人間を幸せにする経済学を(ala times 2014年12月15日発行 館長エッセイより)

2014-12-17 17:56:50 | 桜ヶ丘9条の会
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可児市文化創造センター アーラの広報紙 (2015年1月号)に掲載された館長エッセイである。

人間を幸せにする経済学を。
 最近腹の立つことがあります。テレビをはじめとするマスコミで、経済分析をするアナリストたちの出鱈目さに、です。しかも,彼らの目線は大企業と富裕層に照準を合わせていて、格差や生活苦に苦しむ庶民を置き去りにしています。無視していると言ってよいでしょう。少なくともアダム・スミスを祖とする近代経済学は「倫理学」から出発しているものであり、それからは大きく逸脱したものです。
 その意味で、今年9月に亡くなった宇沢弘文先生は、はじめ医学を目指したのですが、社会の病を治す医者になると経済学の道に入った方です。
 しかし、逆に社会の深刻な病理のもととなっていることを嘆いて公害問題などの社会現場で活動なされたのが先生の後半生でした。
 市場原理主義とか新自由主義というのは、宇沢先生の言を借りれば「人生の最大の目的は儲けることであって、そのために倫理的、社会的、文化的な価値はほとんど無視する。儲けるためには、法を侵さない限り何をやっても良い」という考え方です。経済効率性最優先で「人間の幸福」は金銭の多寡で決まるという経済理論です。90年代後半から、この考え方が日本の政治・経済にも支配的になりました。医療・教育・福祉・文化という宇沢先生の言う「社会的共通資本」までもが、いまや経済効率性によって計られるようになっています。
 アベノミクスが、異次元の金融緩和による円安と実体経済を伴わない株高だけしか成果のないものであることは素人目にも明らかなのに、エコノミストはそれを熱烈に支持していました。
 自動車産業に代表される大企業は、輸出台数を減らしながらも為替差益と株高の含み益「史上最高益」となり、アナリストはそれを無邪気に囃し立てました。
 4月の春闘が政府の要請で賃金アップを図ったことは社会主義の経済計画のようで、資本主義では禁じ手です。それをも経済アナリストは成果として囃し立てていたのです。無邪気さも度を過ぎれば単なる悪意です。彼らの正体は、単なる政府に揉み手の「御用学者」でしかありません。「心を持った経済学」が必要です。庶民目線の「人間をど真ん中に据えた経済学」が、いまこそ必要なのではないでしょうか。