11日付朝日新聞2面の「時時刻々」で「田母神氏 60万票の意味」が掲載され、『「ネット保守」支持』の脇見出しが躍った。朝日新聞は「保守」と「右翼」を混同している。「右翼」と「保守」は同列なのかもしれない。朝日新聞の編集者自身も理念・理想主義者のようなので、この違いを理解していない。
「9日投開票の東京都都知事選で、田母神俊雄氏が60万票余りを獲得した。支援者らは、従来の保守層よりも過激な傾向があり、愛国的なネットユーザーたちである『ネット保守』が予想を超える善戦を生んだと沸き立つ。これまで実態が見えなかった新たな保守層が、田母神氏の『基礎票』になって現れた、との見方もある」。朝日新聞はこう綴っている。
さらにこの記事を抜粋すると「負けた気がしない。戦後日本の欺瞞、偽善にうんざりしている人たちがこれだけいる。新しい政治勢力の誕生だ」「選挙戦最終日の8日、JR秋葉原駅前の演説には大雪の中でも約200人が集まった。田母神氏が『侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ』と訴えると、大きな拍手が沸いた」そして、次の脇見出し「強さ共感 新勢力の兆し」を立て、「男性会社員(26)は『歴史の真実はわからないが、田母神氏のように考えれば誇りが持てる』と語り、・・・・田母神氏に一票を投じた男子大学生(21)は『ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた』と語った。
筆者は憂う。筆者は保守だが右翼ではない。保守派は「現実主義者」であり、右翼は「理念主義者」である。そしてリベラルな人々は「理想主義者」である。右翼もリベラルも現実主義者ではない。日本人は今も昔も理念主義者であり理想主義者である。また情感に弱い。感性を大切にする。上記の男子大学生は一例だ。しかし政治は現実そのもの。
日本史を通じて、少なくとも明治以降、日本には現実主義者の政治家は少ない。その一人は勝海舟である。彼ほど現実的な政治家はいなかった。彼のおかげで、日本は19世紀の欧米帝国主義勢力の植民地にならずにすんだと思う。
「侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ」「ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた」。この発言からは観念や感情論を理解できても、現実を観察する片鱗さえうかがえない。そこにあるのは感情だけだ。「ぶれやすい政治家」を日本人は嫌う。確かに自己の思惑で「ぶれやすい政治家」がわが国には多い。筆者もこんな政治家はいかがなものかと思う。しかし時の変化、歴史の変化、時間の変化、環境の変動により政治家が政策を変えるのは当然だ。政治は生き物であり、何よりも相手がいる。
「安保条約は日本にとり必要だ」「わたしは共産主義政権下では生きられない」「社会主義は理想は立派だが、現実と実践は悪である」「わたしは産経新聞を読んでいる」。このように言うと、筆者は1980年代に、現在でさえリベラルな人々からしばしば「君は右翼か」と言われる。筆者が「朝日新聞と産経新聞を読んでいる」と修正すると、彼らは混乱するようだ。彼らが現実主義者でないから混乱するのだ。現実主義者は観察主義者でもある。だからリベラル、保守新聞を読んで、現実を自らの頭で思考するのだ。
筆者は右翼ではない。保守と言われればそうだが、現実主義者だと他人には言う。「あなたが見る日本の右翼は、英国では中道だ」ともかつて言った。英国の政治家ほど現実的な政治家はいないし、国民はそのような政治家を支持する。理想は理想として、現実に合致しなければ(そのような場合がほとんどだが)、理想をロッカーにしまい込み、当面は現実に沿った政策を遂行して時を待つ。時が熟したら、ロッカーから理想を取り出して実現に向かう。19世紀に大英帝国を指導したカッスルリー、パーマストン、グラッドストーン、ディズレーリー、ソールズベリーにしても、20世紀のチャーチル、チェンバレン、マクミランにしても現実主義者であった。
これに対して、太平洋戦争を指導した軍部指導者は観念、理念主義者であり、現実主義者ではなかった。戦後の1970-80年代、元朝日新聞記者でリベラル派を代表した本多勝一氏は、現実主義者の山本七平氏を「ペンの横暴」で口汚くののしっていた。筆者はその本を読んだ。本多氏も、ほかの執筆者も難しい左翼の理論を持ち出して山本氏を糾弾した。そこにあるのは感傷主義と理念、観念のみで、現実的な観察眼はほとんどなかった。現実主義者の山本氏を「右翼」だと勘違いをしたのだろう。
