<橋をかける 分岐を超えて> 派遣ユニオン書記長・関根秀一郎 (2020年1月7日 中日新聞)

2020-01-07 10:40:00 | 桜ヶ丘9条の会

<橋をかける 分岐を超えて> 派遣ユニオン書記長・関根秀一郎 

2020/1/7 朝刊


 ネット、芸術、政治、国籍…。あらゆる場面で分断が広がっている。一方が相手を批判するともう一方は受けて立ち、対立は激化するばかり。この一年、溝が埋まることはなかった。このままでいいのか。二〇二〇年。新たな十年の始まりに、分断のはざまで、橋をかけようと苦闘する人たちを訪ねた。

   ◇   ◇

 東京西部を横切る京王線初台駅(東京都渋谷区)から徒歩五分ほど。非正規労働者が個人加入する労働組合・派遣ユニオンの事務所は、労働関係の法律書や資料がひしめいている。「正規と非正規の溝は深く、広くなる一方だ」。派遣ユニオン書記長、関根秀一郎(55)が言い切る。

 二〇〇八~〇九年の年末年始。東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が設けられた。〇八年のリーマン・ショックの打撃を受けた日本に横行した「派遣切り」で、職と住まいを失った非正規を救うためだ。寝泊まりの場と温かい炊き出しを求める人々の姿に、村の実行委員だった関根は「労働者を簡単に使い捨てできる政策ミスによる人災だ」と世間に訴えた。

 それから十年余。東京五輪を控えた今、好況といわれる。しかし関根は、派遣村は歴史ではなく今も続く現実だという。「五輪が終われば仕事を失う人が大量に出るはず。切り捨てが多発する不況や大災害だって、いつでも起こり得る。そして、経済界は非正規をなくそうとしない」

 一三年施行の改正労働契約法は、有期で雇われた労働者が同じ職場で契約更新をし、通算五年を超えると無期に転換できる権利を定めた。ところがルール適用を逃れるため、期限の少し前で辞めさせる企業が絶えない。「最近は短期の契約も目立つ。口では長く雇うと約束し、書面上は数カ月単位の契約にして、細切れに更新する手口だ」。繁忙時は使い倒し、経営が悪化すると捨てる。便利な労働力として非正規を扱う企業の意識は変わっていない。

 解雇、賃上げ拒否、賃金不払い。関根が受けた相談は数え切れない。「二十円でいいから、賃上げしてほしい」と悩む三十代の派遣社員の女性。生活費が足りず借金を重ねて多重債務に陥った五十代の非正規男性は「債務整理をして、安定した仕事に就きたい」と訴えた。「職場に行く交通費が出ず、実際にもらえる額は最低賃金を下回る」という非正規の悲鳴も聞こえてくる。

 ある大手電機メーカーで長年働く非正規の女性が「正社員になりたい」と訪ねてきた。会社側との交渉時、関根は女性の勤め先の労組に後押しを求めた。「素っ気ない応対でね。『うちは正社員の労組。就職活動で難関を通った自分たちと非正規は違う』と見下しているのがはっきり分かった。一度非正規の道に入ると抜け出せない。正規と非正規は今や『身分化』されている」と関根は指摘する。

 労働条件や職場が違う非正規同士が、団結して待遇改善を求めるのも難しい。関根は何度か派遣会社のビル前で「皆さんの権利確保や賃上げを交渉します」と呼び掛け、チラシを配った。文面に見入り、その場で職場の不満を話しだす人もいた。しかし、仕事がもらえなくなるのを恐れ、行動に移せる人は少ない。

 「『非正規は小遣い稼ぎ』という誤解は根強い。一時期は自由な生き方ともてはやされ、自ら選ぶ人もいた。でも今は、女性や高齢者など労働市場の弱者がやむなく非正規で働いている。そして、就職氷河期世代も非常に多い」と関根。一九九〇年代初めのバブル経済崩壊で企業が採用数を減らした時期の新卒者が、氷河期世代だ。

