英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

支持率を気にしなかったウィンストン・チャーチル  日本の政治家は世論の風向きだけを気にしている

2016年06月03日 09時23分18秒 | 英宰相ウィンストン・チャーチルの話
「日本の権力者の多くは平気で公約を破り、前言を翻す。残念ながら安倍晋三首相もその系譜に属する。消費税の引き上げをまたもや延期する。『再び延期することはない』と断言した2年前の言葉がなお耳に残る。原発事故の汚染水問題を『アンダーコントロール』と言い切り、経済の現況を『もはやデフレではない」と決めつける。9年前には『全身全霊をかけて内閣総理大臣の職責を果たす』と誓って翌々日に投げ出した』

 6月1日付朝日新聞の社説だ。筆者は朝日新聞の論説委員のように、必ずしも当初の政策を、後日変更する政治家を批判しない。客観的な社会・国際環境が変われば、政策を変更するのは当然だ。ただ、日本の政治家の多くはそのような変化に基づいて当初の政策を変更するのではなく、自分の首が飛ぶか飛ばないかを中心に据えて政策を変更する傾向が強い。
 日本の大多数の政治家は選挙の当落を最優先にするため、絶えず世論の風向きを気にする。支持率を気にして、時として大衆にすりよることさえする。大衆が好む政策に基づいて行動を起こす。言い換えれば、確固とした政治信念がない。国民への使命感や高い志がないため、私利私欲に走る。政治資金規正法などのザル法をうまく利用し、公金を私利のために使い込む。
 一方、世論は目の前の出来事に目が向きがちだ。長期的な目では見ない。情に流され、立候補者の肩書や、俗にいう”有名人”に惑わされ、政治家としての資質を観察しない。
 毎日の生活に追われている大衆に先見性(Foresight)がないからこそ、政治家が国家に必要であり、彼らがその任を担っている。
 政治家は長期的な展望に立ち、広い視野から政治戦略を練り、それを国民大衆に提示し、短期的な展望しか持たない人々を説得するのが主要な仕事の一つではないのか?
 20世紀の偉大な政治家の一人だと誰からも言われ、2002年の英国・BBC放送の調査で、英国の歴史上の偉人100人中1位だった英宰相ウィンストン・チャーチルには、多くの美点や欠点があった。
 美点のうちで称賛すべき一つの特質は支持率を気にしなかったことだ。60年以上にわたる政治生活の中で、世論の風向きに注意を払わなかったと言い換えたほうが適切な言い方かもしれない。
 チャーチルは政治家の資質に不可欠なものとして「歴史への深い洞察」「哲学や文学作品をたくさん読んで自らの血肉とする」ことを挙げている。
 彼は晩年の1953年(当時79歳)、20歳になるかならないかのジェームズ・C・ヒュームズ氏に会い、「歴史を勉強しなさい。歴史を勉強しなさい。歴史には、政治手腕や国政術を磨く秘密がたくさんある」とアドバイスした。孫の年齢に相当する青年に歴史に学ぶ重要性を説いた。
 ヒュームズ氏は米国の歴代大統領 - アイゼンハワー、ニクソン、フォード、レーガン - のスピーチライターを務め、作家になり、米国で晩年を送っている。
 チャーチルは名スピーチライターであると同時に政治資質に長け、とりわけ政治信念があった。英国人の大多数は1930年前半から半ばにかけて、ヒトラーを危険視していなかった。ヒトラーを批判し、社会主義を批判し、英帝国を擁護するチャーチルを「右派」とみなした。
 1936年7月20日の議会で、ヒトラーについての見方が間違っていることがはっきりするならば、ヒトラー支持者からの「勝どき」に耐えると告白した。
 チャーチルは結果がどのようになろうと自らが信じたことを発言した。誤解を恐れなかった。信念で動き、それでいて社会・国際環境が変われば、政策を変えた。
 チャーチルは1901年に議会人になってから一貫して自由貿易主義者だった。このために1920年代初め、自由党から保守党に鞍替えもした。しかし、1930年初め、彼はこの政策を放棄した。それは大恐慌によるものだった。だからといって自由貿易の原則そのものを捨ててはいなかった。「一時退却」したにすぎなかった。政治信念を抱いていたが、社会情勢や国際情勢の変化には柔軟だった。歴史の変化や時の変化に柔軟に対応しなければ、国民を塗炭の苦しみに突き落とす、と17世紀後半の英国の名政治家、初代ハリファクス侯爵は話した。その教えをチャーチルは理解していた。
