今回、銀座の画廊・ギャラリーを中心に2日間かけて28個所を見て回った。2日間の歩数は5万歩を超え、足腰が痛くなってきたほどなので、自分の中でも「かなりやった」という満足感でいっぱいである。
■永井画廊。どうやら「なんでも鑑定団」に出てくる永井龍之介の画廊のようである。いきなり1階に千住博の大作(3800万円が2点)。いつも私は千住博作品の値段にケチをつけているようだが、そんなことはない。高くて驚いているだけだ。作品は綺麗だと思う。
そのほか銀座オープン記念企画第3弾として、「高島野十郎展」をやっていたのがラッキーである。ずいぶんクラシックな油彩で、こういうのは好きだ。
6階では「新井明子・新井苑子展」。イラストレーターである新井苑子しか知らないのだが、早川文庫で「オズの魔法使い」シリーズの表紙イラストを描いていた人だ。
■日動画廊。「日本の美 ―金山平三とその時代展―」というのをやっていた。全く知らない人だが、それなりに面白い。その他、安井曾太郎、小磯良平、梅原龍三郎といった作家の、全然見たことのない感じの作品があった。こういう作品に触れる機会が欲しいなあ。
■和光並木ホール「日本陶磁協会賞受賞作家展」。フォルムであったり、色彩や絵付けであったり、受賞作品は多かれ少なかれ、美しいところがある。
■阿曾美術「常設展」。油彩、彫刻、青磁、漆器が特にキャプションもなく配置してある。芳名帳のところに硯と筆しかなく、部屋の一角には茶室があるという浮世離れしたところであった。
■龍の屋。こちらは銀座のど真ん中でありながら、入りやすいギャラリーだ。平野レミ似のギャラリー主にいろいろ話を聞いた。展示作の中では小川一衛の「蝶番蝶」という昆虫の蝶と、蝶番を合わせた版画が面白かった。ギャラリー主も刺繍でおせち料理や寿司などを象った明るく賑やかな作品を作って展示しているらしい。
■ノリギャラリー「油彩版画展」。「映香鏡」は宮下真理子の鏡に映る百合の花を描いたクラシックな作品。山内滋夫の「アマリリス」はシンプルな銅版画。
■ギャラリーオカベ「金巻芳俊彫刻展」。この人はなかなかの力量ではないか。小さな人体彫刻では、顔や手・足の部分が一人の人物でありながら二重になっており、内面のアンビバレンツな感じを表現している。腕を捻じ曲げて倒れこむ男の上半身や、それぞれ手で目隠しをされて連なる3人の男といった、力感のある大きな彫刻もいい。
■ギャラリーQ「うらうらら展」。ミッキーマウスとミニーマウスをモデルにした人形を配置し、カメラの方を台車に載せて動かしてぶれさせた写真作品。これはこれで面白い。
■ギャラリーアートグラフ「富岡畦草写真展 輝いていた時代そして現代」。東京の過去と現在の同じ場所の風景。東京人であったらもっと懐かしいのであろう。
■ギャラリームサシ。野見山暁治「今日になった」は紫と青が炎のように立ち上がる作品。朝もやの表現であろうか。伊東啓一「夏のおわり」はひまわりと青い空をバックに不思議な人物が描かれている。
■ギャラリーティ。東郷青児、草間弥生、藤井勉、千住博、棟方志功など売れ線がたくさんある。
■ギャラリー和田「奥山民枝展」。雲と太陽を描く。メルヘンまで行ってないので、何とか。
■ギャラリー朋「宮永直人展」。あまりに藤田嗣治を思い起こさせる作風。もう少し考えた方が良いのではないだろうか。その証拠に藤田風ではない作品から売れているのではないか。
■柴田悦子画廊「堀文子教室同窓展」。斎藤弥「蜥蜴」、シンプルに上手い。分島徹人は昆虫界でも相当有名な人らしいが、実にリアルな玉虫や矢守を象ったものがついている物入れを出品していた。
■シルクランドギャラリー「春の絵画展」。王元鼎など中国作家の風景画が非常にきれい。
■小林画廊。萬鉄五郎の見たこともない作品や、福井爽人の作品があった。点数が多いのは麻生三郎で、男の胸で泣く女の作品についたタイトルが「ひとり」。しばらく目が離せない程で、良い作品見せてもらいました。
■資生堂ギャラリー「宮永愛子展」。ナフタリンで作ったオブジェを、高い天井まで伸びるパイプの途中に配置している。パイプは銀座の地下にあった水脈を表現しているらしい。私は白い森に迷い込んでしまったようにも感じられた。
ナフタリンは常温でも昇華するため、オブジェは徐々に形が崩れ、昇華したナフタリンはケースの表面で霜のように再結晶するのである。その変化し続けるところも、興味深い。
