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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

古寺と大自然に学ぶ、これからの暮らしと経済

2013年06月01日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

ふたたび奈良へ

 

私は昔から毎年、GWを避けた5月の中ごろに3~4泊程度の旅に出ることにしてます。

かつてはもっぱら山に行き、縦走や山スキーを楽しむのが常でしたが、数年前からは、家内とその時々のテーマで、里の旅をすることがお決まりのパターンになりました。

今回は、奈良西部方面で二上山以外のまだ行ってなかった重要スポットを巡る計画。

現地で時間を見ながら予定変更もありましたが、行ったのは當麻寺、高野山、信貴山、法隆寺とその周辺の寺など斑鳩の里、それと奈良中心部の興福寺、元興寺、新薬師寺。

運良く興福寺の南円堂の公開と當麻寺の練供養の時期にも重なりました。

 

 

過去の旅に比べると予習不足気味で、迷いもありましたが強行して正解の旅でした。

 

 今回のコースでも、興福寺や高野山の仏像や建築についての印象は、書き留めておきたいことがたくさんあります。

普通ならば、まずここで旅の紀行文を書くところ。

でも、私たちはいつもながら観光よりも、その時々のかたよった問題意識が軸になる旅なので、訪問先の概要については省かせていただきます。

とりわけ今回は予期していなかった出会いがあり、今の自分の仕事にとっても大事なヒントを得ることがあったので、そうしたことを中心に書かせていただきます。

 

桜や紅葉の次にくるもの

 

まず、最初に寄った當麻寺が想像していたイメージと随分異なりました。

見るところが多い大きな寺であることは、家内から中将姫にまつわる話などもいろいろ聞いて予想してました。そうした視点で資料などを見ていたのですが、行ってみたら、歩けば歩くほど、その先々に新しい世界が開けていて驚いてしまいました。

美しい庭や建築のなかでも、この季節ならではのものとしてシャクナゲが見事に咲いていました。

その種類も多く、二人ともこれほど多くのシャクナゲを一度に見た事はありませんでした。

つい境内の話に深入りしそうになります。省きます。

 

 

考えてみれば、どこも人が殺到するのは圧倒的に春の桜。

それと秋の紅葉。

あとは見る人は少なくチャンスも少ないかもしれませんが、写真家などが狙う冬の雪景色。

この三つが代表的な寺院の景色であるとばかり思っていました。

ところが、のちに行く高野山でさらに決定的と感じたのですが、シャクナゲの花の位置づけが境内の庭造りのなかでとても大きいことを知ったのです。

 

もちろん、シャクナゲの季節の前に牡丹があります。

さらに遡れば梅。

これからはアジサイの季節にもなります。

ほかに桔梗もフジもツツジも大事でしょう。

渋川市にも牡丹寺があります。紫陽花寺もあります。

 

しかし、當麻寺や高野山の庭園の造りを見ると、シャクナゲが格別の役割を持っていることにあらためて気づかされます。

そういえば私たちが最も愛する室生寺、鎧坂の両脇もシャクナゲで埋め尽くされていました。

シャクナゲは、それほど広く愛されていたのか。

今まで意識していませんでした。

 

 

 

一年間ずっと出番を準備している花々


でも今回の旅で、より深く考えさせられたのは、シャクナゲの重要度のことではありません。シャクナゲの感動はむしろ余談です。

私たちが何よりも痛感したのは、そのシャクナゲの真っ盛りの時期に巡り会えた幸運さと、そのタイミングの良さを思えば思うほど、季節の花々の咲く期間の短さのことです。

個々の花で見れば、短いものは数日で散ってしまう命。

それが一本の木に、数十から万の単位にまで咲くので、入れかわり立ちかわり咲いている期間は、数週間、ものによってはそれ以上にもなることでしょう。

数日から数週間の開花時期。

桜を見れば誰もがその短さ、はかなさを語ります。

確かに桜に限らず、花の咲く期間、命はどれも短い。

 

