ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

意識の問題だ

2012-05-06 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
「ふ…、それもそうね」菖蒲は俺の手を取って、ニッと笑った。
その唇が緩やかな曲線を描き、菖蒲がトップクラスしか相手にしねぇ上流遊女 昼三に見えた。
おたべ、からほど遠い年上遊女とのラブゲーム(心理戦)に負けて、菖蒲を遊郭から連れ出し、一般市民の方々に交って生活しようと思った。だが、
元 遊女に注がれる世間様の目は地獄の番人よりも鋭く、冷たかった。
汚ねぇ“モノ”扱うように見下され、何か遭っても助けてくれねぇし、
“陸な人間に成らんよ”
人間扱いしてくれねぇ。
これが、同じ人間っていう種族なのか?
“お前らの住むような所じゃないッ”
住む所にまで境界線を引き、レッテルを張り、追放。
巷じゃ、神に仏が混じって神仏習合。こぞって、神だの仏だの一緒くたに拝んで、手を合わせりゃ極楽に行けるらしいが、この手の奴らは浄土へ行っても、差別する。
この社会で人間にも成れねぇヤツが神仏にすがろうってのも可笑しな話だ。
出生だけで判断下す奴らに神仏の教えがいかに素晴らしいか広めようたって、意味がねぇ。
こいつらの心、救いよう無く腐ってる。
説教説法念仏で涙流せば、それで満足。救われた気分になっちまって、
好都合に捻じ曲げた神仏の教えだって事にすら気付けない。
教え込まれた知識を衒い、
他人を、
“こういう人たちと、お話してはいけません”
平気で蹴落とす。
俺らをゴミと同様、排除しようとして、
“あっちいけッ”
空っぽな心にまで植え込む差別意識。
無垢なガキは素直にその教えを守り、俺たちに石を投げる。
これが親の躾だってな、笑わせる。
そこそこ身分に生まれながら、吐く言葉がさもしい。
本来の身分とは知徳の高さ。出生が決める高さじゃねぇ…って分かってはいるが、
その意識は覆せねぇ。