ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

野口町をゆく(65) 野口と戦争(8) 「弾丸列車計画」

2022-08-02 07:13:23 | 加古川市歴史探訪・野口町編

 

      野口町をゆく(65) 野口と戦争(8) 「弾丸列車計画」

 戦前、壮大な計画がありました。

 東京から大阪・神戸を経て、そして朝鮮海峡を越え、朝鮮半島に鉄道をつなげようとする、とてつもない計画でした。

 まさに、軍備増強・植民地経営のための鉄道計画でした。

 昭和13年、この弾丸列車の計画は国会で承認され、そして用地の買収が始められ、昭和16年に一部建設工事がはじまりました。

 しかし、戦局の悪化のため、この弾丸列車計画は、つかの間の夢と消えたのです。

 用地買収は、東京~大阪間は96キロ、大阪以西は64キロにとどまっていました。

 加古川地域は、用地の買収が進んでいた地域でした。

 東京~大阪間はの用地は、昭和34年に着工した東海道新幹線の用地として、そのまま使用されました。

 兵庫以西の土地はいったん売却されたのですが、昭和35年、加古川バイパスの用地として再び買収され、10年後の昭和45年から国道2号線との暫定使用がはじまりました。

 加古川バイパスが、このように短期間に、しかもまっすぐな道路になったのにはこんな裏話があったのです。

 蛇足です。加古川バイパスでは、よく事故の起きています。その原因は、このまっすぐに伸びる道に原因があるのかもしれません。

 道がまっすぐであるために、スピードが出ます。そして、何より運転に緊張が少なくなのかもしれませんね。

 *「加古のながれ(市史余話)」(加古川市史編纂室)参照

 *写真:美乃利を貫く加古川バイパス予定地

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