 1950年初め、冷戦が最高潮を迎えた。再度首相に就任していたチャーチルは1951年10月23日、米国のプリマスでソ連と西側との歩み寄りを促した。チャーチルの考えは、米政府や彼の所属する保守党、英政界にとり、はた迷惑な行為だった。黙って国内政治と帝国経営に専念してほしいと思っただろう。しかし、チャーチルは「政治家であるかぎり、公の仕事しているかぎり、それが正しかろうが間違っていようが、誠実に自らの政治信念に従った」と話した。
 「わたしは第3次世界大戦を防ぎ、恒久の平和を引き寄せるために何らかの貢献ができると信じたからである」。若い頃、戦場を駆け廻り、自らも「戦争好きの冒険屋」と自称した元軍人のチャーチル少佐は、原子爆弾の出現が戦争を不可能にしたといち早く確信した。もはや戦争が国家の外交手段の一部にはなり得ないと誰よりも早く悟った。
 チャーチルは自らの見識や見通し、洞察力や先見性を披露することで閣僚や官僚を束ねた。チャーチルは批判や非難を喜んで受け入れた。批判は相手の率直な気持ちであり好意だと思った。批判や糾弾は議論につきものであり、当然だと考えた。またリーダーは批判を恐れてはならないし、それを喜んで受け止め、批判者を説得する技を磨く絶好のチャンスだと考えた。
 ノーマンブルック男爵 (1902~1967)は自伝の中で盟友のチャーチルについて次のように評した。
 「彼はいつも進取の気性の持ち主であり、誰からの意見にも耳を傾けた。特に彼が信頼する人物からの助言や判断に従う心構えがあった。いったん決心したことを、思い直させることは不可能に近かった。しかし決心がつくまでは、他人の見解や助言に耳を傾け、もし新しい証拠や議論がもたらされる場合は自分の意見を変えた」
 チャーチルは「わたしは首尾一貫した言行の人であるよりも事実や道理を理解する人でありたい。判断や行動が正しい人でありたい」という言葉を好んだ。また「人生では、しばしば自らの過ちを謙虚に認めることは大切だ。そうすることで、いつも健全な精神を心に宿すことができると思う」と思っていた。
 頑固でかたくなに自分の意見に固執し、それが絶対に正しいと思い込み、そして他人の意見に左右されない人には言えない言葉だ。議論しても自分の見解を決して変えない人には言えない言葉だ。批判を嫌がる政治家にはチャーチルのような発言は思ってもみないだろう。
 風の便りでは、安倍首相は頑固で頑なに持論を展開し、自分の意見が絶対に正しいと思い込む傾向が強い人物のようだ。
 安倍首相は消費増税10%を延期することで、アベノミクス失敗のリスクを回避した。消費増税10%を予定通り実施すれば、自らが唱えたアベノミクスが失敗する可能性が高まることを恐れた。
 消費増税10%実施による社会保障の充実と個人消費のさらなる冷え込みの可能性との矛盾を考えながら今後の経済政策をどうするかについての徹底した議論が与党から聞こえてこなかった。
 消費増税による7月の参院選の影響が心配だけなのではないのだろうか。与野党を問わず国会議員の最重要課題は自分の首をいかにしたらつなぎとめるかということだけだろう。
 現状を分析しながら政策を議論し、それを有権者に提示して説得し、その暁に有権者の支持を得ようとするのではなく、有権者の支持を得られるような政策を立案しようとしている。その政策が現実とかい離して実現が危うかろうが、そんなことはどうでもよい、選挙に勝てばすべて良し、と考えているのではないのか。
 英国・名誉革命を指導した初代ハリファクス侯爵は「政治家が人気(支持率)を求めようとした瞬間、犯罪者になる。良い仕事をして初めて支持を得ていると気づいたとき、美徳となる」と指摘する。侯爵の言葉を借りれば、今の与野党の政治家の大多数は「犯罪者」だということになる。

写真:大衆を前に演説するチャーチル首相

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