1980年代後半まではいわゆるリベラル派という知識人が幅をきかせていた。時代が現在へと経過するにしたがい、「リベラル派」が退潮し「右翼」が台頭してきた。いわゆる保守派(右翼)といわれる人々は、安倍首相に代表されるように、情緒、観念、理念で日本を「美しい国」だと訴えている。今日の建国記念日に発表された首相のメッセージは「私たちが愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしてきく責任を痛感し、決意を新たにしている」としている。
20世紀の日本を代表する評論家で劇作家の福田恒存は1980年代、痛烈にリベラルや左派を批判した。彼らが感傷主義や理念だけで世界を見る眼を批判した。もし福田が今日生きていたなら保守派を痛烈に批判しただろう。彼が生存中、保守派からの支持があったが、福田自身は”保守派”からも自分の考えが理解されていないことを悟っていたように思う。彼に学んだ友人はそう言っていた。つまり友人は「日本人は保守の意味を理解していない」と述べている。
「年齢別で見て、20代では、田母神氏に投票したのは24%に上り、舛添氏の36%に次いで2位だった」(朝日新聞)。筆者は憂う。若者は戦争を知らない。日米が戦ったことさえ知らない若者もいるという。中韓の主観的な見方からくる日本批判にたいして、彼らは感情的、感傷的になっている。筆者は心情的には日本の若者の心を理解するが、中国人や韓国人が日本人を「偏狭な理念と宣伝」で叩けば叩くほど、日本の若者を教条的な愛国主義へと追いやるだろう。
19世紀アジアで欧米植民地列強のくびきからの逃れられ、独立を維持できた国はタイと日本だけである。日本もタイも現実的な指導者がいたからにほかならない。日本は武士出身の人々であり、タイには英邁なモンクット王がいた。武士が日露戦争に勝って引退して以来、「理念主義者」がリベラルだろうが右派だろうが日本を牛耳ってきた。
小沢一郎・生活の党代表は10日の記者会見でこうのべた。「世の中が不安定になればなるほど、極端な意見が出てくる。安倍政権がまた、そういう考え方を助長している」。筆者もそう考える。なぜか?現実を観察できず、感傷・観念主義に走る日本人の国民性が「なぜ」の答えのように思える。筆者は科学の目線で歴史を考えてほしいと力説したい。
「9日投開票の東京都都知事選で、田母神俊雄氏が60万票余りを獲得した。支援者らは、従来の保守層よりも過激な傾向があり、愛国的なネットユーザーたちである『ネット保守』が予想を超える善戦を生んだと沸き立つ。これまで実態が見えなかった新たな保守層が、田母神氏の『基礎票』になって現れた、との見方もある」。朝日新聞はこう綴っている。
さらにこの記事を抜粋すると「負けた気がしない。戦後日本の欺瞞、偽善にうんざりしている人たちがこれだけいる。新しい政治勢力の誕生だ」「選挙戦最終日の8日、JR秋葉原駅前の演説には大雪の中でも約200人が集まった。田母神氏が『侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ』と訴えると、大きな拍手が沸いた」そして、次の脇見出し「強さ共感 新勢力の兆し」を立て、「男性会社員(26)は『歴史の真実はわからないが、田母神氏のように考えれば誇りが持てる』と語り、・・・・田母神氏に一票を投じた男子大学生(21)は『ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた』と語った。
筆者は憂う。筆者は保守だが右翼ではない。保守派は「現実主義者」であり、右翼は「理念主義者」である。そしてリベラルな人々は「理想主義者」である。右翼もリベラルも現実主義者ではない。日本人は今も昔も理念主義者であり理想主義者である。また情感に弱い。感性を大切にする。上記の男子大学生は一例だ。しかし政治は現実そのもの。
日本史を通じて、少なくとも明治以降、日本には現実主義者の政治家は少ない。その一人は勝海舟である。彼ほど現実的な政治家はいなかった。彼のおかげで、日本は19世紀の欧米帝国主義勢力の植民地にならずにすんだと思う。
