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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

「分散」と「集中」ロングテールの実態 (その1)

2008年07月13日 | 出版業界とデジタル社会

前にクローズアップ現代での商品ランキング依存のことを書きましたが、
今も尾を引いている大事なとこなので、もう少し補足しておきます。

ひとつは、ランキングのいったい何が問題なのだろうか、ということです。

市場競争のもとにおかれる限り、公表するかどうか、それを見るかどうかにはかかわりなく、ランキングがあること、またそれへの否定的な見方があったとしても、それが無くなることはありません。

今、問題になっているランキングの弊害は、ランキングそのものが悪いのではなくて、
もう少し正確に言えば、その情報がトップ10に集中するということだと思います。

インターネット上の検索でも、検索結果の1位、もしくは最低限でも最初のページに表示されるようでなければ、そのサイトは「この世に存在しないに等しい」とも言われるほど、トップ10以下は圧倒的不利な立場にあります。

検索結果の上位にあることが、その情報の実体や価値以上に決定的に重要なことになってしまっているのです。

これと同じことが、本のランキングでもおきてます。

もちろん、それは総合トップ10だけでなく、ビジネス書、文庫、新書など様々なジャンルごとのトップ10が公表されているわけですが、いかにその分類を増やしたとしても、現実に市場に流通している本のアイテムからすれば、極めて特殊な情報であるとすら言えるほど、本来、トップ10というのは、一部の情報にしかすぎません。
このことは、あとで「ロングテールの実態」のこととして書きます。

これは、一見様々な情報が自由に氾濫しているようになったかに見えながら、その豊富な情報を受け手が整理・識別する能力がないと、結局、情報が自由になり増えれば増えるほど、その膨大な情報を選別して提供するビジネスがおこり、そのビジネス間の競争過程で情報の集中を招く必然性を持っていることのあらわれでもあります。

分野を問わず、自由な競争は、必然的に「集中」「寡占」「独占」を招くことは避けられません。

セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文氏も、日頃膨大なPOSデータを見ながら、文化・価値観の多様化などと言っているが、実態は、どこをとって見ても、「多様化」などという現実はなく、文化・価値観の集中である、といったようなことを言っていました。

これは確かに資本主義社会のしくみが、こうした傾向を加速させたといえるかもしれませんが、歴史をよくみると決して今に限ったことではなく、「集中」と「分散」のエネルギーは常にどの時代でも存在していました。

それは、古代まで遡っても共通してあったことといえます。


歴史をみると、分散に対する集中という対比が一貫して、「集中」の流れに組しないものはアウトサイダーとしての地位に甘んじざるを得ませんでした。
この構図は数千年の人類の歴史でも大きく変わってはいません。

限りなく「中央」への覇権争いや市場競争への一元的エネルギーが常に働いており、
その流れから外れたものは、限りなく排斥されたり、差別されたり、虐げられた地位に落としこめられるのが必然でした。

ただし、ここにきて突然その構図が、昔とは急激に変わってしまったのです。

それは、あらゆる領域でおきている「集中」と「分散」のエネルギーが、現代ではすべての領域でボーダレス化したということです。
どんな一地方でも、限られた分野の話でも、マネー経済に限らず、食料、エネルギーをはじめあらゆる文化領域までボーダレス化してしまいました。

これまで、一地方や一国のレベルでだけみていた「分散」と「集中」のエネルギーが、まるで気象衛星写真を見るように、低気圧や台風の雲の渦が、ひとつの街、ひとつの地方、ひとつの国のなかだけでおきていたものが、突然地球レベルでダイナミックに地球全体を包み込んだ動きをするようになったのです。


これまでの個々の地域のなかにあった些細な渦は、この地球レベルのダイナミックな渦にすべてが飲み込まれてしまう時代になってしまいました。

いま私たちはこの破壊エネルギーに翻弄され、振り回されていますが、ここに至ってしまった経緯は、自然法則からみても必然であったといえます。
したがって、こうなったことが間違っているという指摘よりも、私たちはこれからどうするべきかをもっと真剣に考えなければならないのだと思います。


この「分散」と「集中」というエネルギーは、あらゆる運動エネルギーのなかでも、つくづく面白いエネルギーだと思います。


上下左右、前進後退などの運動よりもはるかにダイナミックです。

自然界は常に微妙なバランスの上になりたっていますが、そのなかでは絶えず繰り返される運動のもとで、高気圧圏と低気圧圏という対象領域を生み、それぞれの内部で「分散」と「集中」のエネルギーが必然的に拡大します。
しかし、その「分散」と「集中」のエネルギーは拡大を必然としながらも、一定のレベルに達すると必ず崩壊し、消滅します。

遠心力で外へ外へと広がるエネルギーと、求心力で内へ内へと集中するエネルギーが、対立、協調しながら、生成、死滅を繰り返していく姿は、なんとも不思議な世界です。

経営なども、エクセルの表やグラフで表現されるものではなく、こうした「分散」と「集中」の渦のなかでもっととらえるべきなのではないでしょうか。


また、長くなってしまったので、次にこの「分散」エネルギーを象徴する「ロングテールの実体」のことについて書くことにします。

 

 

 

「分散」と「集中」ロングテールの実態

その2 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/f82e08f492d2f3e6289027b4a2317c7d

その3 http://blog.goo.ne.jp/hosinoue/e/818b1e7f42b3efdd6c1a48c4bd13e649

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