hiyamizu's blog

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夏川草介『始まりの木』を読む

2023年09月11日 | 読書2

 

夏川草介著『始まりの木』(2020年9月30日小学館発行)を読んだ。

 

小学館の内容紹介

『神様のカルテ』著者、新たなステージへ!
「少しばかり不思議な話を書きました。木と森と、空と大地と、ヒトの心の物語です」--夏川草介

第一話 寄り道【主な舞台 青森県弘前市、嶽温泉、岩木山】
第二話 七色【主な舞台 京都府京都市(岩倉、鞍馬)、叡山電車】
第三話 始まりの木【主な舞台 長野県松本市、伊那谷】
第四話 同行二人【主な舞台 高知県宿毛市】
第五話 灯火【主な舞台 東京都文京区】

 藤崎千佳は、東京にある国立東々大学の学生である。所属は文学部で、専攻は民俗学。指導教官である古屋神寺郎は、足が悪いことをものともせず日本国中にフィールドワークへ出かける、偏屈で優秀な民俗学者だ。古屋は北から南へ練り歩くフィールドワークを通して、“現代日本人の失ったもの”を藤崎に問いかけてゆく。学問と旅をめぐる、不思議な冒険が、始まる。
“旅の準備をしたまえ”

 

 

藤崎千佳:国立東々大学修士1年。文学部民俗学専攻。あっけらかんとした性格で、切り替えが早い。口の悪い師にも果敢に反論する。

古屋神寺郎(かんじろう):東々大学准教授。藤崎の指導教官。実績充分だが、偏屈で口が悪い。”民俗学の研究は足で積み上げる”を哲学とし日本中に旅に出るが、左足が悪く杖を使って歩いている。

仁藤仁(にとう・じん)藤崎の先輩院生。イケメンで優秀。

 

 

「寄り道」

青森県弘前市で津軽きっての豪商だった津島家で江戸時代の屏風絵を見せてもらう。そこには枝を払った自然木を通りに立てて神の憑代(よりしろ)とする市神の姿があった。嶽温泉に足を延ばし、「嶽の宿」で一泊。主人は10年前に亡くなった古屋の妻・裕子の弟・皆瀬真一。裕子も優秀な民俗学者だった。

「七色」

民俗学会をさぼって、京都市岩倉で、古屋は幼馴染の鍼灸師・土方から手当てを受ける。さらに、京都岩倉・実相院門跡の床板に鏡のように映る紅葉「床もみじ」を見る。学会講演に遅れそうなのに身体の悪い青年を叡山電車で鞍馬に送っていく。その青年は……。

「始まりの木」

古屋は千佳に告げた「藤崎、旅の準備をしたまえ」「行き先は信州だ」。信濃大学教授の永倉富子教授からの特別講義の依頼があったのだ。教授は柳田國男が主宰していた「氏神研究会」の資料を土産として渡した。東々大学の民俗学講座が今年度で廃止になるとの話がある中で、ある農家の一族が500年間守り続けてきた伊那谷の大柊(ひいらぎ)に会いに行く。
民俗学ではこの大柊は最後の神の木と言われている。しかし、古屋の妻・裕子は「始まりの木」と言っていた。

 

「同行二人」

仁藤先輩が高知県でフィールドワーク中の宿毛市に、古屋が飛行機嫌いのため、二人で鉄路14時間かけて着いた。千佳が僧の読経の声に誘われ深い森の中に入り込むと、初老の男が倒れていて、救急車を呼んで病院へ連れていった。大動脈瘤を抱えながら一人娘の乳がんが治ることを発願し四国を巡っていたのだ。古屋は僧の姿を見ていないという。

 

「灯火」

東京都文京区東々大学の近くにある輪照寺に樹齢600年の枝垂桜がある。もはや花を咲かさないこの木を、道路を通すために切り倒すという。昔、古屋がお世話になったという雲照住職は胃がんで余命3カ月だった。教室に仁藤が飛び込んで来て、講義中の古屋は病院に行くという。倒れたのは実は……。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)

 

青森県弘前、京都鞍馬、長野伊那谷、高知宿毛と、田舎巡りのロードノベル風の話はシティボーイの私にはそれなりに面白かった。

 

偏屈、尊大な民俗学者と、全く負けていない女性大学院生との毒舌合戦は、内容は薄いが、スイスイ読める。

 

最終章でようやく第4話までの筆致や構成の意味が明確になり、納得。欧米の一神教と異なり、日本人
にとっての神とは自然とは、そして民俗学の目指すところとは・・

 

医者物専門と思っていた夏川草介が民俗学?と、お医者様から民俗学の講釈を散々きかされる羽目になるとはと戸惑いながら読んだが、さすが勉強家、巻末の参考文献は55冊(?)。著者の熱心な勉強ぶりに免じて許そう。

正直に言って、宮本常一を読んで、桁外れの研究効率の悪さにあきれ、体系が不明でわかりにくかった民俗学も、面白そうな点もあるなと思わされた。

 

 

夏川草介(なつかわ・そうすけ)の略歴と既読本リスト

 

 

 

メモ

 

古屋は講義の中でしばしが「神は人の心を照らす灯台だ」と言う。灯台は船の航路を決めてくれるわけではない。海が荒れ、船が傷ついた夜には、そのささやかな灯が、休むべき港の在りかを教えてくれる。

 

「同行二人」(どうぎょうににん)とは、たった一人のお遍路でも、お大師様が寄り添ってくれるという意味。

 

韜晦(とうかい):自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと。また、身を隠すこと。 姿をくらますこと。

 

柳田國男は役人のエリートで瞬く間に出世して貴族院の書記官長まで上り詰めた。しかし、後半生を白足袋で全国を歩き回るような民俗学という学問の開拓を始めた。おそらく、勤勉で働き者の日本の農民たちがなぜこれほど貧しいのか、衝撃を受けたためではないかとは著者の弁。

 

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