので通俗・擬似的な科学の一ジャンルと捉えられることもあるにはある。

唯識でいえば、現行(現象)がアーラヤ識に燻習されて種子(ビージャ)となる。そして種子が発動して現行(現象)に現前してゆく。これは永遠の循環過程で、種子が本質(仏教術語では自性)なのだが、種子そのものの深層意識への植え込みが実は人間の認識現象の根っこ。埋め込まれた種子が認識のベールをつくり、そのベールに引っ掛かるあらゆる存在を分節し現象とする。

こうしてリアリティと受けとめられる「ものごと」の認識は種子から生まれるが、妄識や妄想のはじまりもまた種子から。そして妄想がそのような種子を再帰的に作るので、人生というのはもしかしたら妄想の拡大再生産なのかもしれない・・・。

さて、本題。A⇔Bという相依相の関係(AとBには種子⇔現行のアーラヤ識の循環が絶えず起きている)に観察者、参与者のCが入る場合、「A⇔B」⇔Cの間に立ち現れる現象をsynchronicityとして分節化すればきれいに説明ができるだろうに。

さて、このようにしてsynchronicityの自性を自己に燻習して種子として保持することがリーダーシップのひとつの行き方である・・・、というか、もともと共起性を投企せざるをえなかった意識と行動の習慣を内省して自覚し直して自らのリーダーシップに埋め込んでゆこう・・・というのが唯識的に言えばこの本のメッセージ。しかし以上の理由で、この保持が強くなり過ぎると妄識や妄想ともなるので実は要注意。

Jaworski、金井さんに瑜伽行唯識学派の知識がわずかでもあれば、味わい深いこの本の味がさらに増したと思われるのだが、さて。synchronicityを大乗唯識が到達した空観、アーラヤ識を動員してエレガントに説明することは今後の課題としよう。


<以下貼り付け>

           ***

Joseph Jaworski:ジェネロン・コンサルティング会長

Massage:「リーダーになりたかったわけじゃない。ただ、夢の実現を強く望んだだけだ。- あるのは、やり方ではなく、あり方だ -」

・米国・ヒューストンに拠点を置くブレースウェル&パターソン法律事務所に15年
間勤務した後、1980年アメリカン・リーダーシップ・フォーラ ム(ALF)を設立

・ロンドンのロイヤル・ダッチ・シェル・グループの経営戦略グループに招聘され
グローバル・シナリオ・プランニングのチーフ を務めた

・さまざまな組織の設立に協力し、変化を促すリーダーの内面を探求し続けている

・MITの上席客員教授としてOrganizational Learningについて教鞭をふるう

・「出現する未来」(講談社)では、ピーター・センゲとの共著も手がけている

☆名言集

→一番大切なことは、自らの心のあり方         
「あるのは、やり方ではなく、あり方だ」 


→感じ方や考え方を変えられることは、知識を手に入れることより重要である:デヴィッド・ボーム氏(理論物理学権威)

     
→つまずいたところにこそ、宝物がある:ジョーゼフ・キャンベル氏(神話学者)

#Joseph Jaworski のリーダーシップ
・グリーンリーフ
  -サーバント型リーダーシップ

・センゲ
  -学習する組織
  -フィールドブック学習する組織
   「5つの能力」

・ボーム
  -全体性と内蔵秩序(ニューサイエンス理論)

 
・その他(戦略策定や組織開発の手法)

  -シナリオプラニング
  -ストーリーテリング
  
#人的資源開発にとってのインプリケーション

→OJTやoff-JT等による人的資源開発ではなく、シンクロニシティ(共時性)を追求するために、垣根を越えて行動、活動しいくことが重要となる

→シンクロニシティを大切にすることで、人との出会い、人的ネットワークが構築され、そのネットワークから他流試合が形成され、相互的、インタラクティブな関係により、学習と成長の機会が生じることになる

→イノベーション文化、組織文化の変革のためには、個人の変革は欠かせない(キムSキャメロン、ロバートE.クイン:組織文化を変える)

→従来考えられる人的資源開発では、社内教育や現場での教育により進められるが、本書では、シンクロニシティを大切に行動することが重要であるとされている

→シンクロニシティを追求することにより必然的に必要な人との出会いがなされ、人的ネットワークがされている。そのネットワークから様々な専門家からの考えや意見をまとめより良い教育をつくりだしている

#リーダーシップとは?

→リーダーシップは、「行動のしかた」ではなく、「ありかた」である

→一心に取り組むこと、コミットメントしていくことが最大の課題である

→自分自身が本当に価値があると思う目標のために全存在を傾けること、世界は自分を幸せにしてくれないと文句を述べて不愉快さと不満のかたまりになるのではなく、本質的なものと一体になることである

→リーダーシップは、「見えないもの」を見る旅であり、まずは、リーダーがリード・ザ・セルフにより、行動することが起点となり、リード・ザ・ピープル、さらにリード・ザ・ソサエティへと繋がっていくものである(野田、金井:リーダーシップの旅)

→自身で強い意志を持ち、必ず実現するというコミットメントを持って取り組むあり方がリーダーである

→リーダーシップは一心に目標に向かい取り組むことにより周りを同方向性に向かわせることが出来ることである

→メンバーの能力を発揮させる為に奉仕し、築かれないようにメンバーが仕事をしやすいようにするサーバントリーダーシップが重要である

→自身で強い意志を持ち、必ず実現するというコミットメントを持って取り組むあり方がリーダーである


#「リーダーシップの旅」  野田智義、金井壽宏/光文社新書から

→リーダーは旅に出て、苦難に出会いながらも何事かを成し遂げて、生還し、結果としてリーダーになる。

→重要なポイントは、リーダーは旅に出るまではリーダーではなかったということだ。

→リーダーとは、フォロワーを導く人ではなく、振り返ると人がついてくる人のことをいう。

→フォロワーも、命令による強制や報酬のためでなく、自律的に自ら進んで旅をともにするという点を見逃さないようにしたい。

→喜んで自らついてくるフォロワーが、リーダーの行動を承認することによって生じる帰属がリーダーシップであり、それはリーダーとフォロワーの間に起こる共振現象でもある。

→人をリーダーシップへと駆り立てるのは、私たち一人一人が「内なる声」に突き動かされて、「見えないもの」を見ようとする意思だ。

だが、組織論で語られるリーダーシップは、時にミスリーディングな印象を私たちに与える。

→リーダーシップを旅としてとらえるため、この本ではエマージェント・リーダー(自然発生的なリーダーの概念)を基本において議論を進める。

・それにより、リーダーシップの本質はより明確になってくる。

→だれもの問題としての、自らが選択する生き方としてのリーダーシップの旅が目の前に広がっていることに、私たちは気づくはずだ。

#参考文献
・キムS.キャメロン、ロバートE.クイン(中島豊監訳):組織文化を変える、ファーストプレス、東京、2009.
・野田智義、金井壽宏:リーダーシップの旅、光文社、東京、2007
・藤川佳則:サービス・ドミナント・ロジック~「価値共創」の視点からみた日本企業の機会と課題、107:32-43、マーケティングジャーナル、2008. 
・永長周一郎、品川隆:多職種連携における歯科医師、治療、99(5):1547-1551、2009.
・日本経済新聞医療面口腔ケア特集(2009年5月17日号)

<以上貼り付け>

リーダーシップの旅を唯識を基盤とした世界との関わりあい、アーラヤ識へ燻習される種子、そして種子が現象に転移されるプロセスと見立てれば、面白い。人間の認識、意識はHRMの対象範囲。