戦後補償「寝た子起こすな」 国の懇談会メモが空襲被害を対象外 (2020年8月5日 中日新聞))

2020-08-05 20:40:49 | 桜ヶ丘9条の会

戦後補償「寝た子起すな」 国の懇談会メモが空襲被害を対象外

2020年8月5日 中日新聞
 
 「戦後七十五年」を振り返る八月になった。国は元軍人に総額六十兆円以上の補償を行ってきたが、同様に障害を負ったり肉親を亡くしたりした空襲被害者には一切していない。方針は一九八四年の「戦後処理問題懇談会」報告で決定的になったが、議事資料には、初会合で「寝た子を起(おこ)すな」と空襲被害を対象外にした内幕が記されている。専門家は「戦後補償をつぶすための会議で、空襲は議論していなかった」と指摘する。 (橋本誠)
 「きちんと調査も議論もしていなかったんですね」
 救済立法を求めている全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)の河合節子さん(81)が、本紙の情報公開請求で外務省が開示した「戦後処理問題懇談会」のメモを見てつぶやいた。一九四五年三月十日の東京大空襲で母と二人の弟を亡くし、父は大やけどで耳が溶け、まぶたと口が開いたままになった。「私たちの戦後は終わっていない。これで終わったことになるのは変です」
 国はサンフランシスコ平和条約で五二年に独立を回復した際、空襲を行った米国への請求権を放棄。廃止されていた軍人恩給を五三年に復活させ、元軍人や遺族への補償を再開した。毎年数百万円受け取る人もいたが、民間の空襲被害者は放置された。

三つの問題に絞る

 その方針を決定付けたのが、八二年に始まった総理府総務長官の私的諮問機関「戦後処理問題懇談会」だ。戦後四十年を前に戦後補償解決の機運が高まっており、(1)軍歴が恩給受給に足りない元兵士(2)シベリアなどの強制抑留者(3)外国に接収された財産の補償を求める引き揚げ者−の援護を求める自民党の要請で設置された。野党の空襲被害者援護法案も国会に提出されており、名古屋空襲で左目を失った故杉山千佐子さんが代表の「全国戦災傷害者連絡会」は会員から集めた要望を届けていた。
 委員は、座長の水上達三・日本貿易会会長と、上田常光・鹿島平和研究所常任顧問、金沢良雄・成蹊大名誉教授、河野一之・太陽神戸銀行相談役、小林與三次・読売新聞社社長、牧野昇・三菱総合研究所副社長、吉国一郎・地域振興整備公団総裁(いずれも故人)。元官僚や財界人らが名を連ねた。会合は非公開。総理府で開いた第一回は委員七人が出席し、総理府、法務、外務、大蔵、厚生省の官僚が傍聴した。
 冒頭、田辺国男・総理府総務長官が挨拶(あいさつ)し「『戦後処理問題をどのように考えるべきか』ご検討願いたい。(恩給欠格者などの)三問題は含まれることになるかと思うが、もう少し弾力的に考えてよろしいのではないか」と発言。先の大戦で生命、身体、財産などに犠牲を余儀なくされた人々が政府に援護などを求めている問題が中心で、かけ離れた領土問題のような問題は適当でないと述べた。
 しかし、委員からは三問題に絞るべきだとの意見が相次いだ。
 元内閣法制局長官で後にプロ野球コミッショナーも務める吉国氏は「戦後処理の『戦』をどう読むかという問題がある。在外財産の例をとれば、終戦直後の処理も対象に含まれる。(昭和)二十七年の講和条約まで。そうすると、(連合国軍)総司令部の指令による財閥解体、土地収用まで含まれることになる」と話題を拡大。「空襲による被害等を含めてすべて戦争がなかったと同じ状態にしようとすることは不可能である」と言わずもがなの話をした揚げ句、「あまり対象を拡(ひろ)げると寝た子を起すことになるので、三つの問題とそれの周辺の問題に限定すべきである」と主張した。
 上田氏も「限定的に絞ってやるべきだと思う」と賛成。世論を意識してか「三つの問題についてヒアリングして、その過程において考えるべきである。しかし、形式的には広く国民の意見を聞いて結論を出すという形をとるべきである」とした。大蔵省で事務次官などを歴任し、軍人恩給を担当した経験がある河野氏も「パンドラの箱を開けるようなことになっては困る」と同調した。
 異論は出ず、懇談会は対象を三問題に限定。二年半後に提出された報告書は「恩給欠格者問題、戦後強制抑留者問題及び在外財産問題を中心に種々の観点から慎重かつ公平に検討を行ってきたが、いずれの点についても、もはやこれ以上国において措置すべきものはない」として平和祈念事業の基金だけを提案し、空襲問題には触れなかった。

