原発訴訟、気骨の反対意見 三浦裁判官、国の責任認める (中日新聞)

2022-07-02 10:08:37 | 桜ヶ丘9条の会

原発訴訟、気骨の反対意見 三浦裁判官、国の責任認める

2022年6月30日 (中日新聞)
 東京電力福島第一原発事故の福島県内外の住民らが国と東電に損害賠償を求めた四訴訟の最高裁判決。国の責任は否定されたが、一人の裁判官は他三人の多数意見の判決を痛烈に批判し、国が東電に規制権限を行使しなかったのは「国家賠償法一条一項の適用上違法だ」とする反対意見を書いた。原告らはこの反対意見を「第二判決」と呼び、後続の第二陣や全国各地の同様の訴訟で、最高裁で勝つまで闘い続ける覚悟を固めている。 (片山夏子)

「津波で浸水 事故の恐れ明らか」

 国に責任があるとする反対意見を書いたのは、検察官出身の三浦守裁判官。一陣、二陣含め原告が五千人超の福島訴訟への判決文では、補足意見を含め全五十四ページ中、三十ページに及ぶ。
 福島訴訟原告団の馬奈木厳太郎(まなぎいずたろう)弁護士は「反対意見が判決の形で書かれているのは極めて異例のこと。これが本来あるべき最高裁判決だという思いを感じる。原告の思いに向き合い、法令の趣旨からひもとき、証拠を詳細に検討しているこの反対意見は後陣の訴訟にとって宝。第二判決として位置付けたい」と評する。
 判決文の実質的な判断が書かれた部分が四ページなのに比べると、反対意見の内容は多岐にわたり、判断も詳細な理由が述べられている。「多数意見は国や東電の責任を問う裁判で、最大争点である津波の予見可能性や長期評価の信頼性への明確な評価を避けるなど、触れていない重要なことが多い」
 一方で、三浦裁判官は長期評価も予見可能性も認めた上で「想定された津波で敷地が浸水すれば、本件事故と同様の事故が発生する恐れがあることは明らかだった」とし、遅くとも長期評価公表から一年後の二〇〇三年七月ごろまでには、国が東電に何らかの対策を取らせるべきだったとした。
 また判決の多数意見は、予想された津波以上の津波が敷地を襲っており、対策も防潮堤以外は一般的でなかったとし、「仮に津波対策が取られていたとしても、事故が発生した可能性が相当ある」と判断。国が東電に対策を義務づけなくても、原発事故の発生に因果関係はないと結論づけた。
 これに対し、三浦裁判官は津波が予想された方角以外からも遡上(そじょう)する可能性の想定をするのは「むしろ当然」とし、津波の大きさも相応の幅を持って考えるべきだと言及。津波の浸入口や経路をふさぐ水密化も国内外で当時実績があり、それら多重的な防護対策を「万が一にも深刻な災害が起こらないようにする法令の趣旨に照らし、検討すべきだった」とした。
 さらに三浦裁判官は、原発の技術基準は電力会社の事業活動を制約し、経済活動に影響する一方で、原発事故が起きれば多くの人の生命や、身体や生活基盤に重大な被害を及ぼすと言及。「生存を基礎とする人格権は憲法が保障する最も重要な価値」とした上で、「経済的利益などの事情を理由とし、必要な措置を講じないことは正当化されるものではない」と断じた。馬奈木弁護士はこう解説する。「つまり原発稼働による経済活動を優先し、人の生命や身体を脅かすことは許されないということ。これはまさに原告側が訴えてきたこと。もっとも注目されるべき点ではないか」
 国の規制権限は「原発事故が万が一にも起こらないようにするために行使されるもの」という三浦裁判官の反対意見は、一九九二年の四国電力伊方原発を巡る最高裁判決が説いた内容を受けたもの。馬奈木弁護士は言う。「重要な争点にも触れないなど判断を避けた部分が多く、今回の最高裁判決は、後続裁判が縛られるものではない。この第二判決の意見が多数派になり、再び最高裁まで勝ち上がって勝訴するまで闘う」

失意の原告に「闘う力」 「福島のため これから第2章」

 十七日の最高裁判決の衝撃は、原告団にとって大きかった。
 「こんな判決認めねぇぞー。許せねー、許せねー」。十七日午後、最高裁正門前で福島訴訟の服部崇事務局次長(51)は声を振り絞って叫び、泣き崩れた。東電の三幹部を訴えた刑事訴訟も含め、国や東電の責任を問う全国各地の約三十の被災者訴訟で、弁護団が連携して積み上げてきた十分な証拠があり、勝訴だと信じてきたから「パニック状態だった」と振り返る。
 翌日の原告団らの判決検討会には、服部さん含め原告団幹部が顔を出さなかった。服部さんも抜け殻のようになり、福島で判決を待つ原告仲間にもどう言っていいのか分からず、福島にも帰れなかった。心配して電話をかけてきた馬奈木弁護士に「泣いてばかりいたら、これで終わってしまうぞ」と言われ、気力を振り絞った。南雲芳夫弁護士にも「判決文を読め、希望が持てるぞ」と言われ、福島に戻り判決文を読んだ。
 「三浦裁判官の反対意見は俺たちが求めていた判決だった。俺は自分のためじゃなく、原発事故の被害にあった福島県民全体のために頑張ってきた。闘いの第一章は終わったけど、これから第二章だ」。闘う力が体内から湧き上がってくるのを服部さんは感じた。
 福島原発事故で国に損害賠償を求める訴訟は全国各地で争われている。
 二〇一六年以降に福島地裁に提訴した「福島訴訟」第二陣の原告は、千二百人を超える。判決直後の週末に行われた弁護士による原告募集説明会には、五十四人が参加。その場で原告に加わった人のほか、「国の責任を認めない最高裁判決はおかしいと思って参加した」という人もいた。七月も現時点で、県内各地で十四回の説明会が予定され、弁護団は「原告を第一陣、第二陣合わせて早い段階で一万人としたい」と意気込む。
 福島訴訟は、各地域で共通する最低限の被害を立証し、原告以外の同じ地域にいる住民も同等の賠償が得られるように考えており、原発事故の被害者全体の救済を目指す。「放射性物質が飛び散った福島県民は全員、被害を受けた近隣の県の人たちも原告になれる」と弁護団は説明する。
 判決後、福島訴訟の原告団が東電や経済産業省、原子力規制委員会、福島県議会の各党を回り、被害者の早期救済や賠償基準を定めた中間指針の見直しを求める行動には、第二陣提訴がなく今回の最高裁判決で敗訴が確定した「群馬訴訟」代表の丹治杉江さん(65)や、「千葉訴訟」共同代表の瀬尾誠さん(69)も参加した。
 丹治さんは福島市内で開かれた記者会見で「後続の裁判を支えるなど、いろいろな形で不正をただしていきたい。未来を担う子どもたちのためにも、この悔しさをエネルギーに闘っていきたい」と話した。
 「あれだけの原発事故を起こしながら、国にも東電にも過失責任がないとされ、対策を取ったとしても事故は防げなかったと多数意見はした。対策を取っても防げないのならば、深刻な被害を出す原発事故を防ぐには、原発の稼働を止めるしかないということになる。社会としてそれでも原発を稼働するのかが問われている」と馬奈木弁護士。
 もともと最高裁判決が出ても終わりではなく、原告団は解散しないことは決まっていたと明かした中島孝原告団長(66)はこう語る。「このままでは原発事故の責任を誰も取らず、あの事故の教訓も何も学ばないまま。原発事故はまた起きる。二度と原発事故が起きない社会を次世代に引き継ぐまで闘い続ける決意は変わらない」