しかし大事なのは、その短い開花時期のためにその草木は、1年をかけて準備をしているということです。

花を咲かせ、多くの昆虫、小動物や風の力をかりて雄花と雌花が受粉し、実を実らせ、種をまき、やがて葉を落として冬を越す。

志村ふくみが草木染めで桜の色を出すには、桜の花からとるのではない。桜の色を草木染めで出すには、桜の幹からその色をとりだすのだと言っていました。

桜の花の色は、花の咲く前の幹のなかに備わっているのだと。

「植物から緑が染まらない」

「咲いてしまった花からも色が染まらない」

    (ベニバナだけは例外らしい)

 

年に一度の出番がくるまでは、私たちは山を見て山桜の木がどこにあるのか、それをみつけることはとても難しいものです。

だからといって自然の草木たちは、誰ひとりとして花の咲く時期以外、休んでいるわけではありません。

多くの場合は、私たちが意識しなかったり気づいていないだけのことです。

 

昨年、東北を巡ったとき、私たちのテーマのひとつは縄文文化でした。

運良く栗の花が咲く時期であったために、山のいたるところに縄文文化の軸である栗の木があることを遠くからでも確認することができました。

大きな木が黄色がかっていなかったならば、私たちはその山に栗の木どれほどあっても、気づくことはできなかったでしょう。 

 

樹木でも、草木でも、多くの植物は、年に一度の出番の短い開花の間だけ、私たちに認知され、それ以外のときはどの植物たちも隣りで一瞬の間だけ咲き誇る花の脇役になっています。

あたりまえのことでしょうが、この必然の姿こそ、あらためて考えるとスゴイこと、すばらしいことです。

 

この素晴らしさは、ふたつの視点から言えます。

ひとつは、短い開花出番までの間、1年かけて草木はずっと準備しているということ。

もうひとつは、その出番の開花時期は、草木によってみな異なる時期におとずれ、入れ替わり立ちかわり選手交代しながら私たちを楽しませてくれるだけでなく、それぞれの大事な役割をその時々に果たしています。

その一握りの出番の草花が咲いている間、他の草木はみな脇役として立派に別の仕事をしてくれているのです。

 

背景に豊富な緑がなく、花だけが咲き誇っているような庭は、葉も茎も取って花瓶に入れられた花の姿のようになってしまいます。

またあらゆる花をかき集めて、一カ所にまとめたような花園は、お飾り庭園とでもいいましょうか、華やかさだけは見事でしょうが、決してわたしたちを感動させるものにはなりません。

現実にはそのような何々フラワーパークのようなところも、たくさんありますが、その感動は決して長続きはしません。

 

わたしたちが、何々フラワーパークの類いよりも、こうした神社仏閣の草花のほうが、ずっと美しく感じるのは、やはりそのロケーションに花々を支える豊かな背景が含まれているからにほかなりません。

いや、フラワーパークですらも、背景に豊富な緑がなかったならば、とても殺風景な姿に感じることは間違いないでしょう。

 

 

 出番を支える豊かなバックグランド

 

出番をむかえた一握りの花たちを支える圧倒的多数の脇役たち。

それは、開花を待つまわりの草木だけではありません。

草木たちを支える台地の土や岩。

大気に含まれる水蒸気と天から降り注ぐ雨。

そして何よりも、燦々とふりそそぐ太陽の光。

 

どれもあまりにもあたりまえの存在です。

 

しかし、この背景となる豊かなバックグランドがあってこそ、その花の輝きは支えられているのであり、その美しさも、それによってこそ増すものであるということです。

 

このことをスタイルとして明確に主張したのは、黒川温泉を復活させた後藤哲也さんといえるのではないでしょうか。

 

 

後藤哲也 『黒川温泉のドン 後藤哲也の「再生」の法則』朝日新聞社

 

誰もが自然に学ぶ事、自然をいかに再現するかということが、庭造りの基本テーマであることにかわりはありませんでした。 

ところが、自然をより多く取り入れることは誰もが考えていましたが、自然を部分的に切りとることなく、自然のままの姿に再現することを明確に方法として主張したのは、農林漁業などの生産者以外では、後藤哲也さんがはじめてといっても過言ではないのではと思います。