救済否定する政府の根拠に

 見逃せないのは、そんな懇談会だったのに、政府がその後空襲被害者の援護を否定する根拠に使ったことだ。二〇〇二年に大脇雅子参院議員(当時)が出した質問主意書に対する小泉純一郎首相(同)の答弁書は、懇談会が「もはやこれ以上国において措置すべきものはないとの意見を取りまとめ」ているとし、空襲の実態調査を拒否。〇九年の国会でも、厚生労働省が報告書の立場から変更はないと答弁している。

当事者の声聞かず

 前出の杉山さんは〇二年の本紙の取材で「戦災で失明したために満足に働けませんでした。私たちは『棄民』ですよ。命ある限り、訴え続ける」と語っていた。野党の援護法案は一九八八年まで計十四回提出されたが、全て廃案に。杉山さんは一六年に百一歳で亡くなった。
 自身も岐阜県で空襲に遭った大脇氏は「当時は『逃げるな、火を消せ』という政策だった。なぜ民間人を外すのかという気持ちはよく分かった」と話す。「報告書は戦後補償問題の前例踏襲にさんざん使われた。私的諮問機関なんて法的には何の意味もないが、官僚はお札のように使う。今もそうだが、昔の審議会や懇談会はとくにひどく、政府の隠れみのにすぎなかった」と官僚の意を酌んだ懇談会だったと断じる。
 早大国際和解学研究所招聘(しょうへい)研究員の有光健氏は「歴史学者も、ドイツの空襲被害者の補償制度に詳しい専門家も入っておらず、当事者の意見もきちんと聞いていない。官僚は金を出さないことが国益と刷り込まれており、天文学的数字になって国庫が破綻すると、大蔵省などが主張したのでは。空襲被害者の補償の是非を議論していないが、名称が『戦後処理』だから他も全部議論したような誤解を与えている」と指摘。論じていない空襲被害者との「公平」に反するという理屈でシベリア抑留者らの補償まで否定した報告書を、「逆利用で、ずるいやり方だ」とする。

根底に被害受忍論

 根底にあるのは、第十七回会合で水上氏が述べた「戦争被害は国民ひとしく受忍しなければならない」という国の主張だ。だが、この「戦争被害受忍論」は恐るべき戦争肯定の思想と批判され、二〇〇〇年代に東京と大阪の空襲被害者が国を訴えて敗訴した集団訴訟の判決では明記されていない。
 「今は人権に対する考え方が発展し訴訟で空襲被害の実情も明らかになった。法律を作るのは官僚ではなく国会で、判決も国会で決めるべきだとしている」と空襲連の黒岩哲彦弁護士。元軍人に比べればわずかだが、障害者への五十万円の一時金と実態調査からなる救済法制定を、超党派の議員連盟(河村建夫会長)と目指している。有光氏も時代は変わったとみる。
 「敗戦直後は国土も疲弊し財源もなく、狭い対応もやむを得なかったが、高度成長以降は段階を追って対象を広げていくべきだった。あの戦争の総括を国が行い、その中で民間の空襲被害者の犠牲をどう位置付けるか考えるべきだ」