平岡町をゆく(15) 新井用水物語(6) 坂田啓太郎
新井用水の工事に動員した足は、延べ16万4千人で、一日に数百人が働いています。
この工事の費用について、詳しくは分からないのですが、原則として、藩の負担でした。
もっとも、各村では年貢とは別に、村の石高に報じて労役に義務もありました。
ともかく、一年あまりで新井を完成させました。
この時、新井の水の配分や水役の規則(慣行)もつくられ、これらの慣行は明治中期まで続きました。
これらの水利慣行は時代とともに不都合なカ所が生じ、水争いなどがしばしば起こるようになりました。
坂田啓太郎
二俣(平岡町)の坂田啓太郎は、これの諸問題の解決に熱心に取り組みます。
彼の功績を記録する記念碑が、播磨町役場敷地内(中央公民館横・写真)にありましたが、現在播磨大池の公園に移転されています。
啓太郎は、二俣の庄屋を世襲したのち、明治22年、平岡村初代町長にえらばれました。
村長を辞した後も水利事業に大きな役割を果たし、明治44年亡くなりました。75才でした。
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