■秀友画廊「ケーテ・コルヴィッツ展」。第二次世界大戦前のドイツで社会的な作品(版画、素描)を発表していた人。ナチスドイツに退廃芸術として活動を禁じられたらしい。「最近のお若い方は知らないのね」と画廊のマダムに言われてしまったが、確かに有名な人のようである。
***
ということで、残念ながら何の感想も湧かないケースもあったが、現代芸術からバリバリの古典まで、適当に歩いているだけで数多くの作品に出会った。しかしビルの上の方の画廊(特にエレベーターもなさそうなビル)や、貼ってあるDMの作品が明らかに好みでないものについては、かなりスキップしてしまった。東京全体を個人の力で網羅するのは不可能であろうと思う。
さて、銀座の画廊は敷居が高いかと思っていたが、そんなことはない。私は明らかに作品を買うことがなさそうに見えると思う。画廊は商売でやっているのだから、邪魔にならないようにし、最後になるべく「ありがとうございました」と丁寧に挨拶しておいた。
すると逆に丁寧にお礼を言われるところがほとんどで、なんとも優雅であることよと思った。しかし、何箇所かで「画をかく方ですか」と聞かれたので、私は売れない画家に見えていたのかもしれないな。
■永井画廊。どうやら「なんでも鑑定団」に出てくる永井龍之介の画廊のようである。いきなり1階に千住博の大作(3800万円が2点)。いつも私は千住博作品の値段にケチをつけているようだが、そんなことはない。高くて驚いているだけだ。作品は綺麗だと思う。
そのほか銀座オープン記念企画第3弾として、「高島野十郎展」をやっていたのがラッキーである。ずいぶんクラシックな油彩で、こういうのは好きだ。
6階では「新井明子・新井苑子展」。イラストレーターである新井苑子しか知らないのだが、早川文庫で「オズの魔法使い」シリーズの表紙イラストを描いていた人だ。
■日動画廊。「日本の美 ―金山平三とその時代展―」というのをやっていた。全く知らない人だが、それなりに面白い。その他、安井曾太郎、小磯良平、梅原龍三郎といった作家の、全然見たことのない感じの作品があった。こういう作品に触れる機会が欲しいなあ。
■和光並木ホール「日本陶磁協会賞受賞作家展」。フォルムであったり、色彩や絵付けであったり、受賞作品は多かれ少なかれ、美しいところがある。
■阿曾美術「常設展」。油彩、彫刻、青磁、漆器が特にキャプションもなく配置してある。芳名帳のところに硯と筆しかなく、部屋の一角には茶室があるという浮世離れしたところであった。
■龍の屋。こちらは銀座のど真ん中でありながら、入りやすいギャラリーだ。平野レミ似のギャラリー主にいろいろ話を聞いた。展示作の中では小川一衛の「蝶番蝶」という昆虫の蝶と、蝶番を合わせた版画が面白かった。ギャラリー主も刺繍でおせち料理や寿司などを象った明るく賑やかな作品を作って展示しているらしい。
■ノリギャラリー「油彩版画展」。「映香鏡」は宮下真理子の鏡に映る百合の花を描いたクラシックな作品。山内滋夫の「アマリリス」はシンプルな銅版画。
■ギャラリーオカベ「金巻芳俊彫刻展」。この人はなかなかの力量ではないか。小さな人体彫刻では、顔や手・足の部分が一人の人物でありながら二重になっており、内面のアンビバレンツな感じを表現している。腕を捻じ曲げて倒れこむ男の上半身や、それぞれ手で目隠しをされて連なる3人の男といった、力感のある大きな彫刻もいい。
■ギャラリーQ「うらうらら展」。ミッキーマウスとミニーマウスをモデルにした人形を配置し、カメラの方を台車に載せて動かしてぶれさせた写真作品。これはこれで面白い。
■ギャラリーアートグラフ「富岡畦草写真展 輝いていた時代そして現代」。東京の過去と現在の同じ場所の風景。東京人であったらもっと懐かしいのであろう。
■ギャラリームサシ。野見山暁治「今日になった」は紫と青が炎のように立ち上がる作品。朝もやの表現であろうか。伊東啓一「夏のおわり」はひまわりと青い空をバックに不思議な人物が描かれている。
■ギャラリーティ。東郷青児、草間弥生、藤井勉、千住博、棟方志功など売れ線がたくさんある。
■ギャラリー和田「奥山民枝展」。雲と太陽を描く。メルヘンまで行ってないので、何とか。
■ギャラリー朋「宮永直人展」。あまりに藤田嗣治を思い起こさせる作風。もう少し考えた方が良いのではないだろうか。その証拠に藤田風ではない作品から売れているのではないか。
