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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

「分散」と「集中」ロングテールの実体メモ(その4)

2008年07月24日 | 出版業界とデジタル社会

前編、後編で終わるはずのものが倍の長さになってしまいました。
もともとメモ書き程度のつもりで書き出したことですが、問題の広がりが見えてくるにしたがってどうしても長くなってしまいます。
これではどうもきりがなさそうなので、その問題の広がりを確認してメモのまま一旦打ち切らせていただくことにします。


「分散」と「集中」というこの一対の概念は、姿かたちこそ変われども形があるうちはこの一対の関係がどちらかに解消されるようなことはありません。
終わりのときとは、分散力が強まり四散して消滅するときか、集中力が極限まで達して爆発崩壊するときかです。

こうした構図は宇宙銀河レベルでおきてるかと思えば、それを構成しているひとつの太陽系などのレベルでもおきていて、かと思えば、地球レベルでの自然界や経済関係のなかで「分散」と「集中」は繰り返され、さらにそれらを構成する国家や一地方、あるいは一業種、一○○のなかで・・・・

と、繰り返されるのですが、それでも人間界においては、かつてない変化が起きました。
それは人間界はニュートン力学的な世界から量子力学的な世界に踏みこんだということなのかもしれません。

これまでの私たちがイメージする「分散」と「集中」という概念は、政治でも経済でも文化でも「中央」への集中は同時にピラミッド型の下からの積み重ねによる集中であり、その三角形(中央集権)に組しないものは、あくまでもアウトサイダーの地位に甘んずるのが常であったと思います。
ですから、たとえ複数の渦があったとしても、それは必ずといっていいほど、中央の覇権争いに収斂していく性格のものでした。

ここに、私がもうひとつの連載を続けている「『近代化』でくくれない人々」のテーマの根拠があります。
いままでの長い歴史を通じて「近代化」、あるいは「中央への一元化」でくくれなかったり、組しなかったりした人々は必ず、アウトサイダーたる地位を必然とさせられていました。

ところが、現代とこれからの時代の「分散」の広がりは、これまでになく薄いながらも広く大きく広がった社会で、その分散の仕方がピラミッド的な階層構造をもった三角形になるようなものではありません。
それは、水平の広大な広がりであるという意味において、必ずしも平等であるとはいえませんが、少なくともピラミッド的な序列構造には無い特徴を持っています。

なおかつその水平構造のなかでは、順番がないばかりか、ジャンプしたり、ワープしたりもしながら場所はしばしば飛び越えて移動することもありうるのです。
また、ある渦の中に属していながら、同時に他の渦に属していたりもします。

このような性格をもった個人(粒子)が飛び交っている。
Aに属したり、Bに属したり、ありときは、DとEそれぞれに属したりする自由な運動をする個人(粒子)たち。
これらの複数の運動を支える中心軸のエネルギーも、一元的なものではないので、絶対的な地位にはありません。

大きなビジネスを成功させるには、分散せずにかろうじて遠心力のなかにとどまれるだけの磁力をもって、出来るならばたくさんの渦を繋ぎとめる力が求められるのですが、他方、個々の粒子(個人)の側からすれば、中央集権的な一つの中心軸に頼ることはせずに複数の中心軸を渡り歩きながらでも生きていければよい構造が出来上がっているともいえます。

つまり、ここに至っては、アウトサイダーという概念がもはや成り立ちにくいのです。
別の見方をすると、中央に組みしなくても「自立」した関係を築くことが可能な社会であるといえます。
もちろん、それは決して中央への「集中」していくエネルギーが消えたわけではありません。

ビジネスの世界でいえば、水平統合型ともネットワーク型ともえいる組織イメージです。





このテーマの広がり

・こうした分散を背景にした極度の集中が進んだことで、集中した領域(資本)は、私企業的性格の事業であっても公的性格が高まり、社会の共通インフラとしての性格も強まる。
(悪い例では、銀行や大企業は公共性が高く他への影響が大きいから、いかなる問題があっても公的資金をつぎ込んで救済する)
(良い例では、パソコンのOSなどの共通のプラットホームになる技術などはリナックスのように完全オープンソース化し、利益の対象にしない。逆にこうした領域こそ、ビジネスにすれば莫大な利益が得られるともいえる)

・水平型の分散は、デジタル社会の進展とともに低コスト化とお金のかからない社会(経営努力による低コストやデフレを意味するものではなく)を必然としており、個人の自由の拡大の大きな条件ともなる。

・水平分散型社会のビジネスや組織形態は、複雑でわかりにくい側面があるだけに、ひとつの商品の売れ方の分析よりも、一人の人間(消費者)の全体像をつかむことがとりわけ重要になる。

 一つの本、雑誌という商品は、ひとりの消費者にとって、書店で買うこともあれば、コンビニで買うこともあり、大型店で買う場合もあれば、顔見知りの零細書店で買うこともある。同時に古書店に行くこともあれば、ネットで購入することもある。

こうした傾向が強まるときは、商品の属性よりも、消費者の行動属性の分析の方がはるかに大事である。それらの選択肢のなかでいかに選ばれるかということを考えなければならない。
(この先に見えてくるものは、小売業はメーカーや作り手の代理人である時代から、買い手・消費者の代理人になる時代に入っているということ。)

 

次に書かなければならないのは、「分散」の側のエネルギーに属する私たちの課題のことです。

 

その1 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/d6849961bd583b9dc851ad074e812adf

その2 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/f82e08f492d2f3e6289027b4a2317c7d

その3 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/818b1e7f42b3efdd6c1a48c4bd13e649

 

 

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