英国の独立調査委員会(チルコット委員会)は6日、同国のイラク戦争参戦とその後の経緯についての調査結果を発表した。報告書は、当時のブレア政権(労働党)がイラクのサダム・フセイン大統領の脅威に過剰に反応し、準備不足の英軍部隊を戦地に送り出したと批判。戦後の計画は「まったく不十分だった」という見解を公表した。
独立調査委員会のサー・ジョン・チルコット委員長の記者会見を受け、ブレア元首相は約2時間に及ぶ記者会見で「開戦当時の情報分析は、結果的に誤っていた。戦後の状況は、予想をはるかに超えて敵対状況が激しく、流血にまみれて、長く続いた。(略)我々はイラクの人たちをサダムの悪政から解放したかったのだが、その国は代わりに宗派対立によるテロリズムに苦しむようになってしまった」と認めた。
これに対して、朝日新聞は8日付社説で「国民の求めに応じて政府が設けた独立調査委が、政治家や官僚の抵抗に屈さず、過ちを暴いた努力は評価されるべきだ。・・・過去の政策を冷徹に評価し、過ちを繰り返さない努力を尽くす責任は、どの国家にもある。残念ながら、日本政府にはその自覚がうかがえない」と述べる。
さらに社説は「そもそも安倍首相が昨年夏の国会答弁で、イラク戦争について、フセイン政権の責任を強調し、米英などの武力行使は国連安保理決議で正当化されていたとの認識を示している。戦争を主導した米英も過ちを認める開戦の根拠について、安倍首相はじめ日本政府はいまだに正当化し、自ら加担した責任も認めようとしていない」と自民党政府を批判する。
イラク戦争参戦は日本人の国民性を映し出している。横並び意識だ。いったん事を始めたら、見向きもせずにひたすら走る国民性だ。周囲の変化には目もくれない。そして「なぜ」を問わない。行為の理由を話したがらない。意識して理由を考えない国民性なのかもしれない。
イラク戦争が始まった時の日本の首相は小泉純一郎氏だ。小泉内閣は、イラク戦争の開戦後、直ちに米英にもろ手を挙げて支持表明した。「日米同盟ありきの判断だった」ように思える。そこには思考の「思」の字もなかった。日本人は自考し、自ら信じる道を進む国民ではないように思う。
何でも他人を見て行動する。何か品物の売れ行きが良ければ、なりふり構わず、自らも店に行ってそれを買おうとする。流行に敏感で、流行に乗り遅れることを嫌がる国民でもある。ベストセラー本が出れば、読まなくても買う傾向が強いのが日本人だ。取り残されると感じるからだろう。
朝日新聞の社説はイラク戦争への日本政府の関与と無反省を批判し、「(その)疑念がぬぐえないまま今年、安全保障法が施行された。自衛隊が米軍と一体化した軍事行動をとるシナリオはより現実味を帯びている」と憂慮する。また「『米国の戦争に巻き込まれることはない』。安倍首相の断言に説得力をもたせたいなら、日本にとってのイラク戦争を検証することから始めるべきだ」と主張する。
日本人の国民性から考えれば、「イラク戦争を検証」することは未来永劫ないだろう。太平洋戦争(大東亜戦争)を、まだ真の意味で反省していないのだから。太平洋戦争は「アジア解放の戦争」だとか「侵略戦争」だとか、うわべだけの言葉を並べているうちは、日本人は決して反省をしていないのだ。日本人は反省という意味を理解していないと思うことさえある。「終戦」とのたまわっているうちは「反省」していないということだ。「敗北した」という出発点から「反省」が始まる。
英国の独立調査委は7年間もの時間を費やして調査した。それは英国がイラク戦争に敗北したとは言えないまでも、勝利からほど遠い形で終結したからだ。イラク戦争後の中東はイラクやシリアの混乱とイスラム国(IS)のテロで無茶苦茶だ。そのことも反省材料なのだろう。筆者がよくこのブログで言う「当初考えた青写真通りに将来必ずしもことは運ばない。それどころか考えてもみなかった最悪の状況に至ることがよくある」ということだろう。
英国人は過去を見つめ、過誤を現在と未来に生かすのに長けた国民だ。筆者が若い頃、7年間におよぶ滞英生活の中で交わった多くの英国人から感じたことだ。筆者はそのことを英国人から学んだ。過誤から学ばない民族や国民は将来、必ず再び同じ失敗をする。それは命に係わる致命的な失敗にもつながることを肝に銘じてもらいたい。
