週のはじめに考える 無神経が阻む核軍縮(2,018年8月19日東京新聞)

2018-08-19 09:04:40 | 桜ヶ丘9条の会
週のはじめに考える 無神経が阻む核軍縮

2018年8月19日東京新聞


 互いが刺激的な行動を繰り返して事態を複雑にする。米中の貿易戦争だけではありません。米ロの核軍縮問題もそうです。軍縮の阻害要因を考えます。
 「軍拡競争をやる気なら受けて立つ。でも勝つのは私だからな」
 米NBCテレビによると、三月に再選を果たしたプーチン大統領に、電話で祝意を伝えたトランプ大統領はこう警告しました。
 プーチン氏はこれに先立って行った年次教書演説で、数々の新兵器開発を公表しました。映像やCGを活用して新型ミサイルが米本土を狙うような挑発的な内容でした。これがトランプ氏の神経を逆なでしたというのです。
◆下がった核使用の敷居
 年次教書演説で新兵器が公開されるのは異例です。米国が二月に発表した「核体制の見直し(NPR)」で示した新しい核戦略に張り合う姿勢を見せる狙いもあったようです。
 NPRは核兵器の役割を拡大し、使用の敷居を低くすることを打ち出しました。爆発力が低い「使いやすい小型の核兵器」を開発するというのです。ロシアが地域紛争に用いる戦術核を重視していることへの対抗策です。
 では、なぜロシアはそうした姿勢をとるのでしょうか。
 ロシアは一九九三年、ソ連崩壊後では初めてとなる軍事ドクトリンをまとめました。ドクトリンは核兵器の保有は抑止力が目的で、その使用は限定的であっても「破局的結果を生じる」として否定しました。
 しかし核兵器は米国と比肩し得る数少ない戦力。ロシアは核依存を高めていきます。
 九〇年代後半には、欧州戦域での限定的な核使用を想定すべきだとする意見が軍に台頭、二〇〇〇年に改訂された軍事ドクトリンは限定使用の可能性を示しました。
 限定使用は敵の侵略を思いとどまらせるために、核兵器で威嚇したり実際に用いることを想定しています。核によって紛争がエスカレートするのを緩和する、という概念が生まれました。
 しかし、核の限定使用がむしろ全面的な核戦争の引き金になる可能性は否定できません。「エスカレーション緩和」という考え方は危険で、倒錯している印象すら覚えます。
 ロシアの安全保障政策に詳しい小泉直美防衛大准教授によると、この概念を後押ししたのは、九八年に激化したコソボ紛争でした。
◆コソボ紛争が後押し
 ユーゴスラビア連邦セルビア共和国のコソボ自治州はアルバニア系住民が多く、セルビアからの分離・独立に走りだし、セルビア側と武力衝突に発展しました。
 北大西洋条約機構(NATO)がアルバニア系住民の保護を理由にユーゴ空爆へ動きだすと、ロシアは同じスラブ系民族のセルビア側に立ち、これに反対しました。
 結局、NATOは国連決議のお墨付きのないまま空爆に踏み切り、ロシアは米国への反発と警戒心を強めました。
 米国が旧ソ連の衛星国だった東欧諸国をNATOに加盟させる東方拡大を進めたことも、ロシアの不信感を増大させました。
 自分の行動が相手にどんな作用を及ぼすのか、米ロともに無神経です。相手を刺激したことで対抗策を突きつけられる。その繰り返しによって双方の核使用の敷居は低くなりました。
 もっとも、ロシアによる核の限定使用は杞憂(きゆう)かもしれません。小泉氏は「敷居を越える際の明確な指標をつくるべきだ、という議論がロシア軍内にある」と指摘し「実際には限定使用の判断はつかないだろう」とみています。
 七月にヘルシンキで行われた米ロ首脳会談では、二〇二一年に期限切れを迎える新戦略兵器削減条約(新START)の延長をプーチン大統領が提案したが、合意には至りませんでした。よほど残念だったのでしょう。プーチン氏は延長の重要性をたびたび訴えています。
 新STARTは戦略核弾頭の配備数を双方が千五百五十発まで削減するもので、一〇年に調印されました。以来、軍縮の動きは停滞し、軍拡へ逆流しています。
◆負の連鎖を断ち切る
 それでもロシアにとって米国と核の均衡を保つことは死活的に重要です。条約に基づく情報交換によって米国の手の内もある程度は推量できるのもプラスです。ロシアは米国と歩調を合わせて軍備管理を進めたいのが本音です。
 米ロはそれぞれ七千発近くを保持し、トランプ氏も「世界の90%の核戦力を米ロが保有するのはばかげている」と言います。ならば両国は率先して軍縮を進めるべきです。まずは無神経による負の連鎖を断ち切り、相互不信を克服する必要を自覚してほしいものです。