いかにシャクナゲが美しいからといって、庭一面にシャクナゲを敷き詰めたのでは、ああきれいだなとは思っても人に深い感動を与えることはできません。

旅に訪れたひとが、こころから感動できるのは、宿の窓から裏山を見たときに、ふっと一本のシャクナゲがそこに咲いているのを見つけたとき、誰かが埋けたような姿ではなく、あたかも昔からずっとそこに咲いていたかのような姿を見せたときにこそ、人は感動するのだと後藤哲也さんは強調します。

黒川温泉は、後藤さんのそのような考えに基づいて、人工的に見える造園はブルドーザーで根こそぎ排除して、昔からずっとあったような自然の景観を再現することで、最も予約の取りにくい黒川温泉という観光地を築きあげることができたのです。

 

この後藤さんのとりくみは、本来は特別なことではないはずですが、歴史の皮肉で、それを真似るわたしたちにとっても、自然のままの姿を取り戻すという作業が、ものすごい労力を要する作業の時代となってしまいました。

実際に、黒川温泉を視察し、真似る観光業者は少なくありませんが、それを実現することはそう簡単ではありません。

 

いま私たちがかかえているこの困難は、

 こうした自然の復元、再生だけではありません。

  


人のつくるものも自然と同じ 


奈良や京都の古い建築を見るたびに思うのですが、 むかしの人々はどうしてこれほど巨大で立派な建築や仏像をつくることができたのだろうか、不思議でなりません。

これはなにも日本に限らず、世界の歴史建造物をみたひとたちは、誰もがそう感じることと思います。

 

戦後の高度経済成長からバブルの時代のほうが経済力は、古代から中世、戦国、江戸時代など、どの時代と比べても、はるかに余力がある時代であったはずです。

なのに戦後つくられた建造物で、はたして100年、1,000年を経ても存在し続け、なおかつその価値が認められるようなものが、どれだけあるでしょうか。

もちろん、もう昔のような権力が独占集中する時代ではなくななり、進歩した面もあります。

しかし、経済力そのものは比べ物にならないほど規模が拡大しています。

 

不況が長引き、余力のなくなった現代になって、このことをどうしても考えてしまいます。

今に比べたらはるかに余力のあった時代であった数十年前。

余力があったにもかかわらず私たちはそのエネルギーを、歴史と自然のつちかったストックを食いつぶす事でしか、さらなる発展を創造できませんでした。

もっと成長できる。もっと発展できる。

その発想がすべて、ストックの食いつぶしで成り立っていました。

化石燃料に代表される資源の食いつぶし。

豊かな自然景観の食いつぶし。

人的資源の食いつぶし。

 

これから私たちがそれを取り戻すのは、たいへんな作業を要します。

 

 

頑丈にみえる鉄筋コンクリートの建造物の寿命は、せいぜい30年。長くても50年ももちません。

それはわかっていましたが、バブルのようなおカネのあふれる時代ですら、誰も千年もつ建造物をつくろうなどとは考えませんでした。

どんどん新しいものをつくり続けることこそが、社会発展の証しであると。

今になってやっと、誰のための発展なのだと気づきだしたのですが。

 

では、むかしの人はどのように考えていたのでしょう。

実態からすれば、まず多くの建造物は戦乱や火災によって自然消滅します。

戦乱で焼き払われ、地震で倒れ、火災で焼け落ち、あるいは全国の国分寺のように老朽化とともに廃れた建造物も少なくありません。

同じ国分寺でもそのまま歴史から消えていったものと、東大寺大仏殿のように不死鳥のようにその都度よみがえったものとの差がどこにあるのか、明確にはわかりません。

おおまかには、多くの歴史建造物が、鎌倉時代、江戸時代、明治期、平成と大修理を重ねて維持されてきています。

運よく再建されたもののなかには、為政者の強い信仰心から成し遂げられたもの、徳川幕府のように外様大名に莫大な普請事業を押し付け、政治的権力をみせつけ、自らを維持するためのもの、純粋にその歴史的価値を重んずるものなど、理由はさまざまでしょう。