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独立調査委員会のサー・ジョン・チルコット委員長の記者会見を受け、ブレア元首相は約2時間に及ぶ記者会見で「開戦当時の情報分析は、結果的に誤っていた。戦後の状況は、予想をはるかに超えて敵対状況が激しく、流血にまみれて、長く続いた。(略)我々はイラクの人たちをサダムの悪政から解放したかったのだが、その国は代わりに宗派対立によるテロリズムに苦しむようになってしまった」と認めた。
これに対して、朝日新聞は8日付社説で「国民の求めに応じて政府が設けた独立調査委が、政治家や官僚の抵抗に屈さず、過ちを暴いた努力は評価されるべきだ。・・・過去の政策を冷徹に評価し、過ちを繰り返さない努力を尽くす責任は、どの国家にもある。残念ながら、日本政府にはその自覚がうかがえない」と述べる。
さらに社説は「そもそも安倍首相が昨年夏の国会答弁で、イラク戦争について、フセイン政権の責任を強調し、米英などの武力行使は国連安保理決議で正当化されていたとの認識を示している。戦争を主導した米英も過ちを認める開戦の根拠について、安倍首相はじめ日本政府はいまだに正当化し、自ら加担した責任も認めようとしていない」と自民党政府を批判する。
イラク戦争参戦は日本人の国民性を映し出している。横並び意識だ。いったん事を始めたら、見向きもせずにひたすら走る国民性だ。周囲の変化には目もくれない。そして「なぜ」を問わない。行為の理由を話したがらない。意識して理由を考えない国民性なのかもしれない。
イラク戦争が始まった時の日本の首相は小泉純一郎氏だ。小泉内閣は、イラク戦争の開戦後、直ちに米英にもろ手を挙げて支持表明した。「日米同盟ありきの判断だった」ように思える。そこには思考の「思」の字もなかった。日本人は自考し、自ら信じる道を進む国民ではないように思う。
何でも他人を見て行動する。何か品物の売れ行きが良ければ、なりふり構わず、自らも店に行ってそれを買おうとする。流行に敏感で、流行に乗り遅れることを嫌がる国民でもある。ベストセラー本が出れば、読まなくても買う傾向が強いのが日本人だ。取り残されると感じるからだろう。
朝日新聞の社説はイラク戦争への日本政府の関与と無反省を批判し、「(その)疑念がぬぐえないまま今年、安全保障法が施行された。自衛隊が米軍と一体化した軍事行動をとるシナリオはより現実味を帯びている」と憂慮する。また「『米国の戦争に巻き込まれることはない』。安倍首相の断言に説得力をもたせたいなら、日本にとってのイラク戦争を検証することから始めるべきだ」と主張する。
日本人の国民性から考えれば、「イラク戦争を検証」することは未来永劫ないだろう。太平洋戦争(大東亜戦争)を、まだ真の意味で反省していないのだから。太平洋戦争は「アジア解放の戦争」だとか「侵略戦争」だとか、うわべだけの言葉を並べているうちは、日本人は決して反省をしていないのだ。日本人は反省という意味を理解していないと思うことさえある。「終戦」とのたまわっているうちは「反省」していないということだ。「敗北した」という出発点から「反省」が始まる。
英国の独立調査委は7年間もの時間を費やして調査した。それは英国がイラク戦争に敗北したとは言えないまでも、勝利からほど遠い形で終結したからだ。イラク戦争後の中東はイラクやシリアの混乱とイスラム国(IS)のテロで無茶苦茶だ。そのことも反省材料なのだろう。筆者がよくこのブログで言う「当初考えた青写真通りに将来必ずしもことは運ばない。それどころか考えてもみなかった最悪の状況に至ることがよくある」ということだろう。
英国人は過去を見つめ、過誤を現在と未来に生かすのに長けた国民だ。筆者が若い頃、7年間におよぶ滞英生活の中で交わった多くの英国人から感じたことだ。筆者はそのことを英国人から学んだ。過誤から学ばない民族や国民は将来、必ず再び同じ失敗をする。それは命に係わる致命的な失敗にもつながることを肝に銘じてもらいたい。
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