■柴田悦子画廊「堀文子教室同窓展」。斎藤弥「蜥蜴」、シンプルに上手い。分島徹人は昆虫界でも相当有名な人らしいが、実にリアルな玉虫や矢守を象ったものがついている物入れを出品していた。
■シルクランドギャラリー「春の絵画展」。王元鼎など中国作家の風景画が非常にきれい。
■小林画廊。萬鉄五郎の見たこともない作品や、福井爽人の作品があった。点数が多いのは麻生三郎で、男の胸で泣く女の作品についたタイトルが「ひとり」。しばらく目が離せない程で、良い作品見せてもらいました。
■資生堂ギャラリー「宮永愛子展」。ナフタリンで作ったオブジェを、高い天井まで伸びるパイプの途中に配置している。パイプは銀座の地下にあった水脈を表現しているらしい。私は白い森に迷い込んでしまったようにも感じられた。
ナフタリンは常温でも昇華するため、オブジェは徐々に形が崩れ、昇華したナフタリンはケースの表面で霜のように再結晶するのである。その変化し続けるところも、興味深い。
■秀友画廊「ケーテ・コルヴィッツ展」。第二次世界大戦前のドイツで社会的な作品(版画、素描)を発表していた人。ナチスドイツに退廃芸術として活動を禁じられたらしい。「最近のお若い方は知らないのね」と画廊のマダムに言われてしまったが、確かに有名な人のようである。
***
ということで、残念ながら何の感想も湧かないケースもあったが、現代芸術からバリバリの古典まで、適当に歩いているだけで数多くの作品に出会った。しかしビルの上の方の画廊(特にエレベーターもなさそうなビル)や、貼ってあるDMの作品が明らかに好みでないものについては、かなりスキップしてしまった。東京全体を個人の力で網羅するのは不可能であろうと思う。
さて、銀座の画廊は敷居が高いかと思っていたが、そんなことはない。私は明らかに作品を買うことがなさそうに見えると思う。画廊は商売でやっているのだから、邪魔にならないようにし、最後になるべく「ありがとうございました」と丁寧に挨拶しておいた。
すると逆に丁寧にお礼を言われるところがほとんどで、なんとも優雅であることよと思った。しかし、何箇所かで「画をかく方ですか」と聞かれたので、私は売れない画家に見えていたのかもしれないな。
わたしも若いころは体力とヒマにまかせて京橋から新橋まで片っ端から見てまわったこともありますが、いまはそんな元気はとてもありません。
まあ、京橋-新橋間(つまり銀座)の画廊は、おそらく当時の半分ぐらいになっているとは思いますが、それにしてもタイヘンなことです。
>東京全体を個人の力で網羅するのは不可能であろう
以前のわたしのブログでコメントにもありましたが、とくに現代アート系のギャラリーが、白河清澄だの中目黒だの白金だのに分散してしまっているので、回るのは20世紀に比べるとかなりの労力だと思われます。
まあ、東京では、「現代アート」と画壇系は、見る人もコレクターも完全に分離されています。わたしのように写真も書も、という人はいないと思います。
何しろ銀座の画廊を見て回ったのがはじめてなので、大変でした。
現代アートと画壇が別物というのは、不思議な感じがしますが、物量が多い東京では分けざるを得ないということなんでしょうね。札幌では選んでいると、見るもの自体が少なくなってしまいますから。
他のエリアにもギャラリーがあり、一度では済まない様な展覧会がいくつもあり、東京に住むことがあったらかえって見て回ることもないでしょう。
作者の知り合いで、
ギャラリーオカベ「金巻芳俊彫刻展」で検索して飛んできたのですが、
北海道の方がわざわざいらっしゃって、
これだけの画廊を見て回ったということで
凄い、と感嘆してしまったとともに
大変面白く読んでしまいました。
私は神奈川在住なので、札幌の美術の様子は
とても興味深いです。
これからも更新、楽しみにしています!!
それでは失礼しました。
初めまして。
東京に行くといつもは美術館でやっている展覧会を見るのが精一杯なのですが、
この時は時間ができたので、初めて銀座の画廊を回ってみました。
沢山の展示があり、羨ましいと共に、少し疲れました。
金巻芳俊さんの彫刻は今でも覚えていますが、かなり印象深いものでしたよ。
みらいさんのブログも拝見しましたが、もう少し美術が普通に親しまれるように
なってほしいですよね。
それでは、また。