英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

お粗末な日本政府と外交官  アフガンでの日本協力アフガン人を救い出せず

2021年08月31日 14時37分36秒 | 東アジアと日本
この半月のアフガニスタン状勢はアメリカ軍の撤退で一段落した。しかし先行きは依然として不透明だ。この不透明な状況の中で、日本に協力してくれたアフガニスタン人やその家族は取り残された。米英もこのような支援者全員を救い出せなかったが、日本はゼロだった。
 日本指導部の楽観主義、無能力、のろまな行動がアフガニスタン支援者を救い出せなかった。後手後手になる行動はコロナ感染症対策と同じだ。否、アフガン人の救出失敗は日本の安全保障を映し出しているだけに、コロナ以上に深刻だ。
 その上、イスラム主義勢力タリバンが日米両政府の想像を遙かに超えたスピードで首都カブールを陥落させた時、英米やフランス、ドイツの外交官は米軍が治安維持に当たっているカブール国際空港に退避、そこから、自国に協力してくれたアフガン人や国連機関など非政府組織の属してアフガンの復興に携わっていたアフガン人を懸命になって救出しようとした。
 一方、日本人の外交官を含む大使館員は、カブール陥落2日後の8月17日、英国軍機でアラブ首相国連邦に脱出した。まさに”敵前逃亡”である。カブール国際空港に少なくとも大使と日本人外交官数人は留まるのが外交官の責務ではないのか。嘆かわしい。 彼らはアフガン人協力者を見捨てたのだ。
 また、菅首相を初めとする日本人政治家のお粗末さは目を覆うばかりだ。タリバンによる首都カブール占領後、直ちに自衛隊機を派遣すべきだった。自衛隊法の制約はあったが、同法は飛ばせることを可能にしていた。「紛争国に行く場合、自衛隊の安全が確保されなければならない」と言う文言はあったが、有事である。菅首相は決断すべきだった。
 菅首相は、チャーチルが生前に口が酸っぱくなるほど繰り返し話した「勇気」がなかった。そして時間と競走しなければならないときに、直ちに行動できなかった。それが韓国政府が300人以上のアフガン人を救い、一方日本は1人のアフガン協力者を救うことができなかった。
 菅首相を初めとする政治家連中は、日本人が紛争地から助かれば、それで良いという意識がしかなかったと思われる。アフガン協力者など眼中になかったのではないのか。悪しき、日本人の考え方だ。これはメディアや日本人の悪しき伝統だ。これは今日の難民受け入れの少なさにも表れている。
 戦前も日本政府は孫文ら中国の革命家の亡命を歓迎しなかった。フランスからの独立を願うベトナム人革命家を守らなかった。それでも今ほど酷くはなかった。
 一方、アフガニスタンの日本人外交官の”逃亡”は日本人の伝統を踏みにじる。日露戦争(1904~05)での旅順港封鎖作戦に参加した日本軍艦の艦長広瀬武雄大佐は自らの軍艦がロシア軍の砲撃により沈没する直前、「総員退艦」を命じた。デッキで、ただ1人部下の姿が見えない。杉野兵曹長だ。
 広瀬大佐は再び艦内に戻り、「杉野はいずこ」と叫びながら杉野を探し回るが結局発見できず、 部下とともに退避しようとしているところを被弾して戦死した。
  1940年7~8月にかけて、杉原千畝領事は外務大臣の訓令に反しながらも、ナチスドイツが占領するポーランドから逃れてくるユダヤ人に「命のビザ」を発給。リトアニアの総領事館が閉鎖され、杉原領事がリトアニアのカナウス駅頭で列車が出発するまで、「命のビザ」を書き続けた。多くのユダヤ人はシベリア鉄道と日本経由でアメリカに逃れた。今でもイスラエルとユダヤ人は杉原を命の恩人と考えている。
  民間船でも軍艦でも、沈みいく艦船では、船長や艦長は一番最後に艦船を下りる。この伝統は今回のアフガニスタンでは実行されなかった。私はアフガニスタン外交官、特に大使に猛省を促す。
  日本に協力したアフガン人をこれから救い出すのはますます難しくなる。しかし日本政府と外務省は必死になってタリバンと交渉し、彼らを救い出す義務がある。新渡戸稲造先生が書いた「武士道」を読んでほしい。日本の良心をもって彼ら全員が母国から脱出する日まであらゆる手段を尽くせ!もしその努力をしなければ世界の笑いものになるし、これから日本の在外公館や日本の国際協力機構(JICA)に、開発途上国の人々は働くのを拒否するだろう。
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