障害者の雇用 旗振りの重大不正(東京新聞2018年8月18日)

2018-08-18 08:53:07 | 桜ヶ丘9条の会
障害者の雇用 旗振り役の重大な不正

2018年8月18日


 あきれた不祥事だ。中央省庁が四十年以上にわたり雇用する障害者の数を水増ししていた。国は率先して障害者の働く場を広げることが責務のはずだ。旗振り役が逆に信頼を裏切ってどうする。
 障害者福祉に熱心な大分県杵築(きつき)市の永松悟市長からこんな話を聞いた。
 特別養護老人ホームで働く知的障害の職員は入居者から人気があるそうだ。入居者との散歩も食事介助も相手に合わせてゆっくりやるように指示すると決して手を引いて速く歩いたり、食事をせかしたりしない。職員が休むと入居者たちが心配するそうだ。
 人気の秘密に納得する。能力を見極め適切に仕事をマッチングすれば、持っている力を発揮する。要は雇用側の意識の問題だ。
 永松市長は「できないと思った先入観の損失がいかに大きいか、それに気付くべきだ」と語る。
 思いにうなずく。
 求められる雇用をせず数の水増しで偽装する行為は、国が障害者を足手まといな存在だと認識していると言っていることと同じだ。 言語道断である。
 障害者雇用促進法は、差別を禁止し障害者の就労を広げるため国や自治体、企業に一定割合以上の障害者の雇用を義務付けている。原則として身体障害者手帳などを持つ人が対象だ。
 法定雇用率を達成できない企業からは納付金を徴収する対応を求めるのに、手本となるべき省庁は厚生労働省に報告をするだけで実態把握が不十分だった。早急にそれを調べ公表すべきだ。
 働く障害者は年々増え、五十万人に迫る。企業の半数が法定の雇用率を達成している。今年四月から雇用率は引き上げられ精神障害者も対象に加えた。さらなる就労拡大に取り組む大事な時機だけに、企業や障害者の信頼を失うことは避けなければならない。
 省庁での雇用が進まない理由に拘束時間が長いことや国会対応など突発的な業務が多いことが指摘されている。それなら出産などでやめてしまうからと女性入学者を制限していた東京医科大の発想と同じだ。言い訳にならない。
 肝心なのは、誰でも能力を生かし働ける環境の整備だ。障害者以外にも家族の介護や闘病をしながら懸命に働く人がいる。増える高齢者も長く働き続けられるような職場が求められている。政府は「働き方改革」を掲げるが、言っていることとやっていることが違い過ぎないか。 

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不戦の思いを次世代に(2018年8月16日中日新聞)

2018-08-16 08:54:02 | 桜ヶ丘9条の会
不戦の思いを次世代に 終戦の日の言葉から
 きのうは平成最後の「終戦の日」でした。あの八月十五日から七十三年。昭和の戦争の記憶は不戦の誓いとともに、次の世代に語り継がねばなりません。

 あの日も暑い一日だったことでしょう。気象庁の記録によると東京の最高気温は三二・三度、名古屋は三六・五度。一九四五(昭和二十)年八月十五日のことです。

 三七年の日中戦争から始まった長い戦争は昭和天皇の「聖断」で終わりました。国民は正午の「玉音放送」で終戦を知ります。

 あれから七十三年。今年も政府主催「全国戦没者追悼式」が東京の日本武道館で行われました。

歴代首相「加害と反省」

 戦争の犠牲者は、日中戦争後に戦死した軍人・軍属約二百三十万人と米軍による空襲や広島・長崎への原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人約八十万人の合わせて約三百十万人。これは日本人だけの数で、日本が侵略した近隣諸国や交戦国の犠牲者を加えれば、その数は膨れ上がります。

