多和田葉子著『エクソフォニー ?母語の外に出る旅』(2003年8月岩波書店発行)を読んだ。
「エクソフォニー」とは、母語の外に出た状態を指す。ドイツ在住で日本語とドイツ語で小説や詩を発表する多和田さんは、「エクソフォニーとは、新しいシンフォニーに耳を傾けること」という。
第一部は書き下ろしで、世界の20の街々への旅で、母語と外国語で思索・創作するということの差異、利点について考えたエッセーだ。
第二部はNHK「テレビ ドイツ語会話」のテキストの連作エッセイを加筆修正したもので、ドイツ語の興味深い単語や表現について独自の視点から分析したもの。
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
詩人でもある多和田さん、言葉に関して極めて敏感だ。そして、日本語と外国語の狭間から日本語を見ると、新たなものが見えて、新鮮に感じる。
しかし、第二部はもともとが、会話番組のテキストの購入者という読者を対象にしているので、ドイツ語に多少なりとも知識がないと興味を持つことは出来ないだろう。
多和田 葉子
1960年東京生まれ。早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。
入社後の研修で行ったドイツに惚れ込み、ハンブルク大学修士へ進み、移住。
1991年「かかとを失くして」で群像新人文学賞
1993年「犬婿入り」で芥川賞
2000年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花文学賞
2002年『球形時間』でBunkamuraドゥマゴ文学賞
2003年『容疑者の夜行列車』で伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞
2005年ゲーテ・メダル賞
2009年早稲田大学坪内逍遥大賞
2011年『尼僧とキューピッドの弓』で紫式部文学賞、『雪の練習生』で野間文芸賞を受賞。
他の作品に『海に落とした名前』『アメリカ 非道の大陸』、詩集『傘の死体とわたしの妻』『溶ける街 透ける路』など。また、ドイツ語で10冊以上の本を出している。
以下、私のメモ。
旧フランスの植民地のセネガルの作家は最近までフランス語で書いていた。土地の言葉は文字化されていなかったからだ。
外国語で創作するうえで難しいのは、言葉そのものよりも、偏見を戦うことだろう。外国語とのつきあいは、「上手」「下手」という基準で計るものだと思っている人がドイツにも日本にもたくさんいる。日本語で芸術表現している人間に対して、「日本語がお上手ですね」などと言うのは、ゴッホに向かって「ひまわりの描き方がとてもお上手ですね」と言うようなものでとても変なのだが、まじめな顔をしてそういうことを言う人が結構いる。
英語が達者なのにドイツ語でしか書かない作家が、「なぜ英語で書かないのですか?」と聞かれた。答えは、「ドイツ語という言語そのものの中に自分たちの背負っているドイツの歴史が刻み込まれている」だった。
頭の中にある2つの言語が互いに邪魔しあって、何もしないでいると、日本語が歪み、ドイツ語がほつれてくる危機感を絶えず感じながら生きている。・・・その代わり、毎日両方の言語を意識的かつ情熱的に耕していると、相互刺激のおかげで、どちらの言語も、単言語時代とは比較にならない精密さと表現力を獲得していくことが分かった。
日常の中で演技することへの反発は一般にドイツのほうが日本よりずっと強い。「アメリカや日本ではお店の人がいやに親切で、本心なのか芝居なのか分からないから不愉快だ」というドイツ人がよくいる。・・・ハンブルグでは、・・・その日機嫌が悪かったら、いかにも機嫌が悪そうな顔をしているのが正直ということである。