フィオナ・マクファーレン著、北田絵里子訳『夜が来ると』(早川書房)を読んだ。
オーストラリア・シドニー近郊のリゾート地、サウス・コースト。5年前に夫・ハリーを亡くし、町から離れた海辺の家で一人暮らしの75歳のルース・フィールドは、ある夜更け、トラが家の中をうろついている気配で目を覚ます。ルースは、これはきっと妄想で、今の生活に何か変化が起こる予兆なのかもしれないと考える。
離れて暮らす息子たちは心配するが、ルースはだれからも指図を受けない生活を楽しんでいた。しかし、翌朝、フリーダという大柄な女性が訪ねてきて、自治体から派遣されたヘルパーだという。腰痛に悩まされていたので午前中だけ家事代行を頼むことにする。
フリーダは有能なヘルパーで何事にも悠然と取り組む。彼女は髪色や髪形をころころ変えたり、しばしば威圧的だったり、ぶっきらぼうで、ミステリアスな面もあった。ルースは、仕事熱心で、ときおりユーモアや共感を示すフリーダに心安さを持つ一方、一抹の不安があり、信頼の心は揺らぎ続けた。
歳のせいで人生を振り返ることが多くなったルースは、フリーダに初恋の思い出など昔話を語るが、徐々に記憶があやふやになっていると自覚する。日常生活に支障を来すようになると、衝撃的な行動をとるようになり、物語は緊張感を帯び始める。そして、語り手のルース自身の認知や思考があやふやとなり、いわゆる「信頼できない語り手」となり、話は漂流を始める。そして最後の驚くべきサスペンスが迫って来る。
フィオナ・マクファーレン(Fiona McFARLANE)
1978年生まれ。オーストラリア、シドニー出身。シドニー大学で英文学を専攻、ケンブリッジ大学で文学博士号を取得。また、テキサス大学オースティン校ミッチェナー・センターで学ぶ。
“ニューヨーカー”誌などに短篇を寄稿。
2013年発表の初の長篇、本書『夜が来ると』は、ニューサウスウェールズ・プレミア文学賞グレンダ・アダムズ賞、ヴォス文学賞、バーバラ・ジェフリーズ賞を受賞し、オーストラリアで最も権威ある文学賞マイルズ・フランクリン賞の最終候補作に選ばれ、また、英米の有力紙誌で高い評価を受けた。
シドニー在住。
北田絵里子
1969年生、関西学院大学文学部卒、英米文学翻訳家
私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)(最大は五つ星)
老いに逆らえず、他人に頼らざるを得ないことになったルースは、記憶が不確かになっていくことを自覚し、現実と妄想が錯綜するようになる。プライドと不安がせめぎ合い、フリーダや息子に対し依存と反発の間で揺れ動くようになる。そんなときに限りトラが出現する。
記憶があやふやとなった語り手ルースの話は、現実と幻の間をさまよい、読者は彼女の心の揺れ動きに振り回され、引き込まれ、身につまされ、不思議の世界へ導かれる。
家具の上に横たわるトラの絵の表紙、トラが家の中にいるとの冒頭の話、読み始めは幻想的な話かとうんざりしかかったが、老女がヘルパーに語る昔話、避暑地郊外の風景がゆったりと進んでいく。徐々に、記憶が怪しくなる老女の心の動きが不安を増し、危ない行動が始まり、そしてヘルパーの謎が深まっていく。
結局一気に読み切ってしまった。
それにしても、作者はまだ三十代の新進女性作家で、これが長編デビュー作! 祖母が認知症になった経験から、この物語を構想したというが、全体の構成にも優れ、老女の心情も生き生きと描かれており、驚くべき力量だと思う。