中学から高校にかけて、毎日のように明治神宮の宝物殿前へ来た。最寄りの駅、代々木上原から参宮橋は2つ目だが、中学の時は自転車で来て、ニッケの木に登ったり、明治神宮の隣のワシントンハイツを金網ごしに眺めたりしたものだ。高校の下校時には歩いて明治神宮を横断して参宮橋の友人宅に上がりこむのが日課だった。
西参道の左側には熊笹が、
右側にはドコモの機械棟兼アンテナがそびえ立つ。
参宮橋には出ずに右に曲がり宝物殿前に行く。
宝物殿前には昔はなかった国旗掲揚台とさざれ石が。昔なら、右翼として抗議されただろうに。
さざれ石は長年月で雨水などに溶け出した石灰分が小石を凝結して少しずつ大きくなってできるとの説明があった。そんなことより、林の傍にあった艶やかな青色で宝石のような大きな石を探してウロウロしたが、見当たらなかった。
ともかく、宝物殿前に広がる開放感ある芝生の空間をご覧あれ。
池際にあった石が割れていた。若い女性がパワーポイントだと騒いていた。
本殿方向へ行く道にかかる橋のたもとからドモコのビルがかすかに見えた。
高校生の頃、この橋に寄りかかっていた進駐軍(古っ)の兵隊さんから英語で時間を聞かれた(掘った芋いじるな??)。私は得意満面で、“It is ten minute to three PM”などと教科書通りに答えたのだが、少しも解ってくれず、腕を取られて時計を見られてしまった。以来、英語学習の意欲をなくし、これが私を英語音痴にした原因なのだ??
参宮橋口へでると、交差点の向こうに首都高4号線とオペラシティが見える。
これもまた懐かしい東京乗馬倶楽部がまだあった。
よく柵にあごをのせて、縁のない遠い世界をいつまでも見ていたものだった。今の入会金が200万円、年会費9.6万円だから、やはりお金持ちの楽しみだ。
いかにもお嬢様が御乗馬なされておられました。
典型的庶民の我々は、参宮橋駅から小田急線に。線路は代々木八幡まで真っ直ぐ伸びる。
お昼過ぎに帰宅したが、この日も10,000歩。
3が日で3.5万歩。よく歩いたと自分を褒めてあげたいが、確実に摂取カロリーの方が多いだろう。
西参道の左側には熊笹が、
右側にはドコモの機械棟兼アンテナがそびえ立つ。
参宮橋には出ずに右に曲がり宝物殿前に行く。
宝物殿前には昔はなかった国旗掲揚台とさざれ石が。昔なら、右翼として抗議されただろうに。
さざれ石は長年月で雨水などに溶け出した石灰分が小石を凝結して少しずつ大きくなってできるとの説明があった。そんなことより、林の傍にあった艶やかな青色で宝石のような大きな石を探してウロウロしたが、見当たらなかった。
ともかく、宝物殿前に広がる開放感ある芝生の空間をご覧あれ。
池際にあった石が割れていた。若い女性がパワーポイントだと騒いていた。
本殿方向へ行く道にかかる橋のたもとからドモコのビルがかすかに見えた。
高校生の頃、この橋に寄りかかっていた進駐軍(古っ)の兵隊さんから英語で時間を聞かれた(掘った芋いじるな??)。私は得意満面で、“It is ten minute to three PM”などと教科書通りに答えたのだが、少しも解ってくれず、腕を取られて時計を見られてしまった。以来、英語学習の意欲をなくし、これが私を英語音痴にした原因なのだ??
参宮橋口へでると、交差点の向こうに首都高4号線とオペラシティが見える。
これもまた懐かしい東京乗馬倶楽部がまだあった。
よく柵にあごをのせて、縁のない遠い世界をいつまでも見ていたものだった。今の入会金が200万円、年会費9.6万円だから、やはりお金持ちの楽しみだ。
いかにもお嬢様が御乗馬なされておられました。
典型的庶民の我々は、参宮橋駅から小田急線に。線路は代々木八幡まで真っ直ぐ伸びる。
お昼過ぎに帰宅したが、この日も10,000歩。
3が日で3.5万歩。よく歩いたと自分を褒めてあげたいが、確実に摂取カロリーの方が多いだろう。
私は昭和二十年生まれの幡代小学校ですので、写生大会、凧揚げ大会は明治神宮でした。
遊びに行く所も参宮橋から入った椎の実、銀杏の拾える右の道を辿った所で、その秘密の場所は今でも行けると思います。
もう一度行ってみるつもりではいましたが、貴殿の写真を見て明日にも行きたくなりました。
道玄拝