 政府は、この日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と定めます。戦没者を悼むとともに、平和国家としての道を歩み続けると誓うことも、追悼式に課せられた重要な役割なのです。

 だからこそ日本は戦争を起こした過去を反省し、再び軍事大国にはならないと発信し続ける必要があります。

 とはいえ、時の首相が追悼式で、アジア諸国への日本の加害責任を認めるまでには長い時間がかかりました。損害と苦痛を与えた主体を「わが国」と明確にして加害と反省の意を表したのは、二〇〇一年の小泉純一郎首相が初めてです。

 「わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」

 それ以降の首相は小泉氏を基本的に踏襲し、八月十五日に加害と反省の意を表明してきたのです。

謝罪と距離置く安倍氏

 安倍晋三首相も第一次内閣の〇七年には小泉氏同様、加害と反省に言及しましたが、政権復帰後の一三年からは触れていません。

 今年の式辞でも「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い…」と述べてはいますが、加害と反省に言及しないのは六年連続です。

 なぜなのでしょう。

 安倍首相は戦後七十年の一五年八月十四日に閣議決定した首相談話で「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」と述べつつ、その前段では「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とも明言しています。

 追悼式の式辞で加害と反省に言及しないことは、謝罪を続ける必要はない、という本音の表れなのでしょうか。これでは加害への反省を忘れたかのように受け取られても仕方がありません。「歴史と謙虚に向き合い…」との言葉も、虚(うつ)ろに聞こえてしまいます。

 安倍内閣が一三年十二月に定めた「国家安全保障戦略」では「我が国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた」「こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない」と、日本の進むべき道を明確にしています。

 国際社会からの高い評価と尊敬を確固たるものにするには過去を振り返り、自省し、二度と戦争をせず、再び軍事大国にはならないという決意を、終戦の日という節目に、指導者自ら発信し続けることが必要なのです。

 安倍首相はしばしば国会で「平和と唱えるだけで平和を実現することはできない。だからこそ、世界の国がそれぞれ努力し、平和で安定した世界をつくろうと協力し合っている」と言います。

 しかし、平和を強く願う気持ちを言葉にしなければ、平和を実現する努力や協力にはつながりません。平和とは相互信頼が不可欠なのです。

陛下はお言葉で「反省」

 日本国民統合の象徴である天皇陛下は、今年の追悼式のお言葉で「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」と述べました。陛下は戦後七十年の一五年以来、お言葉に「反省」の文言を盛り込んでいます。

 国政に関する権能を有しない天皇の気持ちを推察することは慎むべきでしょうが、「反省」の文言からは、不戦への強い思いがうかがえます。

 平成の八月十五日は今年限りです。昭和の戦争を平成の時代も語り継いだように、さきの大戦への深い反省と不戦の思いを、次の時代にも語り継いでいくことが、今を生きる私たちの責任です。



終戦の日に考える 平和を作るため(2,018年8月15日東京新聞)

