英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

物づくりを忘れた日本人   カジノに走り国を壊す

2016年12月23日 12時17分43秒 | 時事問題
 日本人は12月を「師走」と呼ぶ。一年のうちで一番忙しい月だからだ。わたしも忙しかった。年賀状を書き、ようやく一段落した。
 筆者は12月中旬、私用で香川県の高松を訪れた。高松は父のふるさと。これまで何度も足を運んだ。そのたびに瀬戸大橋を渡る。瀬戸内海にかかる自動車と鉄道が同時に通れる大きな橋だ。この橋は、読者もご存じのように、河ではなく海にかかっている。
 この橋を渡るたびに、日本人は素晴らしい国民だと思う。海に橋を架ける技術を持っているのは日本人ぐらいだろう。この言葉は大げさだとしても、海に橋を架ける国民はほんの一握りにすぎないのは確かだ。
 世界に冠たる日本人の技術。巧みの世界だ。太古の時代から、日本列島に住む人々は器用で応用に富む。たとえ外国の技術をまねしても、それを日本独自の技術に作り替えてきた。
 日本人が長い間培ってきた技術力や研究心が鉄鋼、自動車、テレビなどの家庭電気製品などを世界一流に押し上げた。またロボット産業や電気自動車、自動運転カーの研究開発に余念がない。
 付加価値のある「ものづくり」が日本人を豊かにし、日本を世界のトップクラスの国にした。しかし、現在の政治家や多数の国民はこのことを忘れているようだ。
 筆者はカジノ法に反対だ。まさに近視眼的な法律である。個人が博打で努力もしないでお金を儲けようと夢見て悲惨な結末になるのと同じように、安倍首相や政府の連中は「濡れ手で粟」を狙っているとしか思えない。
 安倍首相はシンガポールのカジノを含む統合型リゾートを見て、日本に導入しようとした、とテレビは報じている。しかしシンガポールと日本は国情が違う。シンガポールは統合型リゾートなどのサービス産業でしか国を豊かにできないのだ。これに対して日本は日本人が千年以上にわたって培ってきた「もどづくり」がある。
 安倍首相は金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略を柱とする「アベノミクス」で日本経済を再生しようとしている。ただ、この政策の中には、カジノや観光という「どうでもよいもの」がある。
 観光についてはどうでも良いというのは言い過ぎかもしれないが、それでも日本経済の主要エンジンではない。補助エンジンだろう。主要エンジンはやはり昔も今も「ものづくり」だ。
 日本政府は観光を資金稼ぎの主要エンジンにしようとしている。裏を返せば、日本の技術力が低下している。日本人の進取気性が薄れてきているのだけは確かなようだ。
 約半世紀前、筆者は欧州にはじめて渡った。当時大学生の筆者には見るもの聞くものすべてが新鮮だった。欧州各国を「ユーレイルパス」と「ヒッチ」で回った。スペインとポルトガルを訪れたおり、感じたことがあった。
 スペインもポルトガルも観光立国(現在も同じ)だった。観光で国民が飯を食べていたといっても過言ではなかった。観光が外貨を稼ぐ主要産業だった。
 スペインのマドリッド、コルドバ、セビリア、サラマンカ、マラガ、マルベラなどを回り、ポルトガルの首都リスボン、コインブラ、ポルト、アベイロに足を伸ばした。そこで見たのは素晴らしい宮殿や博物館、地中海の海だったが、歴史的な建物は痛んでいた。特にポルトガルの歴史建造物は、修理する資金がなく朽ちていた。
 筆者は思った。「観光立国は、観光以外に外貨を稼ぐ手段がないと。外国人が落とした金で食べている。観光で外貨を儲けても歴史建造物の修復に資金を回せない。しかし日本は違う。われわれは観光に依存して生活していない。付加価値がつく製品を毎日つくり出し、それを輸出して食べているのだ」。誇りを抱いてそう思った。
 当時の日本は観光に力をほとんどいれていなかった。日本経済は右肩上がり。生産ラインで国民が懸命に働き、セールスマンが外国で日本製品を懸命に売りさばいていた。それが日本の稼ぎ頭だった。それでも日本の風光明媚な景色を求め、伝統を求めて外国人が来ていた。観光はあくまで小遣い稼ぎだった。
 私が誇りに思ってから半世紀がたち、日本経済も技術力も右肩下がりだ。それを誰もが知っている。そして政治家は「苦労もしない儲け方」にうつつをぬかしているのだ。その象徴が「カジノ」のように思う。
 確かに一時的にもうかるだろう。外国人、特に中国人の富裕層が落とす金でわれわれは苦労もしないで儲けることができる。しかし、外国人の懐が寒くなれば、誰がカジノに行くのだろうか。誰も総合娯楽施設に行かなくなるだろう。
 付加価値のあるものを生産して、儲け、そして疲れを休めるために家族連れで総合娯楽施設に行くのが常識的な考え方ではないのか。あくまでカジノや観光、娯楽施設は製品をつくりだしたことに伴う疲れを癒やす場所にすぎない。
 半世紀前の日本人、われわれ「団塊の世代」の親の世代の人々と違って、現代人はらくして儲けようとしている。それは可能だろうが、一時的な順風にすぎない。
 日本人は長期的な観点から物事を見ることができない民族だと思う。太平洋戦争の指導者も今の人々も同じだ。現在の政治家の見方は国民の考え方の鏡になっていると考えざるを得ない。「楽して儲ける」。このままでは10年もすれば1000兆円以上の借金が国民の総資産を上回り、国民は悲惨な結末を迎えるだろう。
 安倍首相ら政治家は国民に「苦労してお金を稼ぐ」ものづくりの重要性を示すべきだ。そうでなければ、生活苦にあえぎ、悲惨な生活を強いられるであろう後世の人々から最悪の政治家だったと言われよう。あだ花のアベノミクスが一時的に成功しても、長期的な観点からは成功は見込めないのは確かだ。

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