鈴木大介著『最貧困女子』(幻冬舎新書360、2014年9月30日発行)を読んだ。
裏表紙にはこうある。
働く単身女性の3分の1が年収114万円未満。中でも10~20代女性を特に「貧困女子」と呼んでいる。しかし、さらに」目も当てられないような地獄でもがき苦しむ女性たちがいる。それが、家族・地域・制度(社会保障制度)という三つの縁をなくし、セックスワーク(売春や性風俗)で日銭を稼ぐしかない「最貧困女子」だ。可視化されにくい彼女らの抱えた苦しみや痛みを、最底辺フィールドワーカーが活写、問題をえぐり出す!
貧乏と貧困は別
貧乏はたんに低所得であることで、低所得でも家族や地域との関係性がよくて、助け合いがあるならけっして不幸とは言えず、孤立しがちな貧困までの状態にはならない。
マイルドヤンキー
強い地縁や血縁をベースとした生活で満足している低所得の若者層のこと。「お金がなくても、地元の仲間とつるんで楽しくやっていりゃいいじゃん」と語る郊外や地方の若者たち。
「地方週一デリヘル嬢」というカテゴリーの風俗嬢たちは、まさに週1回、バイトのように収入の余裕をもたせるために風俗に入ってくる。彼女たちはいつまでも「素人」のように「みずみずしく」(これはぼくの表現)、いわゆる「美人」も多い。そして技術も高い。
最貧困層
知的な障害をかかえていたり、やむにやまれず体を売っているような最貧困女子のような、プロ意識に欠けた、そしてまさにただ肉を売っているだけのずさんな女性(とみなされている人たち)は、性産業の中心部からも排除され、だれも相手にしないような性産業の底辺へと押し込められていく。
「性技テクも磨かない、生活も工夫しない、自堕落な女」として性産業の別階層からもいっそう激しい「自己責任」論をつきつけられ、不可視化されていく。
「家族の縁」が切れて、友達、遠い親戚など「地元の縁」も切れていて、その上「制度の無縁」で社会保障の網から漏れているのが最貧困層。セックスワークや裏稼業でギリギリ生活できていて、身も心もボロボロの人たちで、差別の対象であっても、支援の対象にはなりにくい。彼女らの貧困、苦しみや痛みは「可視化されていない」。
最貧困女子は親の虐待を受けて、家出した知的障害ぎみの少女が多い。義務教育も受けられず、親からまともな教育を受けていないので、公共サービスの申し込みもできない。
これら家出少女をすくい取るのが歓楽街のスカウトやホストで、多くが元家出人で、親身になって宿泊や病気に対応してくれる。公共機関ではとても対応できないだろう。
悩んでも解決策を見いだせない著者は、小学校時代に救いの手を出すことしかないのではと書いている。彼女らが路上に飛び出す前に、地元の不良グループや性産業が用意する危険なセーフティネットに取込まれる前に手を伸べる以外に手はない。そのためには、貧困の淵にいる子どもたちに堅苦しくない居心地のいい場所をつくることが必要だという。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
あまりにも悲惨な状況に読むのがいやになる。しかし、こういう現実も社会の陰にはあるのだ。本人が悪い、自己責任という面は大いにあるが、個々の話を読むと、それでは済ませられない環境、事情がある。そして、最悪な環境にある知的障害者が底辺に落ちていく仕組みが現に存在するのだ。
ただ、彼女らに救いの手を差し伸べようとする人たちも、キリスト者が多いのだが、いることは知って欲しい。例えば、ざる法と呼ばれる売春防止法だが、これに基づく婦人保護施設は全国に48ある。ただ一つの長期婦人保護施設が館山市にある「かにた婦人の村」で、現在も70名が暮らしていて、内34名が40年以上在所という。
虐待や社会からの爪弾きでボロボロになった彼女が運よく愛する人を見つけても、「試し行動」から破綻を招く場合も多い。「この人は本当に自分を救える人なのか、偽物じゃないのか、どこまで私のわがままに耐えられるのか」と、裏切り続けてきた人生の中で相手を振り回してしまい、DVを招きがちだという。
ともかく、気が変わりやすく、乱暴で身勝手、
最後に、心を閉ざした女性達から、考えただけで憂鬱になるような話を丹念に取材している著者に敬意を表したい。本としては十分なまとめになっていないが、インタビュー結果報告としてでもインパクトがある。
鈴木大介
1973年、千葉県生まれ。ルポライター
「犯罪現場の貧困問題」をテーマに裏社会・触法少年少女らの生きる現場を中心に取材活動を続ける。
著書に『家のない少女たち』、『出会い系のシングルマザーたち』。
「取材相手の迷惑になるといけないから」とメディアでの顔出しをいっさいしていない。