2018-08-15 08:21:48 | 桜ヶ丘9条の会
終戦の日に考える 平和をつくるために

2018年8月15日東京新聞

 きょう八月十五日は戦没者の方々を追悼する日であり、また同時にどうしたら戦争をなくせるかを考える日でもあるでしょう。二つの事例を引こう。
 一つめは、核兵器に関することである。
 英国とアルゼンチンが戦ったフォークランド紛争ではこんなことがあったという。
 英国の駆逐艦、シェフィールドが、アルゼンチン軍の発射したフランス製ミサイル・エグゾセで撃沈された数日後の一九八二年五月七日、フランスのミッテラン大統領はサッチャー英首相から電話をもらったそうだ。
◆核持つ国の絶対優位
 ミッテラン氏はかかりつけの精神分析医アリ・マグディ氏のところへ予約より遅れて到着し、言い訳した。
 <すみません、先生。鉄のご婦人との諍(いさか)いを収めねばならなかったもので。我々がアルゼンチンに売却したミサイルのレーダーを無効化するコードを渡さなければ、四隻の原潜でアルゼンチンを核攻撃すると脅すんですから…核戦争を引き起こすなんて。私は引き下がりましたよ>(東京大学出版会UP4月号、長谷部恭男氏「巡洋艦ベルグラーノ撃沈 一九八二年五月二日」より要約)
 精神分析医の著作(日誌)にある話で電話の有無、内容は間接情報であって真偽はわからないが、ありえる話である。
 そうだとすれば、核兵器は実際には使わないにせよ、核の力をもって英国は戦争を有利に導いたことになる。
 過去の話にせよ、核の威力は絶大で、核保有国は非核保有国に対し絶対的優位にあるわけだ。
 その威力は少なからぬ国々にひそかに核を持ちたいと願わせ、実際に保有国を誕生させた。
◆反核のうねり始まる
 北朝鮮もその一つである。核の威力をもってアメリカを振り向かせ、独裁体制の保証という果実を得ようとしている。
 それと正反対の世界的動向が非核保有国が集まって進める核兵器禁止条約である。核兵器の開発・保有・使用などを法的に禁止し、昨年国連で採択された。ただし各国の批准は進んでいない。
 それでも核兵器に対する人々の考え方は、徐々に変わってきているのではないか。持つ・持たないの不公平、非人道性への倫理的拒絶、人類の破滅。サッチャー氏の逸話などは過去のものとし、核時代を非核の時代へと反転させる意思を世界は持つべきだ。そのうねりは始まっている。
 も
う一つは、私たち自身のことである。
 敗戦の後、憲法九条をマッカーサー司令官とともにつくったとされる首相幣原喜重郎は回想している。一九〇五年九月、日露戦争の講和直後のこと。
 ロシアから賠償金もとれなかった講和を屈辱外交と非難する東京・日比谷の大会から流れた人々が、政府への反発から交番、電車を焼き打ちし新聞社も襲った。実際は政府には戦争継続の力はもはやなく、一方国民は徴兵と戦費のための増税で苦しんでいた。
 当時幣原は外務省勤務で、講和全権の外相小村寿太郎から以下の述懐を聞いている。
 小村には国民の反発は予期の通りだったが、故郷宮崎県飫肥(おび)の村に帰って驚いたそうだ。各所に小さなテーブルが出て酒が一杯ついである。小村の酒好きは知られている。一人の老人が小村の前にやってきて言った。
 「東京では大騒ぎしたそうですが、騒ぐ奴(やつ)らは、自分の子供を戦争にやった者ではありません。私は子供が三人あり、そのうち二人は満州で戦死し、残った一人も戦地におります。みんな犠牲になるものと諦めておりましたが、お陰(かげ)で一人だけは無事に帰って来ることと思います。全くあなたのお陰でございます」
 老人は戦争を終わらせた小村の洋服にすがって泣き、同じ光景が二、三あったという(幣原喜重郎「外交五十年」より)。
 外交官の苦悩が語られ、同時に戦争のもたらす根源的な悲しみが語られている。
◆危うい耳に心地よい話
 戦争は政府にとっては政治であり勝敗であるのだろうが、家族や個人には人の生死でしかない。
 国家を主語とした威勢のいい話は一時耳に心地よいかもしれないが、注意せねばならない。近隣国への反感をあおる政治家の言葉はよく聞き分けねばならない。
 戦争より外交である。武力より対話である。
 戦争が多くの人の命を奪うのなら、外交は多くの人の命を救うといってもいい。
 何も理想を言っているわけではない。反戦は普通の人々の現実である。国家を平和へと向けさせるのは私たちの判断と意思である。


終戦の日を前に 國家は国民を守るのか(2018年8月14日東京新聞)

2018-08-14 08:29:24 | 桜ヶ丘9条の会
終戦の日を前に 国家は国民を守るのか

2018年8月14日東京新聞

全国が焦土と化した終戦から七十三年。無数の犠牲者が出た。空襲から国民はなぜ逃げられなかったのか。そこから国家と国民の関係が見えてくる。
 「空の要塞(ようさい)」と呼ばれたB29爆撃機が編隊で焼夷弾(しょういだん)をばらまいた。目標は木造の民家だった。東京では一九四五年三月の大空襲から終戦まで六十回を超える被害を受けた。死者約十万七千人。被災者は三百万人にも上った。
 空襲は全国に及び、愛知では約一万人超、大阪では約一万三千人超の死者が出た。広島と長崎の原爆投下の犠牲者は計約二十一万人。空襲による民間人の犠牲者数は四十一万人超といわれる。

