11月17日付けの朝日新聞に日本共産党の不破哲三前委員長のインタビューが掲載されており、不破氏は社会主義社会の実現は可能だと力説する。
不破氏はこう言う。「マルクスの理論は、長く誤解されてきました。本当に自由な社会をつくるのが、社会主義の根本理論なんですよ。政治的的自由だけでなく、生活が保障された上で、自由に使える時間があり、人間の能力を自由に発展できる社会を目指してきた」「(日本共産党)は将来的には、21世紀から22世紀をも展望しながら、日本に理想社会をつくるために活動する政党です」
不破氏はロシア革命後のレーニン(1870~1924)が指導した時期を肯定し、独裁者スターリンの体制を批判。「一連の内部闘争を経て30年代には共産党と政府の絶対的な支配権を握り、社会主義とは本来無縁の独裁者になってしまった」と話す。そして中国や旧ソ連の共産党の一党独裁体制を、日本共産党は目指していないと強調する。しかし、レーニンもソ連共産党の一党独裁を是認し、内戦までして政敵やソ連共産党に反対する党を打倒した。
私はこのインタビュー記事を読んで違和感を感じた。社会主義社会から共産主義社会への移行や社会主義社会での民主主義制度の実現などあろうか。もしあるのなら、それは不破氏が唱える社会主義社会ではないと思う。
マルクスは理想社会を紙の上で実現した。しかし多様な心を持つ人間の社会では、人間が自らの理想実現に立ち上がれば、必ず反対者が現れる。また欲得に満ちた人間はこの理想社会が自らの既得権を犯そうとすれば、それを阻止する。
一方、理想社会を夢見る指導者は独裁者に必然的に変質する。自らの理想社会を正義だと信じ、これに反対する者は”悪”として、排除する。暴力で排除することを厭わない。中華人民共和国の創始者、毛沢東はその典型である。
北朝鮮の建国者、金日成は社会主義者だったが、人間であるがために、子どもを世襲させ、社会主義とは無縁な世襲国家にしてしまった。それは人間の欲得がなせる技である。素晴らしい理想社会は人間の本性によりぶちこわされる運命にある。
20世紀の偉大な宰相ウィンストン・チャーチルはソ連型社会主義国家や、見果てぬ共産主義社会を目指す社会主義社会を「蜂社会」と呼んでいる。
チャ-チルはこう述べる。「ソ連は蜂社会を手本としている体制だ。……女王蜂と働き蜂を拘束している法則は、気まぐれな習性をもつ人間社会には当てはまらない。指導することはたやすいが、強制することは難しい」
私はチャーチルに全面的に賛成する。よこしまな心と移り気な感情を抱く人間は、非の打ち所がない完璧な組織や、例外を許さない整然とした社会に抵抗する。そんな社会に息苦しさを感じて逃げ出す。働き蜂が何らの疑問も抱かずに女王蜂に奉仕する蜂社会に、人間はなじめない。
私は「団塊の世代」の一員として、毛沢東主席に心酔した時期があった。毛沢東やマルクスが理想とした、紙の上だけに存在する共産主義社会にあこがれた。毛沢東が人間であることを忘れていた。
私は渡英して英語が読めるようになって手に取った初めての英書はロンドン大学のセットン・ワトソン教授が書いた「New Imperiarism(新しい帝国主義)」だった。それは旧ソ連とスターリンの、目を背けたくなるような圧政だった。そして毛沢東の「文化大革命」やほかの社会主義国のそれぞれの国民への圧政が続けられていた。
紙の上では、非の打ち所のない、素晴らしい社会だが、人間が介在すると、必然的に「真っ白な紙が真っ黒」になるのだ。
不破前委員長は「社会主義に到達した国は世界に存在しないのです」と朝日新聞の記者に話す。その通りだと思う。しかし、そんな社会は永遠に到来しない。
不破氏は「党名には、自由を基盤とした新しい社会の目標が体現されています」と強調する。しかし日本共産党が自由を基盤とした理想社会の実現を目指すのなら、党名を変えるべきだ。
記者時代、自民党、社会党などの民主主義諸政党は、私を党の建物の中に入れた。しかし共産党は私を玄関の待合室で待たせ、決して中には入れなかった。現在はどうなっているがわからないが・・・。不破氏のインタビュー記事を読んで、違和感を覚えた。