 内閣府によると、三十五~四十四歳が中心の氷河期世代の非正規雇用は、二〇一八年時点で約三百七十一万人。世代全体の22・0%を占める。政府は一九年六月にまとめた「骨太の方針」に氷河期世代の集中支援を盛り込んだ。非正規や引きこもり状態の約百万人を対象に、三年間で正規雇用を約三十万人増やすという。

 同年十二月決定の行動計画では、ハローワークに専門窓口開設、短期間の資格取得や正社員就職の支援、採用に積極的な企業への助成金拡充などを掲げた。しかし、関根は効果を疑う。「日本企業は新卒一括採用が慣例。新卒で正社員就職できないとずっとそのままだ。正社員になりたいとハローワークに相談したら、『高望み』と言われた人もいる。雇う側の意識を変えなければ、解決しない」

 差別されている非正規に関根が目を向けた原点は、大学時代にある。東京で育ち、有名私大の付属高に通っていた。しかし系列大に進む気になれず、浪人して岩手大に進学。「ろくに大学に行かなかったけれど」と関根は苦笑する。代わりに足しげく通ったのがジャズ喫茶。「ブラスバンドでトランペットを吹いていたから、ジャズに親しみがあって。おもしろい人が集まっていて、社会のいろんなことを教わった」

 ある時、ジャズは黒人差別から生まれた音楽だと常連客が語った。「白人がダンスなどを楽しむ音楽を、後ろに下がった場所で奏でる黒人バンドが根っこだったと。そんな差別を音楽の力で覆し、主役になって人々にジャズを聴かせるようになった、と」。差別なんておかしい。そんな思いが高まる中、ふと気付いた。「人生で多くの時間を過ごす場所は職場。そこにも差別があるのでは」

 大学を中退して東京に戻り、求人誌で見つけた労働関係専門誌の編集記者に。やがて、労組のない職場の組合結成を支援する「東京ユニオン」の活動に携わり、原稿を書くよりも労働者に寄り添って動く方が性に合うと感じた。

 〇五年に派遣ユニオンを発足後、非正規を巡る問題と向き合い続けた。「かつて企業には『従業員は家族。決して路頭に迷わせない』という気概があった。でもバブル崩壊後、使い捨ての発想が生まれた」。関根はその転換の契機は、一九九五年に日経連(現経団連)が発表した「新時代の日本的経営」にあるとみる。

 厳しい経営環境を生き抜くためと称し、労働者を少数の正社員、多数の非正規、専門職の三つに分けて雇用を流動化し、福利厚生も含めて人件費を抑え、競争力を高めるなどと唱えた。それが、経営状況で解雇や賃金抑制をする流れにつながったという。

 政府も経済界の意に沿って、非正規雇用を広げた。八六年の労働者派遣法施行時、派遣労働者は秘書や通訳など十三業務に限っていた。しかし徐々に緩和し、九九年に原則自由化、二〇〇四年に製造業に解禁した。さらに、同じ派遣先で三年を超えて働く場合、直接雇用に切り替えることなどを促した一五年の改正で、人を代えれば派遣労働者を使い続けられるようになった。

 「非正規を正社員にするのは難しい」と関根は言う。政府は非正規の待遇改善や正社員化をうたうが、関根は有期労働契約自体に疑問を抱いている。「期間限定のプロジェクトならともかく、恒常的な仕事になぜ有期雇用を充てるのか。安く使える労働力を前提にしているからだ」

 五年での無期転換ルールが機能しないのも「出口規制」だから。関根は、有期雇用を原則禁じる「入り口規制」の法改正が必要だと考える。「そうでもしないと、非正規はなくせない」。働く人たちの間に「身分」はいらない。それが、関根の信念だ。

 (中沢佳子、敬称略)

 

 <正規雇用と非正規雇用> 総務省の2018年の労働力調査によると、役員を除いた雇用者5596万人のうち正規雇用は62・1%で、派遣やアルバイト、契約社員を含めた非正規雇用は37・9%。統計でさかのぼれる02年は正規70・6%、非正規29・4%。非正規の割合は年々増える傾向にある。