◆「焼夷弾は手でつかめ」
 「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都)の集計だが、軍事工場で亡くなった人は、軍人・軍属ととらえ除外している。例えば愛知県豊川市の海軍工廠(こうしょう)では、勤労動員の学徒らを含む二千五百人が死亡したというが、四十一万人超の数字には含まれない。
 なぜ、こんな大きな被害を受けたのか。なぜ、国民は事前に避難できなかったのか。疑問を解くカギが当時の「防空法」という法律だ。三七年にできた。敵国の空襲があった場合、その危害を防ぎ、被害を軽減するという目的で制定された。
 「検証 防空法」(水島朝穂、大前治著 二〇一四年)に詳しいが、その本の副題は「空襲下で禁じられた避難」である。
 法改正で国民はB29が到来する前に安全な田舎に疎開できなくなった。疎開を許されたのは、子どもやお年寄り、妊婦らだけだった。国民は都市からの退去を法で禁じられていたのだ。
 応急消火の義務を国民に負わせていたからである。爆弾が落ちてきたら、その火を消せ。バケツリレーと砂で…。
「国民が死んでも…」
 「バケツ五、六杯で消せる」「焼夷弾は手でつかめる」…。手袋でつかみ、放り出せというのだが、あまりに非現実的である。驚くべき非科学世界の中で、国民を消防に駆り立てていたわけだ。
 それが不可能であるのは、科学者や軍も政府も当然、知っている。では、なぜ? (1)自ら臨戦態勢につく覚悟を植え付ける(2)「日本軍は弱い」という反軍意識の回避(3)人口流出による軍需生産力の低下や敗北的な逃避観念を生じさせないために「逃げられない体制」をつくる-。前掲書では、そのように説明している。

 ならば、おびただしい死亡者は、国家に殺されたに等しいではないか。国家は国民を守るのか。大いに疑問が湧く。国家は国民の命でなく、国家体制を守ろうとしたのではないのか。
 空襲被害では各地で訴訟が起きた。憲法学者の水島氏は大阪訴訟で証人に立ったことがある。そのとき憲法前文を引いた。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」のくだりだ。次のように述べた。
 <『政府の行為』とは何か(中略)まさに『国民なき防空体制』があった。国民が死んでもいいという極致にまで達してから戦争が終わった>
 「特攻」もそうであろう。志願の形だが「九死に一生を得た」ではなく「十死」を前提とするのは、まともな近代の作戦とはいえない。何千人という若者を死に追いやるだけではなかったか。
 国民が死んでもいい、そんな戦争への反省から日本国憲法の平和主義は生まれたのだ。そのことは重い。引き継ぐべき教訓だ。
 安倍晋三首相の悲願は九条の改憲である。首相にどれだけ戦時下の国民を思う気持ちがあるか。「侵略戦争の定義が定まっていない」など、まるで戦争への反省が聞かれない。
 原爆忌でも核兵器禁止条約に「不参加」と明言し、被爆者団体の怒りを買った。庶民の目線はあるか。
 「戦争ができる国」に進んでいる。集団的自衛権の行使容認しかり、安保法制しかり、特定秘密保護法しかり、「共謀罪」しかり…。強まる国家主義を恐れる。
 首相の父・安倍晋太郎氏は東京帝大に入学するも海軍にとられ、滋賀航空隊に配属された。戦後は外相などを歴任するが、「輝かしき政治生涯」という伝記編集委員会の本などにこう記されている。
◆祖父は反戦・平和の人
 海軍での役目は「特攻」。だが、山口に一時帰郷のとき、首相の祖父・寛からこう言われた。
 「無駄な死に方はするな」
 安倍寛こそ戦前の反戦・反軍部の政治家だったという。大政翼賛会の政治団体から「非推薦」とされても衆院選に当選し、反・東条英機の姿勢を貫いた。
 国民のためと称しつつ、戦争ができる国づくりとは何事か。平和主義を粗末にしないでほしい。