「侵略戦争、南京事件、従軍慰安婦、全部ウソだ」「ぶれやすい政治家が多い中、強さを感じた」。この発言からは観念や感情論を理解できても、現実を観察する片鱗さえうかがえない。そこにあるのは感情だけだ。「ぶれやすい政治家」を日本人は嫌う。確かに自己の思惑で「ぶれやすい政治家」がわが国には多い。筆者もこんな政治家はいかがなものかと思う。しかし時の変化、歴史の変化、時間の変化、環境の変動により政治家が政策を変えるのは当然だ。政治は生き物であり、何よりも相手がいる。
「安保条約は日本にとり必要だ」「わたしは共産主義政権下では生きられない」「社会主義は理想は立派だが、現実と実践は悪である」「わたしは産経新聞を読んでいる」。このように言うと、筆者は1980年代に、現在でさえリベラルな人々からしばしば「君は右翼か」と言われる。筆者が「朝日新聞と産経新聞を読んでいる」と修正すると、彼らは混乱するようだ。彼らが現実主義者でないから混乱するのだ。現実主義者は観察主義者でもある。だからリベラル、保守新聞を読んで、現実を自らの頭で思考するのだ。
筆者は右翼ではない。保守と言われればそうだが、現実主義者だと他人には言う。「あなたが見る日本の右翼は、英国では中道だ」ともかつて言った。英国の政治家ほど現実的な政治家はいないし、国民はそのような政治家を支持する。理想は理想として、現実に合致しなければ(そのような場合がほとんどだが)、理想をロッカーにしまい込み、当面は現実に沿った政策を遂行して時を待つ。時が熟したら、ロッカーから理想を取り出して実現に向かう。19世紀に大英帝国を指導したカッスルリー、パーマストン、グラッドストーン、ディズレーリー、ソールズベリーにしても、20世紀のチャーチル、チェンバレン、マクミランにしても現実主義者であった。
これに対して、太平洋戦争を指導した軍部指導者は観念、理念主義者であり、現実主義者ではなかった。戦後の1970-80年代、元朝日新聞記者でリベラル派を代表した本多勝一氏は、現実主義者の山本七平氏を「ペンの横暴」で口汚くののしっていた。筆者はその本を読んだ。本多氏も、ほかの執筆者も難しい左翼の理論を持ち出して山本氏を糾弾した。そこにあるのは感傷主義と理念、観念のみで、現実的な観察眼はほとんどなかった。現実主義者の山本氏を「右翼」だと勘違いをしたのだろう。
1980年代後半まではいわゆるリベラル派という知識人が幅をきかせていた。時代が現在へと経過するにしたがい、「リベラル派」が退潮し「右翼」が台頭してきた。いわゆる保守派(右翼)といわれる人々は、安倍首相に代表されるように、情緒、観念、理念で日本を「美しい国」だと訴えている。今日の建国記念日に発表された首相のメッセージは「私たちが愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしてきく責任を痛感し、決意を新たにしている」としている。
20世紀の日本を代表する評論家で劇作家の福田恒存は1980年代、痛烈にリベラルや左派を批判した。彼らが感傷主義や理念だけで世界を見る眼を批判した。もし福田が今日生きていたなら保守派を痛烈に批判しただろう。彼が生存中、保守派からの支持があったが、福田自身は”保守派”からも自分の考えが理解されていないことを悟っていたように思う。彼に学んだ友人はそう言っていた。つまり友人は「日本人は保守の意味を理解していない」と述べている。
「年齢別で見て、20代では、田母神氏に投票したのは24%に上り、舛添氏の36%に次いで2位だった」(朝日新聞)。筆者は憂う。若者は戦争を知らない。日米が戦ったことさえ知らない若者もいるという。中韓の主観的な見方からくる日本批判にたいして、彼らは感情的、感傷的になっている。筆者は心情的には日本の若者の心を理解するが、中国人や韓国人が日本人を「偏狭な理念と宣伝」で叩けば叩くほど、日本の若者を教条的な愛国主義へと追いやるだろう。
19世紀アジアで欧米植民地列強のくびきからの逃れられ、独立を維持できた国はタイと日本だけである。日本もタイも現実的な指導者がいたからにほかならない。日本は武士出身の人々であり、タイには英邁なモンクット王がいた。武士が日露戦争に勝って引退して以来、「理念主義者」がリベラルだろうが右派だろうが日本を牛耳ってきた。
小沢一郎・生活の党代表は10日の記者会見でこうのべた。「世の中が不安定になればなるほど、極端な意見が出てくる。安倍政権がまた、そういう考え方を助長している」。筆者もそう考える。なぜか?現実を観察できず、感傷・観念主義に走る日本人の国民性が「なぜ」の答えのように思える。筆者は科学の目線で歴史を考えてほしいと力説したい。