ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

平岡町をゆく(12) 新井用水物語(3) 逆勾配

2024-07-02 10:40:17 | 加古川市の歴史・平岡町編

     平岡町をゆく(12) 新井用水物語(3) 逆勾配

 「新井(しんゆ)」については、『今里伝兵衛と新井の歴史』(新井水利理組合連合会)等すばらしい研究書があるのでそれ等をご覧ください。

 

 新井は図のように加古川大堰のところから、曇川(くもりがわ)・喜瀬川をこえて古宮(播磨町)大池まで約13キロを流れる用水です。

 順調に進んだように見える工事も途中、さまざまな難工事にぶつかりました。

 用水の取り入れ口から流れた水は、水足から坂元までは台地の麓をとおって古大内(ふろうち)に流れました。

 そこから、新井は東に方向を変えています。ここも、新井の北は台地の面であり、南だけ堤をつくれば溝ができあがりました。

          逆 勾 配

 困ったことがおきました。二俣(平岡町)のところで地形がやや高くなっているのです。

 坂元(野口町)から二俣まで水路の幅が一間半(2m70cm)、二俣から水の勢いを保つために、古宮まで一間としました。

 工事は、順調に行ったかに見えたのですが、勾配の関係で二俣のところで水が、うまく流れてくれません。

 伝兵衛は「流路を変更するべきか・・・」と、ずいぶん迷いました。名案が浮かびません。

 食事が喉を通らない日が続きました。

 ある日、妻に、そんな悩みをフッともらしました。

 妻は、手桶に水を入れ「水は勢いをつければ高いところへも流れるのでは・・・」と伝兵衛に話しました。

これにヒントを得て、流を工夫したというエピソードが伝えられています。

 真偽のほどはともかく、二俣あたりは困難な工事のようでした。



 播磨町史『阿閇の里』(播磨町)は「・・なお、戦後のコンクリート舗装の時、逆勾配の部分は掘り下げている。例えば、二俣では30センチメートルも掘ったとのことである。(井上勝利氏談)」と書いています。 

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