加古川市の水風景(28) 土砂の激しい河口部
中世の頃、加古川河口から尾上神社付近にかけての地域は、瀬戸内を行き交う船の停泊地として大いに栄えていました。
そこに、今津村という大集落があり、その今津村に慶長6年(1611)、藩主(池田輝正)から通達がありました。
内容は、「高砂へ移り住み、砂浜の開作をする者は、諸役を免ずる」というものでした。
中世に栄えた今津村も、この頃になると砂の堆積により、その機能を失いつつあったのです。それも、予想を超える土砂の堆積でした。
姫路藩主は、新たに右岸の高砂に城を築き、町場をつくることにしました。その時、今津村(現:尾上町)の住民は高砂に移住させられたのです。
結果、尾上町の今津村は慶長・元和の頃に消滅してしまいました。代わって、高砂の町に「今津村」が誕生しました。
昨日(8月28日)の浚渫作業
加古川の土砂の堆積は江戸時代だけの話でなく、土砂の堆積は現在進行形です。毎年、水底をさらって土砂を取り除く浚渫作業が行われます。
きのう高砂へ出かけましたが、浚渫船による作業(写真)が行われていました。
「なんだろう」と思われた方も多かったのでは・・・
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