よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

京都で宗教とオープンソースを語らう

2007年03月10日 | オープンソース物語
関東あたりに住み慣れている人間にとっては京都は特別の意味を持つ。古代から現代までの歴史が堆積されて地層を形作り、表層にはいまなお無数の神社仏閣、陵墓、森林などの歴史的遺産が現存するからだ。

多少なりとも日本の歴史や文明比較史に興味があるアメリカ人の目から見ると、京都は強烈なワンダーランドに見えるようだ。京都へいっしょに遊びに行ったSugarCRM社長ジョンロバーツも例外ではない。意表を突かれる質問とそれらへの答え、そして楽しい議論が延々と寺や神社の境内で、庭園で続いた。

「ヒロ、さっきから気になるんだが、なぜジンジャには動物をいっぱいかかげているの?なぜ日本人は動物を神として崇めるの?」

「ジョーモンあたりに淵源を発するジャパニーズ・アニミズムは時を経て、シントーという経典を持たない独自の多神教へと発展したのさ。地中海東岸から乾いた中近東から生まれてきたヘブライ教、キリスト教、回教などは一神教で唯一絶対のGodを崇拝するよね。でも日本の神道では、そのあたりに生えている木々、草、苔、岩、山、鏡、動物などみんなカミなんだよ。もちろん、スサノオやヤマトタケルのような古代の英雄もカミになる。なんでもカミになれる。なんでもカミとして崇拝する。とくに自然界の美しいものはすべてカミなんだ。

だからそもそも、英語でいうGODと日本語のKAMIはぜんぜん違うんだ。ニッポンのカミはどこにでもいる。そしてなんでもがカミになりうるのさ。なんで、動物がカミになるのは朝飯まえなのさ。

でこんな考え方が、6世紀はじめごろに日本に伝来されたブッキョーにも影響したのさ。とくにミッキョウとよばれるブッキョーのひとつのスクールでは、この影響は強い。テンダイのホンガクロンという考え方では、そのへんの原っぱに生えている草も木も、クニの土地も、全部ことごとくホトケさまになれる(草木国土悉皆成仏)って言っているわけだ。ブッキョウのアミニズム化みたいなもんさ。

考えてみれば、ニッポンはカミをオープンソース化したのさ。なんでもがカミになれる。でもキリスト教など一神教ではGODはクローズドでプロプライエトリね。キリスト教の文明から西洋の科学技術が生まれたのは認めるが、一神教ではニンゲンのみがGODの似姿である理性をもつことによって、他の動植物より優れているので、動物や植物の殺生与奪の特権があるとしているよね。近代になってからは、デカルトやベーコンなどの合理主義によってこの考えたかは強化されたね。そしてGODと直結したニンゲンが都合よく自然を支配しちゃう。

しかも教会が現れてからはプロプライエトリなシステムとして、やれカソリックだのプロテスタントなどとクローズドな派生ソフトがやたらでてきているじゃない?

レリジョンをニンゲンを動かすメタなソフトウェアととらえると、シントーのようなオープンソース系多神教のほうでみんなが仲良くやってけると思うんだけど・・・どう?」





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