でも、どうしてその寿命がこれほどまでに現代の建造物と違うのでしょうか。

再建、補修可能性という面で考えれば、建築物に限っては木造であることが大きく左右していることは間違いありません。

宮大工の西岡棟梁だったか、ヒノキという木がなかったら千年以上の間、法隆寺のように今日まで生き続ける建築はありえなかっただろう、といったようなことを言ってました。

木造ならではの移築、補修、再生可能性の柔軟さは、これまた語れば切りなく話題が出てくることでしょう。

百年、数百年に一度の大改修に必要な膨大な良質の木材の確保、それは豊かな森林の維持と不可分な作業でもあります。

 

考えてみると、こうした仏教建築物の不規則な再生の方法とは別に、計画的な「再生」をはかっているものの代表としてもう一方に伊勢神宮があります。

式年遷宮。

二十年ごとに様々な祭をおこないながら、お社をはじめ、着物や日曜調度品などすべてを新しくすること。

 

 

ようやく見えてきました。

現代の鉄筋コンクリートの建造物が30年から長くて50年の寿命。

古代からの木造建造物が百年から数百年の寿命。

部分補修、大改修などの繰り返しで千年以上の寿命。

これらの生きのびる寿命に対して、伊勢神宮の20年サイクルの建て替えは、明らかに生命力あふれる状態を常に維持しながら、再生をはかるサイクルになっていることにあらためて気づかされます。

それはなにもあの伊勢神宮のお社が、いつも新鮮な輝きに満ちているというだけの意味ではありません。

劣化、老化するすべてのものを新鮮な生命力あふれる状態で維持し続けるサイクルが20年となるのです。

現実には、柱などの巨木の寿命とその材料を継続して育てる豊かな森の維持のための必要年月ということなのでしょうが、はからずも人間の世代交代のサイクルと同じにもなっています。

なにか自然の摂理と、神の摂理と、人間の摂理がここでぴたりと一致したような感じになります。

 

わたしは長い間、伊勢神宮には格別の興味は持っていませんでした。パワースポットとしての注目を集めるようになっても、数年前あの空間へ行って格別の思いを感じるほどではありませんでした。

ところが式年遷宮の具体的な行事の数々を知ったり、その遷宮のために維持されている広大な森の存在を見たときにはじめて、わたしは本来の神道が遥拝しているご神体は、拝殿のなかにあるのではなく、その背後にある広大な自然の生命再生のかがやきのなかにこそあるのを感じ、底知れぬパワーにようやく敬服して思えるようになりました。

 

 

 

 


 フロー偏重の経済からストック重視の経済へ 

 あまりに寿命の短い現代のビジネス

 

ふりかえって現代を考えると、社会の変化のスピードは驚くべきスピードで変化するようになったように見えます。

細部の技術をみれば、確かにそれは事実といえるでしょう。

しかし、先にみた自然と神と人間の生命再生産のサイクルからみると、現代の生産サイクル、企業や組織の賞味期限、パラダイム変化のスピードなど、なんら神代の昔から変わっているわけではないことに気づきます、

 

新しい商品を次々と開発して売り上げを伸ばすことは、ビジネスでは不可欠なことです。

 

でもそれは必然的に

 

 商品の寿命が短くなる

     ↓

 会社の寿命が短くなる

     ↓

 業界の寿命が短くなる

     ↓

 地域社会の寿命が短くなる

     ↓

 人間の命が食いつぶされる

となります。

 

これは、すべてフローを優先するあまり、ストックをとことん食いつぶしていく社会でです。 

今の政権が目指しているデフレ脱却を至上命題にした先の成長戦略とは、このような前提にたったものだと思います。

仮にデフレ脱却が実現できたとしても、彼らが描く成長戦略のもとでは、次々にストック(自然資源、国民所得、歴史遺産、あるいは海外、他国の資産など)を食いつぶして、みかけのフローを創出し続けるということにかわりはありません。

生命再生産のかけがえのない源であるストックを増やすこと、蓄積することなど、まったく眼中にありません。

 

百歩譲って、数十年前までの情勢であれば、人類史が経験した事の無い異常な人口爆発が続く社会だったので、資源も労働力も限りなく不足しているように見えたのも無理からぬことです。これまでのストックをある程度、食いつぶすことの他に、手だてがみつからなかったことは想像できます。

