平岡町をゆく(18) 二俣円明寺(1) 層塔は知っている。米騒動のことを!
米 騒 動
1918年(大正7)の神戸市内の米の値段(一升)を見てみましょう。
7月 2日 34銭5厘
6日 36銭8厘
24日 37銭9厘
8月 1日 40銭7厘
4日 43銭5厘
7日 55銭3厘
8日 60銭8厘
米価は、まさに「うなぎのぼり」というありさまでした。
これは、都市の労働人口が増えたこと、大戦(第一次世界大戦)で食料難のヨーロッパへ米を輸出したこと、シベリア出兵に供えて米価の高騰を見こした地主の米の買占め、加えて地主の政党といわれた政友会が、地主を守るために外米の輸入関税を撤廃しなかったこと、などが影響しての米価は急騰でした。
鈴木商店襲われる
またたくまに、米の安売りを求める運動が全国に広がりました。これが米騒動です。
米騒動は、京都・大阪・神戸へと波及しました。
神戸では、8月18日、千余人の群集が米屋を襲って米騒動の口火が切られました。
市内の川崎町一丁目には、米を買い占めているとウワサされた鈴木商店がありました。
鈴木商店と言うと、名前から「たかだか大きな店屋かな」と思ってしまいますが、当時三井・三菱と肩を並べた政商でした。
神戸製鋼所も鈴木商店の一部門でした。
鈴木商店本店の四階建ての建物は12日夕方から一団が店内に突入し、火をつけました。
民衆は駆けつけた消防隊のホースを片っぱしから切断し、ポンプをひっくりかえしたため、さしもの鈴木商店の建物も午後11時に焼け落ちてしまいました。
層塔・円明寺へ
前おきが長くなりましたが、以下『JA加古川南ふれあい情報誌(2005・3)』の記事をお借りします。
・・・現在円明寺には十三重の多層塔(写真)があります。
その多層塔は、神戸の鈴木商店に建立されていたもので、大正末期の米騒動で鈴木商店が焼き討ちに遭った後、持ち出されドイツ人のヘルム氏が所有していた「スタンダード」と呼ばれる農園に建てられていました。
その後、農園が楠ヶ丘という住宅地に改造された際、円明寺が譲り受け、現在の場所に移されました。
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