(写真)1917年のロシア革命で、ロシア皇帝の居城、冬の宮殿を急襲するボルシェビキ(ソ連共産党)軍。
不破氏はこう言う。「マルクスの理論は、長く誤解されてきました。本当に自由な社会をつくるのが、社会主義の根本理論なんですよ。政治的的自由だけでなく、生活が保障された上で、自由に使える時間があり、人間の能力を自由に発展できる社会を目指してきた」「(日本共産党)は将来的には、21世紀から22世紀をも展望しながら、日本に理想社会をつくるために活動する政党です」
不破氏はロシア革命後のレーニン(1870~1924)が指導した時期を肯定し、独裁者スターリンの体制を批判。「一連の内部闘争を経て30年代には共産党と政府の絶対的な支配権を握り、社会主義とは本来無縁の独裁者になってしまった」と話す。そして中国や旧ソ連の共産党の一党独裁体制を、日本共産党は目指していないと強調する。しかし、レーニンもソ連共産党の一党独裁を是認し、内戦までして政敵やソ連共産党に反対する党を打倒した。
私はこのインタビュー記事を読んで違和感を感じた。社会主義社会から共産主義社会への移行や社会主義社会での民主主義制度の実現などあろうか。もしあるのなら、それは不破氏が唱える社会主義社会ではないと思う。
マルクスは理想社会を紙の上で実現した。しかし多様な心を持つ人間の社会では、人間が自らの理想実現に立ち上がれば、必ず反対者が現れる。また欲得に満ちた人間はこの理想社会が自らの既得権を犯そうとすれば、それを阻止する。
一方、理想社会を夢見る指導者は独裁者に必然的に変質する。自らの理想社会を正義だと信じ、これに反対する者は”悪”として、排除する。暴力で排除することを厭わない。中華人民共和国の創始者、毛沢東はその典型である。
北朝鮮の建国者、金日成は社会主義者だったが、人間であるがために、子どもを世襲させ、社会主義とは無縁な世襲国家にしてしまった。それは人間の欲得がなせる技である。素晴らしい理想社会は人間の本性によりぶちこわされる運命にある。
20世紀の偉大な宰相ウィンストン・チャーチルはソ連型社会主義国家や、見果てぬ共産主義社会を目指す社会主義社会を「蜂社会」と呼んでいる。
チャ-チルはこう述べる。「ソ連は蜂社会を手本としている体制だ。……女王蜂と働き蜂を拘束している法則は、気まぐれな習性をもつ人間社会には当てはまらない。指導することはたやすいが、強制することは難しい」
私はチャーチルに全面的に賛成する。よこしまな心と移り気な感情を抱く人間は、非の打ち所がない完璧な組織や、例外を許さない整然とした社会に抵抗する。そんな社会に息苦しさを感じて逃げ出す。働き蜂が何らの疑問も抱かずに女王蜂に奉仕する蜂社会に、人間はなじめない。
私は「団塊の世代」の一員として、毛沢東主席に心酔した時期があった。毛沢東やマルクスが理想とした、紙の上だけに存在する共産主義社会にあこがれた。毛沢東が人間であることを忘れていた。
私は渡英して英語が読めるようになって手に取った初めての英書はロンドン大学のセットン・ワトソン教授が書いた「New Imperiarism(新しい帝国主義)」だった。それは旧ソ連とスターリンの、目を背けたくなるような圧政だった。そして毛沢東の「文化大革命」やほかの社会主義国のそれぞれの国民への圧政が続けられていた。
紙の上では、非の打ち所のない、素晴らしい社会だが、人間が介在すると、必然的に「真っ白な紙が真っ黒」になるのだ。
不破前委員長は「社会主義に到達した国は世界に存在しないのです」と朝日新聞の記者に話す。その通りだと思う。しかし、そんな社会は永遠に到来しない。
不破氏は「党名には、自由を基盤とした新しい社会の目標が体現されています」と強調する。しかし日本共産党が自由を基盤とした理想社会の実現を目指すのなら、党名を変えるべきだ。
記者時代、自民党、社会党などの民主主義諸政党は、私を党の建物の中に入れた。しかし共産党は私を玄関の待合室で待たせ、決して中には入れなかった。現在はどうなっているがわからないが・・・。不破氏のインタビュー記事を読んで、違和感を覚えた。
(写真)1917年のロシア革命で、ロシア皇帝の居城、冬の宮殿を急襲するボルシェビキ(ソ連共産党)軍。