でも、現代は、これからの時代は、そんな経済観を前提にしてはならないでしょう。

浜矩子さんが、アベノミクスは言葉に出すのもいやなほど、なんら新しい提言を含まない過去の経済理論と切ってすてるのも、こうした意味もあるのだと思います。

 

伊勢神宮の式年遷宮に学ぶ20年サイクルでの生命再生産は、ひとつの理想型です。

その20年のサイクルを上回るスピードで生産が続くと、ストックの食いつぶしがはじまり、背景の森林の再生産などが追いつかなくなり、破壊の道を進みながら成木になる前の若木を多用せざるをえなくなってしまいます。

イメージとしては、「白」の色彩比重が多くなります。

次々と新しいものが更新されて生産され続ける時代には、建物、内装、商品ともに、「白」ベースのものが多くなる傾向があります。

有名な建築家が豪語してますが、そんな時代であれば、コンクリートむき出しの建造物であっても、それはたしかに美しい。

絶えず新しいものに更新される社会であれば、それは必ずしも間違いとは言い切れないでしょう。

 

しかし、それも20年という生命の再生産のサイクルを超えると、途端にその「白」ベースの社会は、きたなく汚れはじめ、見苦しい社会になります。

20年サイクルを超える生命の再生産を考えるならば、それは自然と「黒」が基調になってきます。

補修、改装、リサイクルのしやすい、仏教建築のようなものが中心のイメージです。

人工物を避けた自然素材中心で、補修、改装を繰り返し、百年、数百年に一度大改修をするような社会。

時間とともに劣化するものはありますが、素材の生命は生きているので、汚れた見苦しさはなく、手をかければかけるほど味わいがでてきます。

大改修にむけて計画的にストックを増やし続けるような社会こそ、健全なサスティナブル社会といえます。

 

 

 

わたしは、欧米の論調の「持続可能な社会」から受け取るイメージは、どうも「生産拡大」の持続が前提に見え隠れしていて、生命の再生産の基本構造がどうも背景に追いやられているように思えてなりません。

 

 世界レベルで今はじまりかけている大きなパラダムの転換。

これを世の中の大きな変化だから、国や政治家の責任だと勘違いしてはいけません。

もちろんそれも大事で、その責任は追求するべきですが、大事なのは、大きなパラダイムの転換が起きているということは、歴史のどの断面を切り取っても共通の構造があるということです。

したがって、それはたとえ国がどうであれ、政治家がどうであっても(決して許すわけではありませんが)自分たちの身近な環境の中で、同等の問題構造がおきており、自分ひとりでも始めることがあるということ、となりのひととふたりでも始められることが必ずあるということです。

またそれは、個人でおこなうことが、巨大組織や国家レベルで行うことと比べても、なんら価値の差はないのだと言える時代ともいえます。

 

フローがないから、いかにして数字を伸ばすか。

このこと自体は今でも必要がないわけではありませんが、それは生命再生産の構造、ストックを蓄積、積み重ねていくこと抜きには、20年サイクル以上の幸せな環境は築けないということです。

 

 

年に一度の短い出番を待って咲く草花のように、自らの商品やサービスを時間をかけてやがて来るその日のために磨き上げる。

 

「何々が悪いから」、「何々が無いから」の論理ではなく、今あるもののなかに有用なもの、価値あるものを発見し活用する力をみにつける。

 

次から次へと選手交代して咲く花のように、異なる人材や異なる顧客の恊働関係を築き活用する。

 

右肩上がり時代の安い消耗品で埋め尽くされた空間を、再生、補修可能な備品、什器、建物に少しずつ変えていく。

 

最短でも20年のサイクルでパラダイムが変わることを前提に、世代交代の準備と必要なストックを蓄える。

 

 

そんな働き方、暮らし方を目指そうと思っています。

「生命の再生産」「命のリレー 」こそが、自然と人間社会の経済活動を含めた根底原理です。

 

 

そういう私自身も、ようやく今、会社や組織中心のパラダイムから抜け出し、地域のストックを積み重ねる仕事に踏み出したばかりです。

 

先人のストックを食いつぶしただけで終わらないように、がんばらねば。

 

 

 

 

   春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり     道元 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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