野口町をゆく(65) 野口と戦争(8) 「弾丸列車計画」
戦前、壮大な計画がありました。
東京から大阪・神戸を経て、そして朝鮮海峡を越え、朝鮮半島に鉄道をつなげようとする、とてつもない計画でした。
まさに、軍備増強・植民地経営のための鉄道計画でした。
昭和13年、この弾丸列車の計画は国会で承認され、そして用地の買収が始められ、昭和16年に一部建設工事がはじまりました。
しかし、戦局の悪化のため、この弾丸列車計画は、つかの間の夢と消えたのです。
用地買収は、東京~大阪間は96キロ、大阪以西は64キロにとどまっていました。
加古川地域は、用地の買収が進んでいた地域でした。
東京~大阪間はの用地は、昭和34年に着工した東海道新幹線の用地として、そのまま使用されました。
兵庫以西の土地はいったん売却されたのですが、昭和35年、加古川バイパスの用地として再び買収され、10年後の昭和45年から国道2号線との暫定使用がはじまりました。
加古川バイパスが、このように短期間に、しかもまっすぐな道路になったのにはこんな裏話があったのです。
蛇足です。加古川バイパスでは、よく事故の起きています。その原因は、このまっすぐに伸びる道に原因があるのかもしれません。
道がまっすぐであるために、スピードが出ます。そして、何より運転に緊張が少なくなのかもしれませんね。
*「加古のながれ(市史余話)」(加古川市史編纂室)参照
*写真:美乃利を貫く加古川バイパス予定地
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